t(タウ)道(タオ)十(トオ)|魂のコンパスが描く神聖幾何学|令和の竹取物語#10
宗教として布教されるユダヤ教を仮に陽のユダヤだとすれば、自ら悟る事でしか知り得ない宇宙の真理を説くのは陰のユダヤです。
陽の象徴は定規。ルール(戒律)を定め、仮の調和を生むもの。陰の象徴は円規。真の調和を生むもの。
上記のような情報を、私がいかにして知り得たか。今回はまずそのあたりの話から書いていきたいと思います。“情報源”を伏せたまま精神世界を語ることは、読者と自分自身に対して不誠実な態度であるように思えるため、この自分語りに少しだけお付き合いください。
私の神話探究には全般的に言えることですが、これも誰かから聞いたり読んだりして得た知識ではありません。化石を発掘するように、精神の地中深くに埋もれていたそれを掘り返し「ことばというカタチ」に削り出したもの。つまり情報源は内側の宇宙です。もちろん私だけでなく、誰の中にもあるものです。
私は物心ついた頃から、直線で構成されるこの社会に違和感を感じていました。道路、電柱、建物──。ありとあらゆるものが「まっすぐ」で「均一」なこの世界が、私には不自然で不気味に感じられました。
4年前に書いた記事でも少しそのことに触れています。
8〜9歳頃から、その感覚は違和感を超えて不安になり、他者に説明することのできない恐怖へと移り変わっていきました。
自分は場違いな世界に生まれてきてしまったのかもしれない、という恐怖です。
何よりも怖かったのは、そのような認識を持っている人が、自分の他にはこの世界に一人もいないように思えたことです。学校の同級生や教師はもちろん、肉親や親族にも、本の中に登場する偉人と呼ばれる人たちの中にさえも。
誰かにこの恐怖を相談することも決してありませんでした。それを一度でも口に出そうものなら、理解されるどころか逆に私自身が周りから「異物」として見られ、距離を置かれることが子供心にも容易に想像できたからです。私は誰にもこの苦しさを打ち明けられないまま、普通の子供のふりをして、毎日言いようのない不安感に怯えながら暮らしていました。
それでも小学生時代には友達がいたのでまだ良いほうでした。しかし、中学校に上がってからは絶望でした。街の風景などの物質面だけでなく、精神面、特に同世代の子供たちの心がどんどん「まっすぐ」になっていくこと、そしてそれと同期して「冷たく」なっていくことが、感覚として手に取るようにわかりました。
この頃から私は友達と言える友達もおらず、いよいよ世界でたった一人になり、晴れている日でも世界全体が灰色に見えていました。口には出さなくても私から「異物感」が滲み出ていたのか、集団いじめのターゲットになり、ストレスと不眠から精神的にも不調をきたして不登校になりました。
今の私ならこの世界に対する違和感を言語化できます。子供たちは、石上神宮の十種祓詞が伝えるところの死人(まかりしひと)になっていったのだと。死人についての話は下記記事に詳しく書きました。
つまり子供たちが近代社会の構造とその精神性に染められていくに従って、内なる宇宙との距離が離れ、人によっては宇宙との繋がりそのものが断たれ、それと同時に生まれ持った霊性をも失っていった。私はそれを不自然なこととして肌で感じ取っていたのでしょう。
18歳から、表向きには普通の人間の仮面を被りながら、同時に外側の世界と自分との間に精神的な隔壁を作る術を身につけ、精神の健康を守りながら社会に関わることができるようにはなりました。
しかしそれで自分を守れていると思っていたのはただの思い込みで、社会人となったあとは「仮面自体」から少しずつ侵食されていたように思います。なぜなら気が楽になっていったからです。それは自分がこの世界に馴染み、違和感を感じなくなっていった証でした。仮面だったはずのそれが、いつしか私そのものに成り代わりはじめていた。
内なる宇宙は、私が“社会に馴染んで楽な人生を歩む”ことを許しませんでした。さまざまな苦しい出来事が積み重なって人生で二度目の引きこもり状態になり、これらの試練によって、自分にとって世界がどのように見えていたかを再び思い出していきました。
本当にまっすぐなものは曲がって見える
古代人が定規と円規という象徴に込めた理は、内なる宇宙に初めから存在していました。私は自分に課された試練を通してそれを再発見しただけです。
定規は「はかるもの」の象徴。人が思考し得る次元の「はかり」は、常に曲がっています。しかし多くの人にはそれがまっすぐに感じられ、その計画によって、人間社会の規律や、正誤、善悪の基準が規定されます。土台から曲がっている(歪んでいる)ことがわからず、正しいと思い込んだまま。その歪みが積み重なり、崩壊直前のもうどうしようもないというところまで世の中の問題が顕在化してから初めて気付く場合が多いのです。
次元の話をもう少し視覚的にわかりやすく説明します。

これはGoogleEarthで描いた線です。この赤い線は、こうして平面地図で見ている限りでは直線に見えますよね。しかし実際には、球体である地球の上に描かれた「曲がった線」です。

二次元の平面上で、狭い視野で見ると直線に見える線は、それよりも上の次元である三次元として見た時に、はじめて曲がっていることがわかる。
霊的視座にもこれと同じことが言えます。高次の次元から見た場合だけ、まっすぐに見えていたものが実は曲がっていることがわかります。
意識の定規でどれだけ正確に計ったつもりでも、実際には曲がっている。計り定めると曲がる。よって宗教も、真理を悟ったと思ってそれを教典として一つの教えに定めると、その時点で曲がっているため、禍事の原因になります。
真理はそもそも人間には計ることはできず、文字としても表せません。ですから「教」として説かれるものは、その時点で真理を説いてはいないことになります。
逆に言えば、多くの人にとって悪く思える(曲がっているように見える)物事が、高次の霊的視座から見ると良い(まっすぐな)物事である、ということがあり得ます。
浄化を司る古神道の神・瀬織津姫は、災いをもたらす悪神・禍津日神と同一神とされます。これこそが、霊的視座の高低差から起こる見え方の差異と言えます。本居宣長はこれについて書物に深き理とだけ書き残しています。
此の瀬織津比咩を、古事記等に、大禍津日神、八十禍津日神とあるは、深き理ありけり
それでは、この禍津日神の“深き理”を神道として伝えた人々のルーツはどこにあるのでしょうか?この謎を深堀りしていきましょう。
神道などの「道」の起源は、古代中国の老子が説いたとされる道に求められます。老子道徳経の第45章に「大直若詘」の四文字があります。
大直若詘(大直は屈するが若く)。本当にまっすぐなものは曲がっているように見えるという意味です。
では、老子の思想の中心を貫くこの道という概念のルーツはどこにあるのでしょうか。記録が存在しないため、学術的には不明とされています。そもそも老子という人物が実在したかどうかさえも実際のところはわかっていないようです。
私は、道のルーツは、原カナン文字のタウ十字と、このたった一文字に込められた、古代の人々の人類に対する祈りにあると感じています。
はじまりと終わり
わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。
このヨハネの黙示録は、ギリシャ語で書かれた新約聖書に収められているため「はじまりと終わり」は、ギリシャ語の最初の文字α(アルファ)と最後の文字Ω(オメガ)として表されています。
最初の文字と最後の文字が「はじまりと終わり」の象徴と見なされた背景には、ヘブライ人の「アレフからタウまで(最初から最後まで=すべて)」という慣用表現が存在します。ヘブライ文字の最初の文字がא(アレフ)、最後がת(タウ)。そのヘブライ文字の元をさらに辿ると、原カナン文字が記録上の最古のものとなります。


アレフは雄牛の頭を象った文字。カナンの地において、牛は富と力の象徴でした。家畜として羊や山羊も大切でしたが、その頂点にいたのが牛です。
カナンの土地は乾燥しており、場所によっては土が非常に硬いのが特徴です。人間が鍬で耕せる面積には限界がありましたが、牛に鋤を引かせることで、耕作面積は人力に比べ何倍、何十倍にも拡大しました。この牛の存在こそが、古代中近東の農耕文明を飛躍的に進歩させた最大の要因です。豊穣神バアルが牛と関連付けて信仰された理由もここにあります。
このことから、牛は農耕文明の拡大や人口急増のきっかけとして、カナン文字の最初に位置付けられたと考えられます。
この物理的な象徴性を抽象して精神面に照らし合わせて見ると、宗教にも同じことが言えることがわかります。定規ではかるように理想を念頭に置き、他者の思想・思考を理想通りに作り変える行為は、畑を耕す行為と相似。事実、Cult(崇拝)の語源はCultus(耕す)であり、Culture(文化)も同根です。
しかし上述したように、人間が五感で観測できる物事の範囲内で思考した結果の「計りごと」は常に曲がっています。物質文明の進化の結果として、内なる宇宙(神)との繋がりを失った人類。その頭脳が良かれと思ってしたことが要因で、滅びの道を進み続けることになります。
こうして人類が自ら招く災いを幾度も経験する過程で、最後に行き着く場所。その象徴が、原カナン文字の最後の文字であるタウ十字です。
古代中国の壁画に描かれたアレフとタウ

これは古代中国の漢王朝の時代(紀元前202年~紀元後220年)、武梁寺の西壁に彫刻された、女媧と伏羲の図。女媧・伏羲は古代中国の神話に登場する神で、左に描かれているが女媧、右が伏羲です。
手を見てください。伏羲は「A」に似た形のもの、女媧は「t」に似た形のものをそれぞれ持っていますね。私はこれが、フェニキア文字のA(アレフ)とt(タウ)であると推測しています。
以前紹介したように、フェニキア人は原カナン人の別名であり、航海を得意とする海洋民族。彼らは海路でユーラシア大陸を東に渡り、「アレフとタウ」に関する伝承や洪水伝説などを中国先住民に伝え、その中国で女媧・伏羲の神話として独自の変化を遂げた可能性が考えられます。
伏羲が男神で女媧が女神である事も重要です。自然や人々を支配する力と計りごとを司るアレフはいわば男性性。それに対し、宇宙との調和を司るタウは女性性。この点から言っても矛盾はありません。
アレフは定規に、タウは円規に例えられます。

こちらは中国のアスタナ古墳から出土した、7世紀頃に描かれたとされる伏羲女媧図です。タウは円規に、アレフは直角定規になっています。タウ=円規、アレフ=定規という思想そのものは、もっと古くからあったと考えられます。
(1300年も前の絵がこんなに状態が良いのは変だと思われる方がいるかもしれませんが、アスタナ古墳があるトルファン盆地は世界屈指の乾燥地帯なので、絵が描かれた当時のまま劣化せず残ることは十分あり得ます。)
タウ十字に込められた思い
神聖な十字と言えばキリスト教のシンボルがよく知られていますが、十字を神聖なものとする思想はイエスの生誕よりもはるかに古く、原カナン文字のタウ十字がその起源である可能性が高いです。
私は「自ら悟る事でしか知り得ない宇宙の真理を説いたのが陰のユダヤ」と書きました。ユダヤ教として布教されることのないユダヤの魂の教えです。
タウ十字は古代中国で道となり、道は古代日本で神道となった。
老子の第一章に「道可道、非常道」とあります。道の道とすべきは、常の道に非ず。道とは何かを言葉で語りそれを道だと言う時、すでにそれは道ではないという真理を説いています。これは陰のユダヤの精神性そのものです。
彼らは言葉ではなく、象徴で語ります。神道がそうであるように。
本居宣長が「深き理ありけり」とだけ書き残し、その理がなんであるかまでは書き残さなかった理由も、宣長が真の神道の求道者であったからこそだと思います。
フラワーオブライフとタウ十字
古代から世界各地で神聖な調和のシンボルとして伝わるフラワーオブライフについても、本質的にタウ十字と同じ理が見出せます。

フラワーオブライフはコンパスが一本あれば描けるんですよ。コンパスじゃなくても、円さえ描けるならフラワーオブライフも描けます。まず円を描き、その円の線上のどこか一点を新たな中心としてもうひとつ円を描く。そして生まれる円と円の交点を中心としてさらに描く。これを繰り返すだけでフラワーオブライフになります。
重要なのは、これが定規を使うような「計りごと」をせず描くことのできる幾何学図形という点です。私はこのフラワーオブライフの背後に、タウ十字と円規の象徴性、老子の無為自然の思想、そして女性性が司る作為のない真の調和の精神に共通するものを感じます。
日本の大和言葉の十(とお)という読み方も、タウ十字=道を起源とする発音ではないかと思います。文字として見ても、漢数字の十と原カナン文字のタウがどちらも「十」の形をしていることが単なる偶然だとは思えません。
終わりに差し掛かってもまだ曲がったものをまっすぐと思い込んだまま滅んでしまって一(はじめ)からやりなおすか、十(と)の外に出るか──。
日月神示には、このことが鳥(十理)として記されています。
神の国は生きているのだぞ、国土おろがめよ、神の肉体ぞ。神のたまぞ。
道は真直ぐとばかり思うなよ、曲って真直ぐであるぞ、人の道は無理に真直ぐにつけたがるなれど曲っているのが神の道ぞ。曲って真直ぐなのだぞ。人の道も同じであるぞ。足許から鳥立つぞ。
神心になれば何もかもハッキリ映りて来るのざ、そこの道理分らずに理屈ばかり申してゐるが、理屈のない世に、神の世にして見せるぞ。
言挙げせぬ国とはその事ぞ、理屈は外国のやり方、神の臣民言挙げずに、理屈なくして何もかも分かるぞ、それが神の真の民ぞ。足許から鳥が立つぞ、十理たちてあわてても何んにもならんぞ、用意なされよ、上下にグレンと引繰り返るぞ。上の者下に、落ちぶれた民 上になるぞ、岩戸開けるぞ、夜明け近づいたから、早う身魂のせんだくして呉れよ、加実の申すこと千に一つもちがはんぞ。
足元から鳥立ちてまだ目覚めんのか、神示、裏の裏までよく読めと申してあろうがな。この道はただの神信心とは根本から違うと申してあろうが、三千世界の大道だぞ。
所の洗濯と身魂の洗濯と一度になるところあるぞ、「イスラ」の十二(部族)の流れの源泉わかる時来たぞ。
太一信仰のはじまり
誤解のないよう今回も念押ししますが、これはアレフが悪でタウが善だとか、男性性より女性性の方が上だとかいうような話ではありません。はじまりがなければ終わりもないのであって、そのはじまり(アレフ)も全てありのまま受け入れるしかないんですよね。それが災いを引き起こすとわかっていてもです。
預言者イザヤはこの無慈悲で残酷な宇宙の現実を悟り、イスラエルが生んだ唯一神信仰(ヤハウェ信仰)が、東の地で災いの元凶となることを知りながらあえて止めることはしませんでした。
イザヤ書に記されているこの「東の地」というのが具体的にどこを指しているのかはさておき、古代の中国と日本は、イスラエルに酷似した信仰の歴史を辿ることになります。陰のユダヤに相当するのが無為自然を説く老子の道だとすれば、陽のユダヤが布教するイスラエルの神ヤハウェに相当するのは、道の思想を基本としのちに宗教化した道教の神、太一です。
といったところで、やや中途半端ですが今回はここまで。この七千文字の長文を最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。
伊雜宮の謎解きも、ようやく核心部分の一歩手前まで来ました。伊雜宮が“イザヤの宮”であると言える理由。伊雜宮に伝わる竹取神事の神意。伊勢神宮と伊雜宮の成立の謎と、その裏に隠された古代日本の秘密──。すべて書いていきます。
また次回。
