見出し画像

その一口が生きる力になる

夕食時、お箸で一口分のご飯をつまみ、口へ運ぶ前に、しばらくそのご飯を見つめていました。
今までは、そのまま何気なく口へ運んでいたはずなのに、そんなことは初めてです。


(1812字)

1. 母が教えてくれた「食べる」という奇跡


その一口がこの命を支えてくれていること
その一口がどれほどありがたいことか、
心から実感しました。
わたしたちの命は、この食事に支えられているのだと、深く感じました。

母のことがあったからです。
6月に、お見舞いに行ったときの母は、もう二週間も何も食べられない、水さえ一口も飲めない、そんな状態でした。
体には七本の管がつながれ、点滴だけで命をつないでいました。
頭の中は、もうほとんど霧がかかっており、
私が毎日会いに行ったことも、1時間後には忘れてしまっています。


貧血もひどく、翌日には輸血をする予定になっていました。
輸血という言葉を聞いたとき、私はとても驚きました。
それほど身体中の血液の状態が悪いのかと、不安でいっぱいになりました。

母はベッドの上で目を閉じたまま、ほとんど動くこともありません。
輸血は午後の予定でしたが、私はお昼には自宅へ戻ったため、
その日は、輸血後の母の様子を見ることはできませんでした。

2. 白いご飯が食べられる喜び

翌朝、輸血が無事終わったという連絡がありました。
母はしっかりと目を開けて、少し微笑んだような表情もしているということ。
本当にほっとしました。
輸血をして、体が楽になったのでしょう。

その4日後には、母は自分の口から食事ができるようになったという連絡もありました。
お粥をスプーンで少しずつ食べていると。
母は前から、白いご飯が大好きでした。
何よりも白いご飯が一番好きな人でした。
二週間前にその母が、ご飯を食べられなくなったと聞いたときは、胸が締めつけられるような思いでした。
病室は四人部屋なので、ほかの患者さんには一日に三回食事が運ばれてきます。でも母のところには何も運ばれてきません。
ただ24時間、それを二週間、じっとベッドの上で過ごしていたのです。



そんな時間を経たあとだったので、よけいに

自分の口から食べるということ
食べられるということ

このありがたさを感じたのです。母にとって、
どれほど大きな喜びだったでしょう。
どれほど力になったでしょう。
まさに食べるとは、生きる力に他なりません。
同時に、自分で食べようという気力が、母に残っていたことをとてもうれしく感じました。
私がお見舞いに行った頃は、目には光がなく、気力も全く感じられませんでした。
何と言葉をかけたらいいのか、途方にくれたほどでした。
それが今は、自分でスプーンを使って食べるというのです。
生きる強い力が、まだまだあるのです。

3. 一口のご飯に込められた命

その日からわたしは、一口のご飯がとてもありがたく感じられるようになりました。
これまでは忙しい時は、スマホを見ながら食べたり、書類を見ながら食べたりしていました。食べることを、どこか当たり前のように思っていました。

でも今は違います。
一口一口に感謝しながら食べています。


以前の母は、おしゃべりが大好きで、とても大きな明るい声で話す人でした。
体調が悪いときであっても、
「声が大きいから、こんなに具合悪いのに元気そうに見られるのよね」
と笑っていた母です。

そんな母の声も、今はほとんど聞けません。
「うん」
その一言だけでも聞こえれば、
「今日は声が聞けた」
そう大喜びするようになりました。
母は、もう何も言いません。
でも、大切なことを、身をもって教えてくれます。

4. 病院で支えてくださる皆さまへ

母が、大好きな白いご飯を、また食べられるようになった。
それは母にとって、毎日の生活に大きな喜びが戻ってきたということです。
楽しみが一つ戻ってきたということです。
生きる希望を持てたということです。
そのことを心からうれしく思っています。

そして今回のことで、改めて感じました。
食べられることは、決して当たり前ではありません。
毎日の一口一口が、私たちの命を支えてくれています。
病院で母を支えてくださっている医師の皆さま、看護師の皆さま、介護に携わる皆さま。そして、毎日食事を作ってくださっている皆さま。
本当にありがとうございます。
皆さんのおかげで、母は再び自分の口から食べる喜びを取り戻すことができました。
私もこれからは、毎日の一口ひとくちに感謝しながら、大切にいただきたいと思います。

そのときのことを書いた別の記事です。↓

それより前の訪問時の記事です。↓よろしければお読みください。


いいなと思ったら応援しよう!