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「ジークアクス感想」を批評する①:inkstone氏編:のりかな毎日エッセイ250513

2025年5月13日、23時48分。
さて。
お菓子を食べながら、だらだらと書こう。
のりかなエッセイ。
徒然なるままに、日暮らし、硯に向かいて。
by兼好法師。
そう。
これはエッセイ、随筆だ。
つれづれなる作者が、硯ならぬキーボードに向かって
カタカタと書き散らした、よしなしごとに過ぎない。
そんなたいそうな文章ではないのだ。

とはいえ、日記と違って人に読んでもらうものである以上、
人様の可処分時間を削ってもらう以上、それなりに考えて、
考えたことをなるべく面白く、書き残してきたつもりだ。
そしてそれは、他の人もきっとそうなのだろう、と思っていた。
もしそうでなかったりするとバカらしくなってしまうので、
他の人の投稿は極力、見ないことにしてきた。
僕がエッセイの一環として、ジークアクスの各話感想を
書き始めた時、他の人の記事を読まないようにしていたのは
そのためだ。
しかしそれは、もういい。
他の人の記事を読んだら、何か批評したくなってしまうのでは
ないか、という不安もあった。
そして批判すると僕が悪者になるだけで損しかしないのだから、
読まない方がいいのだ。
僕は基本、モンロー主義者だし、他所の国とは相互不干渉で
いきたいのだ。
しかしこちらが門戸を閉ざしている間に、海の向こうでこちらが
不利になる事態が進んでいないとも限らない。
それは例えば、読者の劣化だ。

読者の質が向上すれば、劣悪な文章は読まれなくなるが、逆も言える。
劣悪な文章によって、読者の質が劣化すれば、良質な文章が読まれなく
なるのだ。
従ってもし、海の向こうで劣悪な文章が蔓延していると、こちらも
被害を受けるし、無関係とは言っていられなくなるのだ。
だから僕は、よそ様の文章にケチを付けるようなことはやめよう、
人それぞれでいいじゃないか、と思う反面、それでいいのか、
という思いもあったのだ。

前置きが長くなってしまった。
といっても800文字くらいだけど、最近ではこれくらいでもダルイ
と思われるぐらい、読者の文章への耐性が落ちているようだ。
note内でも短文が蔓延しているのだろうか。
短い方が閲覧数増えるしね。
そのうちツイッターと同じくらいに減るんじゃないか。140字くらいに。

のりかな裁判【修正版】ジークアクス4話感想、の前に愚痴:ネタバレサムネ、或いは引用について:のりかな毎日エッセイ250509|のりかな

上の記事は、5月5日の記事の一部を修正して再投稿したものだ。
修正することになったいきさつも、上記の記事に追記しているので
興味がある人は読んでもらいたい。
かいつまんで言うと、元の記事にコメントを寄せた方から修正を
求められたというわけだ。
inkstone氏は、氏の投稿記事が侮辱されたと感じたらしい。

僕の文章が、ジークアクスの感想投稿と、切り抜き動画とを同列視する
ような印象を読者に与える、紛らわしいものだったという指摘は
当たっているかもしれない(詳しくは上記の記事を参照)。
では僕が、そのような紛らわしい書き方をしたのはなぜだろう。
未必の故意があったのかもしれない。
他の人の感想動画に対する侮りというか、怒り?
実際、本当に中身を読んでしまったら、僕は怒りだすかもしれない。
「こういう記事が読者を劣化させるんだ!こんなの切り抜き動画と
同じだ!」とか書いてしまうかもしれない。
それを防ぐために、読まないようにしていたのだけど。
でも逆に、読んだら「さすが!」と思える内容である可能性も
あるのではないか?
僕はタイトルとサムネを観ただけでもう、諦めてしまっているけど。
inkstone氏も、気概を持って記事を書いていると公言しているし。
とはいえ気概を持って記事を書いているのは、僕も他の人も、
切り抜き動画の作者だって同じだと思うけど。

とにかく、inkstone氏も、氏の記事を読んだ上で批判的な評価を下すこと
には異存はない、と言っておられるし。
(本当かな…批判したらまた「削除してください!」とかコメント
してくるのでは…?とはいえ…)
まずは読んでみよう。

理由①への対処→僕がinkstone氏の記事をひととおり読む。
理由②への対処→「サムネやタイトルが少しずつネタバレになってる」
画像を一通り削除したうえで、再投稿する。
理由③への対処→僕がinkstone氏の記事をひととおり読んだうえで、
ちゃんと批判する。


というかもう読んだので、残る対処は③だけになる。
というわけで、前置きはここまで。

inkstoneの記事一覧|note(ノート)

もう一度、inkstone氏の記事に目を通しつつ、一記事ずつ批評
していこう。

【テレビ版1話】
ジークアクス 「身分違いの恋」 第1話感想|inkstone
というわけで、批評していきますね、inkstoneさん。
文字数は800字行かない程度と短めですね。
内容は…愚痴というかクレームが多いかな?

①初代ガンダム由来のSEがチープで笑える(笑)
②モビルスーツどうしの接近戦が分かりづらい!(愚痴1)
せっかくの人型ロボなのに人体が動く気持ちよさがないよ!(愚痴2)
老人になったのかな?
③映画と同じ内容だ、損した!(愚痴3)
④シャアは出て来なくて良し!(ウケが狭くなるから)
出て来なくて安心!(愚痴4)
⑤ミュージックビデオみたい!気持ちいいけどそれでいいの?
歌に頼りすぎ!(愚痴5)
⑥と思ってたら次回予告でシャア出てきたし!シャアは要らん!(愚痴6)
⑦深夜アニメみたいだ!ガンダムは小学生のものだろが!(愚痴7)
⑧???
⑨息子はガンダムよりポケモンの方が好きだってさ!(笑)

文章は、多分こういうことを言いたいのかな、と意訳しています。
てゆうか愚痴が7個!文章全体の8割を占めていますね…。
そんなに嫌いだったかジークアクス…。
残りの2個は、SEを笑っているのと、ポケモンに負けてるよという中傷。
要するにinkstoneさんは、1話はお気に召さなかったということですね。
特にシャアと米津が嫌いらしい。
なんというか、親父がテレビの前でプロ野球中継に愚痴垂れてるような
印象を受けました。監督の采配がなっとらん!みたいな。
特に②とか⑦。
なんというか、inkstoneさんと同じで1話が気にくわなかった人には、
愚痴はウケるのかもしれない。
でも1話面白かったという人が読んだら不快だと思いますし、そういう人
に、なぜ自分がそう思うのか理解してもらうつもりで書いた方がいいと
思います(そうすると文章が長くなります)。切り捨てるんじゃなくて。

あと⑧について。

マチュは良い所のお嬢さん、ニャアンは難民。マチュはニャアンへの共感で戦っている(ここは映画では読み取れなかった。なぜだろう?)。つまり、「身分違いの恋(共感)」かな。この身分の壁を越えられるのかどうか。どちらに決着するのか…。でも、EDは部屋にある家具家電(黒電話、蓄音機)や二人の共同生活という設定からして、非現実、視聴者の露骨な願望ですよね。それをこうあからさまに見せてくるってことは…。

上が原文だけど。
言葉が少なすぎて何が言いたいのか不明です(汗)。
多分こういうことを言いたいのかな…?

マチュは良い所のお嬢さん、ニャアンは難民。
(だからマチュには関係ない事件。警察ザクはお嬢さんには関係ない、
難民の不法居住区を破壊しているのだから。
でもニャアンは難民だから、あそこにはニャアンの家もあるかもしれない。

ニャアンの方にゆっくり視線を移すマチュ。
何も言わず、壊される居住区を見つめるニャアンの後ろ姿。
理不尽な暴力を振るわれることに馴れきってしまったニャアンに、
憐憫の情が湧くマチュ。
ニャアンの忸怩たる表情の後、
何かを決意したマチュの表情。
このあとマチュは走り出す。)

マチュはニャアンへの共感で戦っている。
…ほらこの方が、伝わると思いませんか?
それにこの方が、「マチュはニャアンへの共感で戦っている?ウソつけ!」と思った読者も説得できるし。

つまり、「身分違いの恋(共感)」かな。この身分の壁を越えられるのかどうか。どちらに決着するのか…。
「どちらに」というのは、壁を越えられるハッピーエンドか、越えられ
ないバッドエンドか、ということですか?

でも、EDは部屋にある家具家電(黒電話、蓄音機)や二人の共同生活という設定からして、非現実、視聴者の露骨な願望ですよね。それをこうあからさまに見せてくるってことは…。

「てことは」何?
露骨な願望が実現するハッピーエンドですか?
露骨な願望が実現するわけないからバッドエンドですか?
文脈からするとinkstone氏はバッドエンドだと思っている雰囲気だけど。
つまりこの⑧の文章全体で言いたいことは、どうせ叶わぬ恋だよ、という
ニヒリズム?
マチュ×ニャアン推しのファンに、どうせ破局するよと水を差してるん
ですね?
とにかく1話を観て、気に入らなかったので愚痴とか悲観的な結末予想
を書いて評価を落としたい、という目的の投稿だと感じました。
でも1話切りするかと思いきや、この直後の投稿で継続視聴しよう、と
心変わりするんですよね。

ジークアクス サイド6とジオンの関係(日米関係)|inkstone

引用部分を除くと173文字と更に短い。もうツイッターで良くない?

百合百合したアニメはガンダムじゃない!と思っていたけど、政治・社会と
無縁でないという気がしてきたので「最後まで見てみよう」と思ったとか。
取り扱うテーマが難しくてインテリ的だから観よう、と言うのは僕的には、
教養をファッションにしていると感じますね。
頭よさそうな本とか映画とか、アニメじゃないと、この私が観るのには
ふさわしくない、という態度は、人付き合いにも表れるし、いい作品を
見逃してしまうと思います。
アニメ(制作者)がどう政治・社会を描くか(描かないか)には興味があります。
と書いているけど、それならもっと早く、日米関係の暗喩とかには気づく
でしょう。
(LGBTQをテーマにした作品なら内容関係なく素晴らしいと褒めるインテリ
左翼と同じになってしまいますよ!)

ジークアクス なぜ第1話でメインキャラの名前を出さないのか?(追記)|inkstone

タイトルが問いの形式に。文字数も2000字に増加!
第1話でマチュとニャアンの名前が呼ばれないのはなぜ?という問い
ですね。
1話でマチュが出会うのはニャアンとジャンク屋の人たちで、
ニャアンはマチュとジャンク屋に出会う。
だから名乗るとしたら、マチュとニャアンがお互いに自己紹介するか、
ジャンク屋に自己紹介するかだと思います。
ジャンク屋のジェジー氏は「お前は誰なんだ?」とマチュに聞くけど、
マチュは「あー…付き添いっていうか、マブっていうか…」と誤魔化し
ます。
アングラな人たちに本名を名乗りたくなかったんでしょう、ニャアンも
不法難民だし。

でもinkstone氏は、第1話で主人公の名前をしつこいくらい呼んで読者に
覚えさせるのがアニメだ、と思っているのですね。
で、その慣例通りにしないのは意図的な演出のはず、と仮定する。
仮定と言うか、そうに違いないと決めつける。

意図的でなければ責任者は懲戒モノ、と言うくらい、氏にとって
第1話で主人公の名前を出すのは絶対ルールらしい。
ちなみに赤い彗星のシャア、というのは偽名です。
考えてみれば、アマテ・ユズリハもクラバのメンバーには「マチュ」という偽名で通してますね。
「ニャアン」や「シュウジ」も、本名かどうか不明だし、名字も明らかでないし。

ニャアン (にゃあん)とは【ピクシブ百科事典】
シュウジ・イトウ (しゅうじいとう)とは【ピクシブ百科事典】
↑と思ったら、シュウジはシュウジ・イトウと言うのですね。

マチュやニャアンが偽名とか、仮の名前だとすると、現時点で二人とも、
お互いの本当の名前で呼び合ってないことになりますね。
どこかの時点で、「マチュ、私の本当の名前はね…」とニャアンが告白する
展開があるかも。或いはトロワ・バートンみたいに、戦場帰りの孤児だから
本当の名前を知らない可能性もある。

https://tcg-db.nikita.jp/cardlist/gw/?name=%E5%90%8D%E7%84%A1%E3%81%97

とりあえず、「どこにでもいる普通の少女」は本名で呼ばれる
と思いますけど…。
マチュやニャアンたちが、まだ何も役割を獲得していないことを
印象付けるための演出という意図で、「名前を出さない」ことにした
と考えることもできるけど、そう考えないこともできる。
例えば、マチュのクラスメートや母親を登場させれば、彼女らに
「アマテ」と呼ばせることはできる。
そのシーンを3話以降に後伸ばしにして、1話ではマチュのことを知らない
初対面の人物、ニャアンやジャンク屋との「出会い」のシーンを優先した。
マチュは警戒して、「お前は誰なんだ?」という問いをはぐらかす。
それから3話以降では、マチュと言う偽名を使うことにしている。
「名前を出さない」のは、マチュの警戒感、特に不法難民(というか
ジェジー)への警戒感の演出、と考えることもできるでしょう。
極力名乗らず、やむを得ず名乗る時は偽名を使う。
でもそう考えないこともできる。
「そうかもしれない、或いは…」という奴ですね。
要するにinkstone氏の説も僕が今考えた説も、仮説ということです。
仮説を「明らかに」と絶対視すると他の可能性を抹消してしまったり
するし、仮説に仮説を接ぎ木すると不安定になるので、しない方が
いいと僕は思います。読者もベタに信じてしまうし。

あとそういえば、岡田斗司夫ゼミを引用してたけど。
いわゆる、ミノフスキー扇風機問題ですね…。
#565 ガンダム講座 - YouTube

この回で紹介しているNEXUSという本が読みたいけど高い…。

エンディングに出てくる扇風機が宇宙世紀という未来なのに、普通の
扇風機過ぎるし、風景全般が現代と変わらない。
見た目同じでも未来なんだし、スーパーテクノロジーが使われている
のだと思いきや、スマホは落としたら普通にひび割れるし、ローテク。
岡田氏は、ジークアクスの世界全体が、ガノタの内面世界なんじゃない
のか、みたいなことを言ってるけど。
inkstone氏の「これはつまり「普通の女の子」を描いているのだと私は解し
ました
」という意見は、視聴者の普通の女の子に共感してもらえるよう、
小物も風景も現代と変わらないものにした、という意味ですか?
だとすれば、それもあると思っています。視聴者の男の子も共感する
と思うけど。
ゴジラマイナスワンで、役者の喋り方が昭和20年代のそれではない!
という批判があったけど。その方が現代人である視聴者の共感を得やすい
というのと同じだと思う。
それとは別に、僕が思うのは、単に未来を描いても嘘っぽくなるし、
噓っぽくない未来を描けない、想像できなくなったのだと思います。
大阪万博も未来感ないし。
未来にはこんな便利家電が出ているはず!こんな生活になっているはず!
という、「未来は今より良くなっているはず」という信仰を、制作側も
視聴者の側も信じられなくなっている。
地方はどんどん衰退してるし、温暖化で気候も極端化してるし、反知性主義
が広がっているし。
近未来には便利家電が出るどころか、今の家電をリサイクルして使い続
けているかも…。未来少年コナンのインダストリアみたいな。

また午前5時になろうとしている。
そろそろ終わりにしよう。結局第1話の分しか終わらなかった。
2話以降も指摘事項は山ほどあるんだけど。
それは明日書くかもしれないし、書かないかもしれない。或いは。

なんだろうこの、傲岸不遜な感じ。社長なの?

今の自分に必要のない無駄なもの、ノイズを摂取することが大事だと、
「なぜはた」の三宅氏も書いてましたよ。
なぜ働いていると本が読めなくなるのか (集英社新書) | 三宅 香帆 |本 | 通販 | Amazon

というわけで、もう朝の6時なのでさすがに終わることにします。
僕の怒りというか危機感が、少しは伝わったらいいなと思います。
ただの難癖と思われたなら、仕方ないね。
というわけで、もう終わります。
では、また来週♪

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