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【アメリカ横断記⑩】アメリカを旅した音楽たち。オクラホマとセントルイス

今回はアメリカ中部の町、オクラホマ セントルイス についてご紹介します。

アメリカ中部はロックの歴史上とても重要な地域でありまして、南部や東部から流入した様々な音楽がこの地域で合流し発展することで、ロックの礎が築かれていきました。

また、セントルイスは西部開拓の玄関口として知られています。
音楽もまた、ここから西へとルート66を流れ伝搬していったのです。

今回はアメリカの壮大な音楽の旅に皆さんをお連れします!(大げさだな)

地図はこんな感じ!ワクワクしますねぇ!

(※この記事は旅をした2019年の情報をもとに作成されています)


オクラホマ・シティ

運河とレンガ造りがオシャレなモール

オクラホマのダウンタウンには、倉庫街を再開発して作られた ブリックタウン というエリアがあります。

人口の運河を中心に、レンガ造りの建物が立ち並ぶなんともオシャレなこのエリア。

建物には映画館や、レストラン、バーなど様々な店舗が入っており、名物のゴンドラで運河を渡って色んなエンターテイメントを楽しむことができます。

まぁぶっちゃけ歩きで全部行けるのでゴンドラに乗る人はほとんどいません。観光客のちょっとしたアトラクションといったところでしょうか。

映画館でやってた名探偵ピカチュウ
スタジアムでマイナーリーグの野球観戦もできる

オフィスビルが立ち並ぶ町の中心部は思った以上に都会でした。

路面電車が走っていました。
調べたらストリートカーといって2018年に運行が開始されたそうです。結構最近。

実を言うと先を急ぐルート66の旅においては、個人的にここオクラホマにはなんら惹かれる要素が無かったので簡単に町ぶらしてスルーしました。

しかしこの町には昔むかし、ここから西へルート66を旅して歌を紡いだ偉大なフォークの伝道師がいましたとさ・・・


西へ旅したフォークシンガー

1930年代、オクラホマ州を含むアメリカ中西部で ダストボウル と呼ばれる砂嵐による環境災害が頻発しました。

砂嵐による土壌侵食で農業が不作となり、これに世界恐慌が重なることでオクラホマの人々は貧困に喘ぎ、職を求めてオクラホマを離れることを決意します。

この人たちはオクラホマにちなんで「オーキー」と呼ばれ、ルート66を移動し西のカリフォルニアを目指しました。

フォークシンガー ウディ・ガスリー もそのひとりです。
オクラホマ出身の彼はギター片手に西を目指し、日雇い労働者として町を転々としながら、彼や同じ境遇にいたオーキー達の苦悩や怒りを歌って旅をしていました。

【66's Music㊸】Dust Bowl Refugee / Woody Guthrie

From the south land and the drought land, come the wife and kids and me,
and this old world is a hard world, for a dust bowl refugee.
干ばつに飢えた南の地から、妻と子とやってきた。
この古びた世界は、ダストボウルの難民にとっては厳しいのです。

I'm a dust bowl refugee, and I wonder will I always be a dust bowl refugee?
私はダストボウルの難民です。
そして私はいつまでダストボウルの難民で居続けるのでしょうか?

歌詞一部抜粋

フォークソングは元来 プロテストソング としての役割を持つものです。

アメリカの飢えや貧困、その苦しみをギター1本で語るように歌う彼のスタイルは、後に ボブ・ディラン に大きな影響を与え、ディランもまたフォークにのせてベトナム戦争を嘆き歌いました。

【66's Music㊹】Blowing In The Wind / Bob Dylan

Yes, and how many times must the cannonballs fly, before they’re forever banned.
The answer, my friend, is blowin’ in the wind
どれだけ砲弾が飛び交えば、武器は永遠に禁止されるのだろうか。
その答えは、友よ、風に舞っている。

こうしてフォークソングの反体制の表現としてのスタイルが確立されていきました。

ウディ・ガスリーの歌は歴史的資料として、ディランの歌は文学的価値のあるものとして、フォークソングは時代と共に語り継がれてゆきます。


タルサと中部の音楽について

池に浮かぶ青クジラ

さて、オクラホマを出発!
ここまで東へ東へと進んできたルート66ですが、ここでやっとシカゴへ向けて北上していきます。

オクラホマから北東へ進み、タルサ という町のはずれにはルート66で名物となっているとあるため池があります。
それがこちら、

Blue Whale of Catoosa

ため池のまん中にドでかい青クジラ!

中はちょっとした遊具になっています。
中央のはしごで胴体の2階に行けたり、左右のヒレは滑り台で池にダイブできます。

尾ひれも階段で上部に登れます!

楽しいですね~童心に帰りそう!
池が汚いので入る気にはなれませんが、子供の頃ならダイブして楽しんでるかも。

付近も公園になっていて、小さなお土産屋もあります。

土産屋

タルササウンド

さて町を訪れることはできなかったのですが、ここタルサにも「タルサ・サウンド」と呼ばれる音楽が存在します。

オクラホマ生まれタルサ育ちのミュージシャン、 J.J ケイル が1stアルバム「Naturally」で確立したそのサウンドは、ブルース、ロカビリー、カントリー を融合した土着的な渋い音を奏でます。

【66's Music㊺】After Midnight / J.J Cale

見てくださいこの「Naturally」のオシャレなジャケット!前回の記事でも述べましたが、動物ジャケに間違いはないのです!

そんなとこはさておき、タルサを含むここアメリカ中部は南からやってきた ブルース と、東からやってきた カントリー が合流する地点であるため、昔から音楽が盛んな地域となっています。

地図をご覧ください。

奴隷貿易によってやってきたアフリカ系移民達は、綿花栽培が盛んな南部、特にミシシッピ側流域にて厳しい労働を強いられていました。

そこで自分を励ますために、または悲しみを嘆くように口ずさんでいた労働歌がブルースの起源となったと言われています。
(ミシシッピ側流域が三角地帯であるためデルタブルースと呼ばれます)

奴隷解放宣言後、1900年代に入ると黒人達は自由と職を求めシカゴを目指して北上します。
ブルースも同様、メンフィスやセントルイスを経由してシカゴへと進化を遂げながら北上しました。

マディ・ウォーターズ もその一人。
地元でブルースマンとして名を上げた彼がシカゴに移住し、ブルースにエレキギターのサウンドを導入したことで シカゴ・ブルース が誕生しました。
(シカゴ・ブルースについては「アメリカ横断記⑪」へ)

このサウンドがロックの起源と言われています。

さて、打って変わって次は カントリー の誕生について。
もう一度地図をご覧ください。

コロンブスによるアメリカ大陸発見後、ヨーロッパの移民達はアメリカ東海岸から上陸し、その領土を広げてゆきました。

アメリカ北東から中部にかけて連なるアパラチア山脈。
この高原地帯を、イギリス系移民が持ち込んだ民謡が南下し中部へと伝わり、そこでゴスペルなど南部のアフリカ系音楽と融合することで ヒルビリー と呼ばれる音楽が誕生しました。

ヒルビリーはその後 カントリー と名を変え、中部の都市ナッシュビルで栄えました。
ナッシュビルは今でもカントリーの聖地として、旅行客に人気の観光地となっています。

一方メンフィスでは、南部から来たブルースとヒルビリーが融合した、ロカビリー というジャンルが生まれます。
メンフィス出身の エルヴィス・プレスリー は、このロカビリーのトップスターとして活躍しました。
(エルヴィスについては「アメリカ横断記⑤」へ)

このようにアメリカ中部は南部のアフリカ系移民のブルースと、東部のヨーロッパ系移民のカントリーが合流する地点であるため、多種多様な音楽の生誕地となっています。

ロックンロール や、リズム&ブルースソウル などなど・・・

J.J. ケイル の タルサ・サウンド も、こうした中部の土地柄の影響により複数のジャンルが調和して確立されたものだと思われます。


ルート66で有名なモーテル

ルート66の旅はミズーリ州に入ります!

レバノンという町には、Munger Moss Motel というルート66ファンにはたまらないモーテルがあります。

ドでかい看板がいいですね~。
夜になると灯るネオンも美しいらしいです。

第二次世界大戦前の1936年、元々はサンドイッチ店として創業したこの老舗モーテルはルート66ファンの間では有名で、トゥクムカリのブルースワローモーテルと双璧を成す人気となっています。


セントルイス

高さ192m!巨大なアーチ

セントルイスで一番の観光名所といえばここ、ゲートウェイアーチ でしょう!

高さはなんと192m、両足元間の距離も192m!
セントルイスでは最も高い建造物で、断面は正三角形の巨大なアーチです。

このアーチは頂点に展望台があり、アーチの地下にあるビジターセンターから両足にそれぞれ設置されたトラムに乗り、頂上に昇ることができます。

トラム内部

少し窮屈ですが、5人乗りのゴンドラが8基連なって頂上へ向かいます。

展望台内部

展望台はアーチ頂点のため山なりになっていて、小さな小窓がついています。
ゲートウェイアーチは東西を展望できるように建設されており、西側から眺めるセントルイスの町並みは素晴らしい景色です!

米大リーグセントルイス・カージナルスの本拠地
ブッシュスタジアム

西側はミズーリ州、東側はミシシッピ川を挟んでイリノイ州を一望できます。
そう!セントルイスはミシシッピ川を中心とした州境に位置する町なのです。

東側ミシシッピ川

実はこの前日セントルイスは記録的豪雨に見舞われたため、川の水は泥色で、増水により川沿いの遊歩道が水没しています。

ここセントルイスは西部開拓の玄関口として知られています。
アメリカ大陸を陸路で西へと探検し、太平洋を望み帰還した初めての白人アメリカ人が、ルイス・クラーク探検隊です。

彼らの出発地がここセントルイスであることから、それを記念して1965年に建てられたのがこのゲートウェイアーチです。

アーチの地下のビジターセンターには西部開拓博物館があり、探検隊についてや、その後の西部発展の歴史を学ぶことができます。


セントルイスを愛したロックンローラー

セントルイス出身、ロックンロールの創始者のひとりとして名高い チャック・ベリー は自動車が好きでした。
(彼については「アメリカ横断記⑤」もぜひご覧ください)

1955年、彼は新車を乗り回すためルート66をドライブしてシカゴへ遊びに行った際に、先述の マディ・ウォーターズ のステージを観ます。
彼はチャックにとって憧れの存在でした。

マディ・ウォーターズに チェス・レコード を紹介され、会社を訪れたチャックは「音源は無いか?」と言われ、ルート66を大急ぎで走ってセントルイスに戻り、デモを作成しました。

このとき作成したデモ音源が、彼のチェス・レコードからのデビュー曲「Maybelline」となり、これが全米5位の大ヒットを記録したことで彼は一躍スターとなりました。

【66's Music㊻】Maybelline / Chuck Berry

As I was motorvatin' over the hill, I saw Maybellene in a Coupe DeVille.
俺は峠を越え車をかっとばしていた、キャデラックに乗るメイビリンを見たからさ。

チャックの書く歌詞は若々しい恋愛モノが多く、また自動車がよく登場します。
この歌詞中の「motorvatin'」とは「モチベーション」と「モーター」をかけた彼の造語です。
彼女を追う恋心を、自動車レースに例えた遊び心のある歌詞が楽しい1曲ですね!

ロックンロールの第一線で活躍した彼ですが、1996年から死去する2017年までの21年間、毎月1回第3水曜日には地元セントルイスのレストランでライブを行っていました。

レストランの名は「ブルーベリーヒル」、併設されたライブスペースの名は「ダックルーム」!
これはもちろん彼の代名詞である ダックウォーク から命名されたものです。(メイビリンのライブ映像でもキマってます!)

チャック・ベリーの人生には、愛した故郷セントルイスと、ルート66をかっとばした愛車の思い出が詰まっていますね。


最後に

いかがだったでしょうか。
アメリカ中部を中心に、東西南北を旅した音楽について書いてみました。
こういった歴史が複雑に絡み合って現在のロックが形作られています。

例えばヨーロッパ移民が持ち込んだカントリーと、ウディ・ガスリーのフォークも西へ流れ、行きついた先のロサンゼルスでは、西海岸独自のベーカーズフィールド・サウンドを形成しました。

【66's Music㊼】Streets Of Bakersfield / Buck Owens

イーグルス等のウェストコースト・ロックのサウンドは、ナッシュビルではなくこのベーカーズフィールドから影響を受けたものだと思われます。

こうしてアメリカ音楽の歴史を辿り、ロックの源流を味わうのもまた一興ですね。

さて次回は、久々の大都会!シカゴです!
高層ビル群とガタガタ揺れる高架鉄道。
美味すぎるシカゴスタイルのホットドック!?
そしてシカゴ・ブルース!

ぜひ読んでください!

⇒次回

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