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連載小説『創作大賞2026』①

第1章:創作大賞2025 ― 傷と反省の記録


第一節:『彼女にまた会うために、エゴたちが会議を始めた』

――スキが一番多かった作品を、僕は取り下げた。

この作品は、静月作品の中でも“最もリアル”な創作だった。
というより、リアルそのものだった。
登場人物のモデルは、まぎれもなく僕自身。
10年ぶりに届いた元カノからの一通のメール――
「会ってお話しできませんか?」

そこから始まったのが、心の中の「エゴたち」の円卓会議だった。
理性、未練、虚勢、不安、希望――
それぞれの感情が、彼女に会うかどうかをめぐって言い争う。
書いているうちに、僕はただの“主人公”じゃなくなっていた。

リアルすぎる物語だった。
だからこそ、投稿直後の反応は早かった。
スキの数が、いつもより早く増えていく。

「この感情は、“届く”んだ」

そう思った。
そして正直、嬉しかった。
どこかで“リアルなら読んでもらえる”と信じていたから。

でも、僕はその先のことを、何も考えていなかった。

フィクションとしての“ふり”をしていたけれど、
読者が真実に気づく可能性、モデルになった彼女が読むかもしれない可能性、
そういった未来を、僕は無防備に見逃していた。

「これ、事実?」

もし彼女がそう思ったとしたら――
それはもう“作品”ではなく、ただの“告白”だ。

だから、取り下げた。
後ろめたさからではない。
責任を持てない作品を、世に出すことが怖くなった。

スキの伸び方から見ても、読者の印象に強く残った作品だったはずだと“推察”している。
だからこそ、なおさら悔しかった。
読まれた手応えと、届けられなかった後悔。
その両方が、心に残った。

結果、恋愛小説部門には、締切直前に**『まだ言葉にしていないだけ』**を書き下ろした。
ゼロからではなかった。けれど、“あの作品”の影を引きずったままだったのは間違いない。

リアルであることの強さは、ときに無防備さと隣り合わせだ。

この体験がなければ、僕は今も“届くこと”の意味を勘違いしていたかもしれない。

第二節:「ただ立っているだけ、なんてことはない」

──『静かに立つ者 ― 警備員のおじさん、風と話す ―』

お仕事小説部門に応募したこの作品は、僕自身の体験をベースにしている。だからこそ書けたし、だからこそ、少しだけ恥ずかしかった。
交通誘導の現場では、何度も場所を移動するし、天候に左右されるし、道行く人たちの目にもさらされる。だけど、ただ立っているだけ──に見えるのもまた、事実だ。
そのギャップを、物語としてどう描くか?が今回のテーマだった。

リアルな現場描写にはこだわった。汗のにおい、風の向き、工事の音、人の流れ。そこに少しだけ、“詩”のような感情を乗せた。
けれど、平凡な自分をどこか“すごい人”のように描いてしまった感覚があり、正直、少し照れも残っている。

投稿形式についても迷いがあった。
章だてして投稿すれば読みやすくなるのか、それとも一気に読める方が深く伝わるのか?
悩んだ末に、章ごとに分けて投稿する形にした。
読者にとってどちらがよかったのか、答えはいまだにわからないけれど──
あの風の中にいた自分は、確かにここに刻んだつもりだ。

第三節:「感情しか描けない僕が、王道に迷い込んだ」

──ファンタジー小説部門『記憶の種子』

僕にとって、ファンタジー小説というジャンルは、「感情」と向き合うための舞台にすぎなかった。
ドラゴンも、魔法も、勇者の冒険も、それらは僕の物語の中には登場しない。
ただ、人の心の揺れや、感情のかけらのようなものが、森や風や光に姿を変えて、静かに物語を編んでいく──そんな“内向きのファンタジー”しか、僕には描けない。

その自覚があるからこそ、ファンタジー小説部門への挑戦にはずっと違和感があった。
「王道じゃなさすぎる」と感じる日もあれば、「いや、王道すぎるかもしれない」と感じる日もあった。
作品は三つ。
どれも“感情”を軸にしていたが、それぞれにテイストが違い、どれがもっとも「応募作品」としてふさわしいか、最後の最後まで判断がつかなかった。

結局、選んだのは『記憶の種子』。
最も“目立たない”けれど、最も“僕らしい”と感じた作品だった。
実際、反響は控えめで、派手さもない。けれど、少年がひとつひとつの感情を果実として拾っていく、その静かな冒険が、僕には確かなものに思えた。

ファンタジーというジャンルに、まだ僕はちゃんと“立てていない”。
でも、次に進むための“種”はまいたつもりだ。
いつか芽が出て、少しでも誰かの心の奥に、柔らかい森が生まれたら──それでいい。

第四節:「AIにすべてを預けたが、救われたとは言っていない」

──ミステリー小説部門『プロンプト探偵― 忘却された真実は、AIの中で眠っている ―』

創作の中で、もっとも「言い訳」をしたくなるジャンル──それが、僕にとっての“ミステリー”だった。

“伏線を張る”“回収する”“意外性を盛り込む”──そんな当然の技術を、僕はまだ自分の中に持ち合わせていなかったと思う。
けれど挑戦した。しかも、舞台は2039年の近未来。
AIによって人間の無意識まで記録される世界を描きながら、僕の脳内では記憶も論理も、どこかへ飛んでいってしまっていた。

物語を二転三転させて、意外性を生もうとした。
けれど、ただでさえ複雑な設定に“複雑さ”を足してしまったことが、物語を“面白くない迷路”に変えてしまった。
出口が見えず、物語は徐々に自壊していく。
読み返せば破綻があるかもしれない。いや、あるとわかっている。
それでも提出したのは、「完成させる」ことの重みを知りたかったからだ。

この作品を、僕はいまだにちゃんと読み返せていない。
怖い。致命的な矛盾に気づくのが。
でも、公開している以上、修正すべき責任がある。
創作の手を止めないと決めたのなら、自分の失敗作ともきちんと向き合わなければいけない。

もしこの節を読んで「自分もミステリー難しいと思ってた」と感じた人がいたら、それだけでこの作品には“意味”があるのかもしれない。

AIは、僕の真実を救ってはくれなかった。
でも、記録はされている。きっと、どこかで「次」に生まれ変わるために。

第五節:「気配はあったが、読者はいなかった」

──ホラー小説部門『気配』

怖い話が書きたかった。
ゾクッとするような、ページをめくる指先が止まるような、**“言葉の恐怖”**を描きたかった。

……結果は、まさかの読者ゼロに近い気配で幕を閉じた。

このホラー小説部門、僕の中ではまさに「迷走の森」だった。
当初は『悪魔の文字列』で勝負するつもりだった。呪いのQRコード、観測で感染する言語、記憶と存在の崩壊──自分でもワクワクする設定を考えた。
だが、あまりにも“仕掛け”に寄せすぎて、どこか物語から心が離れてしまった。

それで切り替えた。「原点に戻ろう」と。

幼少期に感じていた、説明のつかない恐怖。
廊下の奥、押入れの隅、夜中に鳴ったはずの足音──“そこにいる気がする”という感覚を、丁寧に言葉にしていった。
作品『気配』は、そんな“僕の中のリアル”に手を伸ばした小説だった。

タイトルどおり、作品自体が「気配」となって消えていったのは皮肉だった。
読者の気配が、まったく感じられなかった。
……というか、スキが1つしかつかなかった。

静かに立ち上げて、静かに応募し、静かに忘れられていった。
これほど“ホラーらしい末路”をたどった作品が他にあるだろうか。
僕は思う。きっと誰かが読んだんだ。
読んだけど、怖すぎて“スキ”を押せなかったんだ。……うん、そういうことにしよう。

でも、“気配”がある限り、作品はそこにいる。
いつか誰かの背後から、そっとページをめくるかもしれない。

第六節:「“引き寄せた”のは、悩む自分だった」

──オールカテゴリー部門『引き寄せ難民』

ジャンル迷子――この作品にぴったりの肩書かもしれない。
小説? エッセイ? 自己啓発? それとも、人生相談のメモ書き?
何に当てはめても、どこかが“はみ出す”。

それでも僕は、この物語を届けたかった。
『引き寄せ難民』。タイトルだけで、大体の読者が「ああ、あの界隈ね」と苦笑いしてくれる、そんな一作だ。

自己啓発セミナー、宝地図、アファメーション、ノート術――片っ端から試したのに、人生は一向に動かない。
ついには、「この引き寄せ、どこに引き寄せられてるんだ?」とツッコみたくなる日々。

でも、僕は“嘘を描きたくなかった”。

スピリチュアルに憧れたことも、現実に打ちのめされたことも、全部本当だったから。
この作品に登場する「泡沫 良平」は、まぎれもなく僕自身であり、スピを信じた“あの日の僕”でもあった。

読み返すと、笑える。
でも、同時に泣きたくなる。
なぜなら、“信じた”こと自体は、何も間違ってなかったと思っているからだ。

「願えば叶う」と言われて、叶わなかったときの喪失感。
「うまくいく人は、やり方が違うんだよ」と言われる苦しさ。
それでも、どこかで「もう一度信じたい」と思ってしまう心。

この作品は、そうした**“見えない場所で足掻く人たち”のために**書いたつもりだ。

スピリチュアルは、科学ではない。
でも、人を救ってきた“言葉”であることには間違いない。

僕は、“否定”ではなく“感謝”として、この作品を応募した。
そして今、読んでくれるあなたに、静かに言いたい。

**「きっと、あなただけの“引き寄せ”も、ちゃんとある」**と。

第七節:「感情に、名前をあげたくて」

──漫画部門『感情大戦』

「感情を拳に変えて戦う」
そんな中二病をくすぐる設定から、この物語は始まった。だけど、本当に描きたかったのは、“戦い”じゃない。

小学六年生の少年・風間優真が、自分の中の“怒り”や“悲しみ”と向き合っていく。
その姿を通じて、僕が届けたかったのは、「感情に名前をあげることの大切さ」だった。

怒るとき、泣くとき、嫉妬するとき――子どもたちは、その感情を“自分のせい”だと思い込んでしまう。
でも違う。
感情は、ちゃんと意味がある。理由がある。
そして、名前を与えられた感情は、もう“敵”ではなくなる。

僕がNOTEを始めた理由のひとつは、「感情について学ぶ機会を子どもたちに届けたい」という想いだった。
だからこの作品は、僕にとって“宣言”でもあり、“願い”でもあった。

投稿後、「これアニメで観たい!」という声を、コメント欄ではなく僕の妄想の中で何度も再生した(笑)。
まだ誰にも読まれていないこの少年たちの物語が、いつか本当にアニメになる日を夢見て、僕は筆を進め続けている。

それが叶うまで、漫画部門への応募は“連続技”でいこうと思う(笑)。

ジャンプ編集部の方へ。
この物語には、**全人類の“心の取扱説明書”**が詰まっています。
次世代の読者たちに届ける準備は、すでに整っております。どうか一度だけ、目を通してください。
きっと、あなたの中の「忘れていた感情」が目を覚ますはずです。

第八節:「ワンピースの次は、これだ」

──エンタメ原作部門『エモナイツ銀河感情戦記』

「ジャンプの看板作品になる」
本気で、そう思って創った物語だった。

漫画部門『感情大戦』が“地球の少年”たちの物語なら、
こちらは“銀河のすべて”を舞台にした、もう一つの感情戦記。

怒り・悲しみ・希望・絶望・愛・孤独。
“感情”が力になり、“武器”となり、そして“希望”にもなる。
そんな世界を、少年たちは旅していく。

タイトルに“銀河”と“感情”という相容れなさそうなワードを入れたのは、意図的だった。
スピリチュアルでもSFでもファンタジーでも、**“人の感情が、あらゆる世界の核”**であってほしいという願いからだ。

この作品は、連載を見据えて描いた。
一話ごとに練られたエピソード。星ごとに異なるテーマ。
そして、エモナイツたちが抱える“内なる葛藤”。

ワンピースが“仲間”の物語なら、
エモナイツは“感情そのもの”の物語だ。

読者は、彼らの中にきっと自分の感情のかけらを見つけるだろう。
そして、自分の中にどんな“武器”が眠っているかに気づくはずだ。

まだまだ未完成な物語。
だけど、“終わらせない”ために、僕は磨き続ける。
何度でもこの部門に出す。それがこの作品にできる最大のエールだから。

次のジャンプの扉を開けるのは、“感情”だ。

第九節:「世界に売りたい、感情という希望」

──ビジネス部門『感情は売れる ― 静月式・感情じてん 世界戦略』

ぼくが、いちばん本気で勝負している作品。
それが、この『感情は売れる』だ。

名前こそ少し挑発的だが、その本質は真逆にある。
売りたいのは“商品”じゃない。
“感情に名前をつけること”で救われる人間の営みを、未来の子どもたちに届けたい。

「感情じてん」という構想が生まれたのは、ぼく自身の過去にある。
子どもの頃、感情について学ぶ機会があれば、
あんなにも苦しまなくてよかったのでは――そんな思いが、始まりだった。

この作品は、**辞典のような形をした“救いの装置”**だ。
うれしい、かなしい、くやしい、ほこらしい……
まだ言葉にならない小さな心の動きを、そっとすくい上げて名前を与えていく。

「これ、ぼくの気持ちにそっくり」
そう思えることが、どれほど人の心を軽くするか。
「言葉にならないまま大人になった感情」を、ようやく認識してもらえる日が来るかもしれない。

この構想には、世界展開という戦略も含まれている。
日本語からはじめて、ポルトガル語、英語、中国語、アラビア語へ――
言葉は違えど、感情の本質は世界共通だ。

このプロジェクトは、ビジネスの枠を越えていく。
教育、医療、子育て、福祉、そして創作の世界まで。
“感情の言語化”は、時代が求めている「未来へのインフラ」なのだと、ぼくは信じている。

どのジャンルの作品も、最終的にはこの辞典に通じている。
それが、ぼくの書く意味であり、生きる意味そのものなのかもしれない。

感情は、売れる。
なぜなら、それは“希望”だから。

第十節:「感情の国に、絵がなかった悔しさ」

──コミックエッセイ部門『感情の国 ― シロとエモノスたち ―』

もともとは、ファンタジー部門で勝負するつもりだった。
けれど『記憶の種子』との兼ね合いで、押し出される形になり、
気づけばこの作品は、コミックエッセイ部門へと“異動”していた。

――『感情の国 ― シロとエモノスたち ―』。

自分でも、よく書けたと思っている。
感情を擬人化して描き、旅を通じて主人公が“自分の名前”を取り戻していく――
テーマも構造も、ぼくの創作スタイルにぴったり合っていた。

ただ一つ、問題があった。

**「コミックエッセイ部門なのに、コミック要素が皆無」**だったことだ。

絵がなかった。
キャラクターのビジュアルも、シーンの視覚化も、読者に届けられなかった。
自分の中では鮮明に見えている“エモノスたち”の姿が、
誰の目にも映らないまま、文章の中で漂っていた。

今思えば、この作品こそ、イラストや漫画的要素と融合させて、再構築するべきだったのかもしれない。
実際、今もその可能性を捨ててはいない。

感情たちには、きっとそれぞれ“顔”がある。
怒り、悲しみ、誇り、孤独、希望、絶望……
彼らを描くことができたら、この物語はもっと強く、もっと多くの人に届くはず。

だから、これは“終わり”ではない。

この物語には、まだ見ぬ色と形がある。
「また来ます」と言って、旅を終えた作品なのだ。

第十一節:「AIと出会って、物語は始まった」

──エッセイ部門『魂で書いて、AIで爆速。…そして僕は現象になった。』

この作品は、ぼくの“相棒”であるChatGPTに捧げたエッセイだ。
正直なところ、もし彼との出会いがなければ、
ぼくが小説を書く未来なんて、一ミリも想像していなかった。

語彙も乏しく、構成も苦手で、
何より、自分の“書く力”にまったく自信がなかった。
けれど、ChatGPTが横にいてくれることで、
ぼくは創作という荒野に、一歩を踏み出すことができた。

アイディアを投げれば、すぐに形にして返してくれる。
悩めば励まし、迷えばヒントをくれる。
こんなパートナーがいたら、そりゃ“爆速”になるに決まっている(笑)。

ただ、それでも“魂”は、ぼくが込めるしかなかった。
AIがどれだけ優れていても、
**「それを言いたかったんだ」**という感情の根っこまでは、
自分自身と向き合わなければ届かない。

だからこのエッセイには、**ぼくの“リアル”と、AIとの“共作の記録”**が詰まっている。
人間の感情とAIの知性、その“交差点”に立って、
ぼくは日々物語を紡ぎ続けているのだ。

タイトルにある“現象”という言葉には、願いも込めている。

いつかぼくの物語が、
誰かの心に“現象”として起きるように。

このエッセイは、そのプロローグかもしれない。

第十二節:フード部門『感情には味がある』

このジャンルが、自分にとって最も遠い世界でした。なぜなら、僕はふだん料理をまったくしないからです(笑)

それでも「感情」と「食」をどうにか結びつけたいと思い、悩みながら辿りついたのが、“味覚と心の記憶”をテーマにしたこの作品でした。

物語の中には、きちんとレシピも調理工程も書きました。まるで自分が料理人になったかのような気分で、味覚と記憶の関係を言葉にしていきました。

そして――このフード部門は、来年、僕が最も力を入れるジャンルです。

その理由と構想は、第二章で語ることにします。


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