創作『あさってイエロー、まっさかピンク』第2話・はなぞの館はなぞの館①

「3月終わり、午後4時台の幸手の空は、昼間のブルーでも夕暮れ時のカラフルでもない、端境というべき色合いだった。
それでこう思った。
今の自分自身の状況、つまり高1でも高2でもないとか、平穏と不穏の中間にいるとか、そうした端境にへんに符合しているなと……」
ここまで書いて、岩永灯多はバックスペースキーを押し続け、書いていた数行ぜんぶを消した。
(うーん、うまいこと言えてないな……)、
彼は木の幹に寄りかかってしゃがみ、開いた状態のポメラを両膝に乗せて、キーボードをたかたか打っていた。
なんであれ記録して文字にとどめておきたい性質だってのも理由だし、そうしていると一番落ち着くから、ってのもあっただろう。
(もっと、感覚に委ねて打ってみようか)、思いつき、そうした。
「あるいは、世界って。
それか、世界の見え方って。
いつだって「藪の中」だ。
これは、僕、いや、この物語の主人公・岩永灯多がずっと夢中な「タイピング」を通じて覚えた言葉でもあるし、そして同時に「生きて腸に届く」……、違った、生きて彼の中にとどまっている、概念でもある。
16年ほど生きてみて、
(どうも、これは間違いなさそうだ)、
と思えている。
普段とか日常ってより、局面みたいなところで、この考え方を持ち出している。
見ている人ごとに、見方、見え方、受け取り方、まったく違うってこと。
笑っちゃうほど、違いすぎんだろってほど、違う。
藪の中に、それぞれ何を見ているかが。
「コップの中の水、もう半分しかない……」と「まだ半分もある!」の例のアレも、そうだろうし。
部活で、顧問の先生に厳しめに言われて「ありがてぇ〜…!」ってなるか「めっちゃ傷ついた、立ち直れない…!」ってなるかも、そう。
このとき彼は、ある場所で、かつての仲間たち5人と共に、
「埋めたタイムカプセルを、5年後みんなで揃って集まって掘り返そう」
と約束していて果たして来たのだが、でも自分以外には誰もいなくて、思ったのは、このことだった。
人それぞれの違い。
その約束の、5年間の、それぞれの心の中での存在感。
その重い軽い。
違いが生まれる理由ってなんだろう。
すると、やっぱり的に、「藪の中理論」に行き着く。
「『人それぞれだから』、としか。」ってふうになる。
精神衛生上、これけっこう大事な考え方じゃないのって、灯多は思うのだ。
人それぞれなんだし、別にいいじゃない、ってあきらめ。
逆に、人を「ちょっと許しておけない」とか、そういう発想の真逆をいく。
岩永灯多は、越谷市内にある、私立高校に通っている。
2026年3月の今は、最終週で春休み中、新学期はまだだけどもうほぼ高校2年生の彼は、「端境期に立っている」と感じている。
この「端境期」も、タイピングからだ。
『ゾンビ打(ザ・タイピング・オブ・ザ・デッド)』というゲームがあるのだけど、あれが灯多の16年の人生に与えた影響は小さくない。
ゲームに「ドはまりする」以上の経験というか。
ゲームでタイピングしていた単語の数々が、彼の語彙の多くを間違いなく、形成っている。
そしてそれは今後とも、灯多の語る言葉に、とくに断りを入れないにせよ、そういう単語はいくつも、紛れ込んでくるはずだ。
「端境期」じたいは、ほんらいは、お米とか野菜の、新物の出荷時期で、それだから市場にそれらが品薄な時期ぐらいの意味だ。
広く物事が「入れ替わる」とか「移行する」時期、って意味でもある。
まもなく学年上がって高2になる、学年的端境期。
のみならず、自分の内面というか組成というかも、端境期、移行期にあるのかなと、薄く自覚しつづけているのだ。
端境期が最近のブーム概念なら、藪の中はここ数年ずっとブーム。
ロングヒット。
言葉ブームは、灯多の性格というか、ごちゃごちゃ脳内で自分テツガクするのが大好きだから、くるものだ。
彼史上最重要ゲームに輝いてる『ゾンビ打(ザ・タイピング・オブ・ザ・デッド)』をどこで知ったのかというと、それは「はなぞの館」で、だった。
しかも⸻妙にあれこれつながってくる⸻はなぞの館は、そういえば、文字通り「藪の中」だった。
土手の傾斜の下の、ちょっとわかりづらい藪の中に、はなぞの館は在った。
で、思い出した。
はなぞの館にリアルタイムでいた小5、6の頃にも、「違う。」って思った瞬間が、灯多にあったこと。
さっきも言ったけど、はなぞの館の隣に、小学校があった。
庭というか空き地というか、ちょっとした森とか雑木林って感じの木々や低木そして草ぼうぼうエリアと、学校の敷地の境を示す緑の高いフェンスが、隣り合っていた。
木々が邪魔して、フェンス自体は見えないのだけど。
その小学校というのは、僕が普段通っていた幸手市立幸小ではなくて、花堤小学校、略称「はなつー」小、だった。
エリアとしては、市内の北部、権現堂堤の東の端あたりだ。
それで、小5か6かの彼は、夕方になる前の時間の中にいて、しゃがみ込んで、草の中でカマキリとか虫を探していた。
周りには、誰もいなかった。
自然と、小学5年生の岩永少年と、いたら虫と。
って、それだけ、というそのシンプルさ。
その時、向こうから、校庭開放で遊ぶ子たちの声や、大人のスタッフがあれやこれや投げかける声が、聞こえてきていた。
その時彼はふっと思ったのだ、
(あ、こっちとあっちで、世界がぜんぜん違う)
というふうに。
こっち、つまり、はなぞの館側にいる自分に、心底、ほっとした。
優越感だって、おぼえていた。
(ここが僕の居場所、僕の世界だ)
文字にすると大げさすぎるけれど、その時たしかに、しゃがんだ姿勢で、灯多はそう感じていたのだ」
(第3話へ続く)
←第0話(登場人物・キービジュアル)
(参考)
作中で言及されるゲーム『ゾンビ打(ザ・タイピング・オブ・ザ・デッド)』。
あのシュールなタイピングお題文の魅力を、なんとか皆様に伝えたいところですが……。
「添え状」とか
「代理の代理」とか
「生まれ変わったら隣の子になりたい」とか!
検索すると、動画や記事たちが出ます。ご興味ありましたらぜひ☆
この小説はフィクションです。
実在の人物・団体とは関係がありません。
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