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空転する教育論 - 私がされた破壊について -


 私は私の人生に責任がありますので、きちんと自分の言葉で思索を残しておきます。

 残しておく理由は、私が連載していた雑誌で編集委員を務める浜崎洋介氏から、「教育」と称して実際に行われたことへの批判を少しと、氏が信州の講演会で話されていた教育論に、私の考えるところを書いた原稿が不掲載になったことに対して、浜崎氏から誠実な対応がなかったこと。それについて、私が極めて非常識とされ、事実と責任の所在を捻じ曲げられたまま、有る事無い事言われるのはごめんだからだ。この「教育」が常識なら、私は非常識だって構わない。
 こんなに嫌な思いをしたのは初めてだから、その、いわく得難い貴重な経験に、半年かけて真剣に向き合った。そこから目を逸らさなかったのである。
 訪れたものに対して寛容であれ、というのは起きたことに無関心になることではない。他の幸せで、苦しみを補うなんて不可能だ。ことはすでに起こってしまったのだから。
 悲しみも苦しみも悔しさも、すべて大事にするのが、私のやり方。美しいものも醜いものも、全て見よ。美と醜と、どちらに価値があるかなど誰が決めた。世界はいつだって、自分で見破らねばならない。

 半年前、今年の七月のこと。
 私は、この春から京都大学に赴任された浜崎氏に誘われて、氏が開かれている小さな読書会に参加していた。
 その日の会には私のほかにも学生が参加していて、読書会の後にみんなで居酒屋へ行った。その場で、浜崎氏は私の生き方や暮らし方に対しての否定や、物の見方や考え方について意見の相違をいくつか述べられ、私も思っているところを述べた。そのような話の流れで、私が「書くことが好き」という話をしたときに、突然、浜崎氏が

「じゃあ僕と小町さんの約束にしよう」

 と切り出し、

「五年間、表に出ないこと」

 とおっしゃった。五年間?オモテに出ない?言われて私は唖然とした。
 そもそも、オモテとはなんなのか。おそらくこれは、書いたものを発表しないことの意味であったのだと思うけれど、なぜ、そんな約束を、氏と、こんな場所で、突然。

 理由を尋ねると、

「五年間、一人で書き続けることができたら本当に書くことが好きであることが証明される。だからと言って、五年後、書く場所を与えたりはしない。」

とおっしゃった。

 そして、私が「はい」とも「いいえ」とも言わないうちに、そのまま約束の話は曖昧に別の話へと変わってしまった。私は、この約束がどういうことなのか、どうなったのか、ずっと気になっていた。そもそも、そのようなことを言われる筋合いが、どこにもない。他の学生もいる前で「約束しよう」なんて迫られて、そんなものが取り結ばれたことになっていたら、困るのである。
 飲みの席での一言だろうけれど、あとから面倒なことにならないように改めて断っておこうと思い、私は「約束はできない」とメールをした。すると返ってきたお返事には、

  ・「約束」といったことは「問い」に過ぎない
  ・蹴ったボールをどう蹴り返すかが重要
  ・学習会では教師として振る舞う、月に一度、私がしてあげられる「破壊」
 ・執筆者であればそこまで踏み込まなかった

 「約束」は「問い」に変わり、今まで「読書会」と呼んでいた会は「学習会」と呼ばれるようになり、氏は「教師として振る舞った」と。成長のための破壊をしてあげている、と。
 賞をもらい、執筆を生業とし始めた若い新人執筆者である私に対して、教師として、「五年間、表へ出ないこと」と約束をせまり、数日後、そのことに悩まされた執筆者が「約束はできません」と返事をすると「それは問いに過ぎない」。こういったことのどこが、教師としての振る舞いなのか。

 「執筆者だったらそこまで踏み込まない」?
 氏の設定上、私は生徒にされているらしいけれど、事実、私は執筆者である。教師として振る舞われるのは勝手だけれども、私のことを執筆者として扱わないのは、あまりにも勝手が過ぎるのではありませんか。
 約束は、両者の間で取り結ばれるものであり、「問い」ではない。問いとして「約束しよう」という言葉を使うならば、それなりに、その言葉が問いとして表現されるための、言葉の振る舞い方が必要だ。
 後日、私は「言葉が通じない、非常識」というようなことを言われるのであるが、言葉が通じないのは、そもそも、こちらの台詞なのである。

 こんな約束は、持ちかけられることさえ不快である。

 約束。一方的な「拘束」である。
 証明。他人に認められるか否かは、他人の問題である。私の知ったことではない。好きなものやこと、好きな人にだって、それを証明するなんてことははできるものではない。したくもない。理屈や数字で計測できるものではないのである。
 私の仕事、それを理不尽に縛るような発言をすることは、収入はもちろん、生活、身体、心までをも支配するサディスティックなものの考え方である。私は一人の執筆者。なぜそのような、私のみ拘束されるような約束を持ちかけられなければならないのか。

 私は一人の教育者の支配欲を満たすために、五年間も、自分の人生を奉仕する気はさらさらないのである。
 人の一生を、生命の時間を、軽く、甘く見るでない。

 そして、その数日後、長野県で開かれた信州学習会で、氏は「教育論」を展開された。信州で知り合った方や、遠方にいてなかなか会えない知人に会えることを楽しみにしていたのだが、まさかこんなことになるとは思っていなかったから、気が重いまま信州へ向かった。
 その会、三十人ほどの参加者の前で、氏はわざわざ、知人の若い受賞者の人生の失敗談、たまたま受賞したのがよくなかったなどと、ほとんど悪口のようにおっしゃっていた。これ、完全に私への陰湿な攻撃である。18歳の頃に書いた記事が取り上げられ、19歳、20歳と毎号雑誌に掲載してもらった。記事が評価され、賞をいただき、この春から連載がはじまった。氏はそのことを、一番よく知っているはずだ。
 たとえば、教室の中に、絵画で金賞を取った子どもがいたとして、「昔、知り合いに、たまたま賞をもらった子がいて、その後、転落人生を歩んだんだよ」と、教師がそのクラスで言っていたらどうですか。
 私はこういう陰湿なことが大嫌いなのである。もし、気づかずされていらっしゃったのなら、教育者としても、言論人としても、その資質が問われるところ。が、氏は言論人、きちんと、わかった上で発言しているに決まっているのである。
 講演では、かつて女生徒から反論されて怒鳴りつけた話もされ「反論大好物」と語っていらっしゃったが、それも数日前に「教育論」のやり取りをした、私へのあきらかな挑発だと感じた。

 大学で学術的に捉える教育と、生活者として家庭や地域、そこに根ざす生活文化といった側面から捉える教育。私は自分の体験から考えたことを、私の言葉で書こうと思い、前もって、編集長の藤井先生に電話で、浜崎氏の「教育」と称した嫌がらせについて悩んでいることを相談し、その上で、批判も含めた教育論の記事を書いて良いか否か、さらに相談させてもらったのだ。「大枠を見ないとわからないから、ひとまず原稿の大枠だけでも送ってください」とのことで、話が終わった後にも折り返して電話を下さり、丁寧に対応していただいた。そこでまず、藤井先生に原稿の案を確認してもらった。

 原稿には、上記の「教師としての振る舞い」について、きっかけとして触れ、主には信州での「教育論」について、私の思うところを書いた。

 が、残念ながら原稿は不掲載。けれども、不掲載に私は何の不服もない。なぜなら、私は掲載の可否を先方に委ねたのであり、その判断については私の意見するところではないと思っていたから。それゆえ、その理由もこちらから求めなかった。しかし先方から伝えられた「理由の説明はメールではできない。なぜなら、あなたには適切に言葉を理解してもらえるかわからないから。つまり、あなたが極めて非常識であることが確実である」という、「理由を教えてもらえない理由」に私は少なからず戸惑った。

 極めて非常識であることが確実。

 「文章では言葉が通じないから面会で」、そんな怖い話はない。「極めて非常識な言葉の通じない」私に会って、何をもって理解させようとしていたのか。けれども、前日まで丁寧な対応をして下さっていた藤井先生に「極めて非常識」なんて言わせたのは、一体何だったのか。記事の不掲載の理由も、非常識と言われた理由も、何一つ明らかにはされていない。

 さて、ここ(note)でこれらのことに対する思索を書く前に、浜崎氏に原稿をお送りし、意見を求めた。が、私が氏との信頼関係を「切断」したために、ご自身が行われた教育について、私の疑問や批判には答えることができないということだった。そして、この記事に関しての応答責任は藤井先生に移っているという。なぜ、あなたの行った教育についての批判に対して、いま、あなたに説明を求めているのに藤井先生に応答の義務があるのか。いくら何でも、酷過ぎる。人を傷つけ、傷つけたことへの説明責任は他者に任せる、とは。

 私が問うていることへの回答は一切なく、その代わりに私が行ったとされる「切断」について、細々と説明を書いてくださったので、それについても触れさせていただく。

 ・読書会を抜けたこと
 ・藤井先生に記事を渡したこと
 ・私信の言葉に触れていたこと
 ・連載を降りたこと

 この四つが、私の行った「切断」であるらしい。何が接続で、何が切断なのかわからないが、自分の教育について問われていることには答えず、すなわちご自身の責任は果たされず、自分以外に責任を転嫁している。

 そもそも、ひとつ目の信頼の切断の前の、前提、起点が抜けているじゃない。

 なぜ、私は読書会を抜けたのか。

 浜崎氏が「約束」だなんだと非常に不快な、立場を濫用したような発言をしたからである。「月に一度してあげられる破壊」。最もらしく「破壊」なんて呼んでいるけれど、私にとってはたんなる不快。そんな嫌がらせよりも、もっと大きな破壊を、視座の転換を、私は選択してきているのである。それは、ひどく衝撃的なことや、感動的なことによって、私にもたらされてきた。そういった中から生まれる文章に関しては、私は氏から、何一つの破壊も起こされず、いつも称賛の言葉を述べられるだけだった。

 いったい、私の何を破壊しようとしたのですか。

 それさえわからない、単なる破壊屋のやりっぱなしの破壊を「教育」と最もらしく呼べるのか。「破壊と創造」が人を成長させることには私も頷けるけれど、だからと言って、教育のために、他人を闇雲に破壊するということがあって良いのだろうか。

 最初に信頼を切断するようなことをしたのは、氏の方ではないですか。

 と、私はお返事したけれど、それについても何の応答もなかった。私は氏の教育ごっこに付き合うつもりは微塵もない。

 ひとつ目の起点が間違っているので、二つ目以降は本来考えられないことですが、一応。

 二つ目。私が藤井先生に原稿を渡したことは前述の通り。何か問題があるだろうか。「約束」の件でも信州でも、自分の教育論に則った正当性を主張され、私に対してずいぶん不真面目な対応だった浜崎氏に、今更、個人間で何が問えたというのだろうか。そこに、進展が見出せなかったために、私は藤井先生に相談させてもらったのだ。掲載できるとなっていたら、掲載の前に浜崎氏にも原稿をお送りするつもりでいたけれども、記事は不掲載となり、私は大いに悩んだ。その末に、原稿に意見を求めたのである。

 三つ目。私信の言葉に触れていたこと。
 他に人がいる公の場所で、私のプライバシーに踏み込んでおいて、「私信を引用していましたね」は、ない。あれは、五年間もの仕事の制約、私の仕事に関わる問い合わせに対しての返答であり、そして氏の正しいと思うところの教育論ではなかったのか。「教育」として説明されたから、そして、信州でも私に対して仰ったことを強化するような論を展開されていたから、私は正面からその教育論を批判したのである。

 教師と生徒でもない関係の中で教師として振る舞うとか、執筆者を執筆者として扱わないとか、自分勝手な設定や理屈、解釈の世界に現実を捻じ込み、話を破綻させていることに、なぜ気がつかない。
 私はそんな人間を信頼することはできないのである。自分の言葉や振る舞いに、責任を感じないような人に信頼なんて、語らないでほしい。

 そして、四つ目。連載を降りたこと。
 結論から言って、私は連載を降りてはいない。「私が非常識という認識であるなら、連載は続けられません」と言った私に対して編集長より「連載を依頼したものとしては大変残念である、執筆を続けたいという気持ちになられたら、またいつでもお送りください」とのことだったため、「また記事ができるようになったらお送りします」と納得の上で、話は終わっているのである。
 散々、陰湿なことをされ、不快を感じさせられ、非常識であると言われた私が、もうここでは続けられないわ、と「連載はできない」と言ったこと、それを氏は「あなたが切断した」というのである。陰湿なやり方で辞職や自殺に追い込み、勝手にやめた、勝手に死んだ。よくあるいじめと同じ仕組み。
 そこで発表できないのなら、発表できるところで問う。それが、私の責任である。卑劣なことをされて、黙っているわけにはいかないのである。教育者の不義を、問う。教育というもののあり方を問う。初めからその覚悟で、原稿を書いていたのだもの。

 「これ以上何もいうことはありません」と最後におっしゃっていたが、私はまだ、何一つ答えてもらっていません。
 信頼関係についてなど、私は一つも聞いてはいない。聞いているのは、氏の教育論に対する批判について、どうお考えか、ということだけである。そして、私は、氏と私の間にある”出来事”、そして、氏のおっしゃっている”教育論”について聞いていた。氏は国立大学の教員であり、批評家であり、言論人である。しかし、私は必ずしも答えるべきだとも思ってはいない。

 私の問いに答えられないのは、信頼関係の切断云々ではなく、私が家族と暮らしていることや、大学に進学しなかったことや、若くして執筆をしていることなど、そういうことの否定や拘束を「保守思想」や「教育」として語ることができないからではないですか。私に対してだけでなく、信州の講演会でも同じような論が展開されていたから、その教育論を批判する原稿を書いたのだ。家族のあり方や故郷を大切にするという氏の「保守思想」から見て、展開された教育論はどこかに飛躍しているように思えた。

 一連の「教育」は、私には教師から見て扱いにくい若者を破壊して画一化しようとしているようにしか見えない。「破壊」することで起こる不遇を正当化し、純粋な幸せや豊かさを価値のないものとするルサンチマンだ。私には、幸せになる度胸がある。義務や苦痛、何かと交換になんてケチな考え方をせずとも、既に何かと引き換えに、私たちは幸福になっているのである。いな、幸福そのものが同時に苦痛でもあるということを私は知っている。氏の「破壊」と呼ぶものは、むしろ私を扱いやすいように構築したいという願望の表れではありませんか。

 とはいえ、私はこの一件に、図らずも自分がこれまで思っていたことや感じていたこと、新しい発見など、考える機会をドサリと与えられた。これぞ天からの贈り物。「法と言論」「破壊と創造」「書くことが好き」「師弟、教育」「生の流れ」などなど、それらを受け取り、整理し、ペンをとるために、半年かかってしまったけれど、机上や本の中にある問題ではなく、人生の中で実際に起こった出来事ついて、一つ一つリボンを解き、観察し、洞察し、疑問に思い、考えたそれらの記録をこれから残していこうと思う。

 一連の思索を書き終えたのちに、掲載不可になった原稿(不掲載原稿)もここで投稿しようと思っています。


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