【フォトアルバム】冬の光 vol.2

赤色が、注意喚起の性質を有し、不随意、受動的に認知される一方で、
青色は、しばしば、自発的な検出、能動を必要とする。
彩度の低いニュアンス・ブルーは、その姿勢を持つ人だけの楽しみだ。
「東山魁夷」と聞いて、一般人が掲げるのは白馬シリーズだろう。
絵の中に動物がいれば、一瞬で認識の閾値を上回る。
認識に上らないことには、審美が始まらないので(by セミール・ゼキ)、
全体としてはそうなるのだが、美術愛好家の評はばらける。
愛好家は感受しにいかないと認識できない、さまざまな美に目を向ける。
僕が掲げるのは、《冬華》《白い朝》あたり。
どうやら静かな青が好みのようだ。
色の注意喚起の強さと、色の精緻の魅力に、直接の関係はない。
積極的に感受して、報われることは多い。

写真界には、「奇跡の1枚」という概念がある。
写真の作成は、実在に依存する。
写真作品の生成には、多量の偶然が絡んでいる。
まずもって、被写体と光が存在してくれなければ、どうにもならない。
僕には作画率が100%でない自覚がある。
「これは美しいな、撮っておこう」だけで、安易にシャッターを押す。
そして、「実力以上のものが撮れてしまった」が起きる。
押すときに自分が認識していた以上の、色、光、構図、質感が写る。
僕の目にはそこまで見えていなかったのに。
そこまで厳格には詰めていなかったのに。
僕は小心者なので、保存庫のすみにしゃがみこみ、
「違う、違うんだ、これは自分の実力ではないんだ!」
と怯えながら弁明する。
草木たちは笑う。
「いつも僕らを、美しい、美しいと讃えて、撮っている人だよね」
継続多作者は、実力以上の作品を撮った咎(とが)を免責される。

vol.2のテーマは青。
晴天が続く、関東平野の冬をどうぞ。

植物では、光が射している箇所を、立体的に見える角度で狙って撮る。
鳥は、そこにいたままを撮るしかない。
鳥で絵を撮るのは、大変そうだ。
僕は鳥については、もっぱら「いいね」をつける側に回っている。
愛鳥家さんたちに、野鳥の姿を見せてもらえて嬉しい。
鳥はかわいい。

マクロレンズは遠方を撮るのに向かない。
1mまでは敵なし。精緻さと立体感を誇る。
2m先では、早くもぎりぎりで、標準レンズと同等になる。
3m先で質感を喪失する。(色は有効)
マクロレンズでは、鳥は、そばにいるときしか撮れない。
おそらく、最も距離が近いのは、上野公園だろう。
上野公園は365日、常に混雑している場所で、鳥が人慣れしている。
レンズによっては近すぎて撮れないのではなかろうか。
台東区に住民票がありそうな鳥だけでなく、
不忍池に羽を休めにきた水鳥たちも、おしなべて距離が近い。
ヒトとの距離をまともにとるのは、カワウぐらい。
カモは近すぎだ。
もともと飼い鳥だったワカケホンセイインコならわかる。
カモよ、君たちは野鳥ではないのかーっ。
野鳥を食糧にする国では、10m以内に近づかせてもらえないそうなので、
保護の姿勢が効いているらしい。
あまりに近いと動揺してしまうので、少し距離をとってくれまいか。
嫌いなんじゃない。いまどきのコミックスでいう「距離が近い」だ。

マクロレンズは、3m以上離れると、まともに映らない。
絵にならなくても記録はしよう。

冬の楽しみ、幹肌ウォッチング。
花や葉がない冬季は、幹が主役を務める。
一番人気は、ウリハダカエデ。
緑の縞にダイヤ模様が入る。
プラタナスの幹も楽しい。
樹皮が剥がれた形が色々な動物に見える。
幹肌の特徴が、和名に反映されている木に、
サルスベリ、バクチノキ、カゴノキ、
シラカバ、アオギリ、アカマツ、クロマツ、
がある。

「犬塚 勉」の魂は、きっと奥多摩にある。
念願の水を見たあと、強すぎる風を逃れ、奥多摩のブナの根元に辿り着き、
全ての「ねばならない」から解放され、眠りについた気がしてならない。
「天命」は天なる使命。
その正体は知的な強迫だ。
生きている限り、逃れることはできない。
死に行くときでさえ、『愛はさだめ、さだめは死』の様相だ。
僕も、いすれ、解放される。
天命に殉じる人生は幸いだ。

[ 冬 シリーズ目次 ]
冬の光 vol.1 vol.2 vol.3 vol.4 vol.5
