サカナクションの全歴史(前編)1980~2013
(とてつもない文章量になりそうだったので、前編と後編に分けました。)
前々回・前回の2つの記事で、かつての聡明な山口一郎の人物像から現在のYouTube配信者 “いっくん” として道化を演じる滑稽な人物像へ変貌したことについて、やや悲観的に率直な私見を述べた。しかし、よくある「反転アンチ」のように山口一郎に対する憎悪が芽生えたしまったわけでは決してなく、むしろ鬱病を抱えながら自己像を更新して明るく気丈に振る舞う健気で痛々しい様子が見ていていたたまれず、同情と憐憫の感情でいっぱいなのである。
サカナクションが多くの人に広まることは本当に嬉しい。間違っても新規勢を排除したり古参マウントをとったりしたいわけでは決して無い。新たに知った多くの人々が、サカナクションの過去作品やライブの世界観に感動しているようすを見るのは、勝手に誇らしい気持ちにさえなっている。あくまで忌避感があるのは、疾患を抱えながらも気丈に振る舞う様子を「可愛いおじさん」「ギャップ萌え」などと軽薄に持て囃してグロテスクに面白がり消費する、 “推し活” 的な最近のYouTube視聴者の “ノリ” そのものだけだ。
彼は鬱病を患ってから、執拗に「新しい自分になる」というキーワードを口にし続けている。この言葉は多くの精神疾患を抱える人々の心を救い、また復活後のサカナクションのコンセプトにもなった。しかし昔の姿勢に信頼を寄せていたファンからすると「新しくなった結果がこれ?」(罹患者にとっては傷つく表現かもしれませんがお許しください)という厳しい感想を抱いてしまいかねない動き方にもなってしまってもいることは否定できないし、鬱病治療の観点からしても、無理矢理ハイテンションに振る舞って自己を鼓舞するような現在の動き方が長い目で見て症状の軽減にプラスに働いているとは到底思えない。専門家ではないのでここを深く追及することは控えるが。
前にも書いたが彼は、以前は「変わらないまま変わる」というキーワードを口にし続けてきた。しかし、その頃からのファンにしてみれば、現状の変化は「変わってほしくない部分まで変わってしまった」と映っても無理のない状況なのだ。
ただ、彼はXで
時には、不安や不満を感じさせてしまうこともあるかもしれません。その時はどうかお許しください。悪気は決してないのです。変わらないことは難しいけど、変わらないまま、変わって行きます。今は常に新しくなりたいのです。病気の前には戻れないから。
と述べている。本当に泣けてくる。彼は悪くない。彼をここまで追い込み、こうならざるを得なくなった外的要因があるのだ。その経緯を、今回はサカナクションのこれまでの遍歴を追うことで探ってみたい。
サカナクションというバンドは音源のリリーススピードが著しく遅いため、特にコロナ禍以降はInstagram LiveやYouTube配信において、過去のライブ映像の期間限定無料配信やアルバムの過去作の振り返り・解説などといった試みを頻繁に行っている。したがって、新規層でもある程度の興味があれば比較的、過去の作品について知れている人は多いかもしれない。
しかしそれだと、いかんせん後からの本人解説ということで本人目線の主観的偏りもあり、また、音源やライブ以外の側面(サカナLocks! や NFパンチ、ファンクラブの変遷など)や公式が触れづらい事件(ギター・岩寺基晴の不倫報道など)については当然、語られにくく、無かったことのようになってしまっている。今回はそういった側面にも焦点を当てて、サカナクションと山口一郎のオルタナティブな歴史を、昔のインタビューなども参考にしながら、当時の空気感とともに追ってみたい。
現在の「いっくん」像とはまた異なる、山口一郎とサカナクションのかつての魅力が多くの人に伝われば、本当に嬉しい。
◉山口一郎誕生~ダッチマン時代
山口一郎は1980年9月8日、北海道の小樽に生まれた。実家でご両親はメリーゴーランドというお店(当時喫茶店、現在は木彫工房)を営んでおり、ファンの聖地にもなっている。行くとご両親様が丁寧に応対していただけるようだ。急勾配の坂道の上にある白い壁が印象的なお宅であり、後のサカナクションの楽曲「ライトダンス」では、そのまま「♪坂の上 白い家」と歌われている。海も近く、山口が釣りに没頭するきっかけにもなった。

山口一郎の音楽的原体験はフォークである。店では日常的にフォークソングが流れており、幼少期からその環境に包まれて育ったという。また、実際に友部正人をはじめとするフォーク歌手たちが店にやってきてライブを行うこともあり、そうした体験から山口一郎はフォークギターを手に取るようになった。最初にコピーした楽曲はイルカの「なごり雪」だった。
さらに、父親のスパルタ教育によって早い段階から難解な本を読まされ、文学にも強い関心を抱くようになる。寺山修司や種田山頭火、吉本隆明や石原吉郎といった作家の影響を受け、俳句や詩の世界に早くから親しんだ。また、父親は若いころに学生運動に関わったり小樽運河埋立反対の住民運動・政治的活動に関わったりしており、そういった思想を持つ親を俯瞰で観察しながら育った影響なのか、山口一郎本人は、多くの同世代のロックミュージシャンとは異なり、安易に左翼的な思想を表明することはせず、冷静に距離を置いた姿勢をとっている。
さて、彼の中では音楽よりも文学への傾倒が先立っていたが、音楽の力を思い知ったエピソードとして本人が各所で頻繁に語っているのが、小学5年生の頃の話だ。国語の授業中、同級生が太宰治『走れメロス』の朗読がまともに出来ずに言葉に詰まっていて、山口はそれを心の中で見下していたが、授業が終わったあとにそいつが光GENJIの「ガラスの十代」をスラスラと暗唱して楽しそうに歌っていたことに驚き、「国語の朗読は苦手なのに、どうして歌になると言葉を覚えれるのだろうか?」「自分が思う美しい言葉を音楽にすれば理解してもらえるのではないか」と考えたのだった。ここから山口は自分の書いた言葉をメロディに載せて歌うということを始めていく。
高校生になり、同級生である岩寺基晴(もっち, Gt.)や原康之(ヤス, Dr.)らを含めた4人が集まって、1998年にバンド「ダッチマンtheサンコンズ」(後に「ダッチマン」に改称)を結成。これがサカナクションの前身となる。
山口はほとんどの楽曲の作詞・作曲を担当。原曲の作曲は山口による弾き語りのフォークソングとして生み出される点はサカナクション以降も現在まで一貫しているが、メロディーが生まれた後にアレンジを施して楽曲として仕上げる際に、この時期ではまだ、当時の多くのインディーズバンドと同じく典型的なUKギターロック・オルタナの影響が強いスタイルとなっており、エレクトロミュージックの色は薄い。ただ、この「ダッチマン時代」に制作された楽曲の多くは、サカナクションの楽曲として再録されたり、メロディーの素材の一部となったりしている。
【後にサカナクションの楽曲として再録されたダッチマン時代の楽曲例】
・三日月サンセット
・インナーワールド
・白波リミックス
→ ※「白波トップウォーター」と改題
・フクロウ
・サンプル
・煙の中
→※ サビが「アルクアラウンド」に流用、歌詞が一部異なる。
・明日から
→※ サビのみ流用、サビ以外は新しい歌詞とメロディ。
流用部分の歌詞も一部異なる。
・カベ
→※「壁」と改題
・サンデー
→ ※サビのみ「ルーキー」に流用。流用部分の歌詞も一部異なる。
・セプテンバー
→ ※当時のアレンジに近い札幌ver. と 雰囲気を変えた東京ver. の2つに
ダッチマンはビクターエンタテインメントの育成部門に所属し、インディーズでライブ活動を続けていくが、2004年3月にメンバー3人が脱退。山口は、ソロプロジェクトとしてダッチマンの活動を継続することになる。
この頃には、山口はクラフトワークやYMOなどの電子音楽にも強い憧れを抱くようになっており、ロックバンドの界隈とはやや異なるクラブカルチャーへも傾倒。さらに、レイ・ハラカミの作品に触れて多大な影響を受け、アレンジにテクノやエレクトロニカの要素を取り込む素地を築いた。
ここまでの山口一郎は寡黙で、コミュニケーションが苦手な傾向があった。対話を拒絶し、MCもやりたくない、とサングラスをかけていたともいう。暗い人間だったものの、音楽への愛情と活動への意欲は人一倍あり、それが山口を突き動かしていく。
2005年、岩寺がダッチマンに復帰。ここでユニット名を「サカナクション」に改称し、ダッチマンは自然消滅した形となった。
ここで山口一郎はブログ「テクノクション語録」を開設し更新を開始。
そこでの名義は「山口一路」としていた。文体は暗い文学少年の素朴な日記といった感じで、ある意味では "中二病" 的な側面も垣間見えると言うこともできるかもしれない。(現在はファンクラブ内にアーカイブが転記されており、読むことが出来る。)
◉サカナクションの初期展開(北海道時代)
ここから山口はサポートメンバーを集め、現在の5人編成の基盤を形成していく。大学の事務職員をしながらも数多のバンドで活躍し北海道のインディーロックシーンでは有望な存在となっていた草刈愛美(ベース)をスカウトし、CDショップHMVのアルバイトの同僚だった岡崎英美(キーボード)に声をかけ、そして知人の紹介により江島啓一(ドラム)が招き入れられた。(ちなみに江島がその前に組んでいたバンド名は「刀狩り」。)
2006年8月、サカナクションは北海道で開催された「RISING SUN ROCK FESTIVAL」の公募枠において、イベンターの推薦により868組中から見事選出され出演。正式な音源が発表される前にもかかわらず大きな爪痕を残して話題をさらった。当時のビクターの担当が、メンバーに何も告げずにデモ音源を送ったものが選出されたのだということで、これをきっかけとして、アルバム制作に向けた録音を本格化させていく。
草刈愛美、岡崎英美、江島啓一を正式メンバーとして5人体制を確定させ、2007年5月、1stアルバム『GO TO THE FUTURE』をリリース。「CDデビュー」となる。ここで留意すべきは、このアルバムは、新人発掘と育成を目的としたビクター傘下のサブレーベル(BabeStar Label)からリリースされたことによって、表向きにはメジャーデビュー扱いとなったということだ。
当時、まだ東京進出していない段階であり、他のバンドのケースで考えればインディーズ扱いとして考えた方が妥当な規模であったが、レーベル上の都合によってこの地点で早くも一応の「メジャーデビュー」となったのだ。

メジャーデビューにもかかわらず、当時1800枚しか売れなかったことに愕然としたという記憶を、山口は後に何度も語っている。しかし、このアルバムに収録されている楽曲は皆、今でも大切に演奏され続け、コアファンの高い支持を得ている。
そこから間髪を入れずに次のアルバム制作に取り掛かられ、翌2008年1月には早くも2ndアルバム『NIGHT FISHING』がリリースされた。現在から考えると驚くべき早さである。
このアルバムに収録されている「ワード」という楽曲は、山口のソロ時代である2005年にビクターの提案でYUKIのコンペに提出するための曲として書かれたが、不採用となったことからサカナクション自身の楽曲として収録されたものだとして知られている(ちなみにそのときに採用された楽曲が、蔦屋好位置による「JOY」だった)。
また、山口一郎は「ナイトフィッシングイズグッド」をアルバムのリード曲に推薦していたものの、曲の長さが6分あることから、ミュージックビデオを作成しても音楽専門チャンネルなどで放映されないという理由でスタッフに反対され、「サンプル」がリード曲として扱われることとなった。しかし納得のいかない山口は、釣りを行う映像を主体とした「ナイトフィッシングイズグッド」のミュージックビデオも稚拙ながら自主制作した。
この時期までバンドは北海道を拠点に活動していたが、ここで東京進出を決める。東京進出を薦めたのはマネジメント事務所のヒップランドミュージックの野村達矢(現・代表取締役社長)だった。当時、バンドには複数の事務所から声がかかっていた。事務所選びをする際、他の事務所は「北海道のままでも良いよ」というスタンスだった中、ヒップランドだけは「東京進出するべきだ」というアドバイスをしたとのことだ。これが山口にとっても好印象となり、メンバーを引き連れて東京へ行く覚悟を決める。
ヒップランドミュージックは当時、BUMP OF CHECKENを成功させた直後だった。新人発掘を行う中、なかなかバンプを超えられるバンドに出会えない。BUMPの真似のようなバンドばかりで飽き飽きしていた中で、野村をはじめとしたヒップランド社員らの興味に引っかかったのが、クラブミュージックの要素も取り入れたサカナクションだったわけである。
こうして、レコード会社はビクター、マネジメント事務所はヒップランドという布陣が定まり、現在まで継続している。
ここまでの北海道時代の2作のアルバムは、派手なアレンジが意図的に避けられており、端的に言うと「シブい」仕上がりになっている。山口本人の言葉を借りるならば、「美しくて難しいもの」という性格が強く、楽曲に自信があるにもかかわらずセールス的な結果が出なかったことに対して、山口は強い挫折意識を抱いた。
ここから、「音楽的な妥協はしたくない」「自分が好きだと思う表現を貫き通したい」「しかし大衆的にもある程度応えなければならない」「そのためにはアレンジを工夫しなければならない」という、「マニアックとポップの両立」という強固なコンセプトが打ち立てられていく。
◉2008年 上京 ~ 2009年 3rd『シンシロ』
サカナクションはヒップランドと契約し、東京へ拠点を移した。バンドメンバーはここで、兼業していた職を辞職している。この地点で全員、既に30歳手前となっていたため、山口はメンバーを連れてきた責任感を強く感じ、覚悟を持って活動に励むようになる。
上述の2ndアルバムを発売した同2008年の12月には、早くも1stシングル「セントレイ」がリリース。これを先行シングルとして、翌2009年1月に3rdアルバム『シンシロ』が世に放たれた。やはり、今では考えられない驚愕のスピード感だ。

このアルバムから、傘下の育成レーベルではなく本家のビクターエンタテインメントからのリリースとなり、他のバンドであれば正式に「メジャーデビュー」と扱われる段階だろう。ただ、そうなると枚数のカウントがややこしくなるため、サカナクションとして北海道時代の1枚目からメジャー扱いだったことは、後からディスコグラフィを追う際には分かりやすくて助かる部分だ。
札幌を離れて東京で制作されたこの作品から、アレンジに関して、システマチックにメンバーの分業体制が敷かれた。山口が作った原曲をメンバーそれぞれに担当を割り振って一人で編曲させ、そのデモを山口がジャッジしてフィードバックするという、実習授業のような形だ。その中で「セントレイ」を担当したのがベースの草刈だった。山口は、自分だったら絶対に抵抗感があって避けていたであろう強烈でパンチのあるアレンジを草刈が持ってきたことに覚悟を感じ取り、このアレンジを採用した。
この「セントレイ」でサカナクションは初の地上波TV番組への出演を果たす。その番組はNHKの『MUSIC JAPAN』(『POP JAM』の後継番組)。しかし、テレビに出るということがどういうことなのかよくわからないまま出演してしまい、テレビサイズの尺や当て振りの演奏などを強いられたことで、その事実を受け入れられなかった山口は、出演後に多摩川で泣きながら「こんなことをやるために音楽をやっているんじゃない」と叫んだという。ここから先、山口はことあるごとに「テレビが苦手だ」「テレビが苦手だ」と言い続けていき、サカナクションは「テレビに出たがらないミステリアスで尖ったバンド」というイメージが付いてしまう。
さて、この『シンシロ』は、アルバム通しての印象として、サカナクションの作品の中でも最もアッパーなギターロック色の強いアルバムとなっている。それは、それまでの2枚に比べても、外に向かって挑戦する姿勢を明確にした結果だといえるだろう。
ただ、ここで、ジャンル分けの二分法について考えてみよう。サカナクションを語る際、「マジョリティー」と「マイノリティー」というような二分法が非常によく出てくるが、それぞれが指す範囲は状況や文脈によって大きく異なるため、注意が必要だ。
たとえば「ロック」という語について考えてみる。当時のJpopシーンはCDの売上低下やアイドルのランキング独占などによって、業界全体に最も悲壮感が漂っていた時期だ。ランキングを占める、いわゆる売れ線のアイドルやポップを「マジョリティー」だとすると、それは軽薄なニセモノの音楽だとして、それに対抗してテレビに出ることを拒否する傾向のあったいわゆる「ロキノン系」と括られるロックバンドの一群があった。これが「マイノリティー」だといえるだろう。
サカナクションも東京進出以降、しばらくの間、その文脈で受容されてきた。つまり、ミーハーな「ポップ」に対抗するマイノリティーな「ロック」が、サカナクションを含む多くのバンドのポジションだったといえる。
しかし、「外向きか内向きか」という軸で考えた場合、どうだろうか。山口の志向する内省的なフォークロックやエレクトロニカといったマニアックなサウンドに対して、派手なギターロックのサウンドを志向することはむしろ「マジョリティーに接近する」方向性となる。当時はロックフェスの全盛期で、サカナクションはここから先、フェスを勝ち抜いていくことで存在感を強めていくが、フェス向きのロックを作ることも、サカナクションにとってはある種の「迎合」を意味していた。ここに「ロック」の含意の逆転現象が起きているのだ。
さらに、今度はロックリスナー視点で考えた場合、どうだろうか。今度は、ギターロックに接近した方が「ホンモノ」に近づいて見え、ギター色を薄めてエレクトロやシンセサイザーの要素を強めたほうが、「ポップスへの迎合」「イロモノ」のように映ってしまう。
このように、「ポップ/ロック/エレクトロ」にまつわる「マジョリティーかマイノリティーか」という二分法は、文脈や視点によって意味が反転してしまうのだ。この点は、今までどんな音楽評論でも誰も指摘してこなかった僕独自の視点だと自負する。かつ、サカナクションを語る上で非常に重要な論点だと思うのだが、いかがでしょうか。
ただ、このややこしさを「ハイブリッド感」「異質な要素の融合」という包括的イメージによってある意味でうまく誤魔化すことで、ロキノン・フェス全盛期におけるロックバンドとしての独自の支持を獲得できたといえるのかもしれない。ヒップランドの野村もそれを敏感に感じ取っており、サカナクションの演出戦略をうまくサポートした。それは「アナログとデジタルの融合」というコンセプトだ。まだ数百人規模のライブであるにも関わらず自前でレーザーを投入させるなど、革新的な戦略を次々と打ち出していった。そうした中で、MVに関しても先駆的な取り組みを開始させる。
「セントレイ」と並んでアルバムのリード曲的存在となったのが「ネイティブダンサー」だが、この2曲で野村は「インターネットでの広がりを狙ってMVを公式的にYouTubeに上げる」というチャレンジを行った。今ではごくごく当たり前すぎることだが、当時は異例のことだった。MVは当時PV(プロモーションビデオ)と呼ばれており、音楽専門チャンネルなどで放映するために作られるものだった。インターネットに上がっているMVの多くは、それらを転載した非公式の違法なものだった。
だが、スマートフォンやSNSが普及し始めた黎明期だった当時、インターネット時代の到来をいち早く見据えた野村は、サカナクションのメンバーとともにデジタル時代におけるバンド表現の在り方を積極的に議論。ビクターに働きかけ、異例の形でヒップランドのチャンネルから正式公開を実現した。合法的な公式映像としてYouTubeに公開されたことで、ファンは安心してSNSやコミュニティ上で動画を拡散できるようになり、その結果、サカナクションの存在はインターネット上でもじわじわと広まっていったのだ。
野村の先見的なプロデュースと、メンバーの高い理解力・柔軟な姿勢が結びついたことで、サカナクションはデジタル時代における音楽活動の新たなモデルを確立し、「革新的」「イノベーティブ」と評されるアーティスト像を確立していった。
『シンシロ』は結果的に3万枚を超える売り上げを記録し、それまでに比べ大きな飛躍を果たした。特に当時「ロキノン系」と称されていた邦ロックシーンに与えたインパクトは大きく、ロキノン系雑誌御用達の偏屈な評論家たちからもおおむね高評価を得た。さらに、当時既に活躍中だったロックバンド・ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤も絶賛し、雑誌の対談では「このアルバムはもっと売れるべきだ、100万枚行かないのはおかしい、レーベルのプロモーションが悪い」とベタ褒め&ビクター批判 (?) まで行っている。
ちなみにこの作品から、レコーディングエンジニアの浦本雅史と出会っている。浦本さんはサカナクションの6人目のメンバーと言われるほど、重要な存在となっていく。現在でも山口一郎のYouTube配信にも頻繁に登場しているため、知っている人は非常に多いだろう。
また、スタイリストの北澤“momo”寿志や、デザイナー集団hatosのkamikeneなど、現在は離れてしまったものの、ある時期までサカナクションのビジュアルイメージを担っていた重要な存在とのタッグもここからスタートしている。
さらに『シンシロ』発売前のタイミングで山口一郎は、それまでのブログ(テクノクション語録)から移転し、新たなブログ「サカナクション一路の『魚と音楽』」を開設。そこでの名義も引き続き「山口一路」としている。
◉2010年初頭
「アルクアラウンド」 ~ 4th『kikUUiki』
翌2010年1月には2ndシングル「アルクアラウンド」が、そして3月には4th アルバム『kikUUiki』が発売された。約1年という順調な制作ペースが継続されており、先行シングル → アルバム発表という流れも前作から踏襲されている。

「アルクアラウンド」はオリコン最高3位を記録し、11週間にわたってチャートイン。さらにミュージックビデオも高い評価を得て大きな話題となるなど、バンド初のハッキリとした大ヒットとなった。対外的には初となる「代表曲」と言える立ち位置の楽曲がここに誕生した形となる。
2010年代前半、インターネット時代の新しい音楽映像表現が声高に議論されるようになった中で、そのモデルケースとしてこのミュージックビデオが真っ先に代表例に挙げられるケースが非常に多かったような印象がある。
つまり、まだYouTubeを主戦場とした「バズ狙い」のミュージックビデオ戦略が黎明期だったころに、その「教科書」としてアルクアラウンドのMVが位置付いたのだ。
このミュージックビデオの監督は、関和亮が担当している。関は初期のPerfumeのミュージックビデオを担当していた人物。現在では、Perfumeやサカナクションの映像監督と言えば田中祐介監督というイメージが強いが、彼ら・彼女らの音楽と映像表現との結びつきという意味で最初の功労者・キーマンは、実は関和亮だったといえるだろう。
一発撮り、ループもの、タイポグラフィといった、映像表現として興味深いクリエイティブな要素がふんだんに詰め込まれたこのMVは、映像作品としても高い評価を獲得し、関は数々の映像賞を受賞した。
ちなみにこのMVとは別に、ラジオ番組『SCHOOL OF LOCK!』とのコラボ企画で、10代のリスナーたちから募集して集めた歩く映像を繋ぎ合わせる「アルクPV」という企画も存在した。「ラジオの中の学校」というコンセプトで10代のリスナーを主な対象としたこの『SCHOOL OF LOCK!』というラジオ番組の存在は、この記事の趣旨としても後々非常に重要になってくるため、またその時に触れることになるが、この時期から関係値は生まれていたということだ。
また、「アルクアラウンド」のカップリングには「スプーンと汗」という楽曲に加えて、レイ・ハラカミによる「ネイティブダンサー」のリミックス(当該曲は "へっぽこ re-arrange" という表記)も収録。このシングルから、カップリングに加えて、他のアーティストの手による過去曲のリミックスも収録されるようになる。クラブミュージックではよくある形態だが、当時の邦楽ロックバンドおよびJPOPアーティストのCDとしては珍しい手法であり、クラブミュージックのマニアックな文化をより広い聴衆へ翻訳して届けたいという一貫した姿勢がここからも伺える。
さて、初の大ヒットとなった「アルクアラウンド」を先行シングルとするアルバム制作において、通常であればより飛躍を狙うために、成功した曲調を踏襲する手法をとることが普通だろう。つまり、シンシロ路線をよりアッパーにしていく路線だ。しかし、山口一郎はそうしたくはなかった。
「アルクアラウンド」は単なる一面でしかない。サカナクションはもともとそんなに明るいバンドではない。「アルクアラウンド」で新たに得た多くのリスナーに向けて、このバンドの持つもっと暗い部分や深い部分も知ってもらうことで、バランスを取りなおさなければならないと考えた。
そこで考え出されたのが、淡水と海水が交わる水域である「汽水域」をもじった「汽空域」という造語であり、その説明として「混ざりあわないものが混ざったときの "良い違和感"」というキーワードが生まれる。このキャッチフレーズは、サカナクションのコンセプト及び山口一郎の思想の根幹として、今後山口本人があらゆる場で何度も何度も口にするフレーズとなる。
アルバムに「アルクアラウンド」のような方向性の楽曲が多く詰め込まれていることを期待した者は、拍子抜けしたであろう。しかし、アッパー一辺倒にならずにバンドの深淵部を両立させることに成功した本作品は、緻密さ・完成度としてもそれまでから格段に飛躍をみせ、内省的で難解ながらも独特な世界観を多くのリスナーに呈示してみせた。
特に、アルバムラストに収録された7分にも及ぶ楽曲「目が明く藍色」は、9年前から構想を温めていたという複雑な楽曲であり、「アルクアラウンド」で入ってきたリスナーに対してその対極にあるようなものを聴かせようと意識されて作られ、『kikUUiki』のコンセプトを最も現すアルバムの鍵となる楽曲であり、延いては、山口一郎という人間とサカナクションというバンドそのものにとっての最重要曲として位置づく。
この一つ前に収録されている楽曲「壁」は自死の曲であり、そこから連なる「目が明く藍色」は “再生” がテーマとなっている。
MV公開時に更新されたブログでは、動画の埋め込みリンクとともに、次の一言だけが添えられた。
七分間、僕に時間を下さい。
『kikUUiki』では、この「目が明く藍色」の制作に時間がかかったせいで、アルバムの完成が期限ギリギリになったらしい。ここから徐々に、難産の傾向が表れ、楽曲の完成に時間がかかるケースが増え始める。
だが山口は、この楽曲が完成した際には「あ、もうこれで一生ごはん食べていける!」と思ったそうだ。「この1曲ができたお陰で、僕らは絶対、音楽でごはんを食べていける。こんないい曲、ほかに絶対ない。他にロックやってる人でもいないし、ポップスでもいないし、耳に残るし、絶対良い。」そんな風に語り合っていたそうだ。
しかし、当時の評価は、山口が思ったよりもずっと賛否が分かれた。
アルバムの売上も『シンシロ』からは更に大幅飛躍したが、それでも「アルクアラウンド」と「目が明く藍色」から来る自信度と比較すると、山口にとっては振るわない結果に思えた。後に何度も「『kikUUiki』は挫折のアルバムだ」「想定してた数字よりぜんぜん売れなかった」という発言をしている。
この『kikUUiki』を引っ提げたツアーが2010年4月~5月に行われたが、その最中に山口一郎は突発性難聴を発症する。しかし、治療よりもツアーを優先させた結果、右耳が聴こえなくなってしまった。
◉2010年夏 ~ 2011年
3つのシングルと5th『DocumentaLy』
「アルクアラウンド」以上の飛躍を目指し、ここからバンドはフェスブームど真ん中だった当時の邦ロックシーンを駆け上がっていくことになる。
東京進出以降、シンシロツアーやkikUUikiツアーと並行して対バンやフェスに多数出演するようになっていったが、その頃にサカナクションと並ぶラインナップとして浮上していたバンドとしてBase Ball Bearやthe telephones、OGRE YOU ASSHOLEらが挙げられる。彼らの目指す音楽性やそのアレンジ手法は皆少しずつ異なれど、共通している要素として見出されていたのが「踊れるロック」というキーワードである。
その重要な手法である「4つ打ち」のビートというのは音楽史的にはもともとディスコやハウス由来のものだったが、当時のロキノン系の諸バンドは、あくまで「ロックバンド」としてそれを採用しつつ、オルタナ的なギターロックの形でミクスチャー的にディスコのような高揚感を再現してフロアを沸かせることを目指していた。そのような風潮と『シンシロ』や「アルクアラウンド」のイメージは親和的にマッチし、サカナクションもそのような文脈でフェスでの人気を勝ち取っていく。ただ、サカナクションは他のバンドよりもよりエレクトロな形のサウンドを研究し、シンセやコンピューターを用いた演奏を積極的に取り入れていた点が他のバンドと比べても異質であった。
2010年6月には、Base Ball Bearの楽曲へのゲストボーカルという形で、「kimino-me」というコラボ楽曲が発表されている。山口一郎は歌唱で参加したのみで、作詞作曲は小出祐介であり、アレンジもBase Ball Bearによるもの。そのため、シンセは入っておらずギターによってサウンドが構築されているのだが、にもかかわらず2番からのアレンジで一気にサカナクション風味に仕上げているのが秀逸である。
このように、「フェスで踊れるロック」という期待感が高まっていた中で、2010年4月~5月のkikUUikiツアー後の夏フェスシーズン真っ只中の8月に放たれたのが、3rdシングル「アイデンティティ」だ。
言わずと知れたキラーチューン。サカナクション版「勝手にシンドバッド(サザンオールスターズ)」がコンセプトだったという。フェスを含めて、サカナクションのライブの盛り上がりには欠かせない、アルクアラウンド以上の爆発力を獲得した。
この楽曲は実は『kikUUiki』のアルバム用の1曲として作られていたものの、ヒップランドの野村が「夏にリリースしたほうがいい」と判断し、アルバム曲ではなく、次作のシングルとして発売されることになったものだ(それによって新たに『kikUUiki』用に作られたのが「Klee」だったという)。この時代のサカナクションは、フェスでどう盛り上がるかを常に考えていた。
ちなみに、カップリング曲は「ホーリーダンス」。カップリング曲については「ライブではやらない」という発言を当時公言していたが、のちにその宣言は無かったことになり、現在ではむしろどのカップリング曲もカップリングであったことを忘れるくらいの知名度と重要な役割をライブのセットリスト内で担っている。思慮深い戦略家のような側面もある山口だが、発言に関して案外コロコロと変わることが多いので信用ならないという側面も垣間見える。
さて、2010年10月8日には、初の武道館公演を成功させた。
それに更に続くシングル曲として4thシングル「ルーキー」が2011年3月16日に発売された(カップリング曲は「スローモーション」)。日付を見てもらえれば判ると思うが、発売日は東日本大震災の直後だった。震災によってこの楽曲のプロモーション活動は軒並み中止となり、敢行されたラジオ出演でも宣伝ではなく、震災について話しにいくという形になった。『SCHOOL OF LOCK!』にも出演し、山口は涙ながらに「上を向いて歩こう」を歌った。
自分はミュージシャンとして今、何を作るべきなのか。山口一郎は深い思索に入り、サカナクションの制作活動はここから非常に重たい空気を帯びていく。
それによって見出された次のアルバムのテーマは「時代を歌う」。震災の起きたこの時代の景色を音楽としてパッケージングしなければならない。そのような意識でアルバム制作に入り、その重要な先行シングルとして作られようとしていたのが「エンドレス」という楽曲だった。しかし、かつてないほどに作詞に難航し、この楽曲をシングルとして発売することは見送られることに。そこで、カップリングの予定曲だった「『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』」が繰り上げられて5thシングルとして2011年8月に発売されることとなった。このカップリング曲となった「years」は、のちのアルバムでも「バッハ」→「years」の順で収録されており、2曲で一つだという意識が強かったようだ。
このMVが、今ではベッタリな存在となる田中祐介監督の初仕事となるが、2010年代前半のあいだはまだ、専属というよりも、サカナクションを担当したことのある複数の映像作家のうちの一人というような存在だった。しかし、このMVの撮影を経て山口は、曲の力以上にヘアメイクやアートディレクションの力で曲の魅力が付加される時代になったことを確信し、「音楽にまつわる音楽以外の仕事も "音楽" である」という発信を強めていくきっかけとなった。
この楽曲でサカナクションは初めて、ミュージックステーションへの出演を果たす。「フェスで入場規制のロックバンド」「テレビに滅多に出ないバンド」という煽りについては良し悪しがあったと思うが、ともあれ、「アルクアラウンド」でも「アイデンティティ」でもなく、この「バッハ」でようやく初出演となったのは、一曲だけに依存して売り出されてしまう一発屋的な扱いを避ける意味でも、非常に良かったと個人的にも思う。
ここで、サカナクションは通常のバンド形態の演奏ではなく、クラフトワークをオマージュした5人横一列のラップトップスタイルで出演した。現在ではライブでおなじみの光景だが、このMステが初めての試みだった。テレビに敵対心があり、出演に慎重だった当時の山口は、出演に際し「ただ知ってもらうために出演するのではなく、得られる露出効果を最大限活かして、視聴者を導いていくこと」を計算したうえで出演したのだ。山口はこの戦略について、次のように述べている。
サカナクションの、というよりはバンドとか、日本のロックとか、そういうものの面白さを体験できていない若者たちに届けるには、テレビメディアはすごく重要だし、知らないことを知ったときのカルチャーショックを与えられるきっかけや入り口として使えるなと思ったし。もちろんそこで全部をわからせることは無理だけど、ただ利用するんじゃなく、相互に利用しあえたらいいなと思って。そういう方法論もありうるなと思ったんですね。
今まではテレビメディアの中で全てを見せようという考えしかなかったけど、今はいろんなメディアがある。僕らが仮に民放のテレビ番組をつまらないと思っても、直接変えられるわけじゃない。でもそこに入り込んでうまく利用して、そこでパフォーマンスしたりエンタテインメントしたりして、掴んだお客さんをどこに着地させるか。そこでUstreamなりTwitterなりYouTubeなりに引き込めば、いい意味で濾過できるんじゃないかと思って。
例えば……「『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』」で「Mステ」に出演したとき、僕らはラップトップを前に5人並んで登場したんです。サカナクションを知ってる人は、あれがスペシャルなことだとわかるけど、初めて観た人はこれがフラットだと思う。それで興味を持った人はまずYouTubeを観る。そこで「『バッハ~』」のPVを観て、さらに面白いと思ってほかの曲も聴いてみたいと思うか、趣味じゃないと思って離れていくか。そこで濾過できる。言い方は悪いけど、選別できる。僕たちを好きになるエッセンスを持った人たちだけが集まってくる。そういうメディアの使い方って、今までなかったわけじゃないけど、意識されてなかった。
もちろん曲を作る、ライブで演奏するのは表現者として大前提だけど、それをさらにたくさんの人たちに聴いてもらうために、結果じゃなく作為的にやっていくのも表現としてアリだと思うんです。それが「戦略すら表現」ということで。
広く投げかけた上で客層を絞っていく、という、2010年代前半の尖った姿勢が伺える。ここで生まれた「戦略すら表現」というキャッチフレーズは、ここからサカナクションが一度目のピークに向けて飛躍していく際の旗印となる、重要な行動指針になっていく。
また、いわゆるテレビ側の「エンタメ」サイドと、それを拒否するロキノン的な「ロック」サイドの安直な二分法の空気がまだ色濃く残っていた当時、Mステに出演した山口は、そこで東方神起のパフォーマンスを目の当たりにしたことで、責任を持ってロック側の立場を背負う意識を強めていく。
「ミュージックステーション」に出演したときに東方神起さんと一緒になったんですよ。もう、ビックリして。パフォーマンスとして完璧だし、フィジカルもすごいし。完全にエンタテインメントしていて。「ちょっと待てよ」と。自分が知ってるロックバンドって、いい加減なやつばっかりだなと思って。違うベクトルとして努力した上でエンタテインメントやポップを批判してるのか?と思ったし。
── 一方通行の選民意識に溺れているだけなんじゃないか、と?
うん。僕は、東方神起さんを見て、この人たちと同じくらい努力しなきゃいけないなと思った。エンタテインメントの人たちがロックをリスペクトするくらい揺るぎない立ち位置を見つけるべきだなと思ったし。そのために時代と自分のリアルを歌う。だから、「DocumentaLy」というタイトルでアルバムを出すのもすごく自然なことで。
── 徹底的に生々しくあろうとした。
そう、徹底的にリアルに。メンバーだけじゃなくて、かかわってくれた人すべてのドキュメンタリーをちゃんとアルバムに込めたかった。
「バッハ」の地点でまだ難航していた重要曲「エンドレス」は、80パターン近くの数の歌詞が書かれ、年始の着手から数えると約8ヶ月かかって完成させられた。これをアルバムのリード曲とし、5thアルバム『DocumentaLy』が2011年9月に発売となる。
震災を経て見出された「時代を歌う」「今をドキュメントする」というコンセプト。そしてドキュメンタリーのスペル(Documentary)の rがLに変えられたタイトルは、これによって「mental」という言葉が浮かび上がるという意図があるが、さらにRとLというのは突発性難聴を患った山口一郎の右耳にも関係している。それが仄めかされる一曲目の導入的インスト「RL」と、最重要曲「エンドレス」の後に配置されたクラブインスト曲「DocumentaRy」。そして、そのようなコンセプトであるにもかかわらず「今までの僕の話は全部嘘さ」という歌い出しから始まる、最終曲の「ドキュメント」。
綿密に設計された構成、非常に強い作品性・メッセージ性と重さを持ちながら、フェスで多くの観客を踊らせたパンチの強い3曲のシングル曲も含まれ、Mステ出演も果たした直後で注目が集まっていたこのアルバムは、『kikUUiki』の3位を上回るオリコン初登場2位を獲得した。
先の東方神起の例でも言及されたように、この作品以降、山口一郎は「芸能界・アイドル」と「ロックバンド」の立ち位置の差を明確に意識し、芸能的なエンタメをリスペクトしたうえで、そうではない「バンド」側の立場として大衆に挑んでいく意識を高める。
アンダーグラウンドな世界(マイノリティー)に籠るのではなく、芸能界的なマジョリティーに対して、戦略的にカウンターをぶつけることで、「マジョリティーの中のマイノリティー」という独自の立場を目指そうとしたのだ。
kikUUikiで見出されたコンセプト「混ざりあわないものが混ざったときの "良い違和感"」、Mステ出演を嚆矢としたメディア露出の指針「戦略すら表現」。そしてそれによって目指す「マジョリティーの中のマイノリティー」という立ち位置。さらに「音楽にまつわる音楽以外の仕事も "音楽" である」=バンドメンバー以外も含めた「チームサカナクション」の意識。これらのキーワードを、2010年代の山口は事あるごとに口にし、声高に訴えていく。
ちなみに、2011年7月13日にはサカナクションの公式サイトとして、SAKANAQUARIUM (A) がオープンした。(A)はアングラーの意。会費制のコンテンツサービスを擁しており、実質的にファンクラブとして位置づく、現在のNFmemberの前身となるサービスだが、この頃は複雑なポイント制やファンをランク付けするようなシステムもなく、当時からの会員にとっては、現NFmemberを嫌い、この(A)に愛着を持つ者が今でも多い。
また、この時期の山口一郎は星野源と非常に仲が良く、東日本大震災後には2人のUstream番組として「サケノサカナ」が開始された(星野源はSAKE ROCKというバンドをやっていたことに由来する番組名)。先述の楽曲「ドキュメント」の歌詞に登場する「君」とは星野源のことらしい。

◉2012年~2013年
サカナLocks! 開始 ~ 6th『sakanaction』
2012年に入ると、このCMが放映されるようになる。曲名もわからない、サカナクション新曲のCMタイアップだった。
『DocumentaLy』に収録された3つのシングル曲は、いずれも東進ハイスクールのCM曲となっていたが、映像と音楽との関連性はあまり無く、CMにおいてよくあるBGMのような扱いだった。
しかし、このモード学園の新CMにおいてはジョンテ・モーニングのダンス映像とともに楽曲が強烈な印象を残し、発売前から多くの人々の目と耳を惹きつけていた。後に判明するその楽曲名は「夜の踊り子」。2012年の最初のシングルとして発売される予定で準備が進められていた。
しかし、楽曲完成後に、さらに新たなタイアップの話がバンドに舞い込む。SMAP草彅剛主演のフジテレビ系ドラマ『37歳で医者になった僕〜研修医純情物語〜』の主題歌の話だった。バンド初となるドラマ主題歌タイアップだ。そのドラマが4月からスタートということで、先にそちらを完成させて発売する、というふうに戦略が変更され、「夜の踊り子」の発売は後回しとなった。
ロックバンドという枠組みにある自分たちがドラマの主題歌をやるという事は、もし自分がファンだったとして、「有名になる事が寂しい」「売れるためにやっているのかな」と思われたり、ネガティブな要素が多いだろう、と、山口一郎はそう分析した。そのネガティブさを払拭しつつ、自分たちが主題歌という責任を果たす事ができるように、山口は戦略を立てた。
大前提、ドラマに合った曲であり、従来のファンをいい意味で裏切ったものでもあり、バンドのことを知らない人たちへの印象もコントロールすること。これらの条件を念頭に置き、制作が進められる。
医療系のドラマだという事で、内容も真面目・シリアスなヒューマンドラマだった。この時期の彼らは現在とは違い「生真面目だ」という自認がまだあったため、これがコメディのドラマだったら苦戦しただろうが、ドラマ的に自分たちのスタイルを貫く事が可能だと判断し、それまでのシングル曲のようなエネルギーの高い曲調ではなく、北海道時代のような自分たちらしさに原点回帰するというテーマで作られた。こうして、楽曲「僕と花」が完成する。
さらに、MVに関しては、劇団・舞台テイストの映像を一発撮りで撮影し、さらになんとその撮影のようすを生配信するという試みを行った。これによって、本当に一発撮りであるということを証明しつつ、完成したものと、中継された瞬間的なものの違いを感じ取ってもらう意図があった。また、その瞬間に集まって見ることができた視聴者だけの特別感の演出も狙った。
テレビ出演ではない形で、ネット主体のプロモーション効果をクリエイティブな形で狙うという試みは、当時としては非常に先駆的だったといえる。当時バンドが活用していた生配信プラットフォームが、USTREAM(現在は終了)というサービスであり、ニコニコ生放送のようなオタクカルチャーではない場所でのネット生配信の試みというのはまだ珍しかった時代に、ロックバンドとして非常に先進的な試みを行っていたといえる。
この楽曲を主題歌として、4月からドラマが無事スタートし、6thシングル「僕と花」が5月に発売された。これまでのシングルよりは落ち着いた曲調ではあったが、それでも対外的・戦略的に計算して作られたこの楽曲に対して、よりパーソナルかつ内省的な世界観としてカップリング「ネプトゥーヌス」が対置された。
さて、このタイミングと前後して、サカナクションの支持拡大を考える上でもう一つの大切な出来事が起こっている。それは、ラジオ『SCHOOL OF LOCK!』内での「サカナLOCKS!」のコーナーの開始である。
先ほども少し触れたが、この『SCHOOL OF LOCK!』というラジオ番組は、「ラジオの中の学校」という設定の10代向け番組で、平日夜22:00~24:00、校長役と教頭役の2人が「生放送教室」を進めつつ、ミュージシャンたちが様々な教師役で「アーティストLOCKS!」として授業(コーナー)を担当していた。リスナーは「生徒」と呼ばれる。
当時の他のアーティスト講師陣でいうと、“B組”の講師・Base Ball Bear先生による「ベボベLOCKS!」 や、世界“始”の講師・SEKAI NO OWARI先生による「セカオワLOCKS!」、Perfume研究員によるヒミツの研究室「PerfumeLOCKS!」など。こうしたラインナップと並んで、2012年4月2日から月曜日の授業を担当することになったのが、サカナクション山口一郎によるサカナLOCKS! だった。
サカナLOCKS! は「音を学ぶ・音で学ぶ・音に学ぶ “音学” の授業」。他のアーティスト講師に比べても非常に「真面目」で「ちゃんとした授業」を行っていた。他のアーティストLOCKS! では、「授業」というのはあくまでラジオや現在のVTuberなどによくある「始めの設定」程度のものであって、内容は普通のラジオ出演やポッドキャストとそう変わらないものだった。しかし、サカナLOCKS! で山口は「講師による授業」という形式を誰よりも忠実に受け入れ、音楽の裏側について事細かく語っていったのだ。
Jpopのアーティストのラジオらしからぬ暗くて固苦しい口調と、10代向けとは思えないような真面目に音楽について語るその内容は、番組内で異質な存在感を発揮した。
現在のYouTube配信のひょうきんな姿から比べると信じられないかもしれないが、当時の山口一郎はふざけたりテンション高く喋ったりすることが苦手な暗い人物だった。当然ラジオのテイストも万人受けするようなものではなく、サカナLOCKS! は何度か終了の危機に晒される。しかし、改変期をくぐり抜け、結果的にはPerfume LOCKS! に次いで二番目に長い期間の放送が続けられることになるが、その過程で山口は次第に、明るいキャラクターとトーク力を獲得していった。
つまり、「山口一郎」から「いっくん」に至るまでの課程には、実はラジオでの「一郎先生」のキャラクターの変化が関わっているといえるのだ。
また、Ustream配信などを除けば、山口一郎としてリアルタイムでの継続的な情報発信の場というものがそれまでは無く、ここで初のラジオレギュラー番組がスタートしたことによって、コロナ禍のInstagramライブの開始までの長い間、このサカナLOCKS! がファンとのコミュニケーションの重要なプラットフォームとなっていたといえる。
ここからしばらく、サカナクションの歩みはサカナLOCKS! の生徒とともに共有されて進んでいくことになる。新曲の初解禁も毎回、この番組で行われるようになった。さらにそういったニューシングルに込められた戦略や、MVについてなど、カップリングやタイアップの意味について、マスタリングについて、フェスでのセットリストについて、などなど・・・10代の生徒に向けて、本当に様々な角度から山口はリスナーへ考えを愚直に伝え、「授業らしい授業」をラジオ番組の中で行った。
リスナーからの投稿の募集テーマは「宿題」と呼ばれ、「宿題を必ず提出するように!」と促された。生徒たちも意欲的に、「宿題」を「提出」した。たとえば、「架空のフェスのセットリストを考えよ!」だったり、「小論文の宿題。音楽と映像の関連性について140文字以内で述べよ。」だったり。さらに「そんな音楽を誰が10代に薦めるねん」というようなマニアックなクラブミュージックの紹介も行われた。本気で10代生徒の音楽リテラシーの育成を試みるような先進的な取り組みが次々と展開されていたのだ。
しかし、NHK講座のような「マジの授業番組」ではなく、あくまでラジオのコントの設定としての体裁も保たれていた。つまり、現在でのVTuber文化にも通じるような、この絶妙なバランス感が魅力的であり、音楽業界について興味のある多くの10代リスナーや、加えて20代・30代以上の生徒も、この番組を通じてサカナクションに惹かれていった。当時は番組外でも山口のことを「一郎さん」ではなく「一郎先生」と呼ぶファンも多かったように思う。


このような中で、番組開始直後のニューリリース「僕と花」のフル尺初解禁や、その戦略についてなども解説された。さらに、それに続く7thシングル「夜の踊り子」(8月発売) も同番組内でフル尺初解禁されることとなった。
年始からサビのみがCMで聴かされており、期待度が最高潮に高まっていた。初解禁の放送回では、CM放送部分のサビがなかなか来ないまま、1番、2番が進む。特殊な楽曲構成と、「僕と花」とリリース順が入れ替わったということも利用して、究極の「焦らしプレイ」作戦が展開された形となったのだ。
さらに、MVは「バッハ」ぶり2度目の田中祐介監督の起用となり、派手な和装とメイク、踊り子、そして富士山の麓というインパクトの強い画に加え、撮影方法にも工夫を凝らした映像で大きな話題を呼んだ。この楽曲で二度目のMステ出演を果たし、今度はラップトップではなく通常のバンド形態で披露されたが、MVと同じ和装とメイクでの出演で、再び強烈なインパクトを与えた。
ちなみに、このカップリングに収録されたのが「multiple exposure」だ。
また、夜の踊り子の初回限定盤の特典DVDに付属したライブ映像の音声が、「バイノーラル録音」で収録された。現在でこそASMRが流行しているため馴染みのある手法であるが、当時は全く知られていない技法だった。音響に強い関心のあったサカナクションは、エロ業界よりもはるかに早い地点で、実験的にこれを導入していたのだ。
バイノーラル録音に関する授業も、サカナLOCKS! で行われた。ラジオ視聴に際し「イヤホンかヘッドホンの用意が必須」として放送された、実験的な放送となり、初めて体験する立体音響に、多くの生徒が興奮した。
また、この年はロンドンオリンピックが行われた年でもあった。TBS系でのオリンピック放送のテーマソングとして、山口一郎が楽曲提供を行ったSMAP「Moment」が起用され、同8月に発売となっている。この楽曲提供も、当時のサカナクションへの知名度拡大のきっかけの一つとなった。
このように2012年は、新たな経路から「サカナクション」の名前が広まっていった年となった。そうした流れを踏まえて新アルバムの制作に着手。「このアルバムがバンドのピークとなるだろう」と山口は自己分析し、6枚目にして自身のバンド名をアルバムのセルフタイトルにすることを決意。先行シングルとして、翌2013年1月に8thシングル「ミュージック」が発売された。このシングルは、サカナLOCKS! を通じて知った多くの10代生徒が入手しやすいように、「ワンコインシングル」としてなんと500円で発売された。
この楽曲もドラマ主題歌に起用されたが、制作が進んでからタイアップの話を聞かされたため、その内容を踏まえては作られておらず、サカナクションとしての文脈を色濃く反映した楽曲となっている。MV監督は「アルクアラウンド」を手がけた関和亮が担当した。
さらに新たなタイアップとして、2013年度のNHKサッカーのテーマソングに起用が決まり、アルバム曲「Aoi」が作られた。
『DocumentaLy』と同じく、1年半ペースで3枚のシングル曲+アルバム曲という形で、3月に6thアルバム『sakanaction』がリリースされた。
アルバムのテーマは「表裏一体」。それまでに増して精力的にタイアップに取り組んだサカナクションの「表」と、そうではない部分でのサカナクションが今やりたい「裏」の部分を表現しようと試みられたのだ。こうした考え方は、kikUUikiから通底するコンセプトだ。タイアップを通じて表に発信していく楽曲には制約もある。一方でサカナクションには暗くて落ち着いた曲も多い。そういった部分について、サカナLOCKS! においても丁寧に説明された。
アルバムリード曲として、「表」を体現するのが「Aoi」だとすれば、「裏」を体現するのが「INORI」だった。このINORIには電子音楽家のAOKI takamasaが制作に関わっており、その影響もあってか、このアルバム以降のバンドの電子音のサウンドメイキングは、それまでから一段階洗練されたような印象となっていく。
「表裏一体」に加えて、「混ざりあわないものが混ざったときの "良い違和感"」「戦略すら表現」「マジョリティーの中のマイノリティー」というこれまでのキーワードも各所で繰り返し繰り返し語られた。
アルバムを引っ提げたツアーでは、アリーナ規模にもかかわらず、通常は映画館で使用されるDOLBYのサラウンドシステムを異例ながらロックバンドのライブに導入したということも大きな話題となった。ここから「サカナクションのライブは音が良い」という評判が広まっていく。
アルバム売上はとうとう、オリコン初登場1位を記録し、12月31日にはNHK紅白歌合戦に初出場を果たした。披露曲は「ミュージック」で、ラップトップからバンド形態に転換する今ではお馴染みの演出をなんと紅白で実現することに成功した。
出演にあたっての会見では「(自分たちの紅白出演が)ロックシーンにひとつの方法論を提示できた。バンド界の勇気になれば」と、ロックシーンを背負ってエンタメ業界にぶつかっていく姿勢が改めて示され、それまでの野望を「有言実行」していく姿勢に多くのリスナーが信頼を寄せた。

ただ、ここで改めて、「ロック」と「ポップス」、そして「マイノリティー」と「マジョリティー」というような対立軸の問題を考えてみたい。
『sakanaction』期のサカナクションは、「表と裏」というキーワードを声高に訴えていたが、ここで「表」と「裏」のどちらかに「ロック」というものを一対一対応させてしまうと、矛盾が生じてくるのだ。
たとえば、「ロック」を背負って紅白に出演した際、ここでの「ロック」とは、紅白(お茶の間)という「マジョリティー=表」にカウンターをぶつける「マイノリティー = 裏」のバンドシーンという意味になる。山口がバッハ以降抱いた決意のとおりである。
しかしアルバム内においては、ギターロック全開の「Aoi」はむしろ対外的にアプローチするための「表向き」の楽曲であり、サウンドとしては全くロックではないクラブミュージックの「INORI」のほうこそが自分たちのやりたい「裏」の楽曲となる。フェスシーンに対応していくことはバンドにとってはある種の迎合の方向へのアプローチだった。
一方で、それまでロキノン系(この時期からは死語になっていき、「邦ロック」という語が浮上してきた時期だが)と呼ばれてきたロックバンドシーンからしてみれば、「Aoi」のようなギターロックこそが自分たちの価値観と期待に沿うアツいサウンドであり、クラブミュージックに接近する方がある意味「エンタメ寄り」「迎合」のように感じられたかもしれない。当時はEDMの全盛期でもあり、ランキングを占めるアイドルもそういったEDM系のダンスビート一辺倒であったため、ロックから見れば、クラブミュージック=敵側というイメージの結びつきは強固だった。
つまり、「ロック」にまつわる「表と裏」の概念について、実はこういった矛盾点をバンドは抱えていたといえる。もっとも、そのような論点は指摘されていなかったし、本人たちも気が付いていたかどうかはわからない。だが、アルバムのコンセプトとして、またサカナクションそのもののコンセプトとして、この「表と裏」「マジョリティーとマイノリティー」というような考え方を各所に周知していきながら活躍の場を広げていく上で、なかなか山口の考えが正確な形で評論家やリスナー、他ジャンルの人々などにも伝わらないケースが多かったのではないかと推測する。
そういった影響があってか、山口が予見した通り、この『sakanaction』をピークとして、バンドはここから暗黒期へ突入してしまう。
(そして、個人的な邪推だが、この「暗黒期」をうまく解消できないまま、ズルズルと来てしまった結果が現在のサカナクションであると感じてしまうのだ。)
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