香りが連れてきた記憶の輪郭:フジファブリック 『赤黄色の金木犀』|感情の設計図#7
あの秋のことを思い出して、たまらない気持ちになっている。まだ初夏だというのに。
今朝、部屋のアロマを新調した。その金木犀の香りとともに、様々な感情がずいっと流れ込んできた。笑いあった日々。重ねた時間。それすらもあっけなく崩れ去ってしまった瞬間。
その儚い記憶は香りが創り出したのか、それとも別の何かだったのだろうか。
僕たちは自身に湧き起こる感情や記憶の由来を、どこまで自覚できているのだろうか。

写真を見て、あなたの頭に浮かんだ色は何色だろう?
今日もまた、イヤホンから生み出される音の海に体をあずける。アルペジオ主体の静かなイントロが流れ出す。夏から秋へと季節が移ろうころの、空に舞い散る木の葉や空気の揺らぎ、ほのかに漂う香りを感じる。
フジファブリックの2004年作『赤黄色の金木犀』。
もしも 過ぎ去りしあなたに
全て 伝えられるのならば
それは 叶えられないとしても
心の中 準備をしていた
心象風景のグラデーションとしての「赤黄色」
まず、この曲はタイトルからして引っかかる仕掛けがある。
通常、金木犀の色は「橙色」「オレンジ色」と表現される。しかし、今は亡き志村正彦さんは「赤黄色」と、直感的で混ざった状態をあえて選んだ。
一見すると不思議な言葉だ。けれども、歌詞全体を何度も通して聴いていると徐々に気づく。
このタイトルは金木犀だけを指しているのではない。金木犀を媒介にして「秋の夕焼けの情景と、そこに佇む"僕"の複雑な心象風景そのもの」を歌ったものなのだと。
夏から秋へ。
昼から夜へ。
記憶から忘却へ。
過渡期ゆえに「赤色」もあれば「黄色」もあり、分類しきれないグラデーションが表現されているのだろう。

混ざり合わない感情の表象としてのグラデーションが、揺らぐ曲線とともに表現されている
そしてメタ視点で眺めれば、季節の移ろいは1stアルバム『フジファブリック』全体の構造にも適用される。季節が明示的に歌われている曲は以下のみだが、おそらくアルバム化にあたり意図的に順序立てたのだろう。
(春)
1.桜の季節
(夏)
2.TAIFU
3.陽炎
5.打上げ花火
(秋)
9.赤黄色の金木犀
サビ前の和音/加速が暗喩する胸のざわつき
『赤黄色の金木犀』は、イントロ→Aメロ→サビ→間奏→ブリッジ→サビ→アウトロという流れで、2番Aメロに相当する部分を設けずコンパクトにまとめられている楽曲。
コード進行上の最大の特徴は、開始1分20秒前後のサビ直前(スピードを上げ"た")に挿入される不安定な和音(Am7(♭5))だ。この半減七の和音が一瞬の緊張感(胸のざわつき)を走らせてから緩めることで、聴き手の心を強く惹きつける構造になっている。
冷夏が続いたせいか今年は
なんだか時が進むのが早い
僕は残りの月にする事を
決めて歩くスピードを上げた
この箇所のカタルシスについては、以下のコラムがとても分かりやすく解説してくれている。
胸のざわつきは、歌詞だけでなく音によっても表現されている。最も印象的なのはサビに入る直前のコード(=和音)だ。なんとも不安定で複雑な響きをしている。
これはAm7(♭5)というコードであり、次なるA♭というコードに着地するための足掛かりとして機能している。あえて一度緊張を走らせた後にそれを緩和して、聴く人を惹きつける。
緊張と緩和は音楽に欠かせない要素であり、あらゆる曲に取り入れられているが、m7(♭5)をこんなにもうまく使った曲は他に類を見ない。
不安を掻き立てるようなm7(♭5)の響きと、同じく不安を煽るような金木犀の香りを結びつけたところに、志村正彦の天才的なセンスを感じる。
さらにはコード進行だけでなく、Aメロ終わりからからサビにかけてBPMを上げるという展開も同時に組み込まれている。緩やかに歩くようなテンポから走りだすような加速。これが金木犀の香りを嗅いだ時の記憶のフラッシュバックに重なり、楽曲に疾走感をもたらしている。
赤黄色の金木犀の香りがして
たまらなくなって
何故か無駄に胸が
騒いでしまう帰り道
(BPMの加速については、マユシム様のnoteで、メンバーインタビュー抜粋も含めて丁寧に解説されていました👇)
薄れゆく記憶への焦燥感と寂寥感
『赤黄色の金木犀』の後半、ブリッジ部分では「あの日の言葉が消えてゆく」と語られる。過去の大切な記憶すらも、時の流れに飲み込まれ薄まっていくことへの焦り。さらには2番のサビで「いつの間にか地面に映った影が伸びて解らなくなった」とも表現される。
期待外れな程
感傷的にはなりきれず
目を閉じるたびに
あの日の言葉が消えてゆく
いつの間にか地面に映った
影が伸びて解らなくなった
季節が進んで秋が訪れ、さらには夕暮れになり、自分が何を失ったのかさえ分からなくなるような感覚。郷愁とともに、たまらなく寂しい感情が迫ってくる。
2005年のツアーでのライブ映像。2分10秒すぎのブリッジ部分の展開をぜひ味わってみてほしい。もしもバンドマジックという言葉があるのならば、この瞬間のためにあるのだと思う。上手さではなく、熱量がすべてを包んでいる。
金木犀は高貴な印象を与える強い香りの一方で、花自体は小ぶりなことから「謙虚」「気高い」「真実」などの花言葉を持っている。恋愛においては「初恋」「陶酔」などの意味合いも持つ。さらにはあの世を指す「隠世」という意味も。それだけ多くのことを想起させるのだろう。
僕たちは香りを通して、あの頃の記憶や感情と再び出会うことができる。
あなたはこの曲を聴いて、どの瞬間を思い出すのだろうか。
あなたにとって記憶を連れてくる香りは何だろうか。
忘れたくない景色は、忘れられない言葉は、いまもまだ胸の中にあるだろうか。
もう一度聴き、夜に身を浸してしばし眠ることにしよう。
People Tree:日常を切り取る文学派日本語ロックの系譜
2000年に結成されたフジファブリックは、井上陽水などのフォーク、はっぴいえんどや細野晴臣などの日本のロック黎明期を感じさせる肌感を持ちながら、Blurなどのブリットポップ、さらにはPink Floydなどのサイケ/プログレも飲み込んだ複雑な音楽性を放っていた。その中心には、作詞作曲を手掛けるフロントマン志村正彦の存在があった。

2009年、その志村は突然にこの世を旅立った。紛れもないバンドの柱を失ったメンバーの哀しみと苦悩はいかほどであったろうか、僕には想像もつかない。それでも彼らは志村の想いを継承することを選んだ。3人編成で活動を継続し、2025年2月に活動休止するまでの間に素晴らしい楽曲を数多く残した。まるでイアン・カーティスを失ったJoy DivisionがNew Orderとして新たな進化を遂げたように。

くるりの岸田繁さんは、志村さんを悼んで鎮魂歌でもある『ロックンロール』を捧げたという。
日常を切り取ったような描写に現れる文学的な詩の世界観、叙情的かつ実験的な音楽性の広がりは、いまも多くの新世代バンドやアーティストに受け継がれている。

※フジファブリックの足跡については、月の人様のnoteにとても素敵にまとめられていました。
僕は、音楽が好きだ。
あの秋の夕焼けを、金木犀の香りを、いまも思い出す。
(追記)
MVとそのメイキングが収められた動画を見つけた。
等距離のカメラアングルで撮影された「異なる場所、同じ構図」に、フジファブリックというバンドの表現へのこだわりを感じた。
(6/2 追記)
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