何者でもない僕らにも等しく朝は来る:eastern youth 『夜明けの歌』|感情の設計図#6
眠れぬ夜。
あなたはどこで何を想い、どうしているだろうか。
そんなとき、僕はただ歩くことにしている。ひたすらにリズムを刻んで足を前に前に送り出す。そのうちに、頭の中にまとわりついていた雑念が少しずつ呼吸に溶けていく。時の流れに身を任せ、涼やかな外の空気とひとつになる。
この習慣はいつからだろう。大学生のころからだとすれば、かれこれもう四半世紀ほどだろうか。

ともあれ、やはり眠れない夜はある。刻一刻と朝が近づいてくる。
そんなときは寝るのをあきらめる。イヤホンの海を爆音で満たし、感受性のアンテナを全開にする。
流れてきたイントロは、懐かしく揺らめくギターのフレーズ。キーG♭メジャーを基調としたコード進行。ゆっくりとしたギターにベースが重なる。30秒過ぎ、ミディアムテンポのドラムが楽曲を力強く前へと転がし始める。
感受性応答セヨ
琥珀色に色づく部屋。奥にはおそらく本棚が置かれている。坊主頭のギター/ボイス(彼らはボーカルを「ボイス」と呼ぶ)である吉野寿さんが眼鏡越しにこちらをじっと見つめるアルバムジャケット。光と影の対比は、希望と絶望の二項対立のメタファーに思える。内省的ながらも強い意志を感じさせる視線が、脳裏に焼き付く。
1988年に札幌で産声を上げたロックバンドeastern youth(イースタンユース)の2001年作『感受性応答セヨ』。

彼らの作品群のなかでは「ギラギラした夏を意識したアルバム」とされている(「Rooftop」09年8月インタビューより)
救いと苦悩との狭間で
『夜明けの歌』は、そのアルバムの冒頭に配置されている。
「深い悲しみや絶望を抱えつつも、それでもなお朝(=希望と現実の両義的な訪れ)を受け入れざるを得ない」という、救いと苦悩がないまぜになった複雑な感情を吉野さんは唄い上げる。
夜が明ける
悲しみを笑い飛ばして
夜が明ける
朝が来る
甘い夢叩き壊して
朝が来る
逃げても逃げても逃げても
朝が来る
涙よ止まれよ今直ぐ
もう朝だから
どれだけ現実から目を背けようと、時間は進み、世界は止まってくれない。
現実の非情さに対する嘆きと、それでも受け止めようとする姿勢がここには詰まっている。何者でもない僕らにも等しく「夜が明ける」「朝が来る」という当たり前の、でも途方もない事実に僕の目からは水滴がこぼれそうになる。日本語のロックンロールならではの抒情性と焦燥感が溢れている。
2019年、日比谷野外大音楽堂のライブ動画をぜひご覧いただきたい。結成から30年以上経っても枯れない、吉野さんの魂が感じられる。
静寂と轟音、緊張と開放のダイナミクス
『感受性応答セヨ』は『夜明けの歌』を皮切りに、テンポの速い楽曲『アバヨ、風の残像』『スローモーション』『黒い太陽』『踵鳴る』などが怒涛の勢いで畳みかけてくる。静寂と轟音、緊張と解放といったダイナミクスの対比が巧みに用いられている。
たしかあれは2004年、22歳の頃だったろうか。石狩のライジングサンで聴いた『踵鳴る』『スローモーション』。あれから20年以上も経つのに、思い出すたびに胸を締め付けられる。なんとも言えない焦燥感に満ちていた日々。
『アバヨ、風の残像』
『スローモーション』
『黒い太陽』
『踵鳴る』
音楽でひとつになるな。音楽でひとりになれ
吉野さんのインタビュー記事を見つけた。素晴らしい内容だった。
ー吉野さんにとって音楽をやることは、自分の居場所を作るってことに近いんですかね。
吉野:そうですね。なんとか自分の生きる場所を作ってるというか。それに必死になってるだけで、どうやって生きていいのか、それ以外にわからないんですよ。
他に生きていく術もないですし、学歴もないし、体力もないですし、歳もとっちゃったし。何もないんですよね。ギターも下手だから、本当に何もなくてよく生きてるなって思いますよ。でも、とにかく自分でやらないことには、誰も何もしてくれないんで。やれるだけやろうとは思ってますけど。
特に印象的だったのが、(ライブのMCでもたびたび出現する)彼の生きざまが込められたメッセージだ。
「音楽でひとつになるな。音楽でひとりになれ」
彼らはいまでもシーンの先端を走り、フォロワーを生み出している。決して群れをつくるのではない。孤高の背中を見せながら、どうしても引き寄せられてしまうような引力を放っている。
眠れない夜。僕はまた彼らの音を聴くのだろう。
夜が明ける。逃げてもやがて朝が来る。
僕たちは音楽でひとりになる。
でも、孤独ではない。世界は繋がっている。
僕たちは悲しいほど弱く脆い。誰かを傷つけては自らも傷だらけになってばかりだ。
何者にもなれないかもしれない。自分にしかなれない。それでも、今あるこの命を存分に燃やして、足掻こう。
それがいつか、誰かの心にささやかな火を灯すかもしれないのだから。
(追記)
久しぶりに、フレッドペリーのポロシャツと新しいデニムを買おうと思った。僕がかつて愛したファッションだ。吉野さんのようにはなれないけれど、もういちど自分の好きな自分になろうと思う。
補足:eastern youthのPeople Tree
eastern youthの活動開始は1988年。インディーズ~メジャー~ふたたびインディーズと舞台を変えつつも、現在に至るまでコンスタントに作品を発表し、またライブバンドとして演奏を続けている稀有な存在だ。
パンクやフォーク、オルタナティブロックなど多様な音楽的背景を持ちつつ、Bloodthirsty Butchers、怒髪天、Number Girlなど日本のハードコア/轟音ロックバンドとも影響し合っている。アメリカのDinosaur Jr.などオルタナティブ/ポストグランジ的な音楽性のバンドと共鳴した作風、Husking BeeやJimmy Eat Worldなどエモーショナルロックなどとの邂逅。それゆえに入り口は幅広い。
彼らのライフワーク「極東最前線」では、『Clarity』~『Bleed American』期のJimmy Eat Worldとも対バンを果たしている(それにしても、映像が残っているとはなんて貴重なことだろう…)

個人的には、イースタンユースの音楽性を成すヒリヒリした切迫感はUSメロディックハードコアのSamiamなどとも通ずるものがある。
ポストハードコアの文脈で語られるテキサス出身のロックバンド、At The Drive Inともアメリカでスプリットツアーを行っており、激情型のパフォーマンスは洋の東西を超えている。

音楽性は緩やかに変化してきたが、ライブを底支えするタイトなリズム隊。そしてなにより吉野さんの仏僧然とした佇まいと「魂の叫び」にも似た鬼気迫るボイス。それらが渾然一体となった3ピースとは思えない音圧が、このバンドをeastern youthたらしめている。

僕は、音楽が好きだ。あの夏の日の午後を、ささやかな命の灯を、いまも信じている。
畑中修介様によるeastern youthの素晴らしい特集記事もありました。
犬畜生様による、90'sアンダーグラウンド・パンク/ハードコアを巡る記事もたいへん参考にさせていただきました。
なんと高校生のアルトベラー様は、文学的側面からイースタンユースの歌詞を解説されています(そして達筆…)。
こちらのYoutube解説も、非常にわかりやすくまとめられていました。
ご興味を持っていただいた方へ。他の楽曲も👇で紹介しています。
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