⑤母親の認知症(引き受けざるを得なかった身代わりの訳)
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母親の認知症が発覚する10年前。
父がまだ生きているときは、姉家族の家で一緒に食事をしていた。
父親が亡くなってからしばらくして、母親の言動は少しずつおかしくなっていった。父を失い、専業主婦だった母は言いようのない不安に襲われていたのだと思う。そんな不安が、母を少しずつ変えていった。
母にとって、姉夫婦が同じ敷地内に家を建て、隣に住んでくれていることは、本来ならありがたいことだったはず。
母の友人も、そんな母を見て
「娘さんに感謝しなきゃいけないわね」
といった声をかけていた。けれど、母にとってその言葉は屈辱でしかなかった。
感謝するのは自分じゃない。感謝されるべきは、土地をあげてやった私の方だ。
そう誇示したいかのように、「土地をあげてやったんだから」母は姉に対してマウントを取り始めた。自分が「上の立場」であることを証明しようとするその歪んだ自尊心が、姉を追い詰めていった。
当時、姉の旦那は仕事で帰りが遅く、姉は実質的なワンオペ育児の状態だった。幼い子供たちを抱え、さらに私たちの食事の面倒まで担っていた姉に対し、母は追い打ちをかけるように容赦のない暴言を吐き続けた。
けれど長女である姉は、最後まで母に直接言い返すことはできなかった。
結局、姉は自分と自分の家族を守るため、すべてを私のせいにすることにして、母を家から追い出した。
その日、私は仕事から帰ると姉から言われた。
「あんたのせいにして、お母さんを追い出したから。私は、自分の家族を守るよ」
という言葉だった。
以前から姉がどれほど母の言動に苦しんでいるかを聞かされていた私は、姉が母を追い出したこと自体は「もっともだな」と思った。
けれど、すべての責任を私に押し付けたという事実には、ショックだった。
それ以来、賑やかな事が好きで寂しがりの母は、私と二人きりの食卓が気に入らない。
今までなら姉が食事の準備をしてくれていたが、私と二人になった今、私が仕事の帰りが遅いため、母は自分で食事の準備をしなければならなくなった。その現状が、母の苛立ちをさらに加速させる。
「お前のせいで、こうなったんだ」
「私が言うことには何でも『はい』と言え!口答えするな!」
母は不満のすべてを私のせいにし、怒りをぶつける。
母は昔から言葉の暴力のひどい人だった。「虐待は連鎖する」と言うけれど、姉の2人の子供たちは、その影響を感じさせなく育っていた。
私はふと、そのことに疑問を持って姉に聞いてみた事があった。
「姉さんも小さい頃からお母さんに酷いことを言われ続けてきたのに、自分の子供には同じことをしなかったね。どうして?」
姉の口から返ってきたのは、
「そうだよ。だって、代わりにあんたにやったもん」
その瞬間、私は、「なるほど!」と腑に落ちるのを感じた。
姉は、連鎖を断ち切ったわけではなかった。自分の子供たちを守るために、私をその捌け口にし、身代わりを立てることで自分たちの平穏を保っていただけだった。
だから2人とも良い子なんだな。今まで姉から受けてきた理不尽な扱いのすべてが、その一言で繋がってしまった。
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⑥母親の認知症(もの盗られ妄想の始まり)
