給料はしんどさの値段ではない —— お金が残る仕事、残らない仕事
こんにちは。
先日、友人からこんなことを聞かれました。
「肉体労働って、なんで安いんだろう。普通にめちゃくちゃきついじゃん」
彼は普段、いわゆるオフィスワークをしている人です。ただ、あるとき産廃の仕事を一日がかりで手伝う機会があり、そこで少し引っかかったようでした。
体はきつい。時間もかかる。普通に大変そうに見える。それなのに、世の中のイメージとしては、ブルーカラーよりホワイトカラーの方が給料が高いように見える。
そこで彼は、「なんでブルーカラーの人たちは、ホワイトカラーより給料が低いものなの?」と聞いてきました。
私は一度、「誰でも入りやすいからじゃない?」と返しました。労働市場の需給としては、たしかにそういう説明はできます。
しかし、すぐに彼からこう返されました。
「ホワイトカラーも、誰でもできるじゃん?」
これは、かなり良い問いだと思いました。まさに古い認知と今の労働市場の構造のギャップを表しており、これからの示唆を含んでいるなと感じましたので、今回は、この問いから考えてみたいと思います。
1. そもそも、なぜホワイトカラーの方が高く見えるのか
まず確認しておきたいのは、「ホワイトカラーは高く、ブルーカラーは安い」という見方自体が、かなり雑だということです。
現実には、ホワイトカラーでも安い仕事はあります。逆に、ブルーカラーに分類されそうな仕事でも、高い収入を得ている人はいます。職人、専門工事、設備、産廃、物流、現場管理、重機、インフラ保守など、領域によってはかなり強い仕事もあります。
それでも、私たちはどこかで、机に向かって働く人の方が上で、現場で手を動かす人の方が下だという感覚を持っています。
この感覚は、かなり古い時代の見方なのだと思います。
かつては、会社が大きくなり、サービス業が広がり、金融や情報産業が伸び、営業、企画、管理、専門職のような仕事が増えていく時代がありました。その時代には、オフィスで働く人たちが、成長している市場の近くにいました。
本社にいると情報が集まり、予算に触れることもあれば、顧客との契約に関わる業務があります。そして資本の流れに近く、会社の意思決定に近い位置でもあります。そういう場所にいたから、ホワイトカラーの給料は高く見えたのだと思います。
でもそれは、白い襟をしていたから高かったのではありません。伸びている市場の近くにいて、会社の中で価値が配分される場所に近かったから高かっただけです。
逆に、ブルーカラーの仕事が安く見えたのも、青い襟をしていたからではありません。工場、物流、店舗、現場の仕事は、作業として切り出されやすく、標準化されやすく、交換可能な労働として扱われやすかった。その結果、価格を決める側ではなく、価格を決められる側に置かれやすかった。
つまり、最初から問題はホワイトカラーかブルーカラーかではありませんでした。
その仕事が、成長している市場の近くにあるのか、顧客や商流を握っているのか、許認可や専用の設備を持っているのか、責任を引き受けているのか、価格を決める側にいるのか…
本当はこれらを総合的に見るべきだと考えています。
2. 給料はきつさでは決まらない
友人が産廃の仕事を手伝って感じた違和感は、かなり自然なものだと思います。
きつい仕事なら、高く払われるべきではないか?危ない仕事なら、高く払われるべきではないか?社会に必要な仕事なら、高く払われるべきではないか?
感情としては、そう思うのも理解できます。
ただ、現実の価格は、そのようには決まっていません。
給料や報酬は、その仕事がどれだけつらいかではなく、市場の中でどれだけ替えが効きにくいかによって決まりやすいです。
どれだけ体力的にきつくても、外から見て「他の人でもできる」と見なされる仕事は、安くなりやすい。逆に、体力的にはそこまできつく見えなくても、その人でなければできない判断がある仕事、顧客を握っている仕事、責任を引き受けている仕事、簡単に代替できない仕事は高くなりやすい。
これは、かなり残酷な話です。
社会は、しんどさに対してそのまま値段をつけてくれるわけではありません。社会が高い値段をつけるのは、多くの場合、替えが効かないものです。あるいは、誰かが避けたい責任を引き受けているものです。もしくは、簡単には真似できない商流や設備や許認可を握っているものです。
だから、「肉体労働はなぜ安いのか」という問いは、少しだけ言い換えた方がよいのだと思います。
肉体労働だから安いのではなく、作業として切り出され、替えが効くように扱われ、価格を決める力を持てない仕事が安くなる。
そう考えた方が、実態に近いのだと思います。
3. 産廃業は、ただの肉体労働ではない
ここで、産廃の話に戻ります。
産廃の現場は、たしかに肉体労働です。重いものを運び、汚いものを扱い、時間もかかる。普通にきつい仕事だと思います。
ただ、産廃という産業は、単なる肉体労働ではありません。
産廃には許認可がありますので、一定のハードルがあります。収集運搬のための設備を保有している必要があります。処分場や排出事業者との契約があります。適切な手順を踏まないと不法投棄を問われるリスクがあります。地域ごとに処理能力は異なります。そして共通して言えますが、何か起きたときに、誰が責任を取るのかという問題があります。
現場で手を動かす人がいる一方で、その作業を束ねる会社があります。
このとき、お金が流れる場所は、必ずしも一番きつい作業をしている場所とは一致しません。むしろ、きつい作業を束ね、責任を引き受け、契約と許認可を握っている場所に利益が残りやすい場合もあります。
これは産廃に限った話ではありません。建設でも、物流でも、設備保全でも、飲食でも、小売でも、似たようなことは起きています。
現場で手を動かす人がいます。その現場を管理する人がいます。仕事を取ってくる人がいます。契約を握る人がいます。設備を持つ人がいます。リスクを引き受ける人がいます。
利益はしばしば、手を動かしている場所ではなく、仕事の流れを握っている場所に残ります。
ここを見ないと、「きついのになぜ安いのか」という問いの答えは見えにくいのだと思います。
※似たような構造で、サービス業で業務の分業と、再度束ねる動きがあるという点を過去にも投稿していますので、ご参考までに。
4. ホワイトカラーも、標準化されれば安くなる
では、ホワイトカラーはどうでしょうか。
友人の「ホワイトカラーも誰でもできるじゃん?」という指摘は、かなり正しいところを突いています。
もちろん、ホワイトカラーの仕事にも差はあります。高度な判断が必要な仕事もありますし、顧客との関係性や専門性が価値になる仕事もあります。経営、金融、法務、会計、開発、営業、企画など、ひとまとめにはできません。
ただ、ホワイトカラーの仕事にも、標準化され、分解され、安くなる仕事はたくさんあります。
資料作成、会議調整、定型的な集計、決まったフォーマットへの入力、営業リスト作成、一次対応、簡単な調査。これらは、オフィスで行われているだけで、構造としては「作業」です。
そして、作業は標準化されます。
標準化されると、分解されます。分解されると、安い人に任せられます。外部委託でき、システム化することもできるようになりました。生成AIが爆発的に普及している今なら、AIに置き換えられる部分も出てくるというのは、よく言われている話ですよね。
この構造は襟の色は関係ありませんが、むしろホワイトカラーの仕事は文章化しやすく、手順化しやすく、デジタル化しやすい部分が多いからこそ、一度「誰でもできる仕事」として切り出されると、かなり速いスピードでシステム化することができて、価格も抑えられる部分でもあると言えます。
ここで見えてくるのは、ホワイトカラーとブルーカラーの違いではありません。
仕組みを作る側にいるのか。仕組みの中で動く側にいるのか。
価格を決める側にいるのか。価格を決められる側にいるのか。
この違いの方が、労働の対価に対する観点では、かなり重要な視点だと思います。
5. 職人は強いが、職人なら必ず儲かるわけではない
「では、これからはブルーカラーや職人の時代なのか?」という疑問も出てくるかもしれませんが、ここも単純ではありません。
例えば技術に参入障壁がある「職人」はたしかに強いです。専門技能があり、経験が必要で、現場ごとの判断があり、簡単にマニュアル化できません。地域で指名されることもありますし、資格や道具や信用が必要になることもあります。こういう仕事は、替えが効きにくいですよね。
ただし、替えが効きにくいことと、大きく儲かることは別です。
ニッチすぎる技能は、単価は高くても市場が小さいことがあります。一人でできる作業量には限界があります。身体がボトルネックになることもあります。弟子を育てるのには時間がかかります。組織化できなければ、売上は自分の稼働時間に縛られますし、営業や価格交渉が弱ければ、技能があっても単価自体は限定的になりえます。
だから、「職人は強い」と「職人は大金持ちになりやすい」は、同じ話ではありません。
職人の強さを所得に変えるには、技能だけでは足りません。顧客を持つこと、商流を握ること、価格を決めること、仕事を組織化すること、設備や許認可や信用を活かすことが必要になります。結局、同じ話に戻るんですよね。
大事なのは、襟の色ではありません。体を使うかどうかでもありません。技能があるかどうかだけでもありません。「何を握っているか、コントロールできるか」です。
6. AIで崩れるのは、ホワイトカラーとブルーカラーの上下関係である
最後に少しだけ、AIの話にも触れておきます。
生成AIによって、ホワイトカラーの仕事の一部はかなり安くなる可能性があります。なぜなら、標準化され、文章化され、手順化された仕事ほど、ソフトウェアに置き換えやすいからです。
もちろん、すべてが置き換わるわけではありません。生成AIは間違えますし、責任も取りません。顧客との関係や、複雑な判断や、現場の文脈を読む力まで、すべてが消えるわけではありません。
それでも、下書き、要約、定型的な資料作成、簡単な調査、データ整理、一次的な文章作成のような仕事は、すでに揺れています。
一方で、物理空間にある仕事は、そこまで単純ではありません。現場ごとに状況が違い、建物が違い、道具が違い、地域のルールが違い、何か起きたときの責任があります。
ただ、これも「ブルーカラーの時代が来る」という単純な話ではないと思います。
物理的な仕事であっても、作業として切り出され、価格を決められなければ安くなります。逆に、デスクワークであっても、顧客、責任、判断、商流、資本に近ければ高くなります。
AIによって変わるのは、ホワイトカラーとブルーカラーの上下関係ではありません。
むしろ、もともと曖昧だったその上下関係が、さらに崩れていくのだと思います。
7. 表に見える作業と、お金が残る場所は違う
友人が言った「肉体労働ってなんで安いんだ」という問いは、最初はかなり素朴な疑問に見えます。でも、考えていくと、かなり深いところに触れています。
給料は、しんどさの値段ではありません。そして、ホワイトカラーかブルーカラーかという襟の色で決まるものでもありません。
高くなるのは、替えが効きにくい仕事です。価格を決める側に近い仕事です。顧客、商流、許認可、設備、責任、判断を握っている仕事です。
逆に、どれだけきつくても、作業として切り出され、替えが効くように見え、価格を決められる側に置かれれば、安くなります。
これは、あまり気持ちの良い話ではありません。社会に必要な仕事だから高いわけではない。つらい仕事だから高いわけでもない。汗をかいた分だけ報われるわけでもない。
でも、だからこそ、表に見えている作業だけを見ていても、労働の価値は分かりません。
産廃の現場で見えているのは、重いものを運ぶ人かもしれません。ただ、その裏側には、契約、許認可、処分能力、責任、地域の処理網があります。
オフィスで見えているのは、パソコンに向かっている人かもしれません。ただ、その裏側には、顧客、予算、意思決定、情報、資本の流れがあります。
表に見えている作業と、実際にお金が残る場所は、必ずしも一致しません。
だから、ほとんどの方が理解もされていて、体感されている部分もあるかもしれませんが、「ホワイトカラーは高く、ブルーカラーは安い」という見方は、既に過去のものとしてしまって良い話なのだと思います。
ホワイトカラーが高かったのではありません。成長市場の近くにいたホワイトカラーが高かっただけです。
ブルーカラーが安かったのではありません。作業として切り出され、価格決定権を持てなかった仕事が安く見えただけです。
そう考えると、友人が産廃の仕事を通じて感じた違和感は過去の認知と現代のギャップを見事に表していたのだと思っています。
見えている場所と、お金が残る場所が違う。
このズレを見ないまま、襟の色だけで仕事を見ていると、労働の価値はいつまでも見えにくいままなのだと思います。
それでは。
次回の内容はこちら。

