人々は「頑張る人」を裏切らない政治を期待している 「高市人気」を誤解しないために
11月4日の閣議後、「外国人政策」について記者に聞かれ、小野田紀美大臣が答えた言葉の中に、「高市政権」の人気の秘密が詰まっていると思った。
私も外国のルーツが入っている人間として一部が行ったことが、全てが悪いかのように思われてしまうと本当に風評被害が広がってしまう。だから、真っ当に頑張っていらっしゃる方々にそういう意思が行かないためにも、ルールや法律を守らない人にきっちりと対応して『日本に暮らす外国の方々はみんなルールと法に則って暮らしている方々ですよ』と発信していく。
(ABEMA NEWS 2025/11/4)
真っ当に頑張っている人に被害がないようにーーという点。
この点を強調しているのが、高市政権らしいし、そういう主張が説得力を持つことが、今のところの、この政権の人気の理由だと私は思っています。
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高市政権を「頑張ってる人たちだから」と支持する人は多いと思う。
女性にもかかわらず、門閥がないにもかかわらず、長年勉強して、頑張って、トップをつかんだところに、高市早苗の爽やかな魅力があった。
自分は頑張ってないのに、人の悪口ばかり言う石破とか、生まれた時からボンボンの小泉進次郎とかとは違う。
流行語大賞にノミネートされた「働いて、働いて」という就任最初のスピーチから、その「頑張り」アピールが出ていたし、その直後の外交・外遊でも、高市首相の「頑張ってる」姿がわかりやすく映像で流れた。
高市さんは、頑張ったから、「偉いねえ」「よかったねえ」と素直に思える。
それが、高支持率を生み出している。
そういう政権の人の、「頑張ってる人がバカを見ない社会にしたい」というメッセージは、説得力があり、国民の胸に心地よく入ってくる。
私にしても、高市政権を好感している第一の理由は、それです。
必ずしも、高市氏や政権の政治的・思想的立場や、個々の政策への支持ではない。
左翼メディアの妨害に負けず、それを突破したことも、彼女の評価すべき「頑張りポイント」の一つではある。
しかし、そうだとしても、彼女が「右翼」「タカ派」だから好きなわけではない。
多くの国民も、そうなのではないかと思います。
それなのに、左翼が、高市人気を国民の右傾化だとして「戦争が起こりそう」と批判するのは、的を外している。
同様に、右翼・保守が、「保守的価値観が支持された」と思うのも、勘違いに近いのではないかと思っています。
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「頑張っている人がバカを見ない社会になってほしい」
普通の人は、そう思って生きている。
でも、それは当たり前のようだけど、ずっと無視されてきた主張でした。
数日前、生活保護や外国人問題、また差別問題で、以下のような意見の対立があることを書きました。
<生活保護の不正受給問題について>
A:生活保護は必要だから、一部の不正については騒ぐべきではない。不信感の広がりが生活保護廃止論に結びつくといけないから。
B:生活保護は必要だからこそ、一部であれ不正については厳しく追及すべきだ。不正が広がって廃止論に結びつくといけないから。
<不正な外国人の問題について>
A:外国人との共生は必要であるから、一部の外国人の不正について騒ぐべきではない。その不信感が外国人との共生を不可能にするかもしれないから。
B:外国人との共生は必要であるから、一部の外国人の不正について厳しく追及すべきだ。不正な外国人の存在が不信感を生み、共生を不可能にするかもしれないから。
<反差別運動の問題について>
A:差別をなくす運動のためには、多少の運動上の不正や行き過ぎがあっても、見逃すべきだ。その不信感が、反差別運動を不可能にするかもしれないから。
B:差別をなくす運動のためには、少しでも運動の不正や行き過ぎがあれば、剔出すべきだ。不正な運動への不信感が、反差別運動を不可能にするかもしれないから。
Aのような主張は「左翼リベラル」で、Bのような主張は「右翼保守」だと分類されがちです。
最初に引用した小野田大臣の言葉が、まさにBの主張であることがわかるでしょう。
しかし、Bのほうの主張は、思想というより、「頑張っている人がバカを見ないようにしてほしい」という、もっと素朴な生活心情に結びついていると思う。
自分たちは頑張らないで、ただ「生活保護」や「共生社会」や「反差別」の制度に乗っかって、得をする人たちがいるのは、間違っている、と普通の人は思うと思う。
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しかし、現代では、Aのほうが正しいというのがマスコミの姿勢であり、識者・文化人の意見でもある。
それが、現代の左翼思想である、いわゆるアイデンティティ・ポリティクスです。
それを「白饅頭」さんは、以下のように簡明に表現していました。
とはいえ、フェミニズムにかぎった話ではなく、世の中のありとあらゆる「弱者属性を掲げるアイデンティティ・ポリティクス」は、最終的には「弱い者が弱いままで尊重され保護され優遇され、後ろめたさを負うことなく堂々とその権利を主張できる社会を要求する」に収斂していく。
(白饅頭・御田寺圭 2025/11/4 17:09)
とはいえ、フェミニズムにかぎった話ではなく、世の中のありとあらゆる「弱者属性を掲げるアイデンティティ・ポリティクス」は、最終的には「弱い者が弱いままで尊重され保護され優遇され、後ろめたさを負うことなく堂々とその権利を主張できる社会を要求する」に収斂していく。
— 白饅頭(御田寺圭/光属性Vtuber/バーチャルツイッタラー) (@terrakei07) November 4, 2025
こういう「弱い者が弱いままで尊重され保護され優遇され」るのが当然だ、という主張が、現代では強いのです。
マスコミも、学者も、司法も、それが正しいと言う。
そこでは、頑張ったか、頑張ってないか、というのは関係ないわけ。
となれば、頑張った者がバカを見ることになります。
昔(1980年代)、サントリーのスポーツドリンク「NCAA」のCMで、
「がんばった人にもNCAA、がんばれなかった人にもNCAA」
という有名なコピーがあった。あれを思い出します。糸井重里の作品です。
このコピーについて、のちに糸井重里がこう語っていました。
「がんばった人には、NCAA。がんばらなかった人も、どうぞ。」が最初のコピーだったのですが、「がんばれなかった人」に変えてもらえませんか、ということになって、「ら」を「れ」に変えたコピーライターはあたいです
(糸井重里 2017/12/8 1:39)
「がんばった人には、NCAA。がんばらなかった人も、どうぞ。」が最初のコピーだったのですが、「がんばれなかった人」に変えてもらえませんか、ということになって、「ら」を「れ」に変えたコピーライターはあたいです。 https://t.co/7Z2ICSeoYD
— 糸井 重里 (@itoi_shigesato) December 7, 2017
「がんばりたかったけど、がんばれなかった」事情のある人に、たとえば生活保護なりを支給することに異論はない。
でも、最初から「がんばらなかった」人に、税金が投入されるのはおかしい、というのが普通の感覚だと思う。
でも、糸井重里の初期コピーは「がんば『ら』ない人」でした。
がんばらない人でも、ご褒美はもらえる、という思想。
そこに、現代のアイデンティティ・ポリティクスを先取りするような、全共闘世代の糸井の強い左翼イデオロギーが出ている、と私は思うし、それを「がんば『れ』ない」に訂正したサントリー側には、常識的な判断があったと思います。
最近では、頑張らないほうが正義のようになっている。
職場で、「頑張ろう」とハッパをかける上司は、パワハラだと指弾されて追放されるかもしれない。
そういう世の中になりつつあることに、みんな不安と危機感があるから、たとえば労働時間規制緩和のような提案にも、一定の支持があるのだと思う。
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「頑張る人がバカを見ない社会にしてほしい」
そういう国民の思いが、高市政権の高支持率を支えていることを、保守層も、また高市政権自身も、見誤らないようにしてほしいんですね。
高市人気が高いから、右翼的政策がなんでも通ると思ったら、大間違いです。
私も高市さんを支持しているけど、たとえば「国旗損壊罪」には反対です(それについては別に書きたい)。
北朝鮮の拉致被害解決への積極的なアプローチは評価するけど、そこから新疆ウイグルや内モンゴルの人権問題への関心にストレートに結びつくかというと、それも違う。
普通の人は、中国が嫌いとか、韓国が嫌いとか、そんなないでしょう。日常ではあまり関係ないから。
それよりも、頑張ってる人が好き、頑張らない人は、いてもいいけど、税金をあまり使わないでほしい、というあたりが本音だと思う。
高市さんは、そういう本音をわかってくれる政治家に思えるから、支持している。そういう政治家に、政策の細かいところは任せたい、というのが本当では。
思想対立や、個々の政策への支持・不支持ではなく、その奥の「心」を読むべきだ、というのが、今朝の私の言いたいことでした。
<参考>
