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左翼は「新聞労働者」を救わない

少し前に、「新聞は左翼偏向を正せば将来がある」と書きましたが、いろいろ考えると、やっぱ前途多難ですー。

いま「新聞」に起こっていることは、何が間違ってこうなっているのか、その根本の原因が、なかなか分からない。

これは、私が新聞業界内にいたころからそうで、いま古巣を眺めても、ただ異様というしかない。


東京新聞の望月衣塑子記者や、神奈川新聞の石橋学記者のような活動家まがいの新聞記者が、ここまで大手を振って世にはばかることがあっただろうか。

たしかに新聞記者には、明治の頃から、左翼が多かった。当初は、不平士族みたいな層しか新聞社に入らなかった事情もある。社会主義や共産主義は、新聞記者から広まったと言ってもいいくらいだ。(マルクスだって新聞記者だった)


しかし、党派性を売りにした明治の新聞は、しだいに淘汰され、いわゆる「中立新聞」だけが残ってきた。ハミ出した記者がいても、経営者に押さえつけられるか、会社をやめて活動する者がほとんどだった。

たとえば昭和の時代でも、朝日の本多勝一や、共同通信の辺見庸といった左翼記者がいた。一時は社の看板にもなったが、左翼的すぎて、結局は社を辞めていっている。

つまり新聞社や通信社は、やはり最終的には「中立」という看板を気にしたものなのだ。


でも、いま起こっている事態は違う。

たとえ話として適切かどうか分からないがーーかつて大相撲の世界からハミ出した力士が、プロレスに転向することがよくあった。力道山からしてそうだし、天龍とか永源とか上田馬之助とか。

伝統にうるさい角界では発揮されなかった個性が、プロレスの世界で発揮され、我々を楽しませてくれた。


望月記者とか石橋記者とかを見ていると、とっくの昔にプロレスの世界に行っているはずの人が、まだ土俵に上がっている感がある。

覆面レスラーや悪役レスラーが、普通に国技館で相撲をとっているのを見て、「あれ、国技ってこんなだっけ?」と我々は訝しむのであるーー。


その背景には、以前も指摘したが、強すぎる労働組合の存在がある。新聞労連(日本新聞労働組合連合)は強力な左翼集団で、左翼新聞はたいがいそれに所属している。朝日・毎日・共同がそうだし、東京新聞、神奈川新聞ももちろんそうだ(産経新聞など加盟していない会社もある)。

新聞労連がいかなる政治団体かは、少しHPをのぞいてもらえれば分かる。

たとえば、先の衆院選前に発表された新聞労連の「特別決議」は、以下のようなものだ。


自民党は政治とカネ問題が依然くすぶる上、韓国メディアは昨年末、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との親密な関係を表す内部文書の存在を報じた。日本維新の会には大規模な国民健康保険料の支払い逃れ問題が浮上している。高市政権は防衛費の大幅増額、武器輸出の推進や、新聞労連や日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)が危険視する「スパイ防止法」制定など、平和を危うくする政策を進めている。選択的夫婦別姓を否定し「旧姓の通称使用の法制化」を打ち出すなどジェンダー平等の実現から逆行するような政策もある。(中略)

昨夏の参院選では「外国人問題」が争点化。「日本人ファースト」を掲げた参政党が躍進する中、選挙戦では排外主義的、排他主義的な言説が蔓延。参政党が参院選後の記者会見で神奈川新聞記者を排除するという問題も発生した。(後略)


まるで、「新聞はこう報道しろ」という指示書のような感じだ。

望月記者や石橋記者の活動は、この労働組合の存在を抜きに考えられない。一般に新聞労連加盟社はユニオンショップ制で、管理職以外は全員組合に加入させられ、組合を除名されたら会社も解雇される協定が結ばれている。だから、誰も組合に逆らえない。

その組合が、社内で左傾を許し、というよりむしろ左傾をそそのかし、活動家記者を守り、左翼に逆らう者を許さない。恐怖の左傾政治を社内で敷いている。組合の幹部になった者は、管理職になって組合を抜けた後も、独特の権力を持っていた。


こんな労働組合に加入させられ、長年にわたり、毎月組合費を天引きされていた私の身にもなってほしい、というものだ。

おかしな話ではないか。

労働組合は、労働者を守るものではないのか。


新聞社には、いろいろな人間が勤めている。営業の人もいれば、総務の人もいる。当然ながら、政治的意見もさまざまだ。

しかし、労働組合の幹部、特に委員長になるのはほぼ決まって新聞記者であり、とくに、左翼すぎて部長になれなかった社会部記者のようなのが多かった。

そういう左翼記者の声だけが、組合員の代表、社員の代表のように鳴り響くのである。


おかしな話というのは、組合は被雇用者の生活を守るべきなのに、組合が肝心の新聞を左傾化させ、ますます売れなくしている点だ。

売れなくして、経営を傾かせ、組合員の生活をますます苦しくさせている。

組合員だけではない。新聞業界には、印刷会社も含まれれば、新聞販売店も含まれる。それらにかかわるすべての人の生活を苦しくしている。


なぜ、こういうことが許されているのか。おかしいと思う者は新聞社の社内にいないのか。


いや、それを言えば、いちばんおかしいのは、新聞の経営者だろう。

ズバリ言えば、組合のやっていることは経営破壊なのに、経営者がそれを許している。

私がいちばん分からないのはそれだ。以前も書いたけれども。

ひたすら部数が落ちていっているのを、どうして黙って見ているのだろうか。


部数と言えばーー。


新聞業界人は、何によって、自らを評価しているのか。

業界にはさまざまな「マスコミ賞」がある。

ほとんどは「左翼活動がんばったで賞」だ。

新聞労連ジャーナリズム大賞のような、最初から左翼っぽいと分かるものから(青木理が審査員)、業界最大の賞と言われる「新聞協会賞」まで含めて、近年は特にその傾向が強い。「桜を見る会報道」「自民党議員の裏金報道」「兵庫県知事報道」などが受賞している。


彼らは、いかに左翼的であるか、いかに「右翼」「差別主義者」「排外主義」を効果的に攻撃したかで自分たちの報道を評価し、異論を認めない。

オールドメディアはネットの世界を「エコーチェンバー」などと言うが、新聞業界こそがまさにそれである。閉鎖的で、「異論」「外部」を認めない世界なのだ。自分たちに無限に甘く、無限の自己満足にひたれる。

だから、こうした業界賞はたくさんあるが、一般の人はほとんど知らないだろう。

でも、業界人は、こうした「左翼がんばったで賞」に大喜びし、自分たちは評価されている、自分たちは正しいことをしている、と自信を深めるばかりなのだ。


ついでに言えば、左翼記者は、日本記者クラブに天下ったり、日本ファクトチェックセンターとやらに天下ったり、あまねく業界全体を左傾化している。

どこまでも広がる「エコーチェンバー」の中で生きることを許されているーー。


おいおい、と。

お前たちは、自己評価の仕方を間違っている。

お前たちへの評価を、最も正しく表しているのは「部数」ではないか。

部数こそが、人々の、お前たちへの評価だ。

その新聞の部数が、つるべ落としのように落ちているのを、お前たちは見ないのか、と。


不思議なことに、部数はあまり社内で話題にならないのだ。

もちろん、社員同士で飲んだりすると、よくぼやきあう。

でも、たとえば組合が、「部数が落ち続けている。雇用が危ない。経営者はしっかりしろ」などと経営者を叱ることはない。

それよりも、「もっと反権力になれ、安倍を倒せ、高市を倒せ」である。


普通の会社なら、株主が黙っていないが、新聞社は特殊な事情で株が公開されない。

もしかして、経営責任を問われないから、経営者は組合と馴れ合っているのかもしれない。お互い、経営責任を曖昧にしたまま、罪のない社員と業界人を道連れに、地獄の底まで左翼活動を続けるつもりかーー。


新聞社に、普通の生活者の声が届くことはないのだろうか。


まず、新聞社内の、左翼ではない、まともな人たちが、組合のあり方や経営の仕方に、声を上げてはどうだろうか。


ーーと思うが、組合や会社の左翼体制に文句を言って、ろくなことにならないのは、私がよく知っていたりする。

「こんなのおかしい」と思っている新聞社員は、きっとたくさんいるはずなのだが。

どうすればいいのかねえ・・。やっぱり分からない・・。



<参考>


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