見出し画像

もともと「朝毎」が中国の「工作アカウント」だった

Xに「中国の工作アカウント」が数百だか数千だかあって、選挙で「反高市」の世論操作をやってたという話、たしかに面白いけれど。

でも、日経や読売にバレるような「工作」なんて、ショボすぎないか。規模も手法もショボい。どうした中国、という感じだ。


これは、アレなんじゃないか。今まで朝日、毎日だのみで工作してたけど、日本人がオールドメディア見なくなったから、仕方ないからネットで試験的にやってみた、くらいのことじゃないか。


そもそも「統一教会ネタ」で反高市・反自民党をやろう、というのは、数日前に書いたように、新聞労連が左翼新聞に裏から指令したことでもあるし、鈴木エイトなんかも盛んに言っていた。

ネタは、そのへんの日本人左翼と同じなわけで。日本人左翼だけで、選挙に効き目があればよかったんだけど、どうもなさそうだ、というんで、中国が心配して、ちょっとネットを使ってみたんじゃないかな。

朝日毎日のほうは、中国サマに用済みになるのが怖いのか、元朝日政治部次長とかいう人物が、中国メディアで「反高市」をやってたそうだけど、なんか哀れをもよおすね。



朝日毎日、そして岩波は、終戦直後から、まずソ連の代理人をやり、次に中国の代弁者となり、そして北朝鮮の代弁者になった。

いわゆる全面講和論から始まり、社会主義国に有利なように反戦反核、9条護憲をやり、従軍慰安婦問題をやり、いま統一教会ネタをやっている。

このあたりについては、元朝日記者、稲垣武(故人)が書いた『「悪魔祓い」の戦後史』(1994)が詳しい。稲垣の本は何冊か手元に残っていて、昨日チラチラ読み返していたんだけど。


稲垣は、朝日社内で目撃・体験した偏向ぶりを『朝日新聞血風録』(1991)に書いた。本の紹介にいわくーー

本書は、ソ連、中国、北朝鮮への迎合報道が社内にはびこる中、本当の言論の自由を守るために孤立無援で闘った元朝日新聞記者による痛憤の手記


ーーとあります。


それによれば、朝日社内は、「ソ連派」と「中国派」に分かれて派閥抗争していたくらいだからね。ソ連サマ、中国サマがだいいちで、「日本派」なんていないんだから。

日本の敵国の立場で新聞を作っている。もともと「工作アカウント」みたいなもんでしょう。


これは朝日だけではなく、東大・岩波を代表としてアカデミズム、論壇にも共通の傾向でした。

いまはソ連はなくなったけど、ロシア派はいるね。



ただ「工作」といってもね、ハニートラップとか、カネで買収されるとか、そういう単純なものでもない。

まず社会主義への信頼と、資本主義への不信があり、先の戦争での日本のアジアでの振る舞いに対する、勝手な贖罪意識がある。

戦後の社会主義への幻想というのは、いまの若い人にはわからないかもしれないけどね。


たとえば、少し前、Netflixの「鉛の子供たち」というドラマシリーズを紹介しましたが。


1970年代、ソ連の支配下にあったポーランドで、社会主義体制が公式には否定する「公害」と闘った女医の実話だけど。

稲垣の本に、同時期の朝日社内の話として、こういう印象的な記述があります。


社会部の友人二人と雑談していたとき、当時は公害や環境汚染が大きな社会問題になっていたので、私はこう言った。

「公害は日本だけじゃなくソ連にもあるんじゃないか。アメリカの雑誌で読んだのだが、カスピ海の汚染は相当ひどいらしいよ」

ところが二人は頭からそれを信じようとしなかった。

「私利を追求する資本主義と違って、社会主義に立脚するソ連に公害問題など発生するはずないでしょう」

私は重ねて言った。

「ソ連の国営企業はノルマに追われて公害対策にまで手が回らなかったのじゃないか。それに西側と違って世論による監視もないだろうしね」

それでも二人とも頑強に否定した。

「ソ連に西側のような公害などないことは、やがて歴史が証明しますよ」

稲垣武『朝日新聞血風録』(文春文庫、p p77ー78)


稲垣が正しかったことは、「歴史が証明」しているわけですが。

いかに朝日社内で、社会主義への幻想が強かったか、というより、いかに朝日が「社会主義幻想」の発信源だったか、という話です。


でも、稲垣も書いているけど、朝日の記者みんながそうというわけではないし、一般の記者は、それほどイデオロギーを持たない。

実態は、上層部ほどイデオロギッシュで、下々の記者は、それに従っているだけ、それに従わないと出世できない、ということなんですね。


稲垣はそこまで断言してなかったと思うけど、たぶん新聞社が「工作」されているとすれば、社長とか専務とか、取締役編集局長とか、そういうレベルの人が「工作」されている。

私の勘だけどね。


だって、中国の立場に立てば、下っ端に工作しても仕方ない。

トップに働きかけるのが、いちばん効率的で、効果的です。そして、たぶんそれが、いちばんバレない。


それも、ハニートラップとかではなくて、「仕事」上の対価を与える。

たとえば、稲垣が書いているのは、1970年代初め、中国副主席の林彪が怪死した事件があった。朝日は、それを知っていながら報じず、サンケイなどに抜かれています。


それはどうも社長の指示だったらしく、一つには朝日の中国特派員が追放されないための配慮であり、第二に、当時進行していた「周恩来主席単独会見」を無事に実現させるためでした。

当時の広岡知男社長は、代表的な「中国派」で、文化大革命の礼賛者であり、自ら日中国交回復の仕掛け人になろうとした人でした。



稲垣の本を拾い読みしていると、いろいろ過去のことを思い出します。

私の現役時代のこととして、まだ記憶に新しいのは、北朝鮮の日本人拉致問題ですね。


2002年9月17日、小泉純一郎首相と安倍晋三官房副長官などが訪朝し、平壌で金正日総書記が拉致を公式に認めた。

その第一報が入った時、私は新聞社の編集局にいましたが、「おお・・」というどよめきが局内に起こったのを覚えています。まさに歴史的瞬間でした。


しかし、朝日は、必死で北朝鮮を擁護しました。

稲垣は、その翌日の朝日紙面を引用して、こう書いています。


拉致疑惑報道を蔑ろにしていた朝日新聞などマスコミは呆然自失、顔色を失った。

しかし、この段階に至っても朝日は、二〇〇二年九月十八日付一面の木村伊量政治部長によるコラム「痛ましい歴史、直視して」で、「いかなる意味でも拉致は正当化できないが、そもそも日朝の不正常な関係は、北朝鮮ができる前、戦前、戦中の三十五年間にわたる日本による朝鮮戦争の植民地支配に始まる」と、「日朝二国間の不正常な関係が生んだ悲劇だと思う」との、朝鮮総聯幹部の談話と口裏を合わせたような記述をしている。

稲垣武『北朝鮮に憑かれた人々』(2003、PHP、p18)


この「いかなる意味でも拉致は正当化できないが〜」という言い方、その後の「いかなる意味でも安倍元首相への銃撃は正当化できないが〜」と同じ「構文」ですね。

しかし、稲垣によれば、当時の朝日は、この「北朝鮮拉致ショック」で、左傾をやめ、「現実路線」に転向する、と言われたらしい。


その背景には、左すぎる紙面に批判が多く、部数がジリジリと減っていたことがあった。

でも、それは「二〇〇二年度上半期では、朝刊部数は前年同期に比べ一万五千部減って八百二十四万四千部になった」程度で、押し紙分を割り引いても700万部くらいはあった。

いまの朝日は、300万部を切ろうとしている。この時、本当に「現実路線」に切り替えていれば、朝日のためにも、日本のためにもよかったのでしょうが。


でも、実際には、朝日は左翼紙面をやめず、まるで拉致の事実を暴かれた仕返しのように、2005年の「NHK番組改変疑惑事件」の偽スクープで、「アベガー」の口火を切るのでした。


そして、上の稲垣の記事に出てくる、北朝鮮の擁護記事を書いた「木村伊量政治部長」は、のちに朝日の社長になり、2014年、従軍慰安婦報道の誤報の責任をとって社長を辞任する巡り合わせとなります。


ちなみに、稲垣はこの『北朝鮮に憑かれた人々』という本で、「北朝鮮に媚びた政治姿勢を取り続けた」政治家として、以下の人たちを挙げています。

野中広務、加藤紘一、中山正暉、田中真紀子、河野洋平、村山富市、田辺誠、土井たか子、辻元清美、田英夫


故人になったり、引退した人が多いですが、20年以上たったいまも現役で、まだ政治活動をしたり、メディアに出ていたりする人がいるのに驚きます。

辻元清美は当時、社会党改め社会民主党にいました。


社会党が社民党と改名した後も、北朝鮮べったりの姿勢は変わらず、拉致事件を物の怪のように忌避し続けた。

拉致事件の張本人だった朝鮮労働党との友党関係を誇示し、「太いパイプを持っている」とひけらかした同党に、被害者の家族らも期待して土井たか子党首や福島瑞穂、辻元清美、保坂展人議員らにメールを送って協力を要請したがすべてなしの礫だった。

土井党首に至っては議員会館のエレベーターで偶然乗り合わせた家族が、メールを送った家族の者だと名乗ったとたん、白昼に幽霊に会ったようにそっぽを向いたという。

(中略)

土井チルドレンの一人、辻元清美政審会長は二〇〇一年十一月に、「北朝鮮には何も補償をしていないのだから、そのことをセットにせず、九人、十人返せとばかり言ってもフェアじゃない」と言ってのけた。

(同上 p27)


その辻元が、前科者になった後も、選挙区で落選した後も、まだ「野党第一党」にいて、まだメディアで「ご意見番」風の役割を演じている。

信じられないけどね。

そして、辻元がメディアで何か言うと、必ずネットで、「辻元は面白い」「辻元はどこの党でも役にたつ」といった反響がある。

これまでは、モノ好きもいるものだと思っていましたが、ああいうのも「工作アカウント」の仕業ではあるまいか。



まあ、こんなふうに朝日など左翼メディアの「工作アカウント」ぶりを振り返ると、キリがないけれど。

でも、確かなことが、一つある。

今度の選挙でも、工作アカウントの影響は限定的で、ほぼないようなものでしたが、長い目で見れば、戦後の左翼メディアの影響も、自民党の長期政権を妨げるほどのものではありませんでした。


稲垣も、自分の結論のように、『「悪魔祓い」の戦後史』のあとがきで、以下のように書いています。


ユートピア思想は、自国の政治なり外交なりを論じるとき、極限に達する。政治といい外交といい、それは自国の置かれた社会状況や国際環境のなかでの最良の選択をいかにして見出すかという作業なのだが、革命幻想に酔った連中は、現実を無視した百%の理想を追求する。日本でも講和論争の際、進歩的文化人が唱えた全面講和・非武装中立論にそれは典型的に現れている。

その行きつくところ、全面講和が達成されるまでは、米軍による占領の長期化やむなしとの暴論や、非武装中立の理想を貫くためには、共産国による侵略にも名誉ある降伏をせよ、日本国民は平和憲法の理想のために死ねという、およそ現実の国民の痛みには無関心で、反人間的な論まで現れた。千年王国の実現のためには、いま生きている人間がいくら苦しんでもよいとするもので、これこそオカルト教団なみの狂信というほかないであろう。


そして、肝心なのは、上に続く、以下の部分です。


しかし、彼等が革命の主体と恃(たの)んだ労働者・農民には、頭でっかちのインテリにはない独特のリアリズムがあり、進歩的文化人らの革命幻想が伝染することはなかった。彼等の影響力はせいぜい学生や、競争社会とは無縁な官公立学校の教師、官公労の組合員と、世間知らずの一部の主婦くらいにしか及ばず、それがますます彼等を苛立たせた。労働者は賃上げなど経済闘争には熱心でも、政治闘争にはソッポを向く場合が多く、マッカーサーの強行した農地改革で自作農となった農民も、ほとんど保守化してしまった。となれば、進歩的文化人の喧噪も、ただの空騒ぎに終わったのは慶賀の至りであった。

『「悪魔祓い」の戦後史』文春文庫あとがき(1997、p534)


大きく見れば、左翼偏向の結果は、「ほぼ空騒ぎに終わった」。

まあ、だから日本はまだ無事なんですね。


でも、細かい被害は、いろいろあったでしょう。


余談ですが、稲垣武は、週刊朝日副編集長だった1981年、朝日新聞の「ソ連は脅威か」という連載に対し、「親ソ報道の化粧直し」と週刊朝日のコラムで皮肉って、左遷されます。

1981年といえば、ポーランドの「連帯」などが始動していた時期で、まだソ連擁護の連載を載せている朝日本紙がおかしい、稲垣がここでも正しいわけですが、連載の代表執筆者だった疋田圭一郎編集委員の逆鱗に触れたのでした。

稲垣は「出版プロジェクト室」に飛ばされ、のちに退社します。

稲垣を飛ばした疋田圭一郎の名前は、「新聞労連ジャーナリズム大賞疋田圭一郎賞」という賞の名前として、今も残っています。



<参考>


いいなと思ったら応援しよう!