情報生活デザイン #9: もしSNSが「わたし」の幸せを優先してくれたら?
これまで、「もしスマホが」サブシリーズで
いくつか思考実験してきました。
しかし、単体の「スマホ」でできることには限りがあります。
そこで今度は、
もし「わたし」のスマホが
「わたしの友人」のスマホと連携し、
「わたし」の幸せを追求してくれたら、
つまり、もしSNSが「わたし」の幸せを優先してくれたら、
いったいどんなことが可能になるのか、
思考実験してみたいと思います。
その最初のテーマとして、
「わたし」が好きな作品やクリエーターと出逢える仕組み
について考えてみます。
(1)「好き」に巡り逢うのは奇跡!?
多くの人が実感していると思いますが、
コンテンツが溢れる現代では
自分の本当に「好き」なものに巡り逢うのが
非常に難しくなっています。
例えば note。
1000万人以上の会員がいて、
なんと一日あたり4万件以上の新しい記事が、
投稿されているそうです!
一日に頑張って400件読んだとしても、
たったの 1% しか読めないわけですね。
その中でも、もちろん、
たくさんのステキな記事に巡り逢えています。
そこは本当。本当にいい時代になりました!
でも、昔々の若い頃の、
本屋で本や雑誌を立ち読みしてたときと比べると、
「好き」なものを探すのが難しくなったように感じます。
興味がないものも、たくさん読まないと、
好きなものに巡り逢えない。
たくさん読んでも、まだ「見逃している」感が残る。
(2) 見逃している感が残る理由
本当に「好き」な作品に巡り逢うのが難しくなった理由は、
大きく以下の4点に整理できると考えます。
制作と流通のコストが劇的に下がり、
誰もが創り手として手軽に作品を発表できるようになり、
その結果、コンテンツの量が爆発的に増加したこと。かつては制作や流通を担う会社が事業リスクを負っていたため、
「プロの目利き」による事前のフィルタリングが機能していたが、
その事業リスクの消滅と共に「目利き」機能も消失し、
その結果、世の中が玉石混交の「原石」で溢れていること。現代のコンテンツ流通を担う多くのプラットフォームは、
「滞在時間」や「クリック数」を最大化する広告経済
(アテンション・エコノミー) に最適化されており、
個人の本当の満足度とは乖離していること。note のような広告に依存しないプラットフォームでさえも、
「スキ」の数といった単純な指標に頼らざるを得ず、
一人ひとりの多様な「好き」の形を捉えきれていないこと。
(3) もし「わたし」専用の目利きがいてくれたら?
もし「わたし」の好みをよく理解し、
この世のコンテンツを全部把握している
「わたし」専用の「目利き」がいてくれたら、
どうでしょうか?
きっとその目利きは、
「わたし」のこんなことを知っているでしょう。
読んで気分が楽しくなる話が好きなこと
複雑な物事や気持ちを、うまく言葉にできる人が好きなこと
他者を非難するより、自分を笑う人が好きなこと
知らない人のアドバイスは読みたくないこと
観て優しい気持ちになる絵が好きなこと
緑地や公園の写真が好きなこと
・・・
しかし、note だけでも毎日 4万件の新着記事を
一人の「目利き」が
全てフィルタリングするのは大変です。
そこで、「わたし」の「信頼のおける知人」の「目利き」とも連携します。
信頼のおける知人の「目利き」同士が連携すれば、
単におすすめを共有するだけでなく、
以下のようなことも可能になるでしょう。
Aさんは「わたし」よりも新しもの好き。だからそこはニュートラル。
Aさんは「わたし」とユーモアの感じ方が似ている。だから参考にする。
Aさんは「わたし」の嫌いなサスペンスが好き。だからそこは割り引く。
(4) 顔の見える「口コミ」
ここでみなさん、
「わたしの目利きが Aさんの性格を把握している」ことに、
気持ち悪さを感じるかもしれません。
はい、私もです 笑
だからこそ、この仕組みは、
あくまで「顔の見える」知人同士の連携でなければならない、
と考えています。
わたしの「目利き」が友人のことを知っているのは、
私が友人として、彼らのことを普段から知っているからです。
それは、システムが勝手に推測したデータではなく、
本来の意味の「ソーシャル・ネットワーク」で交わされる
本来の意味の「口コミ」です。
この仕組みがあれば、
これまで運任せの「奇跡」だった出逢いを、
意図的にデザインされた「必然」の出会いに
変えられるのではないかと考えています。
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