泡沫のミリオンダラー(3-Final)

 これはまだアルゴが彼氏だった頃、1億ドルという音楽契約の話がきたときの話の続き。(その1) (その2)

 と、いうわけで出オチもいいところのタイトル。結局、アルゴは契約には至らず、そしてプロデューサーがアルゴかその人かで迷っていた人はデビューを果たし、何曲かヒットしチャート入りしていた。もちろん、プロデューサーの言っていた誰にでも覚えられるお気軽で、楽しいパーティソングである。町に流れるその人の曲を聴くたびに、ほ~ん……一億かぁとだけ思った。

 帰りの車の中は重苦しい沈黙しかなかった。私は慰めの言葉すらかけられなかった。それくらいにアルゴは真剣に音楽活動をしていたし、本気でプロになるつもりだった。「俺は、裸の王様というか、井の中の蛙だったのかな」とぼそりと聞かれたので「才能はあると思う。でも時期が悪いんじゃないの」とだけようやく答えた。

 アルゴは、このインタビューをきっかけにプロとしての音楽活動をあきらめた。ひどく傷ついていたけれど、呼ばれればイベントにも出たし、クラブにもいっていたけれど、徐々にその頻度も下がり、1か月後にはやっぱ学校戻って、そっから考えるわ、と言い、自力で高校卒業資格の試験を受けるための勉強を始めた。

 その時のアルゴは26歳とかそれくらいの年で、夢をあきらめるのには少しばかり早いような時期。でも高校卒業資格もないのに大学へ行くという路線をたどるのには遅いスタートの時期。才能があっても表に出ない人はたくさんいる。あの人は運がよかったからなどと言われることもあるが、エンターテイメントの世界においては、その運さえもが才能にカウントされるのではないだろうか。当時、私は自分自身の夢をひたすらに追いかけていた時だったから、夢への大きな挫折を突き付けられたアルゴの気持ちは理解しているようで、まったく理解できていなかった(そこから数年後、私も自分の夢で大きな挫折がやってくるのだけど、それはまた別のお話)。

 アルゴが音楽、エンターティメントの世界をあきらめたことが良いことなのか、悪いことなのかはわからない。この面接の後も、彼はスラムポエトリーの全米大会に2年連続で出場し、かなり良いランキングまで行ったし、スラムポエトリーのイベントや音楽のイベントにもちょこちょこ顔を出していた。書くこと、歌うこと、それは彼の魂に染みついている永遠の行為なのだと思う。これはまた別の機会に書きたいのだけど、書く、読むという行為は幼い頃身に着けた彼の防衛本能であり、自衛技術なのだ。プロを目指すことを諦めても、アルゴはどんな時も、いつも何かを書き、何かを読んでいる。

 あの時は「売れない」と判を押されてしまったアルゴの作品。人生だとか社会そのものに対する批判や思想をラップにしたものに注目される時代がやってきた。きっと今の時代だったら、彼は音楽契約を手にしていたかもしれない。でも、それはもう過ぎたことだ。長い時間をかけて、彼はこの時の挫折から立ち上がり、そしてようやく今になった。大きな傷は、治癒するのにとても長い時間がかかるのだ。

 現在、アルゴはビートを作っている。3年前に唐突におっそろしく高価なビートマシンを購入。もちろん、私には相談もなく、前触れも皆無。そう、スペインを歩いた時とか、犬を飼ってきた時と同じノリ。おそらく、人間の本質というか行動原理というのはどんなことを経験しても変わらないのかもしれない。なんだかんだと楽しくまた音楽を始めているので、もしかしたらまた一億ドル契約がくるのかもしれないし、このまま趣味として終わるのかもしれない。

 先のことなんて誰にもわからないのだから、私はアルゴにただ、楽しく、思うように音楽を作っていてもらいたいと思っている。音楽ってそういうものではないのだろうか。文字通り、音を楽しむ。他人になんといわれても、どんな風に評価されたとしても、私は知っているのだ。アルゴはものすごい才能を持っていて、彼の作品には大きな力があることを。だって、私と彼は、彼の詩作があったから出会い、彼の詩作があったから結婚することになった。だから彼の作り出す言葉の世界を誰よりも信じているし、その価値はきっと一億ドルなんかじゃ足りないほどに大事なものなのだと思う。

 一億ドルの契約は幻だったけれど、それでも。一瞬でも、一億ドルの契約という夢を見れたことは、アルゴの人生にとって大きな意味を持つと私は信じているし、同時に、一億ドルの夢を見せてくれたアルゴに私は感謝をしている。そして、こんな経験があったからこそ今の私たちがいるのだとそんな風に思う今日この頃なのである。

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