復讐後祭祀③~べらぼうな後の祭りの敵討ちの顛末を描く江戸の黄表紙
敵討ち物の芝居が流行していた時代に、自分も敵討ちの苦労を味わおうとする要太郎のたわけた行動の顛末を描く黄表紙。
「復讐後祭祀」は、山東京伝作画で、天明八年1788年に出版。版元は不明。
三巻三冊の現代語訳(かなり意訳)を三回に分けて紹介する最終回。
下巻
十五

さても要太郎は、いよいよ敵討ちらしくしようと、尺八を習い、「岡崎女郎衆よい女郎衆」の曲をようやく覚え、虚無僧に身をやつし、廓へ入り込み、丁子屋のいさ山という女郎になじむ。
十六

そのころ、丁子屋のいさ山は、器量よく心だてもやさしく、人気の女郎だったので、要太郎が思うには、「この女郎こそ、まさかのときは助太刀を頼んだら、後には引かない女郎だろう」と思い、乳母の目を忍んで夜ごとに通えば、よほど心安くなり、ついには心の中のことを打ち明けて頼む。
要太郎「それがしは、本当は親の仇をつけねらう者なので、この人の多い吉原に来ているのも、仇にめぐりあうかと思ってのこと。そもじも、誠の心があるならば、一緒に力をかしてくれ。このことはけっして他言してはならぬぞ」
いさ山「ぬしは、いつも願いのある身だと言いなんしたから、わっちは、金もうけをたくらんでいる山師かと思いんした。わっちは助太刀というものは、今までしたこともおざんせん。わっちにできればようおざんすが、ちょっとムリだよ」
十七

いさ山は、要太郎が敵討ちをするという話を聞き、おおいに驚き、「こんな客をうかうか呼んだら、とんでもないことになる」と思い、わざとあいそづかしを言って追い出す。要太郎は、寝耳に水、追い出されてみたところ、ちょうど所持金もみんななくなり、乳母の家へ帰るにも面目なく、かつて思っていたとおりの非人となり、このときはじめて本当につらい経験をして、腹も減って疲れてしまい、どうしようもなく、主人からもらった大小の刀を売ろうと、古物買いに見せれば、「大小で百三十二文(約五千円くらいか)で買おう」と言うので、今まで抜いて見たこともなかった大小を、よくよく見ればなまくら刀だったので、胆をつぶす。
要太郎「これさ、古物買い様、見間違いでござろう。わたしは最初からの非人ではなく、親の仇をねらうマネをしているので、このような身をしておりますが、この大小は主人からいただいた、お家の重宝、なんでもかんでもスパスパっと切れます。もう一度よくご覧くだされ」
右の古物買いの男「なにがお家の『重宝』だ。『ちょうほう』の『ちょう』と『ほう』をさかさまにすると『包丁』にしかならねえ」
十八

要太郎は、今は本当に悲しく、憂きこと艱難をしすぎて本当につらくなり、飢え死にするよりかは、いっそ身投げをしようと思うとき、行列が現れ、その中から大名の乗りたる駕籠が来て、中から浜松のご主人が現れ、要太郎は赤面する。
主人「めずらしや、いかに要太郎、なんじがたわけなので、ちと案じて、暇を願ったので暇を与えたが、そのとき与えた大小の刀、岸井の刀と小浜井の脇差の名前を逆さに読んでみよ。『きしい』『こはまい』だから『いまはこいしき』、『今は恋しき』と読む。昔の武士の生活が、さぞ恋しいことだろう。また、なまくら刀を与えたのも、本当の敵討ちではないので、刀が役に立たなくてもよいだろうと思うゆえ。乳母のところにいると聞いたので、密かに乳母を呼んでもうしつけたので、毒を食らおうとしたときは他の食材と取りかえさせ、神奈川の悪者も、乳母の娘を買った女衒も、みなまわし者なり。娘のお山は、わが妻のそば仕えをしておる」
と、別の駕籠の戸を開けば、お山は美しい着物姿で現れる。
主人「しかし、たわけとはいいながら、狂人のまねをすれば狂人となり、孝行のまねをすれば、すなわち孝行なので、今までのたわけを許し、元のように家来とする。また、お山も、なんじのたわけの道具に使われたという深い縁があるので、今より妻として、乳母も引き取り暮らすべし」
と、おおせられ、このようなトンチの主君よりもうされた妻なれば、妻は幸いで「さい」づくしになり、これはいいこともあるだろうと本当に妻とする。
とかく、万事ゆきすぎると、このとおり。
十九

要太郎は、主人のなさけにて、元の武士にたちかえり、また、父の広井与太右衛門と、仇の瀬間井横蔵の亡霊を神として祭り、主人に願って、竹で囲った中に、白木で飾りの島台のともし火、万灯をつくり、白装束にて祭礼をおこなう。今まで要太郎がつくしたたわけは、みな後の祭祀なので、今の世まで、これを後の祭祀と言い伝える。
要太郎「父のまつり、覚えたか」
お山「しゅうとのまつり、覚えたか」
見物人「なるほど、後の祭りというものは、見てもはりあいのないものだ」
二十

首尾よく祭礼も終わり、お山が白装束を着ているのをさいわいに、要太郎と婚礼し、行く末繁盛に栄えける、というもいつものことだが、やっぱりいつものやつさ。万灯のつくりものも、再び結婚式にも役に立つ。これ、如才のなき世の中なればこそなり。
要太郎「全体、めでたいはずだが、おれのもの好きで、よっぽどすぎて、めでたしめでたしだ」
めでたしめでたし
寛政の改革のしめつけにより、このようなおちゃらけた作品が書きにくくなり、京伝は道徳的な心学を題材にして、今も使われる善玉、悪玉という言葉を生み出した。
また、シャレと皮肉のない敵討ちの黄表紙も作られた。シャレと皮肉がなければ、それはもう黄表紙とはいえない。そして物語はだんだん長くなり、合巻となる。さらに、絵よりも文が中心となる読本が主流となっていく。
合巻の時代となっても京伝は活躍をつづけ、ストーリー中心の敵討ち物を書いている。以下にその作品を載せるが、敵討ちとは関係のない、当時のらくがきの「へまむし入道」をタイトルに使う。いくらしめつけがあっても、「べらぼうめ」、黄表紙作者ここにありと示しているようだ。
