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ショートエッセイ:三十人前の蕎麦

子どものころ、母から聞いた話だ。

市議会議員選挙の手伝いをしていたおじさんのところに、
夕方、三十人前の蕎麦が届いたらしい。

頼んでいない出前。

いわゆる、選挙妨害だ。

立候補者は言った。

「そんなの頼んでいない。持って帰ってくれ」

正しい。

たぶん、正しい。

でもそのとき、
事務所にはちょうど30人くらい人がいたらしい。

おじさんは思ったそうだ。

「ちょうどよかったのにな」

持って帰る蕎麦屋のことも、
そこにいる人の空腹も、
全部まとめて笑いに変えられたかもしれないのに、と。

それ以来、おじさんはその人を応援しなかった。

母は、
「機転の利かない人にはなるな」
という話として私に聞かせた。

私は、
人の上に立つ人を見るとき、
なぜかいつも、この蕎麦を思い出す。

正しいかどうかより、
起こってしまったことを、どう変換するか。

それで、人の価値は変わる。

蕎麦は冷める。

でも、そのときの判断は、
なぜかずっと残る。

おわり


▼ 何が正しいかなんて、誰にも分らない

▼ 理解は、言葉になる前の段階で、すでに起きている

▼ ものの見方によっては、判断を誤る


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