ショートエッセイ:誰にも気づかれない場所で、誰にも共有されないまま
お父さんには、癖がある。
食後に楊枝を使い、そのまましばらくくわえて過ごす、という癖だ。
別に珍しいことではない。
実家でも、たまに見かけた光景だ。
だから私は、その行為そのものを、特別どうこう思っているわけではない。
---たぶん。
ある日の夜、お父さんが家に帰ったあと、
私はトイレに入った。
便器に腰を下ろし、何気なく視線を横にやる。
スペアのトイレットペーパーが置かれた棚に、
一本の楊枝があった。
使われた形跡のある、楊枝だった。
一瞬、時間が止まったような気がした。
別に大したことではない。
汚物というほどのものでもない。
ただ、
「ああ、これはあの癖の延長線上にある出来事だな」
という理解だけが、静かに立ち上がった。
私は便器に座ったまま、しばらく考えた。
(以下、心の中)
A:テレビを見ている奥さんを呼んで、
「ねぇ、これ見て」と言う。
――少し、子どもっぽい。
B:何も言わず、通りすがりにゴミ箱へ捨てる。
――合理的だが、触るという工程が一つ増える。
C:何もしない。知らなかった顔をする。
――これは、たぶん一番よくない。
どれも、しっくりこなかった。
どれにも、わずかな引っかかりが残る。
結局、私は
楊枝を便器に落とし、
水を流した。
それだけのことだ。
共感も、共有も、注意もない。
誰の記憶にも残らない処理。
水と一緒に消えていく白い線を見ながら、
私は少しだけ、胸の奥が冷えるのを感じた。
怒りでも嫌悪でもない。
ましてや不快感と呼ぶほど、はっきりしたものでもない。
ただ、
「触れずに済んだ」
という事実だけが、あとに残った。
こういう判断は、
日常の中で、何度も繰り返されている。
言うほどでもない違和感。
言葉にした瞬間に、形が変わってしまう感覚。
説明すればするほど、ズレていく関係性。
デザインの仕事でも、同じだ。
問題を可視化することが、
必ずしも最善とは限らない。
ときには、
誰にも気づかれない場所で、
誰にも共有されないまま、
静かに処理されることのほうが、
よほど誠実な設計になる。
楊枝を流したあの判断が、
正しかったのかどうかは、今でもわからない。
ただ、
何も起こらなかった、という状態が
その夜の暮らしを、壊さなかった。
それだけは、確かだった。
▼ 言葉になる前の違和感が、判断を始めている
▼ 伝わらないままでも、関係は壊さずにいられる
▼ 言葉にしないほうが、残るものもある
