【S6|外伝】純粋さは、どこで呼吸しているのか
去年の夏、
私は小さなデザインの場を立ち上げた。
本業は、デザインと深く関わる場所にある。環境として不満があったわけではない。
むしろ、恵まれていると言っていい。
それでも「自分でやる」という選択をした。
理由は、意外なほど単純だった。
純粋な問いが、
いつのまにか別の言葉に置き換えられていく瞬間を何度も見てきたからだ。
「意味」は、
「成果」に変換される。
「問い」は、
「説明」に整えられる。
「違和感」は、
「調整」によって角を落とされる。
それ自体は、悪いことではない。
多くの人と進むためには、必要な翻訳でもある。
ただ、その翻訳が重なりすぎると、問いそのものが、呼吸できなくなる。
私はそれが、少し惜しかった。
だから、すべてを断ち切るのではなく、問いを置く場所を、ひとつ増やした。
最近になって、この感覚がどこかに似ていることに気づいた。
学問を続けている人たちの姿だ。
研究費は削られ、
成果は短期で測られ、
本来は社会の基盤であるはずの営みが、いつのまにか資源のように消費されている。
純粋な好奇心から始まった問いが、評価の尺度や、短期の成果によって
別の形に測り直されていく。
それでも、問いを問いのまま持ち続けたい人たちはいる。
彼らは静かに、
自分で場所をつくる。
研究室の外だったり、
小さな私塾だったり、
文章を直接届ける場だったり。
誰かに委ねるのではなく、自分の責任で続けるという選択。
デザインも、学問も、構造はとてもよく似ている。
問いが深くなるほど、判断は集約されやすくなり、
同時に、こぼれ落ちやすくもなる。
だから私は、判断が一箇所に集まりすぎないように、距離を設計した。
自分で稼ぎ、
自分で決め、
自分で引き受ける。
それは、強がりでも、反発でもない。
ただ、問いを問いのまま置いておくための、最小限の工夫だ。
始めたばかりのこの小さな場は、まだ何者でもない。
けれどここでは、誰も置き去りにしないデザインを、
急がず、削らず、試すことができる。
純粋さを守る人は、どの領域でも少数派だ。
けれど、問いを妥協せずに持ち続ける姿勢そのものが、すでに一つの学問であり、
一つのデザインなのだと思う。
私はただ、その姿勢を、
自分の手の届く距離で続けてみたい。
それだけの話だ。
この文章は、マガジン
「考える前に、ひっかかったこと」
に収録されています。
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