だれも怒鳴らなくて、もう大丈夫――感情の力加減と、『葬送のフリーレン』が教える静けさ
非暴力と無抵抗も
非暴力と無気力も
非暴力と無主張も
どれも関係ないですよね。
僕らは個性も状況も環境も世代や時代も願いも
何もかも違うけど
あなたの読者に分かるよう心を砕いていることは
共通するでしょう。
その際に
活字で怒鳴るかのような
暴言を連投すると
怒りの元が枯渇するのか
敵を増やし過ぎるのか
読者はより強い刺激を求めるので飽きられるのか
加齢による変化なのか
理由は複数あるでしょうけど
罵倒を芸にして25年以上活躍する方は見かけません。
絶対にいないと言いたいのではなく
例えば匿名ブロガーだと数人記憶しているけど
現在は書かれていないようです(私の観測範囲では)
例えば16歳なら41歳に
40歳なら65歳になるのだから
ネットで同じアカウントで運営出来る方自体が稀でしょう。
感情は相互理解する上で大事だけど
例えば怒鳴り続ける方が何を言いたいのか
なぜ怒鳴らずにはいられないのか
向き合って分かろうとするのは負担が大きいです
『葬送のフリーレン』は淡々としていて静かですよね
エルフがパーティーと時の流れが違うこと自体は
『ロードス島戦記』のディードリットで語られるけれど
別離の後を描くのは新しいし
冒険を語るのに刺激が少ない演出や世界観にした点で
読者や視聴者が「分かる」ための負担を減らし
世界を体験出来る読む水族館とか読むプラネタリウムみたいな
空気感が革新的だと思います。
情報洪水により情報過負荷が起き
伝えるように書いても
膨大な書き手の中で埋もれる時に
やっとスクロールする手を止めて記事を開いてくれた時に
暴言や偏見だらけの文章だと
受け取るのが負担だから
飛ばして他の記事を読まないでしょうか。
『葬送のフリーレン』のヒットは
感情や情報の扱い方にヒントをくれる気がするのです。
背泳ぎを覚えた夏の日、最初は怖かったけれど
力を抜いたら水が受け止めてくれました
人の体は浮くように出来ていると思いました
怒りとコミュニケーションも似ていて
怒鳴って注意を引くまでもなく
普通に手渡せば受け取ってもらえる
その経験や納得を得ると
感情のコスト意識を持ちやすいかもしれません。
怒鳴るまでもない
怒鳴る必要もない
怒鳴らない方が受け取ってもらえる。
一つは、怒鳴ることは自分の信用を壊す行為だからかもしれません。
Appleでもスタバでもいいのですが
ブランドや信用のある企業がサービスや広告で怒鳴らないですよね。
炎上した広告はあったけど、あれはまた別の話で。
補足
つらい気持ちや孤独や理不尽を題材にする表現は
文学やルポタージュなども想定できます
本稿はそれらを否定するものではないです
誰かに何かを押し付けるのではなく
選べるのなら読み手の負担が減るかも
というだけの話です
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2025/10/13 18:16 追記

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