沈む船で、創ることを選ぶ勇気への敬意―母とタイタニックと町田の話
うっかりしていました。母はUbuntu使っているので、プロジェクターを普通に接続すれば便利になると思います。注文したので、変化に慣れることを急かすのもいけないから、母のペースでやります。
また、今日、母の部屋を訪れた際に話し合い、KDPのアカウント作成と必要な情報の登録を手伝いました。機会があれば、挑戦できるかもしれません。(挨拶)
30代に、子どもだけでなく夫婦二人で生きることは無理だと理解したことは、痛恨時でした。
ベンチャーのECや、転職も経験しているので、叩き上げで重役に出世した友達もいるし、起業し経営手腕を発揮した他部署の先輩もおられます。コンサルしてる方もいる。健康であっても、彼らほど結果は出せなかったとしても、現場に近いマネジメントしつつ職人的に腕を磨けたかもしれない。
そんな「もしも」と現実を比較し、辛かったです。認知行動療法を練習していたあの頃、タイタニックの上記エピソードが胸に響きました。
船が沈む。死は避けられない。利他的な行動を選び取れる。私にとって、勇気や強さのお手本です。人生には逆境もあります。切り替えて、次の挑戦をした方がいいと分かっていても、行動できない日もあるでしょう。けど、沈むことを理解し最適解を探した方々がいることは、ヒントになります。
比較より、「この船は沈むけど、元気で」と思える精神性は、結果的に切り替えが早くなります。
家族史も、機会を見つけて書くようにしています。
そんな価値観からすると
町田市で起きた事件は、加害者がどう生きたのか不明ですが、暴力を振るわないことに関して訓練が不足していると、僕は思います。事故や判断能力が無かったのでなければ、「やっていい」と判断したから暴力を振るうはずです。衝動的に行動し自己正当化する方もいるでしょう。
どんな理由があれ、他人の人生や幸福を破壊することは許されないと自制出来ないことは、甘えと何が違うのか私には分からないのです。乳幼児が言葉に出来なくて泣くことは自然なことです。
けれど、大人はもうそうはいかない。
そこで、憎悪でも、画像でも音楽でもいいし、文学でも、何かを創造する感性とエネルギーにすれば、だれも傷つけずに済みます。
静かに沈んでいくメソッドがストイック過ぎても、憎悪を感性とエネルギーに転換することは、苦しいと思うけれど、他の人が真似できない世界観を出せるはずだから、競争する上で有利です。逆境などが理由で、暴発・「漏電」してしまわずに、創造的なことに転換するのは一つの知恵です。
そう思える人を増やすことは、社会全体のレジリエンスを高めます。
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