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戦争は終わっても、祖父は帰れなかった

外交・貿易で国益を維持することは、本当に困難だと思います。
僕は障害があるし中高年だから、父方の祖父のように徴兵されることは無いと思う。

息子は第一子です
「薫さんはお母さんいないから、私が行くわよ」と
産後10日ほど、息子の入浴や家族の食事など
泊まって世話をして貰いました。
私を娘として、助けて下さった気持ちが、嬉しかったです
父と伯母しか知らない私にも、母と呼べる方が与えられました

出典: 唯一のお母さんと呼べる方と、その介護の思い出|鈴木薫 | 後期高齢者 x note x AI | フォロバ100
URL: https://note.com/p_s_n/n/n9ed78b92ff9e

父方の祖母の記憶は、寝たきりで話せなくて、意識はあるから、挨拶に行くことです。何も話した記憶はないけど、特別な存在でした。

・父方の祖父の家庭内暴力(戦争でおかしくなった)
・裕福な家なのに中学になるまで近眼だと理解されず馬鹿扱いされる(父が)
・祖父から守ってくれ、「お前は馬鹿ではない」と九九を教えてくれた、父
・親代わりの兄が統合失調症で倒れ庇護者を失う(10歳頃)
・自宅で泣くと祖父に殴られるため、いじめられても家の近くで泣き止んでから帰宅した
・14,5歳でメガネをつけ黒板が見えるようになり、馬鹿ではなかったことが嬉しくて発奮して、偏差値一番高い工業高校に入る(ここで実家の扱いが変わる)

出典: 暴力・トラウマの世代間連鎖は、文化・アサーション・無知のベールに希望があると感じる、私の背景|Trgr / カラストラガラ | 哲学をコードするオープンソース倫理エンジニア | フォロバ100
URL: https://note.com/karasu_toragara/n/nfc29c5dd3c67

母の目を通した祖母の様子と、父が経験したことは同じ家のことなのかと不思議に思うのですが。20年以上経っているから、父方の祖父が老いて落ち着いたのかもしれません。

僕は、父方の祖父が徴兵され暴力を振るうようになったので、PTSDのケアが必要かもしれないと考えています。

兵士は市民です。祖父のように生きて帰ることが出来ても、日常を取り戻せない人もいます。その支援のコストを、戦争を始める判断をする方は見落とすと思うのです。

対応しなければ社会不安に繋がり、対応するなら社会保障費で支えることになるでしょう。すると、戦争の後始末も市民にのしかかります。

僕自身苦労しました。
けど、自分の人生に何が起きたのか、父は俯瞰し言葉に出来なかったと思う。どこの誰であれ、同じ思いをさせたくないと、願っています。

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