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「おとうさんを、つれてかえる」ということ

1

1980年代
私が7歳で小学一年の冬
早生まれの下の子は誕生日を迎えていないから、2歳の終わりくらいのことでした

父が倒れ大学病院に入院することになり
「おとうさんを、つれてかえる」
下の子が母に訴えたと聞いています
本人は覚えていない遠い記憶

確かに、連れて帰れるなら、私もそうしたい
けれど、希死念慮と不眠(熟眠障害)があり
父は安静を必要としていました

2

彼は家庭内暴力のひどい家を生き延びました
それは裕福だけど愛のない家に思えます

例えば1950年代後半、少年の父が
いじめられたりして悲しくて悔しくても
必ず外で泣き止んでから、家に帰ったと言います
そうしないと、祖父が感情的になるから
このように、安心して泣けない家で彼は育ちました

そして、目が悪いことに気づいてもらえず
家族から馬鹿だと扱われました
家庭内のカーストが一段下なのです
10歳上の庇護者である一番上の兄(私の伯父)も
精神疾患で療養生活に入りました

その後、目が悪いだけだと理解した父は
僕は馬鹿じゃなかったという喜びと
深い屈辱の混ざった感情を生きました

相性の悪い中学の先生に侮辱的に
無理だと言われた
学区で一番偏差値の高い工業高校に進みました

この時代の少年は、こうして大企業へ就職することがありました
「俺は遠回りしている、研究する時間が欲しい」と
生涯悔いることになるとは
18歳の青年にはまだ分からないことでした

研究所に配属されると、そこは高学歴な研究者がポストを占めており
自分はアシスタント以上になれないことを自覚しました

そこで、自宅から働きながら通える夜学で数学を専攻し
大学を卒業した時点で
奨学金も利用できたから仕事を辞め
大学院の修士・博士課程を出て
指導教授に恵まれ
また貪欲に努力する疲れ知らずな若者だったから、実績も残せました

3

——そんな若者が、やがて家庭を持ち、鬱病と診断されました

1980年代

大学病院の看護師や医師が
父が寝ていることは確認しているのですが
眠った気がしなくなるのが熟眠障害の苦しさです
自分の心身の不調を
病識として理解するのに
彼は苦労していました

そして、父の不眠(熟眠障害)の訴えに対して
電気ショック療法を継続的に
1週間行われました

母への説明も、母の同意もありません

1980年代当時のこととはいえ
普通ではないことが起きました

母は、なんとか転院した先で
「それは回数が多すぎます」と
新たな父の主治医の精神科医から言われています

父は、論文執筆や学会の発表を
以前のように行えないことを
「おれ、馬鹿になった気がする」と表現していました

仕事柄
爪は清潔に切り揃える人だったので
肉体も指も爪も変わっていないのに
父の見える景色だけ変わりました

まるで体を壊したボクサーのように
もうリングに立てない数学者である父は
アイデンティティの危機に苦しみました

ですから、連れて帰れるなら
時を巻き戻せたとして
父の許容量を超えた苦しみを
もう一度生きろとは言えないのです

小学6年の冬
いつもの通りにスーツで玄関を出たきり
「ただいま」と帰ってくることはありませんでした

木の葉から水滴が一つ落ちるように、父はこの世を去りました

4

連れて帰れるなら、時を巻き戻せるのなら
祖父の家庭内暴力に関して
現代のケアを受けさせたいです
3回徴兵され、人が変わったから
おそらくPTSDと関係あると思うからです

けれど、ドラえもんと、現実は異なる

ただ、自死遺族として
一つだけ言えるとしたら
生きていて欲しかったということです

「大学の先生を辞めても構わない」と妻が理解を示し
自分が片親で育ったから
親に生きていて欲しいという気持ちは
どういうことなのかを
実体験から伝えようとしても
父は数学にステータス全振りしており
よく分からなかったのです

それだけ傷つき過ぎていたのでしょう
また、アイデンティティの一部に
自分のキャリアを組み込む
精神構造の脆さも感じます

キャリアや実績は結果であり
自分の前提でもある根幹に組み込むと
再帰的な無限ループが予想できます

5

ソース味の食べ物が好きなので
野菜炒めの焼きそばを
食べきれないほど作ってやりたい気持ちはあります

ただ、彼は30代の頃
ペヤングソース焼きそば(1975年発売)が
好き過ぎて、一度に2つ食べて体調を崩し
友達に救急外来に連れて行ってもらった人なので
文字通り食べきれないほど作るのも
難しいのです

日清 チキンラーメン(1958年)も
何か思い出があるらしく、好きでした
口下手な人だから
例えば、若者時代にお腹空かせて
夜食に食べたとか
話してくれることはありませんでした

一つだけ話してくれたのは
クーラーの無かった時代だから
大きなカナダライに水を張り
足をくるぶしまでひたして涼をとり
受験勉強したとのこと

こだわりの勉強法があるらしく
あまり感情を見せない彼が
珍しく楽しそうに話す様子を覚えています

彼にとって勉強は
出題範囲を理解すれば点は取れるし
現実よりシンプルで努力が
結果に結びつきやすく、好きだったようです

それだけに、電気ショック療法はむごいと悲しく思います

6

1960年代。研究所に勤めながら
夜学で学んだ彼の大学ノートは残っていません
彼はとても華奢で繊細な字を書く人でした

彼の残した論文は読むのは困難だけど
だからこそ筆跡が印象に残りました

時を巻き戻せるのなら、この時代の彼が
一番幸福かもしれません
18歳で買って一生使ったニコンFを持って
友達と丹沢に登山に登ったりもしていました

今思うと彼の写真は
構図が明確で、露出計も面倒がらずに使うので
彼のイメージした色や質感を出すのが上手かったです

このように生きていても亡くなっても
付き合いの難しい人が、私の父です
12年しか付き合いのない人ですが
心の片隅に彼がいるような「錯覚」で
この文章を結びます

30年経ったね
ずいぶん遠くまで行ったみたいだ
革靴ボロボロ
ご飯できてるから、スーツ着替えておいでよ

おかえり。

英訳版



Photo by Deca Zafra from Pexels:

https://www.pexels.com/photo/people-walking-on-pedestrian-lane-4688625/




部活動

プロフィール

自著

無料キャンペーンは終了していますが、全てKindle Unlimitedで読めます

Audibleでオススメ教えありますか? エッセイやビジネス書、講演録が好きです。


父は90年代以降を知らないので、聴いていない曲もたくさんあるので、2つ選びました。墓前の花の代わりに。

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三澤直己 | カラストラガラ / Trgr | フォロバ100% ここまでお読み下さり感謝。各種SNSでのシェアも励みになります。非営利の取り組みが多いため、チップのご検討、助かります。