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基本無料|私の教育改革/加瀬伊助

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※おまけ以外はすべて無料で見れます。

1,はじめに

人間は教育にて完成する。
私たち日本人は、9年間の義務教育を経て高校生になり、多くの人は大学や専門学校に行き、社会人になります。
しかしそれももう少し前の時代の話になりつつあるのかもしれません。
情報化、思想の変化、制度疲弊などなど、時代の変化により、教育の在り方は変わっていきます。そして教育がうまく機能していないことが社会全体で起きて蔓延して、教育ががんじがらめのマヒ状態に陥っている。そしてその結果が今の日本社会運営の破滅的状況に直結している。今の時代を私はそうとらえています。

人間は教育にて完成する。
ここでは、自分自身が歩んできた教育の過程から得られた考察と、私がこれまでに独自に取り組んできた教育についての考察を以下に提示し、私が考える教育改革の方向性についての考察を展開していきたいと思います。
参考にしていただければ幸いです。


2,教育の概要

教育についてはウィキペディアにて以下の説明がなされています。

教育とは

・教え育てること。
・知識、技術などを教え授けること。
・人を導いて善良な人間とすること。
・人間に内在する素質、能力を発展させ、これを助長する作用。
・人間を望ましい姿に変化させ、価値を実現させる活動。

このように説明されています。これに私なりの説明を加筆すると、教育とは、人に物事を教える過程な中で以下のような3つの要素に分けることができます。

教育の3要素

1,知識の伝達
2,人間形成
3,社会的発展

1,知識の伝達
世の事物についての知識や理解を教え、伝えること。

2,人間形成
人間としてあるべき理想や必要な思想を教えること。

3,社会的発展
人の人格や能力を社会の人材として身につけさせ、それによって豊かな社会を形成すること。

実はこの3要素は教育の過程においてすべて同時進行で行われているものであるのですが、この習得には段階があると思っています。
まずは教育の第一段階として、1,物事を理解する知識を教え、物事を学ぶ素養を身につけさせます。そして、2,人間としてあるべき理想や思想を身につけさせ、最後に3,それを社会で活かしていくという発想を教えて実践させるという段階を踏むことが重要なことであるのです。
ところが、これらを一緒くたにして雑に教えてしまうだけならばまだしも、むしろその反対のことを押し付けているのが、戦後から続く我が国の教育であるからとんでもない、というのがその歴史であり現実です。まさに唖然としてしまうような間違った思想教育を続け、それがてきめんに失敗しているために私たち国民は大変な事態に陥っているというのが私の正直な感想です。
冒頭に述べましたが、今の日本社会運営の破滅的状況は教育の失敗に直結していると思います。これは、今の社会情勢における様々な統計や基礎データなどを見れば明らかではあるものの、その原因は非常に複雑なものです。
それをここで解き明かすことはしませんが、私の信頼する専門家の指摘も参考にしていうと、『世界的な思想の敗北』ともいうべき思想教育と思想の発展の失敗にその原因がある、そのため、それを見定めて改善していくというのが教育における重要な改革要素であるというのが私の見立てになります。つまりは、その根本事由である思想教育やその発展の再構築の中にこそ、現在の私たちの社会運営の失敗から脱却するカギがあると思っています。

では、ここで再度確認したいのですが、教育とはつまり、その実践によって人間形成と社会運営を行うことです。教育によって人間は作られ、人間として完成するのですが、それがうまく行われていない社会に生きていては大変息が苦しく、発展どころか破滅が待っている。社会すべてにおいて。
今のわが日本国は大丈夫でしょうか。大丈夫ではないでしょう。教育の見直しは何よりもまず先にやらなければならない喫緊の課題なのです。

3,私の受けてきた教育

私は小中学校の頃はそこそこ優秀で、高校生の時は微妙、大学生の時は遊んでばっかりで落第寸前の学生でした。
バブル経済が崩壊し、地下鉄サリン事件などの不穏な事件が多発して、社会が一気に傾いていった90年代後半頃のことです。私の家庭もそのような社会の危険な荒波に飲まれて大変な目にあっていました。
同時に私は、教育の淡白で無責任なやり方に強い違和感を感じていました。精神的にも不安定だった多感な時期でしたので、青春時代の舵取りの難しさというものはそれなりに理解しているつもりです。『知識を身に着けて何になるのか』『自分はいったい何者であるべきなのか』『これからの社会にどう生きればいいのか』など、どうしようもない暗い未来を暗示していたあの頃に、ついには深く考えるのをやめてさっさと人生の目標を後回しにするというような選択肢を選んだのでした。ちょうど大学生を卒業した頃のことになります。
それというのは、『今はとにかく資格を取ろう』という答えでした。自分はまだ未熟だから、今自分を決めることはせず、力を貯えながら将来を考えればよい。そう思って私は、勉強しながらとにかく働いていれば良いという半端な選択肢を取りました。
2000年代初頭当時の日本はまだ国家としての体力が残っていた頃で、今と比べればまだまだ社会的なバックアップ体制などにおいては余裕があったと思います。その頃の私の半端な選択はそれ自体は間違ってはいなかったと思うのですが、大変苦労することになったのであまりお勧めできることではなかったと思っています。多分たいていの人が半端なままに潰れてしまうと思うからです。
24歳の時に転機がありました。試験に何度も落ちて『このままではだめだ』と思って苦しんでいたときに一冊の本と出合います。ここではあまりページを使いませんが、そのある中東の本に出合って世界情勢を知った時に、『自分は世界を知ってもっと大きな人間になりたい』と思ったのがきっかけでした。

私はその時勤めていた会社をすぐに辞めて、短時間アルバイトの塾の講師をしながら勉強するという道を選びました。そこでおよそ5年もの道草を食いながらいろいろな勉強をして、やっと行政書士に合格することができました。29歳の時でした。あの時の喜びは今でもはっきりと覚えています。

4,教育の意義を破壊させる思想

私の思い出語りは別の稿で書くとして、これまでに私の経験した教育を分析すると、ざっというと以下のようなものでした。

1,義務教育まで(中学教育まで)
2,高校以降の自主学習(高校・大学時代)
3,社会人時代の自主学習(それ以降)

このうちの2,の高校以降の自主学習はひどいものだったと思います。何がひどいかというと、まったく目的意識のない勉強がひどかったと思います。
今にしてみると、大学生から社会人の3年間の勉強も本当に半端なもので、非効率なものだった。そのくらい、学習の意義を見失っていたと思うのです。
高校生の頃からは勉強してもなにかと半端でうまくいかず、自信を無くしていたと思うのですが、そのような精神状態のままでは大事なものは身につかないのです。この原因は、最初に触れた思想教育の要素の欠けていたことにあると思うのです。

2,人間としてあるべき理想や思想を身につける。
3,それを社会で活かしていくという発想を教えて実践させる。

特に、高校生の時にこのような理念とか理想はほとんど語られず、学習や論文のテクニックなどの薄っぺらい情報を平然と毎日教え、大量の宿題を書き写してでも提出させて『勉強しろ勉強しろ』と言われていたのを思い出します。
今思うと、その学校教育を学校側が本気で取り組んでいたのは、よほど何も考えていなかったのか、それとも間抜けだったのかと思ってしまいます。しかし、それを変えることはできなかったであろうし、むしろ現在はもっと悪化しているのだろうなと想像するのです。
『失われた30年』といわれる今の日本社会の衰退は激しい。現在の教員たちは教育以外の激務と高齢化によって疲弊し、子供たちもどんどん減って競争力も落ちています。高校生たちをまともに教育できない国の行く末は暗いに決まっている。はっきり言ってそう思います。
そして、それに輪をかけて危険な要素は『自虐史観のおしつけ』教育です。小さいころから奨励される平和授業や差別のキャンペーン授業など、これらは、自我と社会的責任感を持ち始めた思春期の高校生たちに対し、不必要にじわじわと重い責任としてのしかかってきます。自分たちの存在を否定し始めるのです。それはこの時期に誰にも相談もできずに、あるいはそのことにも気づくこともできずに精神に入り込んできて苦しめ始めます。ある意味異様な足枷を嵌められたまま苦しい生活を送り続けるために、前向きに学習して将来を夢見ることから遠ざかっていく遠因になっていたと思います。
私の場合はそうでした。そしてそれを学校で正してはくれないのです。『自虐史観などあなたたちが背負うようなものではない』と教えてくれればよかったものを、むしろ反省して勉強でもしとけというような教えを受ける。当時の高校生たちには、無気力感や無責任感が横行していたように思います。おそらく全国の高校生はそんな状況だったのではないでしょうか。そしてそれは今でも続いているか、あるいはさらにひどくなっていることでしょう。

5,教育の根幹

教育とは先に見てきた通り、次の3つが重要な要素になります。

1,世の事物についての知識や理解を教え、伝えること。
2,人間としてあるべき理想や必要な思想を教えること。
3,人格や能力を社会の人材として身につけさせ、それによって豊かな社会を形成すること。

1,は特に基礎学習に見られるような、学習そのものを学ぶという要素も含みつつ、世の中の事象に対する理解を深めるために様々なことを教えます。特に基礎学習である文字の習得と国語の学習及び、思考の基礎となる算数の学習が重要になります。
これというのは、基礎の繰り返しを何度もしつこくこなし、焦らずにそれを何度も再確認してじっくり学ばせればほぼ誰にでも身に着けることができます。これは誰にでも実践することができるものですから、本質的には簡単な部類に入ります。ただし、そのことを理解していないと失敗します。そして実は多くの人がそれがうまくいっていません。
それはやはり、親や教師自身がそうであったように、教育の意義や思想を理解していないからにほかなりません。ですので、問題は次の2つになります。

2,の、人間としてあるべき理想や必要な思想を教えることというのは、まずは自分たちのアイデンティティが『日本人』であることをしっかり理解させることが重要です。
教育の本質は『模倣』にあります。『習うより慣れろ』という格言が示す通り、無機質に繰り返しを行うことはやり方によっては無駄になりますが、大抵の学習においては無駄になりません。それが無駄になるのは、『思想がないこと』と『半端であること』によるものです。模倣を行うことにも思想があり、また、教育の本質は、『日本人が日本人を再生産する』という『先生の模倣』にあるのです。このことをわが日本の教育方針ではむしろ『悪』ととらえているようなところがあります。だから思想がなく、発展がないのです。

また同時に、日本人として何をなすべきなのかということを理解したうえでその理想や思想を教えなければなりませんから、教える側がそもそもそこを理解していなければならないということになります。
これは、高いレベルで日本人論を展開する必要はなく、日本人の古来の宗教観や思想及びその風習を紐解き、それを子供たちに教えていく過程で同時に理解していけばよいことであると私は考えます。すなわち、余計な雑念を捨て、目の前にある教材を素直に受け入れ、過去に語られていた伝統的な慣習の精神を素直に受け入れるだけでよいということです。
私の高校生の時の古典の授業中のことです。ある生徒が『古典なんてなんで勉強しなきゃいけないのか』と発言していたのに先生は『いいからやれ』というようなことを言っていました。もしその時に、『古典は何百年も前に書かれたロマンのあるものだから』とか古典を勉強していて役に立ったこととかよかったこととかを語ってくれていたら、その生徒も私ももっと違った見方ができたのではないかと思うのです。ですが、その時の先生にはそのような思い入れやプライドがなかったのでしょう。私にとっての高校の先生のイメージはそんなところです。もちろん熱心で素晴らしい先生もいましたが、少数だったと思うのです。
教育に大事な思想が我が国には欠けている。そのもっとも根幹にあるのは教育行政であり、つまりは教育方針の根元にあるということになります。これは個人の力ではどうにもならないことですので、それを受けた生徒や親や地域などの学校行政の外部の立場の者がカバーするしかないと私は思っています。それか、国の方針を政治で変えるしかない。そんな状況が80年も続いてきたのです。
2,の、人間としてあるべき理想や必要な思想を教えることの現状とは、そのくらい闇が深いどうしようもない問題なのです。

では、3,人格や能力を社会の人材として身につけさせ、それによって豊かな社会を形成することはどうでしょうか。これは先ほど申した通り、人間形成ができていないのですから、それを社会で有効に実践しようがないです。また、そのような不完全な社会で暮らしている大人たちは、その中で様々な不和を抱えたまま社会の一員として過ごしています。大人の陰湿ないじめや不正や悪の見て見ぬふりの無責任な状況、加えて世界的な不景気の影響と社会の疲弊や人手不足の悪影響など、ろくでもないことが目白押しの現状ですから、たとえ人材が育っていたとしても、その人材は社会の荒波に潰されてしまいます。そんなひどい状況がこの30年続いているというのが現状です。
豊かな社会。それを、この30年で急速に失われていった現在の社会において実現することは非常に困難であると言わざるを得ません。

6,今できる教育の実践

これまでに触れてきたことを総合するとこのようなことです。

教育の3要素とは、以下の三つである。

1,知識の伝達
2,人間形成
3,社会的発展

だがしかし、これらを実践するも、学校教育の中ではほとんど完成しない上に、日本社会の衰退が著しく、子育てや教育の家庭環境が整わない中で、今後の教育方針が定まる保証もないため、現状ではそのいずれも達成は困難である。
さらには、この厳しい社会状況の中で社会的な発展に寄与する人材を育てていかなければ、今後さらに社会的な衰退は免れないであろう。

今できる教育の実践

では現代の時代に教育の実践は不可能なのでしょうか。
そんなことはないです。ただし、理想と現実はかけ離れていて、教育の現場は混乱していて云々というこれまでに指摘してきた現状を踏まえたうえで、それに合わせて教育を受ける側が工夫していかないと、さらには、学校に子供たちを任せっきりにせずに、大人になっても学び続けていかないとあっという間に社会の荒波に潰されてしまいますよ、ということです。それをこれまでに大まかに示してきました。

では、どうすればそれが可能であるかということについて提示すると以下の通りです。

今できる教育の実践

1,基礎学習の習得
2,SNSの活用
3,政治参加

これらの概要について簡単に説明します。

1,基礎学習の習得


学習の最も初歩の段階であり、最も実践が簡単な基礎の学習です。
この基礎の学習ができないままに小中学校・高校に進み、社会人になっては苦労を続けます。
これは私の経験上からのものですが、今から20年前においても、高校生や大学生は分数を理解しておらず、中学生はアルファベットすら覚えておらず、小学生はひらがなを書けませんでした。20年経った今あの子たちはどうしているだろうか。今、子を持つ親になり、この苦しい社会に飲まれていることだろうと思います。うつ病になって引きこもっているというケースも聞いています。
私は当時、塾の方針に背いてでも、彼らに文字や分数などの学習の基礎を教えていました。ですが、これらは本当は塾で教えるものではなく、学校で先生が教えるものでもなく、親が家で教えるものでもないのです。
ではだれが教えるのか。その答えは、誰が教えるでもなく、子供たちが自分自身で学ぶものなのです。そして、その思想とその方法を教育者や保護者が教えるものなのです。
思想、それはこの場合『勉強しないと立派な大人になれませんよ』で十分です。

ではその方法とはどうすればよいのか。まずはそのやり方を簡単に時間対比で表すと、次のようになります。

基礎学習に掛ける時間対比
学習時間:指導時間=9:1

これを簡単に説明すると、子供たちには自らがよどみなくできる学習を指導し、その確認をして、また次のよどみなくできる学習を指導する。そして学習時間の完了というサイクルを作ることになります。
その詳細については下の漢字の学習の方法で例示していますので、見ていただければやり方はわかると思います。↓↓

このやり方の成果の基本概念は、『成功体験の繰り返しと基礎の上積み効果』にあります。子供たちにとっては『未知を既知にしていくこと』の繰り返しによって人格形成が図られます。物事の良し悪しももちろん大事ですが、その価値判断ができるほどの素養がありませんので、その学習は『まだ早い』ため、学習効果はそれほど高くはありません。
それに対して、文字の学習や算数の計算による頭の回転の練習などは、『未知を既知にする』という正解の連続が生み出されますので、それを順を追って習得させていくという成功体験には学習効果が非常に高いのです。
ですから、学校教育には習熟段階があり、それを一歩一歩こなしていけるようなカリキュラムが組まれています。そのシステムや学習ツールにおいて我が国は大変発展的ではあるのですが、その指導方法や指導理念と現実の実践においては非常に大きな齟齬があり、結果が伴っていないのが現実です。
ですから、高校生や大学生は分数を理解しておらず、中学生はアルファベットすら覚えておらず、小学生はひらがなを書けないということが平然と起こります。
基礎学習の習得には、先に示した通りに、『これをやって立派な大人になれ』と言って、『学習時間:指導時間=9:1』のやり方を身に着けさせれば、ある程度自動化できるものであり、子供たちは喜んで勉強するようになるものです。そのために必要なのが、『教育理念と基礎学習の指導のやり方』です。
やり方の例は先ほどの漢字の学習の動画から理解して応用していただくことで、すべての学習においても定着させることが可能ですので、保護者の方は試していただければと思います。
では、教育の理念とはこの際何が必要なのか。それは、繰り返しになりますが、教育の3要素を、親として、教育の指導者として理解することが必要になります。

教育の3要素

1,知識の伝達
2,人間形成
3,社会的発展

知識がなければ社会で通用しない。社会で通用しなければその社会は発展しない。社会が発展しなければ国が亡ぶ。つまり、『教育なくしては国が亡ぶ』ということを真剣に考えてほしいのです。
正直に申しまして、塾講師時代にアルファベットやひらがなが書けない子供たちをみて『親はいったい何をしているのか』と憤りました。『子供たちの教育を放棄してどうやってこの子たちは生きていくのか』と思いました。今思うとまだ若かったと思うのですが、このような現状は『教育無価値論』ともいうべき親たちの教育理念の欠如にあり、教育の重要性を見いだせないことにあると思います。その親たちも元をたどれば学生ですから、学生時代に学校で教育の価値や理念を教わっていないのです。では、その時学校は何をしていたのかというと、国の教育方針に従って『本来あるべき教育の理念』を教えずに、テクニックやシステムの構築に専念して教育の本質などは教えていないのです。人間形成については、似非平和論などむしろ逆のことを教えてきたのです。
子供たちがひらがなを書けなくても対策を示さず放置する。そんなことをするから国が亡びるほどに社会が荒廃するのは当たり前です。それでいて私がここで『基礎学習は、繰り返しを何度もこなし、焦らずにじっくり学ばせればほぼ誰にでも身に着けることができるため、本質的には簡単な部類に入る』と言っているのですから、教育行政がいかに罪作りなことを続けてきたかということが理解できるかと思います。
『教育なくしては国が亡ぶ』という現実が目前にあるのです。

2,SNSの活用

基礎学習の習得が最重要な事項なので長くなりましたが、それを補完するために重要なのがSNSの活用です。
こちらのnoteを見ている時点で、『教育に興味のある方』だと思いますが、教育のプロの方が世のSNS上にたくさん溢れていますので、ぜひそれらの情報を参考にしていただきたいと思うのです。
その情報を選ぶうえで参考にしていただきたいのが、『教育理念に力を入れているかどうか』です。ちなみに私の教育理念は、『基礎学習の習得の重要性と方法』です。対象者は小学生から大学生、社会人初心者から後期高齢者までです。つまりはほとんどすべての方が対象です。
皆さんは、『80歳からドイツ語を勉強している』とか『80歳になって書道を習いだした』という言葉を聞いたことがあるでしょうか。私はyoutuberをやってきて8年間でこういう言葉を何度も耳にしました。その方たちはみな学ぶことに飢えています。学ぶことの喜びや楽しさが忘れられなくて人生の最優先になっていると思うのですが、私はその気持ちがよくわかります。
きれいな字が書けるとか、大学ノートが文字でびっしり埋まるとか、300ページの本を読んだとか、学習の小さな積み重ねや小さな知識の習得が喜びであると思えるのは、人間の知に対する欲が満たされる瞬間であるからだと思うのです。社会を引退してその時間ができたからそれをやる。でも、それはもっと早くからやっていればよかった。こんなに楽しいことなら時間を作ってでもやっておけばよかったともよく聞きます。その気持ちもよくわかるのです。皆、失ってからその大切さに気付きます。
基礎学習とは、難しいことでも悩んで苦しまないと取り組めないことでもなく、誰にでもできて、繰り返し安く、習得して価値の高い教育の実践そのものになります。そういう理念があるから、私はこうして原稿を書いていますし、多くの人に知ってほしいと願っています。ひいてはそれが国をよくするのだという理念もあります。
ただ教材を売りたいとか、雇われ教育者に給料を払わなければいけないとかいう邪なものではなく、理念を持っている方の発信に耳を傾けてほしいと思います。私が見る限りそれを一生懸命に発信しているのがnoteなどのSNSですから、ぜひ実際に活用してほしいと思います。
学校に子供を預けていれば勝手に子供は育つという時代は過去のものです。特に小学生の子を持つお父さんお母さんは教育者として自覚を持ち、子供の教育に責任をもって関わり、その指導を積極的にしてほしいと思います。やり方は先述した通りですが『学習時間:指導時間=9:1』で十分です。指導理念を学んで、簡単な実践方法を覚えて、実際にトライしていただければと思います。お金はほとんど掛かりません。得られる見返りは非常に大きいと思います。
私に直接アドバイスしてほしい場合は、コメントなどください。

3,政治参加

ここまで触れてきた通り、日本の教育をつかさどっているのは文部科学省であり、その方針を受けた各教育機関である学校です。そして、大変残念ながら学校教育の限界ともいうべき状態が昨今続いており、社会情勢の時代の変化や景気の悪影響もあり、我が国の教育行政は非常に厳しい現状にあるということは事実です。
よって私は、教育を人任せにしないで、特に子供をお持ちの親御さんは、自分が教育者としての自覚をもって、子供の教育に積極的に関わってほしいと提案してきました。
そしてそれは、基礎学習などの日常的な学習に限らず、国家的な制度そのものにもかかわってほしいという提案がこの政治参加になります。
これは、いまや日本の政治の中心になりつつある『参政党』の活動に関わってほしいということになるのですが、私は参政党の党の中心的な理念である『教育改革』に最も着目してこれまでの数年間、党の外から参政党に関わってきました。

参政党と私の関わりについて気になる方はこちらにまとめていますので、参考にしていただければと思います。↓↓

子供の教育を学校に任せっきりにするととんでもないことになり、子供の人生を台無しにしてしまう。このようなことが多発してきましたし、今でもそれは続いています。
それと全く同じように、自分たちの生活基盤である社会を運営する政治を政治家に任せっきりにして、その結果とんでもないものが蔓延している。それは今の私たちの社会の病魔そのものです。この構造は教育でも同じ事であり、その根本には『大人たちの無責任』があります。それもそのはず、社会を担うべき理想も思想もその方法もろくに教えないままにして育った人材が社会を形成して、そして何十年も無責任なままに社会を運営してきたのですから。
教育の闇は深く、その悪影響は取り返しのつかないような大きな問題ばかりです。これからは特に、その教育改革を前面に打ち出す参政党の理念とともに社会全体で関わって、その改革にぜひ積極的に関わっていってほしいと思います。そしてこれは、日本社会の衰退を防ぎ、伝統のある日本という国をこれからもしっかり残して未来につないでいくためにも必要であり、日本人すべてに言える重要な問題なのです。

では、どうやってその問題に関わっていけばよいのかということもここで提示していきたいと思いますが、これも順番があると思っています。
それまたここでも、『基礎学習の習得』にあると思っています。
以下に提示していきます。

政治参加のための基礎学習

政治参加のための基礎である『社会情勢』に関わることへの理解が必要になります。やみくもに社会のことを知り、理解しようとしてもあまりにも膨大な社会の仕組みがあり、これらすべてを把握することは非常に困難です。たいていの場合は、表面的な理解をしてしまい、誤った方向に誘導されてしまって何が正しいかを判断できずに徒労に終わり、果てには政治参加をあきらめる結果になってしまいます。これは、私も20代の時は特にそうでしたし、自ら膨大に学んで社会を理解しようと努めましたが、相当に時間を費やしました。そして参政党に関わるようになってからは特に、ニセ情報や人々の悪意のある言葉に振り回されてしまい、社会の改革やその道しるべを構築することが容易ではないということがよくよくわかりました。
これをある程度克服して、有効に政治に関わっていくためには、相応のコミュニケーション能力と社会に関する知識が必要であり、特に大事なのは、社会正義の実現を志向していくだけの自らの理想を持つことが重要になります。
これは本来社会に存在する正義であったり、人間論であったりと、かつての日本では当たり前にあったものが、いまや失われているものでもあり、それによって私たちの社会には欺瞞や浅はかな議論が満ちているというのもあると思います。これこそ社会運営の失敗によるものだといえるのですが、教育の崩壊がもたらす弊害でもあるといえるでしょう。ですので、それを取り戻すための行動がすなわち『政治参加』だと私はとらえています。
では、それを皆さんが実践していくために何が必要でしょうか。
それが座学にて基礎学習を学ぶことだと思います。
ここでいう基礎学習とは『中学生程度の国語と数学の理解』になります。

理由を簡単に言うと、『社会情勢』を理解するために出てくるさまざまな座学には非常に難しい数式や統計データに学術論文などがあるのですが、大事なものはその理念です。乱暴に言うとつまりは、小難しいことよりも理念や理想を語ったほうが良いということが私がこれまでに政治に関わってきて思う議論の本質だと思うからです。
そしてそれを理解するためには最低限でも中学の国語力と数学力程度は必要だということになります。これというのは『難しいようでいて簡単』なものでもあり、『簡単なようでいて難しい』ものであると私はそのように思います。あいまいな表現ではありますが、これだけははっきり言えるというのが、これができて社会人をしている人はほとんどいないということです。
正確なデータを持ってはいませんが、日本人の大人は社会人になって勉強意欲をほぼ失うとされていますし、時間とともに普段使わない情報をどんどん忘れますから、中学までの学習の記憶はどんどん失われます。それなのに、社会情勢を理解するには最低限そのくらいの知識と能力は必要だということなので、それを真剣に取り組んでほしいと思います。

7,中学国語と数学の実践

ウィキペディアによると中学生までの国語と数学は次のような説明をしています。

国語教育

国語は、日本の学校教育において、日本語および言語表現の理解、言語による表現方法の獲得などを目的として行われる教科であり、初等教育(小学校の段階)から中等教育(中学校・高等学校の段階)に設けられている。
戦前の中等教育がおおむねこれに該当する。
学習内容は相当に多岐にわたっており、文字(表記)・発音・文法・語彙等の体系、言語そのものの特質などを学ぶ。学習指導要領ではこれらは「言語事項」と呼ばれており、「話すこと・聞くこと」「書くこと」「読むこと」として細分化されている。
国語の学習内容については、「漢字を覚えること」「語彙・ことわざ・慣用句などを覚えること」「文学鑑賞」「説明文の読解」に加えて、口頭表現や作文など表現力の育成も行われている。

初等教育(小学校など)
初等教育段階においては、日本語の読み書き、読解能力の育成、作文教育など、狭義の国語が主となっている。近年では俳句のような伝統的な内容が早期に導入される傾向が見られる。また、初等教育では書写も含まれている。

前期中等教育(中学校など)
中等教育段階になると、初等教育の内容に加え、日本語による古典作品および漢文の読解などがさらに加わる。教育現場では前者を古文、後者を漢文と称し、両者を合わせて古典と呼んでいる。必然的に、これに対して口語文法による言語表現の読解は現代文と呼ばれることが多い。

算数・数学教育

「数学教育」といえば、日本の場合、中学校以降の内容を想定して用いられるが、小学校における算数もこれに含まれることが多い。 学年により学習内容は大きく異なるが、主として「数学に関する知識の習得およびその活用」がその目標となっている。
基本的に算数といえば、学問的な数学、すなわち代数学・幾何学・解析学・統計学などの基礎である場合が殆どである。

中学校数学

中学校の数学は「数と式」「図形」「関数」「データの活用」の4つの分野に分けられ、その中でも、「幾何分野」と「代数分野」と言った分類をすることが可能である。 それぞれの分類に合わせた学習方法や暗記方法を行うことが効率的である。

「数と式」は和差積商の延長線上の分野である。また、数自体も新しい種類のものが出てくる。
「図形」は正方形や直方体、それらの面積の延長線上の分野である。
「関数」は比や比例、反比例の延長線上の分野で、データの活用は平均や最頻値などデータの調べ方に関する分野である。
これらのほとんどは、すべて小学校で習ったものをわかりやすくジャンルわけしたものの延長線上の科目である。

社会情勢の基礎論

私の教育理念によれば、学校で学ぶ5教科というのは上記の国語と数学の上に成り立つものです。すなわち、社会情勢の理解の土台には国語と数学の理解があると考えています。
それというのは、国語とはコミュニケーションの手段であり、それを円滑に行わせるための頭の回転力というのは数学力が関わっているからであるという理論です。
様々な角度から物事を考え、相手を説得できるだけのコミュニケーションを行い、その裏付けとして社会的な事象や理科的な裏付けを示して、自らの正義を実現する。それが社会の中で政治に参加することとなると思いますが、そのすべての基礎になってくるのが国語力及び数学力たるコミュニケーションの力であると思います。この能力をまずは身に着けてほしいと思いますし、政治に参加する過程の中でさらにその力を磨いていってほしいと思います。そして実はそれこそが、これまで何度も述べてきた教育の3要素の実践であると私は考えています。

教育の3要素

1,知識の伝達
2,人間形成
3,社会的発展

ご存じの通り、この3要素を完成させるためには、数学と国語はあくまでも基礎ですから、2,人間形成と3,社会的発展を学ぶ必要があります。
子供たちは学校でこれらを学びますが、大人は意図的にこれらを学んでいかなければなりません。それも、仕事をしながら、子育てをしながらその時間を作るのは非常に難しいと言わざるを得ません。
そこで私からの提案としては、最も効率的な方法で、最も効率的な題材を学んでほしいと思っていますが、実はそれが『草生しぬの記憶語り』になります。

そのためにこの取り組みを一生懸命やっていたのですから。

特に、大東亜戦争の記憶とは、日本人の歴史や思想、人間形成論や、責任論、そしていま私たちが直面している社会の失敗の根源や世界情勢の歴史が語られていますので、その学びは今の私たちの社会を知るうえで非常に重要です。
そして、それらはすべて音読されていますから、それらを1.5倍速で聞いてほしいのです。すなわち速聴学習です。
速聴がもたらす脳への効果など、速聴を継続することで、脳の働きが活性化し、情報処理能力が向上すると考えられています。ほかにも次のようなことが一般に言われています。

速聴の効果
頭の回転が速くなる
集中力・理解力・記憶力・判断力の向上
脳の処理速度向上
右脳の活性化
暗記教科の効率化
読書習慣の促進と読解力の向上
学習時間の効率化
聞き取り能力の向上
会話の質の向上

私が速聴のトレーニングを始めたのはもう15年以上も前ですが、これについては、学習において欠かすことのできない重要な要素になっています。もちろん今でも様々な場面で活用しています。
例えばこの稿も、文字を入力して2倍速聴で確認を何度も繰り返して投稿しています。15,000字ありますから、確認だけでも目をつぶって倍速でやらないと体がもちません。
というわけで、速聴は学習ツールとして絶対に身に着けてほしいものです。
そして、その方法で大東亜戦争の将兵たちの手記を一気にまとめて聞いて、歴史の習得、人間論や戦争論など有意義な情報として学んでいただくことを是非お勧めいたします。

数学に関しては、youtubeで様々な数学の開設動画が出ていますので、そちらの数学解説を見て学んでいただきたいと思います。
かなり古いですが、私が実際に勉強したこちらの数学解説シリーズは是非お勧めです。↓↓


8,おわりに

子供たちには実のある教育を施し、自らも社会参加の中でその能力をさらに磨いていく。その繰り返しによって社会は成熟し、豊かになっていくものであると思います。
その豊かな社会の実現の根源には、社会のあるべき正義、そしてその社会の築いてきた伝統や慣習、それらを未来に残し、さらに受け継いでいくことの大切さを教え伝えていくことにあると思います。それこそが教育であり、歴史であり、社会的な正義そのものであると私は思います。そう考えると、教育とはいかに大切なものであるかということが見えてくるのではないでしょうか。
しかして、現在の私たちが住むこの社会がいかに教育を疎かにしていて、腐敗していて、失敗しているかがわかると思いますし、それではいけないし、これからもそれに歯止めがかからずに腐敗が進めば、社会そのものが成り立たなくなり、未来に理想など描けないということもわかるでしょう。あろうことか、その未来への理想すら持っていない大人が教育をつかさどっているのですから、それを教えることなど土台不可能なのです。そして私たちの子供たちを預け、私たちの運命を預けているのです。

私の教育改革はあくまでも基礎教育の定着にあります。それはこれまでに延べてきたように、決して不可能ではありません。そのやり方も提示してきました。あとはそれを実践して積み重ねることをご検討いただければ、この稿を書いた意味が生まれようと思います。
人間は教育にて完成する。
是非ともよろしくお願いいたします。

以上

9,おまけ

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