【相撲の神様】 『野見宿禰神社』⛩️ (両国)
両国には
「相撲の神様」である『野見宿禰』を祀る
『野見宿禰神社』があります。
今回は、その『野見宿禰神社』と『野見宿禰』について紹介します。
◇『野見宿禰神社』
相撲の神様である『野見宿禰』を祀る神社は、
JR両国駅から徒歩12分ぐらい、大江戸線の両国駅からなら徒歩6分ぐらいのところにあります。
それではさっそく『野見宿禰神社』に行ってみましょう!
▫️野見宿禰神社に行ってみる

野見宿禰神社は『両国国技館』の近くにあり、「日本の国技」とも言われている『相撲』の神様を祀る神社です。
しかし、その割には思いのほか小さく、
質素でひっそりとした感じの神社です。

ひっそりとした小さな神社

▫️歴代横綱名の彫られた石碑
この神社は「日本相撲協会」によって管理されていて、境内には歴代横綱の名前を刻んだ石碑があります。


初代から46代横綱までの四股名が彫られている

存命の横綱は赤字で、亡くなられると黄色字になる
ご存知の横綱の四股名が並んでいるかと思います
▫️野見宿禰神社について
野見宿禰神社に立てかけられている説明の案内板には下記のように書かれています。

かつてこの東側に相撲の高砂部屋がありました。明治十八年(一八八五)に親方の高砂浦五郎が、津軽家上屋数の跡地であったこの地に、相撲の神様として知られる野見宿禰を祀ったのが、この神社の始まりです。
石垣の石柱には、力士や相撲関係者の名前が刻まれており、本場所前には必ず、相撲協会の神事が行われます。
境内には、昭和二十七年(一九五二)に相撲協会によって建てられた歴代横綱石碑があり、その一基には、初代の明石志賀之
助から四十六代朝湖太郎までの名前が、もう一基には四十七代柏戸司以降の名前が刻まれています。
墨田区
なるほど、元々は一相撲部屋の高砂部屋の親方が祀った神社だったのですね。
どうりで小さな神社というのも納得です。
【野見宿禰神社】
御祭神:野見宿禰
所在地:東京都墨田区亀沢2-8-10
アクセス:
・両国国技館から徒歩約12分
・JR総武線「両国駅」から徒歩約12分
・大江戸線「両国駅」から徒歩約6分
▫️『横綱土俵入り』
野見宿禰神社では
『新横綱』が昇進したときのみ
境内で『横綱土俵入り』が行われます。
非常に狭い神社のため、
一般には土俵入りの日程を事前にお知らせすしていないため、直接見るのは困難です。
しかし、日本相撲協会の公式チャンネルで
元横綱『照ノ富士』の土俵入りが公開されていますので、よければ見て下さい。
これを見ると、相撲というのは単なる強さを競う競技ではなく、神事の一貫なのだということがよくわかります。
また、普段は野見宿禰神社に行っても
拝殿の扉が閉められているので中は窺い知れないですが、この動画を見れば中の様子もわかる貴重な動画だと思います。
※2025.5.21追記↓
新横綱 豊昇龍の奉納土俵入りの動画がアップされていたので、こちらもどうぞ!
◇『野見宿禰』について
では、相撲の神様と呼ばれる『野見宿禰』って
どんな神様なのでしょう?
野見宿禰は、古墳時代の人物で、第11代垂仁天皇の時代に「当麻蹴速」と『捔力』を取り、勝利したと伝えられいます。
このことから、野見宿禰は「相撲の始祖」として『相撲の神様』として祀られています。
『野見宿禰』が登場する一番古い文献は「日本書紀」です。
では、その日本書紀の内容を確認していきましょう。
▫️「日本書紀」における「野見宿禰」
日本書紀の第11代垂仁天皇紀の7年7月に、
「当麻蹴速」と「野見宿禰」に天皇の前で「捔力」を取らせたとあります。
そして『捔力』がのちに「相撲」と呼ばれるようになったため、これが相撲の始まりだと言われています。
※相撲界のことを「角界」というのは『捔力』の『捔(角)』の字からきています。
もう少し詳しく見ていきます。
ことの始まりは力自慢の「当麻蹴速」が「生死を問わず強いものと戦いたい」と言い出したことによります。
それを垂仁天皇が聞きつけ、それでは強いものと戦わせようと臣下に探させ、
わざわざ出雲から「野見宿禰」を呼び寄せ『捔力』を命じたとあります。
この『捔力』に勝ったのが野見宿禰。
それで後に相撲の神様と見なされるようになりました。
「日本書紀」の闘いの描写をみると、
お互いに蹴り合い、『野見宿禰』が『当麻蹴速』の肋骨を踏み折り、その腰を踏んで折り殺したとあります。

『国立国会図書館デジタルコレクション』より借用

「野見宿禰清涼殿の南庭に於て當麻の蹶速を蹴殺す」
安達吟光画 明治18年(1885)
日本相撲協会のサイトより借用
この時の『捔力』は
現在の『相撲』のような組み合って押したり投げたりするものではなく、『蹴り合い』が主の戦いだったようです。
しかも相手を踏み殺してしまっているので、私個人の見解としては『相撲』ではなく『決闘』だと思っていますが…
実際、敗れた「當摩蹴速」自身が「生死をかけた戦いがしたい(不期死生 頓得争力焉)」と言ったと書かれていますので。
▫️『埴輪』の始祖?
「當摩蹴速」との「捔力」に勝利した野見宿禰は垂仁天皇に仕えることになりました。
そして、「日本書紀」には垂仁天皇の后である「日葉酢媛命」の葬儀の際に、野見宿禰が「御陵(お墓)に『埴輪』を埋めることを提案した」ことが書かれています。
それ以前は、高貴な方が亡くなると、それまで仕えていた人も生きたまま一緒に「御陵(お墓)」に埋める「殉葬」という風習があったそうです。
垂仁天皇はそのような残酷な風習はよくないことだから今後は「殉葬」は辞めようと言いました。
そこで「野見宿禰」は自身の出身地でもある出雲から「土部(土製品を作る人)」を呼び寄せました。
そして「埴(粘土のこと)」で人や馬などの『土物(土製品)』を作らせて天皇に献上し、
これ以降は『土物』を「殉葬者」の代わりに「御陵(お墓)」に入れるのはいかがでしょうか。
と天皇に提案しました。
天皇はこの提案を喜んで受け入れて、天皇の后「日葉酢媛命」の墓に「土物」を初めて入れることにしました。
その「土物」を名付けて『埴輪』と呼ぶことにし、以降は「殉葬」の代わりに「御陵(お墓)」には『埴輪』を入れることを決まりとしました。
また、垂仁天皇はこの時の野見宿禰の功績を厚く誉め讃えて、『土部』の職に任命し、『土部臣』の姓を与えました。
これ以降、野見宿禰の子孫である『土部連』が天皇の喪葬を取り仕切ることになったため、野見宿禰が『土部連』の始祖とされています。

「国立国会図書館デジタルコレクション」より借用
これが、野見宿禰が『埴輪の祖』であり、『土部連の祖』である由縁です。
ということは、古墳を発掘した際に出土される『埴輪』は野見宿禰が元祖ということになるのですね。(史実かどうかは賛否あり)
最後は相撲の話からは逸れてしまいましたが、野見宿禰が「相撲の神様」だけでなく、「埴輪の祖」であることもわかり、日本の歴史や文化に大きな影響を与えた人物(神様)であることがわかったのは興味深いです。
◇最後に
ということで、今回は『野見宿禰神社』と『野見宿禰』について紹介しました!
皆さんも、相撲観戦などで両国に訪れた際には少し時間をとって『野見宿禰神社』へも訪れてみてはいかがでしょうか。
また、相撲に興味がある方でしたら、江戸時代から明治にかけて境内にて『勧進相撲』が行われていた『回向院』にも併せて行かれることをお勧めします。
『回向院』については、私が書いた別の記事で詳しく紹介しています!
宜しければご一読ください⬇️
それでは今回も長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました!
◇2025.5.25追記
■両国国技館内『野見宿禰神社 授与所』
2025.5.25
大相撲五月場所の千秋楽に大相撲観戦に行ってきました。
両国国技館内には『野見宿禰神社』の『授与所』があります。
『授与所』というのは、『野見宿禰神社』の『御守・御札』を『授与(販売)する場所』ということです。
というのも、両国の『野見宿禰神社』には社務所がなく、御守や御札を授与(販売)する場所がありません。
そのため、両国国技館内に『野見宿禰神社』の『授与所』があるのです。

『授与所』には、「おみくじ」や「御朱印」等もあります!


お相撲さんの人形の中に「おみくじ」が入ってます。
運勢は全て相撲に例えています(笑)
■両国国技館の開放日の確認を
『授与所』に行けるのは、両国国技館で大相撲の開催日、
もしくは、両国国技館の開館日の『相撲博物館』が開放されている時です。
開放日は『相撲博物館スケジュール』で確認下さい。
https://www.sumo.or.jp/KokugikanSumoMuseum/schedule/2025-06
両国国技館を訪れた際には、是非『野見宿禰神社 授与所』にも立ち寄ってみて下さいね!
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