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介護に関するリクエスト②「サービスを利用するようになってから、不安感が増えました。どうしてでしょうか?」。

   今回、記事を読んでいただいた方から、ご質問がありました。
 こうした反応があると、とてもうれしいです。
 ありがとうございます。

 家族介護者の方の、ご質問で、その言葉自体は、ひとつながりだったのですが、こちらで考えていくと、4つの要素に分かれていると思いました。
 質問者の方の本意には、そむいているかもしれず、そこは申し訳ないのですが、4つの質問に答える形にした方が伝わりやすいのでは、と考え、そのようにさせていただきました。

 とても、長くなりましたので、ご興味がある「質問」に関するところから、比較的、お時間がある時に、読んでいただければ、ありがたく思います。



(質問①)「介護期間が長いと思考回路が 癖づくのでしょうか。不安感みたいなものは常にあります」。


 介護を継続するというのは、介護という時間に適応していくということですが、だけど、そのこと自体は、おそらくは、その外側から見たら異質な姿に見える可能性もあります。 これまでも、たとえば、家族介護者は強迫的(いわゆる神経質といった状態)というような見られ方もされていて、それは結果と原因を逆に考えている印象でした。

 介護生活に適応することで、外部から見たら「強迫的」にならざるを得ないことになり、それが癖のように見えるかもしれません。それだけ、いつも介護をされている方(要介護者)への意識が途切れない、ということが、家族介護者の思考の基本を作っているような気がします。

 これまでも書いていることだと思いますので、繰り返しになり、すみませんが、介護が始まり、それが少しでも安定すると、その生活は24時間365日体制での緊張感が続くことになり、しかも、いつ終わるか分からない生活の中にいれば、精神状態も、そこに適応することになるのではないか、と思います。

 目の前にいる介護をされている方(要介護者)への注意も、ずっと続いていて、その注意力の継続というものが、外部から見たら、おそらくは尋常じゃないものに見えるかと思います。その上、介護を続けていると、残念ながら、いろいろな大変なこともあると考えられます。

 それは、リクエスト①で述べたように、記憶に刻まれることが多くなり、だから、何もなくても、過去のいろいろなトラブルの記憶だけが増え、不安も増大していくので、とても心配性な思考の癖みたいなものがついてしまうのだと思います。それは、介護をされている方(要介護者)の症状の変化についても、同様に、気になりすぎるような注意力になるのかと思いますが、それは特に経験の長い家族介護者としては自然なことだとも考えられます。


 もしも、専門家の視点とのずれがあるとすれば、要介護者への「変化への反応の細かさ」の違いも大きいと思います。
 
 専門家は多くの人を見ているので、いろいろな変化に対して、必要なだけの変化に反応するという経験値があって、こういう変化は大丈夫、といった見方もできるのでしょうから、気にする変化と、気にしない変化を分けることができるはずです。

 ですが、家族介護者にとっては、ほぼ初めての経験であり、できたら、これ以上悪くなってほしくない、といった気持ちもあるので、細かい変化に対して、それこそ、全部に反応してしまうと思います。

 それは、思考の癖に見えるのかもしれませんが、家族介護者の方々は、きれいごとということではなく、いつも介護をすることによって、介護をされている方(要介護者)が中心の生活になり、そこから思考が始まるようになっていますので、いってみれば、利他的な考え方になっているのだと思います。しかも、おそらくは意識されて、そうなったというよりは、介護環境がそうさせている、ということかもしれません。

 この思考が問題になるとすれば、かなり負担感が続くので、家族介護者の消耗が避けられないということだと思います。

(このあたりの専門家の視点が違っていたら、すみません。もし、違う場合は、教えていただければ、幸いです)。


(質問②)これは私の元々の性格や要介護者への感情も関係しているかとは思いますが、介護に関わる(様々な福祉サービスを利用する状況)ようになってからソワソワ、不安感が増えました。


 2つの場合が考えられると思います。こちらの推測ですみませんが、1つは、サービスを利用するようになって、その介護サービスを実際に目の当たりにしたとき。もう1つは、サービスを利用していますが、預けているので、その場面は見えない場合です。


『一つは、プロのサービスを目の当たりにしたとき』。

 サービスを利用するようになってからの不安があるとすれば、これはプロの方と家族介護者との違いのせいもあるかもしれません。(もちろん、良し悪しではなく、タイプの違いみたいな点です)。

 家族介護者の介護は、介護を必要とされる方(要介護者)への要望に反応してきて、試行錯誤を繰り返してきて作り上げてきたオーダーメイドの介護のはずです。

 ずっと介護をされてきて、小さな変化まで見られるようになり、そこに対応して、少しでも要介護者の方の不安感というか、快適かどうかを、介護をする側が、試行錯誤しながら、相手の表情や気配を十分に感じ取りながら、対応されているのだとおもいます。

 もし、福祉サービスの現場に行かれて、要介護者の方が介護を受けている姿を見たとしたら、それは不安になるかもしれない、と思います。(私自身が最初は、そうでした)。家族介護者からみたら、あ、何か変化がある、何かを訴えている、という場面でも、プロの介護者は、少しこちらを見て、少し声をかけられる程度のことが多いのかもしれません。

 ただ、それは、良し悪しではなく、他にも要介護者が多くいて、やることも多く、制約の中での、プロとしての仕事なのではないでしょうか。(プロの方が読んでいただいていて、違っていたら、すみません。よろしかったら、何が違っているのかをコメントなどで教えていただければ、ありがたいです)。


 つまり、プロの介護者は、多くの場合は、複数の要介護者に対応しなくてはいけない環境にいて、たとえばみれば「危険水域」のようなものを知っていて、そこに至ってから対応する、ということをしている印象があります。私個人にとっては、時間も手間も足りない中での、プロの方法に見えています。それは、要介護者の安全と健康を確保する上で、有効な方法だと思いますし、その見極めこそがプロの凄みの一つだとも思っています。

 ただ、それは、家族介護者から見たら、わかっているけれど、いつも自分がしてきた介護よりも、行き届かないように見えてしまう可能性があります。それは非難でもなく、不可能とわかっていながらも、なんとなく手を出したいような、違うと言いたいような気持ちがソワソワさせるのかもしれません。

 でも、任せた以上は、口を出すわけにもいかず、出してはいけない、といった抑制された気持ちがあったら、それもソワソワにつながりそうです。


 「もう一つは、サービスを目にせず、預けている場合」。

 もし、そういう現場を見ることもない場合だとしても、いつも介護をされている方(要介護者)が、そばにいらっしゃるということに慣れていなければ、それは不安になると思います。

 それだけ、いつも心を配られているとすれば、別の場所にいることで、初めて、少しは介護者として休めるのかもしれませんが、ただ、いないことへの不安のほうが上回る可能性も、特に介護関係のデイサービスやショートステイを使い始めた頃には感じやすいと思います。

 もし、介護をされている方(要介護者)の状態が、預けることによっても、悪くならない状況が続き、そのことに安心ができるまでには時間がかかるかもしれません。(たとえば数ヶ月くらい)

 それは、おそらくは無責任な言い方になってしまいますが、そうした状況に慣れ、少しずつ不安に耐え、そのうちに不安が減っていくことも含めて、介護ではあるのだと思います。その不安が減るのは難しいとは思いますが、もう少し耐えてもらえないでしょうか。おそらく少しずつ減ってくると考えられます。

 それは、家族介護者で、細やかにみていられるほど、いつも気を配っている人ほど、不安が強くなる、というジレンマに近いような印象があります。介護者としての観察力、対応力が上がったからこその不安になるかとは思います。

 さらには、これは、プロの介護者のサービスを目の当たりにする場合も、目の当たりにしない場合も含めて、サービスを利用し始めるのは「変化」でもありますので、家族介護者は日常の介護だけで、かなりギリギリの状況であることも多いので、少しの「変化」自体が不安を生じさせることもあるかと思います。


 そういったこともあり、その不安をすぐに解消するのは難しいと思います。
 気分転換をすることも難しいと思いますので、心配してしまうことをいい意味であきらめて、何か体を動かす別のことをしていただければ、と思いますが、もし可能であれば、少しでも眠るのも、休息につながると思います。

 また、ご質問の冒頭の、元々の性格や、要介護者への感情のことも、断定はできませんが、20年間、介護に関わってきて、家族介護者の方々の多くは、もともと、困っている人がいると、考える前に手を差し伸べるタイプではないか、という印象があります(私自身はそこまでのことはできないので、いつも敬意とともに接していますが)。

 ジャン=ジャック・ルソー、という思想家が、そんなようなことを書いていて、(たしか「人間不平等起源論」)そういう人たちがいるから、人と人とのつながりを作って、社会を維持してきた、といったことも書いていて、私もそう思います。「あわれみの人」という表現をしていて、今は「あわれみ」という表現は必ずしもポジティブではありませんが、困っている人を自然と放っておけない人、ということだと思います。

 ですので、相手が困っていれば手を差し伸べる。相手が困っている時は、わがことのように感じてしまう、という方が、要介護者への思いが元から強かったら、より気になるのは、ある意味では自然ではないかと思いますし、相手の変化についても、より不安になるのも、仕方がなく、そう感じてしまう気持ちは、ご自分を責める必要もなければ、少しおかしいのかも、と思う必要はないかと思います。


(質問③)本人が状況に対して不穏になったり、独り言をつぶやいたりすることがありまして…本人の中で何かしらの混乱などが起こっているのでしょうが、「本当はどう思っているか」というのが分かりにくいので、どうすれば本人に落ち着いてもらえるか…悩んでいます。

 これは、要介護者の方を、細やかにみられているからこその悩みだとは思います。

 そういうことを言われてもかえって、もやもやされるかもしれませんが、これを最初にお伝えしようと思ったのは、この介護を受けられている方の独り言に対して、同じ場面にいたとしても、誰もが、おそらく同じようには感じない可能性はありそうだと思いましたが、どうでしょうか?

 独り言を言っていても、それは、人によっては、もしくは専門家にとっては、何か言っているけど、そういうことはよくあるし、まだ危険ではない、といったようなことを感じていて、もしかしたら、不穏とは感じない場合もあるかもしれません。

 もし、いろいろなサービスを使い始めて日が浅いのであれば、要介護者の方は、混乱されているかもしれません。そして、こうした混乱は、プロの介護者としては、日常茶飯事で、全部に対応していたら、何もできなくなる、ということでしょうし、その要介護者の混乱に対しては、慣れてもらうという対応が一番多いような印象があります。


 個人的な話で、申し訳ないのですが、母の入院する病院へ「通い介護」をしていたのは約7年だったのですが、その時も、入院してくるご高齢者は定期的にいらっしゃって、自分の家族の時よりは、少し心理的な距離があったせいもあり、少し冷静に見ていられたとも思います。

 そうした方々は、入院してすぐの頃は、それこそ大きな声を出したり、動いたりと、まさに「不穏」な行動が目立っていたのですが、病院のスタッフに聞くと、どうやら、ほぼすべての人がそんな状況のようでした。

 そういう人たちへの、スタッフの対応を見ていると、他の患者さんと同様に、その人に向かって、声をかけたり、必要ならば体の向きを変えたり、それは、おそらくは患者さんの不安を少しでも減らす、というプロとして努力や工夫を淡々と積み重ねているように思いました。

 そして、スタッフの方が言っていたのですが、だいたい3ヶ月くらいたつと、この前までの「不穏」がうそのように穏やかになっていく人たちは、かなり見てきました。

 やはり、変化に対しての不安の表明が「不穏」かもしれない、と思うようになりました。

 そういえば、私自身も、家族として、要介護者が入院していて、そこに通う生活になったという「変化」に慣れるまで、不自然な行動をしていたと思います。病院に「通い介護」をしていて、週に3日も4日も通っていて、ずっと病院のスタッフは変わらずに母親に接してくれていて、家族にも普通にあいさつなどもしてくれていたのに、それ以前の病院とのトラブルのせいもあって、病院を信じられるようになるまで、2年かかりました。

 ただ、家族としてのこういう不信感の長さは、自分自身の疑り深い性格なのかも、などと思っていましたが、他の家族介護者の方にあとになって聞くことがあったのですが、やはり、同じように慣れるまで「2年」という時間が必要だったというようなことは、狭い範囲ですが、比較的、多く聞いたので、それだけの時間が必要なんだと少し納得もしたような気もします。

 こうしたことは、本当に個人的なことであり、だから、多少の時間はかかっても「不穏」も大丈夫です、と言いたいわけでもありません。だけど、こうした例を、質問者の言葉で思い出しました。


 話を戻します。

 独り言を言ったり、不穏と見られるような行為をする、ということは、要介護者の方が、変化に対応する能力があることだと思います。

 ただ、その意味をわかるのはかなり難しいですが、まずは、釈迦に説法と思いながらも書いていますが、表情とか気配はどうでしょうか。もし、怯えなどがなければ、単なる戸惑いを、言葉にしようとして、言葉になりきれない振る舞いというか、自分の環境の変化への疑問を伝えようとしているだけかもしれません。その時は、いろいろな方法で、安心してもらうということで、少し落ち着いてもらえるのかと思います。


 また、悩まれているというのは、落ち着かせられないことで、ご自分を責められていないでしょうか。

 それまで、特に認知症になる前の、その要介護者の方とは、十分以上のコミュニケーションがとれていたということだと思いますが、いかがでしょうか。だから、よけいに、要介護者の方の混乱と思える状況に対応できないことに対して、より心が痛み、落ち着かせられないことで、また自分を責めてしまったり、といったことが悩みにつながっている可能性もあります。

 不穏だったり、独り言だったりするのだと思いますが、デイサービスやショートステイなどを利用されたあとだったりすれば、それは、変化に対しての反応かもしれません。それを落ち着かせたい、といった言葉は、要介護者の方を、とても大事にされているお気持ちだとは思います。ただ、それは、介護をきちんとやっているからこそ増える不安だと思いますし、そうした独り言や不穏に関しては、介護の専門家は、そんなに心配がない、という見方をされる場合もありえます。そして、そうしたズレがあるとすれば、より悩みが深くなる可能性もあります。

 そうした見方は、プロとしての経験値としての慣れがあって、この程度だったら心配ない、慣れてくればおさまる、と見ているかもしれません。そして、それは、相当程度、正確であることが多いので、もし、ご心配であって、介護スタッフの方に信頼感がある場合は、そうした悩みも含めて、聞かれてもいいのでは、と思ったりします。


 さらには、意志の疎通がこれまでのようにできなくなった、という根本的な悩みがベースになっている可能性もあります。

 コミュニケーションは、これまでは言葉も含めてのことだったと思いますが、認知症になられたことで、言葉の疎通ができにくくなったのだと思います。ただ、それでも、質問の文章にもあらわれているのですが、介護を受けられている方(要介護者)へ、すごく丁寧に見られているので、その変化が、よけいに気になる部分があるのだと思います。

 
 これから先、今までは違うコミュニケーションになると思うのですが、本当はどう思っているのか?ということを考えられていらっしゃるので、やや無責任な言い方になってしまい、申し訳ないのですが、そのうちに、おそらく、どうすれば落ち着かれてくることが、わかるのではないかと思っています。

 今、そんなことを言われても、いらっとするのかもしれませんが、でも、今のように介護をされて、気にかけ続けることで、おそらくは、他の誰もが分からないかもしれませんが、何に対して反応したり、不穏になったり、独り言だったりすることの意味も分かってくるのではないか、と思いますが、どうでしょうか。

 これから先、今までは言葉中心だったコミュニケーションが、違う形へ移行するのかもしれません。そうなったら、気持ちがわかるようになり、そうすると、たとえば不穏なのか、不満なのか、何か要求しているのかが、分かるのかもしれません。

 そうなった時に、これまで、「不穏」だと思っていた状態が、実は「不穏」でなかったり、単純に何か言いたいことがあっただけ、みたいなことが分かるようになるのかもしれません。


(質問4)いまは施設にずっと居てもらっていて、不穏の状態などはわかりませんが、どうしてるのだろうかと心配になってしまいます。

 これは、(質問③)と似ているかとも思いますが、現在、コロナ禍の影響で、面会を禁止にしている施設も出てきているようですので、会いたくても会えない、といった状況を前提として話を進めたいと思います(違っていたら、すみませんが)。

 今は、コロナ禍のため、施設にいらして、お会いできないとは思うのですが、今までにない前代未聞の事態ですので、周囲も含めて仕方がないというか、命を優先させるとすると、しょうがない、といったことになると思います。ある意味では、あきらめがつきやすい状況ともいえます。でも、会えないことで、不安はふくらむのだとも思います。

 他の方から見たら、心配することもない、というような言い方もされるのかもしれませんが、それだけ介護をされてきて、ずっと見守ってきて、だから、要介護者が見えないことで、より不安がふくらむのは、自然だと思います。

 だから、それをどうして心配しないようにするか、といったことは、かなり難しいですし、無理に心配をしないようにする、というのは不可能に近いとも思います。

 ですので、もし、できるのであれば、電話で様子をお聞きするとか、可能であれば、オンラインで映像でお会いできる場合もあるかもしれません。こうした状況なので、施設でも大変かと思うのですが、食事時などを避けて、問合せをされてもいいし、もしくは、できるのであれば、外から見られる場所で、要介護者の姿を直接見にいくみたいなこともされるのは、いかがでしょうか。もし、変わらない姿を、遠くからでも見られたら、かなり心配の程度が下がる可能性はあると思います。

 ただ、それも無理とすれば、心配をかかえたままでも、もし、そういう心配や不安を少しでも共有できる方と連絡をとられるのは、どうでしょうか。孤立感が、少しでも減れば、とも思います。もし身近な方と、そういう気持ちを一緒に味わえるのであれば、そんな話をされるのもいいと思います。

 それもできないのであれば、手紙を出されたりするのも、少しは違うのかもしれません。施設の状況なども含めて考えられて、できる限りのことはされてもいいのでは、とも思います。

 それだけ介護をされてきたのですから、心配するのは当然で、自然だとも思います。
 それを前提にして、それでも心配することで、ご自分が必要以上に消耗されないように、考えるのがいいと思います。ただ、どうすれば心配そのものを減らせるかを対策するのは難しいので、ご自分が、介護のことを忘れられるようなことをする時間を少しでもとる、というのはいかがでしょうか。気分転換みたいなことが難しいとすれば、何か体を動かすようなことができるといいのですが……。


 今回は以上です。
 質問者様に、どこまで適切に応えられたかは、分かりませんが、少しでもお役に立てば、幸いです。しかも長い記事を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。お疲れのことと思います。

 もし、他にも「こんなことを書いてほしい」というリクエストがあれば、また書かせていただきたいと思っています。


(他にも介護のことで、いろいろと書いています↓。クリックして、読んでいただけると、うれしく思います)。

介護の言葉① 「介護離職」

介護の大変さを、少しでも、やわらげる方法②書くこと

家族介護者の気持ち③「死んでほしいは、殺意ではない」

「介護時間」の光景⑧ 「あかり」 5.6

『家族介護者の気持ち』 ①介護のはじまり・突然始まる混沌


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越智誠  臨床心理士/公認心理師  『家族介護者支援note』  この記事を読んでくださり、ありがとうございました。もし、お役に立ったり、面白いと感じたりしたとき、よろしかったら、無理のない範囲でサポートをしていただければ、と思っています。この『家族介護者支援note』を書き続けるための力になります。  よろしくお願いいたします。