見出し画像

日本企業は、まだ負けたわけではない|事業より保身を優先してきた会社への警鐘

私は40歳の時、19年働いた東芝を辞めた。
退職金が大きく減ることは、分かっていた。それでも、辞めた。当時、周りで辞める人は、誰一人いなかった。ただ、私は感じていた。この会社は、内側から、おかしくなっている。その翌年だった。東芝の不正会計問題が表面化した。大規模な希望退職が実施され、私が19年を過ごした会社は、かつての姿を失っていった。

先に、はっきり書いておきたい。
私はここで、東芝の内部で何を見たのかを、具体的に書くつもりはない。書くべきでもないと思っている。そこで働いていた人たちには、それぞれの立場と事情があった。今も第一線で戦っている仲間もいる。ただ、あの時期に私が学んだ「会社が内側から弱くなる構造」は、書くことができる。

そしてこれは、一つの会社だけの話ではない。私はその後もいくつかの大きな組織で働き、多くの経営者の話を聞いてきた。同じ構造が、形を変えて、あちこちの会社に現れるのを見てきた。これは、日本の大企業の多くが抱えている、共通の病の話である。


会社は一枚岩ではない

外から見る会社は、一つの人格を持った存在のように見える。経営計画がある。中期戦略がある。IR資料がある。株主総会がある。コンプライアンス研修がある。立派な理念もある。会社は合理的に動いているように見える。

しかし実際には、会社の中にはいくつもの小さな会社がある。
事業部がある。部門がある。出身母体がある。合併前の会社の系譜がある。主流派と非主流派がある。誰が誰に近いかという、表には出ない人間関係がある。

会議では「全社最適」という言葉が使われる。しかし日々の判断では、「自分の部門を守る」「自分の上司を立てる」「自分の系譜を勝たせる」という力学が入り込む。これは珍しい話ではない。むしろ、大きな会社ほど起こりやすい。

合併を繰り返した会社では、特にその傾向が強くなる。名刺は同じでも、過去の会社の記憶は簡単には消えない。どの出身母体が主導権を握るのか。次のトップはどの系譜から出るのか。どの部門が本流で、どの部門が傍流なのか。こうした見えない線が、意思決定を歪めていく。

本来、合併は事業を強くするために行われる。しかし統合が表面だけで終わると、会社の中に複数の会社が残り続ける。そのとき経営の関心は、事業をどう伸ばすかではなく、誰が主導権を握るかにすり替わる。
ここから会社は弱くなる。

「会社のため」は、もっとも危ない言葉になる

会社を壊す人は、最初から会社を壊そうとしているわけではない。多くの場合、本人たちは「会社のため」と思っている。この事業を失敗にできない。この投資を間違いだったとは言えない。この部門を守らなければならない。この人事を通さなければならない。この決算を悪く見せるわけにはいかない。この株主総会を無事に乗り切らなければならない。

一つひとつは、もっともらしく聞こえる。しかし、その先にあるのは本当に会社の未来なのか。実際には、自分の評価を守っているだけではないか。自分の任期を守っているだけではないか。自分の派閥を守っているだけではないか。過去の判断を正当化しているだけではないか。

「会社のため」という言葉は便利である。だからこそ危ない。私欲は、必ずしも露骨な欲望として現れない。多くの場合、それは責任感や忠誠心の顔をして現れる。

社長の仕事が、事業ではなく「無事に乗り切ること」になる

大学院で会計のレポートを書くために、日本を代表するメーカーの元経営幹部に、インタビューをしたことがある。その時に聞いた言葉が、忘れられない。「日本企業では、いつの間にか社長の最大の仕事が、事業を伸ばすことではなく、IRと株主総会を乗り切ることになってしまった。それを何人もの社長が繰り返した結果、長い停滞が生まれた」

私は、強く同感した。
自分が見てきたものと、完全に重なったからである。本来、社長の仕事は未来を作ることである。社内のしがらみや売上都合を100%排除し、冷徹なまでにお客様に選ばれる理由だけを問い続ける。事業の勝ち筋を決める。人と投資の優先順位を決める。やめるべきことをやめる。必要なら、自分の任期中に痛みを伴う判断をする。

しかし現実には、そうならないことがある。
株主にどう説明するか。総会でどう突っ込まれないか。外からどう見えるか。今期の数字をどう整えるか。自分の任期中に大きな失点を出さないか。
この発想が強くなると、経営は守りに入る。大胆な投資は先送りされる。撤退判断も先送りされる。不採算事業も温存される。組織の問題も先送りされる。

本当は壊れているものを、壊れていないように見せることに力が使われる。
こうして会社は、静かに弱くなる。「失われた時間」は、ある日突然生まれるのではない。事業より保身を優先する判断が、毎年少しずつ積み重なって生まれる。

数字は、事業を見る道具から、権力を守る道具に変わる

売上、利益、営業利益率、ROIC、株価、時価総額、KPI。数字は、本来は事業の状態を見るための道具である。しかし組織の中では、数字が権力の道具になることがある。ある事業を守るための数字。ある投資を正当化するための数字。ある役員の判断が正しかったことを示すための数字。ある派閥が主導権を握るための数字。ある社長の任期を傷つけないための数字。

数字そのものは客観的に見える。しかし、どの数字を見るか、どの前提を置くか、どの数字を見せないかには、人間の意思が入る。だから数字は怖い。数字は経営を冷静にする一方で、会社の中の私欲を正当化する道具にもなる。

いつまで日本の経営者は、ROICや見た目の数字調整に、貴重な時間と知恵を使い続けるのか。その時間は本来、お客様のために使われるべきものである。

コンプライアンス研修では、会社は守れない

多くの会社にはコンプライアンス研修がある。行動規範もある。内部通報制度もある。監査もある。それでも、不正や隠蔽は起きる。なぜか。問題は、ルールを知らないことではないからだ。やってはいけないことは、みんな知っている。それでも、上司から強い圧力がかかる。部門の数字が足りない。過去の投資を失敗と認められない。派閥の敗北につながる。社長の任期に傷がつく。株主総会で説明できない。

そのとき、人はこう考える。今回だけ。まだ挽回できる。会社のためだ。組織を守るためだ。今ここで表に出す方が混乱する。こうして、正しさは後回しにされる。コンプライアンスは、平時には機能する。しかし、権力、評価、出世、面子、派閥が絡んだ瞬間に弱くなる。だから私は、コンプライアンスの本質は研修ではないと思っている。本質は、経営者自身が不都合な現実を受け止められるかどうかである。

会社の弱さは、人間の弱さでできている

会社は法人である。しかし、実際に会社を動かしているのは人間である。だから会社には、人間の弱さがそのまま出る。認められたい。負けたくない。失敗を隠したい。自分の側を勝たせたい。自分の任期を無事に終えたい。自分が正しかったことにしたい。これは誰にでもある感情である。問題は、その感情を持つことではない。問題は、その感情が会社の意思決定を支配してしまうことである。

会社のためと言いながら、実は自分のためになっていないか。事業のためと言いながら、実は派閥のためになっていないか。株主のためと言いながら、実は自分の任期を守るためになっていないか。改革と言いながら、実は過去の判断を正当化しているだけではないか。この問いを失ったとき、会社は脆くなる。

それでも私は、日本企業に絶望していない

では、日本の会社は、もう駄目なのか。私は、そうは思わない。
まったく違う原理で動く会社を、この目で見たからである。東芝を辞めた私は、ユニクロの面接を受けた。そこで聞いた言葉を、今でも覚えている。

「我々は、ZARAやH&Mを目標にしているのではない。AppleやGoogleのように、人々から尊敬されるインフラになることを目標にしている」
私は、驚いた。社内の話が、一つも出てこなかったのである。派閥も、系譜も、主導権も、株主総会の乗り切り方も。この会社が見ていたのは、外だった。お客様と、未来だった。私は、この会社に行こうと決めた。

その後、ユニクロの中で見たものは、他の記事(下記関連記事)に書いた通りである。会議で意見が割れても、最後に戻る場所は「お客様にとって本当に良いのか」だった。数字は、権力を守る道具ではなく、「お客様からの通信簿だった。」

内向きの会社は、保身のために数字を磨く。
外向きの会社は、お客様のために数字を使う。
同じ数字を扱っていても、向いている方向が、まるで違うのである。

おわりに

会社は、制度だけでは守れない。理念だけでも守れない。優秀な人材だけでも守れない。会社を壊すのは、外部環境だけではない。むしろ怖いのは、内側にある。縦割り、派閥、出世、面子、任期、株主総会、過去の成功体験、失敗を認められない空気。そして、「会社のため」という言葉に隠れた私欲。
企業は、これらに何度でも負ける。

だからこそ経営に必要なのは、強いリーダーシップだけではない。自分たちの中にある弱さを見つめる力である。そして、視線を向け直す先は、決まっている。社内ではない。お客様である。

日本企業は、まだ負けたわけではない。
内側の弱さから目をそらさず、視線を外へ、お客様へ向け直すことができれば。会社のためと言いながら、実は誰のための判断になっているのか。あなたの会社の会議で、その問いは、まだ生きているだろうか。


筆者について
熊倉賢太郎。エグゼクティブマーケティングパートナーズ(EMP)代表。ENEOS・ユニクロ・東芝でマーケティングを歴任。ENEOSではマーケティング部門を立ち上げ、執行役員として経営にも携わった。現在はフラクショナルCMOとして複数の企業の経営に入っています。早稲田ビジネススクール在学中。https://www.empartners.co.jp/


いいなと思ったら応援しよう!