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【連載】覇権のOS:飛鳥の叛逆者 -リベリオン- 《その②》 feat. 蘇我馬子 - その男、暴君につき⁉︎ - from ロマン派史説

さて前回の
飛鳥の叛逆者 -リベリオン- 《その①》


どうやったやろか?


大伴氏の失脚から
トライアングルのバランスが崩れ

崇仏論争を契機に
政治的な対立が表面化した


一方で


鈴と雀という逸話が
日本書紀に書かれるほどの私怨は

この後の戦端を開くには
十分な火種やった


物部守屋(もののべのもりや)
単なる頑固者として描かれがちやけど

個人的には

組織にとって必要不可欠なアンカー
やったと思とる


※詳しくはこちら



しかし


火種はやがて
戦火へと変わっていく


さらに


日本史上唯一の
天皇暗殺事件 が発生してしまう


飛鳥時代
最大の動乱期を一緒に見ていこか



▼この記事を1枚にまとめると





✦ ✦ ✦
第一章:
開かれた戦端



587年
用明天皇が崩御


皇位継承問題が浮上する


物部守屋は
穴穂部皇子(あなほべのみこ)
擁立しようとした


しかし


蘇我馬子は
過激な方法で先手を打つ


豊御食炊屋姫(とよみけかしきやひめ)
後の 推古天皇 の命を受け

穴穂部皇子を
討った


これで
もう後戻りはできへん


馬子は

目的を同じくする皇族や豪族をまとめ
大軍を編成


その中には


若干 14歳の
厩戸皇子(うまやどのみこ)の姿もあった

後に

聖徳太子(しょうとくたいし)
と呼ばれる天才や



対する
物部守屋は

河内・渋川の拠点に
砦を築いて迎え撃つ体制を整えた

現在の大阪府八尾市
八尾駅の北側のエリアやな



(双方とも完全なる戦モードに突入😅)



こうして



飛鳥時代の幕開けを告げる
大きな内乱が勃発

後に

丁未の乱 (ていみのらん)という名で
歴史に刻まれる戦いや



まずは
序盤


守屋は
優勢に戦を進めていく

それもそのはず
物部氏は代々軍事を担ってきた

最強氏族や

守屋は
自ら自陣にあった大木に登り

上空から死角なく
雨のように矢を射かけたという

(映画の主人公みたいやな😁)

これにより
蘇我軍を三度も撃退した


一方


苦戦を強いられていた
馬子陣営では

厩戸皇子が
四天王像を彫り

戦勝を祈願したと言われとる
まるで戦国武将やな

「もしこの戦いに
 勝たせてくれるんやったら

 必ず立派な寺院を建てますさかいに
 我らに力をお与えて下さい!」


そう
誓ったとも伝わる


因みに

丁未の乱の後に
厩戸皇子 = 聖徳太子 が建立したお寺こそ

大阪府を代表する大寺院
四天王寺や😁




鉄壁の戦上手である守屋軍に対し
攻め手にかける馬子軍

攻める側の馬子軍の方が
恐怖で士気が崩壊しかけていたという


(恐るべし守屋😎)


こうして


戦況は
完全に膠着したかに見えた


しかし


一本の矢がすべてを決する!


(なんやて😱)


続きは次の章や


✦ ✦ ✦
第二章:
決着の時



膠着した
戦況を動かした人物

それは弓の名手
迹見赤檮(とみのいちい)

蘇我軍
伝説のスナイパーや



木の上から矢を射続ける守屋に
蘇我軍は苦戦しとった

近づくことすら
出来へん


このままやったら
埒が明かん


赤檮いちい
腹を括った


大軍勢に紛れ込み
物部軍の攻撃の隙をつき

決死の覚悟で
守屋が登っている木の真下へ忍び込む

弓は発射するごとに
新たな矢をセットする瞬間がある

そのリロードの瞬間を
赤檮いちいは見逃さへんかった

無防備になる
ほんの一瞬の狙ったスナピング


赤檮いちいの放った矢は
守屋に命中


守屋は
大木から落下して討ち死に


総大将を失った物部軍は
総崩れとなった


一本の矢によって
戦は終結した


因みに


聖徳太子伝暦には

この時赤檮いちいが放った矢は
若かりし日の聖徳太子が

四天王の祈祷を込めて手渡した
鏑矢かぶらややったと記されとる


(なんかエモい☺️)



しかし
何で鏑矢なんや?



鏑矢というのは
先端に中が空っぽのかぶらがついとるから

ヒュオオオ! という凄まじい風切り音
が鳴り響くねん

本来は
合戦の合図に使うもんや

こんな隠密行動ミッションには
本来は向いてへん


一体
どういうカラクリなのか?


守屋からすると
足元から狙われるとは思っとらん

そこに木の下から突然
爆音を立てて飛行物体が飛んでくる

おそらく守屋は
回避行動をとる余裕すらなく

音に驚いた瞬間に
胸を撃ち抜かれてしもうた


そして落下


本来は実践向きじゃない鏑矢を使ったのは
チャンスは一度きりやったからや

仮に当たらなくても
轟音で驚いて体制を崩して落下させる

その辺まで
計算した戦術やったはずや


もしかして
聖徳太子って戦上手でもあったんか?😇


そして


この極限状態の中で
一発必中させた赤檮いちいもエグい😅



これにより
物部氏は歴史の表舞台から姿を消す



守屋は
最後まで己の信念を貫いた



祖先代々
守り祀ってきた神々

祖先代々
築いてきた外交関係

それらを守るため
最後まで命を賭して戦い続けた



恐らく守屋は
負ける可能性が高いことは分かっていた


なぜならば


守屋軍は
穴穂部皇子あなほべのみこが討たれたことで

大義名分を喪失し
誰の後ろ盾も支援も受けられない状態


一方


蘇我軍には
厩戸皇子をはじめとした皇族たちは
諸豪族が大集結しとった



戦が始まる前に
政治的にも戦力的にも詰みの状態

それは
誰の目にも明らかやった


孫子曰く

「勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め
 敗兵は先ず戦いて而る後に勝を求む」


有名な孫子の兵法の一節やが
一言で言うと

「勝負は、戦う前に決まっている。」


っていう
戦勝におけるひとつの定理や

守屋ほどの戦上手であれば
当然これくらいのことは理解しとったはずや



でも
逃げへんかった



これはもう
性格が頑固とかそういう次元の話やない


命を賭けた信念


アンカーは
最後までアンカーらしく

美学を持って散った
武士の時代はまだ先のことやけど

物部守屋は
間違いなく武人の鏡だったと思う


かくして


丁未の乱は集結し
時代は大きく動き出したんや

✦ ✦ ✦
第三章:
天皇暗殺⁉︎


丁未の乱で
勝利を収めたことにより

蘇我馬子は
朝廷の実権を完全に握った

戦乱の引き金だった
皇位継承問題に関して馬子は

泊瀬部皇子(はつせべのみこ)
新たな天皇として擁立


第32代
崇峻すしゅん天皇 が即位する


しかし


この
関係は長くは続かんかった


591年
天皇の元に猪が献上された際

崇峻天皇は
その猪を指差して強烈な言葉を発する

「この猪の首を
 斬るのと同じように

 いつか

 朕(わし)が憎いと思う者を
 斬ってしまいたい」


誰のことを
言うてはりますのんかなぁー😅


この言葉を聞いた天皇の側近は
馬子に密告する


馬子は
自分が殺されると考え恐れたという

というのも

自分自身が
政治の実権を握っていることによって

崇峻天皇が
激しく自分を恨んでいると
認識しとったからや


しかも


崇峻天皇は
宮中に大量の兵器や兵士を集め始めた


この知らせを聞いた馬子は
今回も先手を打つ



592年
11月馬子は

「東国からの献上物がありますねん!」


といって
崇峻天皇を呼び出し

配下の
東漢直駒(やまとのあやのあたいのこま)

天皇を
暗殺させた



現職の天皇が
配下の者に暗殺されたことが

公式な歴史書に
ハッキリと記録されている事例は

日本史上
この事件しか存在せぇへん



史上唯一
天皇が配下に暗殺された事件




蘇我馬子による「独裁者の暴挙」と
語られることが多い



せやけど


本当に馬子は
独裁者やったんやろうか?

聖徳太子と共闘した人物が
独裁者って何かピンと来えへんのよねー

次章で
もうちょい深掘りしてみるわ

✦ ✦ ✦
第四章:
独裁か?総意か?


崇峻天皇
暗殺事件は

馬子が独裁体制を固める為にやった
暴挙やったんやろうか?


せやけど


ちょっと
立ち止まって考えたい



このタイミングって
聖徳太子や推古天皇って何してたん?

ほんまに馬子の独断なんか?
だってこの後

推古天皇が即位し
聖徳太子は摂政となるわけやろ?



僕は常々

関係者の利益を
明確に整理することによって

人間関係の
解像度を上げる事ができる

という
考え方をしている


今回も
この視点を用いて

関係者を
整理してみよか



◆蘇我馬子


天皇から
明確に殺意を向けられとった

兵器や兵の準備も
進み出した

動かんかったら、、、

殺されるんは
自分や

となれば

馬子の行動は
攻撃ではなく防衛やった可能性が高い



◆崇峻天皇


崇峻天皇は
明確に実権を取り戻そうとしていた

飛鳥から離れた地に
拠点を変え

蘇我と距離を取り
大友氏の娘を妃に迎えるなど

他の豪族と
距離を詰めていった

また

馬子に相談せずに
独自の地方視察をおこなったり

朝鮮への派兵を計画したりして
トップとしての権限を示そうとした


功を急いだ感は否めない


しかし


名実ともに
自分がトップとして国を動かす

という
意欲に対し

それを実現する為の
実力はまだ足りてへんかった



◆額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)
 ※後の推古天皇


第30代敏達天皇の皇后であり
敏達天皇の崩御後も

皇室のドンとして
最高意思決定に関わっとった

また

崇峻天皇と馬子の仲介役として
バラランスを取ろうとしてたとされる

加えて

ご本人はお望みになっていたかは
不明だが

馬子と協調することで
史上初の女帝という地位を得られる

馬子と敵対する客観的な動機が
そもそも薄い

また

馬子との距離を適切に保つ事で
崇峻のような末路も避けられる

攻めと守りの両視点と
天性の政治バランス感覚をもっていた



◆厩戸皇子
 ※後の聖徳太子



稀代の名宰相とはいえ
当時は若干19歳

自前の実力も
派閥も

まだ
発展途上やった

そう言う意味で
馬子と敵対するメリットが薄い

というか

仮に対決を決意したとして
勝てる見込みがない

これほどの人物が
そこを測れへんとは思えへん

協調こそ
唯一の合理的な選択肢やった

実際
後に摂政の地位に上り詰めとる





どうやろう?


独裁者vs善良な被害者たち


という
単純な図式は存在してへん


それぞれが
自分の置かれた状況で

最も合理的な選択を
しただけやったようにも見えへん?



強いて言えば


唯一
崇峻天皇だけは


意志と実行力に乖離があるという
ミスマッチを抱えとった



それが


十分な
権力基盤を構築できていな状態で

馬子を必要以上に
刺激してしまう行動の原因となり

後の推古天皇や聖徳太子が
崇峻天皇を支持できなかった理由であり


天皇暗殺


という結果を招いてしまった
本質的な顛末やったんちゃうかな


実際問題
馬子はこの件で失脚してへん

というか

複数の有力皇族による
後ろ盾を得ていたことがわかっとる



歴史にタラレバ言い出したら
キリないけど

崇峻天皇が時間をかけて
実力と人間関係を醸成していれば

違う結果に
なっとったはずやねんけどな、、、


とは言え


客観的には
何とでも言えるもんやけど

当事者であれば
見え方も感覚も絶対的に変わってくるから

何とも言えんわ



✦ ✦ ✦
最後に


さて
今回の考察はどうやったやろうか?



丁未の乱で
物部守屋というアンカーは

己の
信念を貫いて散った

武士のことを「もののふ」と呼ぶのは
物部氏に由来するという

名に恥じない
立派な最期やったと思う


そして


日本史上唯一の天皇暗殺事件


独裁者の暴挙の様にも見えるが
複雑な利害と意思が交錯した結果やった


それは


それぞれの
合理的な選択の集合結果やった



崇峻天皇は君主政治への回帰
蘇我馬子は防衛
推古天皇は攻守バランス



ほな
もう一人


聖徳太子は
具体的には何をしとったんか?


史実によると
実は「何もしてへん」ねん


江戸時代の学者 野宮定基ののみやさだもと
日記にこう書き残しとる

「馬子が崇峻天皇を殺害したとき
 聖徳太子は何もしなかった」


19歳の
若き皇子は

暗殺を
ただ黙認していた

そして
暗殺から5ヶ月後


この若き天才は
摂政という国政の頂点に立つ


(摂政は天皇の代理人や😎)



この大抜擢が偶然やと思う人は
そう多くないやろ?



次回
飛鳥の叛逆者 -リベリオン- 《その③》
feat. 聖徳太子



丁未の乱を中心にした
群像劇の最終幕

お楽しみに


筆者:Khaosan
波乱万丈な人生はこちら


【次回記事】


覇権のOS
飛鳥の叛逆者 -リベリオン- 《その③》

feat. 聖徳太子
- 「大和OS:飛鳥」 は未完の大器⁉︎ -


【付録】 まとめ資料



【Khaosanの舞台裏】


大学中退のバンドマンが、遅めの社会デビューから叩き上げて、マニラで散って、再生して、20年を越えるBiz-dev人生の修羅場を通じて《日本精神》に辿り着いた。

その真相と現代ビジネスに効く独自考察を高尾から発信してます!

そんな Khaosan の 波乱万丈な人生 とこれまでの 全考察記事一覧 は、このリンク先で包み隠さず大公開中やで 😁


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📝 この記事について
この記事は学術的な通説とは異なる点を多く含んでおります。あくまで一つの「妄想」として楽しんでもらえたら嬉しいです。

この記事は、AI戦略アシスタント「コマちゃん」との対話をベースに執筆しました。

Khaosan / 2026年7月



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