余計なひと言、蹴っ飛ばせ|1920(大正9)年5月20日(木)|
📗 1920年(大正9年)の日記です。書いたのは18歳の祖父、読んでるのは106年後の孫(私)。
旧制中学を出たばかり。
小学校の教員を目指して受験した師範学校に落ちて、「来年こそ!」と思いながら、親戚の家に居候しつつ、田舎の小学校で代用教員をしていた、初夏のころの話です。
🧭 この日のあらすじ
朝、母が高山から、わらびを採りに丹生川へやってきた。
靴は学校に持って行き、朝、服に着替えた。
県視学が視察に来た。
「君の短所は、おとなしいところだな」と指摘される。
放課後、フットボール(サッカー)で汗を流し、跳び台(跳び箱のことか)もする。
スカッとした。
夕方、堤先生に面白い話を聞いた。
📅 日記本文
朝、母がわらびを取りに来らる。
学校に靴を持って行き、朝、服を着る。
県視学来らる。
我が短所は、おとなしいのにある、と言わる。
放課後のフットボールを蹴り、又飛び台を飛ぶ。心持ち良し。
夕方、堤先生に面白い話を聞いた
📌 背景メモ
わらび
山菜採りの季節。祖父の母は、自分の実家・石松家の近くにわらびを採りにやってきました。
きっとお気に入りの場所があるんでしょう。
祖父の母は、石松家のしっかり者長女で、弟妹たちは姉の来訪にびびっていたという逸話も。
そんな祖父の母のシゴデキエピソードはこちら。

県視学
「視学(しがく)」とは、教育行政担当の公務員。
祖父が代用教員就職のときにお世話になったのは「郡」視学。その時のエピソードはこちら。
今回視察に来たのは、さらにその上の「県」の視学官でした。
💭 孫のつぶやき
チャキチャキのお母さんと勝気な妹に囲まれて育ったせいか、祖父はどこまでも穏やかタイプ。
でも県のお偉いさんには「おとなしすぎる」とダメ出しされてしまいました。
祖父は口下手で、あまり主張するタイプではなかったようです。
それに身体が弱いことが悩みで、師範学校の入試もそれが原因で不合格になったと思われます。
県視学が軽い気持ちで言ったであろう「おとなしい」という一言は、そんな祖父にとって、深く刺さったのではないかと思います。
お偉いさんに指摘されたということもあり、わかってはいても、結構ショックだったんじゃないかな。
いつの時代も「いらん一言を言うオッサン」は生息していました。
放課後のサッカーと跳び箱は、そのモヤモヤを振り払い、「おとなしい」という殻から抜け出すためだったのかもしれません。「心持ち良し」という言葉に少しホッとしました。
ところで、この日の「靴を学校に持っていき、服を着る」という記述。
数日前の職員会議で「明日より洋服着用」というお達しがあったらしく、それを受けてのことのようです。
これまでは和服で通っていたのでしょうか。
でも別の日の日記にはシャツをクリーニング店に預けたと思われる記述もあるので、洋服も持っていたはず。
だとすると、なおさら謎です。
下宿から学校まではたった1キロ。下宿から洋服を着ていけばいいことなのに、わざわざ持っていって学校で着替えたのはどうしてなんだろう。
旧制中学では詰襟の学生服に靴が制服だったわけで、今さら気恥ずかしいとかはなさそうなんだけどな。
そもそも、急に洋服着用令が出たのは、県の視学官の視察に備えてだと思います。
洋服の方がフォーマルだったんですね。今とは逆。
ちなみに、夕方に堤先生から聞いた「面白い話」の中身は日記に書かれていません。
でも県視学も教員出身のはず。
「あの人も若い頃は口下手でねえ」なんて話だったら、祖父も少し救われたかもしれないな、と勝手に想像しています。
そうだったらいいな。

