自己紹介|『生きたいように生きる人』が出来るまで - 社会人篇 vol.2
早々と、前回の続きを書かせていただいてます。
『生きたいように生きる人』が出来るまで。
自己紹介シリーズ第一弾↓↓
自己紹介シリーズ第二弾↓↓
前回までは、利己的な人間だった僕が、
誰かのために尽くすことに
喜びを得るというところのお話でした。
今回はその後の話。
『喪失と再生』ということが
テーマになるかと思います。
長くなりますが、
自分史なので簡潔には出来ません。
書籍1冊分にならないだけマシと言うことで、
お付き合いいただけますと幸いです(何様)
※ 4700字超えました
尽くしたいだけでは、越えられないものもある
主役はいつでも、非正規社員
ある時、大型店の新店立上メンバーとして異動の辞令が出た。
新店の立上はこれまで何度か経験しているが、
リーダーの期間が短かったため、
実は役職がついてからの新店立上は初めてだった。
とはいえ、僕のやることは変わらない。
なんであろうと、この場に縁あって集う人々と
向き合い続け、尽くすこと。
それが自然とお客さんにも反映され、
地域に還元されていく。
何より、僕たち社員と店舗そのものは
地域のパート・アルバイトさんがいなければ
運営することだってできない。
彼らに最大限の力を発揮してもらうこと。
社員は異動などで変わるが、
彼らは店に残り続ける。
彼らは店舗の主役、顔なんだその気持ちを常に、忘れないようにしていた。
自分を信じることが正か、果たして
新年から立上メンバーとして異動
その年の4月に店舗は無事オープンした。
売上は同規模の店舗と比較してまあまあ。
ただ、準備段階から懸念されていた問題が
いよいよ顕著になっていた。
絶対的なリソース不足。
人が、集まらなかった。
同規模店舗の3/2の人員しか集まらない。
加えて、当時集まったメンバーは
僕を含め役職者は全員、
初めての大型店出店の経験。
リソースあってなんぼの小売業で、
人が足りないことは致命的だった。
それからの日々は、まるで地獄だった朝は6時台に家を出て、帰ってくるのは23時を過ぎる。
睡眠時間は毎日4時間あるかどうか。
そんな日々が数ヶ月続いた。
自衛隊で肉体的には鍛えられていたため
体力的な苦痛は何とかはなっていた。
だが精神面ではそうもいかなかった。
疲弊する周囲のすべてをケアしきれないこと。
それが何よりの苦痛だった。
やがて行動という行動はすべて空回り。
何が正しいのかが、わからなくなっていく。
自分をレジにシフト落とすまでしないと回らない
でも管理者としてのタスクはやらなければならない
その他担当の仕事も肩代わりしなければならない
部下たちの不平不満は取り除かなければならない
上司たちの理不尽な要求をこなさなければならない
家に仕事を持ち帰らなければ消化できない
家族の相手はしなければならない
睡眠は取らなければいけない毎日が脅迫のよう――。
何かひとつでも、解消に向かっていっていたら
希望も持てたかもしれない。
だが状況はすべて悪くなるばかり。
何ひとつ、自分の力で越えられない。
変えられない。
その事実が心の中で黒い渦となりながら
大きくなっていく。
それを無視して、自分のやることを信じ続けた。
心と身体の分離、喪失
自分のやっていることは、
意味のないことなのだろうか。
ただの綺麗事だけを並べてきて
課題解決に寄与したことなんて、
実は何もなかったんじゃないか。
突出したスキルも知恵もない。
誰も助けられない。
無力で、役立たずで、口先だけ。
僕は、特別でもなんでもない
ヒーローにもなれない
誰かの上に立つような人間じゃ、ないそんなふうに自分を責め続けていたある日。
仕事を終えて車を運転している途中、
不意に視界のぼやけを感じた。
なんだと思い目を擦ると、
ぬるりとした感触がした。
涙だった、それも相当の――。
その瞬間は、別に悲しかったわけでもない。
むしろ何も考えていない、虚無の状態。
なのに頬は、盛大に濡れていた。
しばらく呆然としながら、
「ああ、ダメだダメだ」と言い聞かせる。
認識してはいけない。
そうしたら、ダメになる。
とはいえ、脳は解釈を進めていく。
理解が涙に追いついたとき、
運転しながら嗚咽を漏らして――泣いた。
お前には、最初から無理だったんだよ自分が自分のすべてを否定する。
目を逸らし続けた、自分の力不足。
輪郭を持ってしまったそれを、
認めた瞬間だった。
鬱と休職と小説と
鬱認定は紙切れ一枚
その後の転落はあっという間だった。
数日後、車で小さな物損事故を日に2回起こした。
無意識過ぎて、いつ事故を起こしたのか、
自分でも気づかないほど。
こんな経験は、初めてだった。
これ以上は、限界だ――。
もはや悟りに近かったと思う。
休ませてほしいと上司に連絡を入れ、
翌日には初めての心療内科にも通った。
先生に状況を説明し、いくつか質問に答える。
その後、驚くほどあっさりと鬱の診断書をいただいた。
あ、これで僕は鬱患者認定なんだただの紙切れ一枚。
貰う前は健常者、貰った後は鬱患者。
そうか、こんなものか。
こんなにも簡単に僕は、
壊れた人間として認定されるのか。
そうかそうか――。
一瞬にして、何もかもが
どうでも良くなった感覚を、
いまでもよく憶えている。
その後、上司経由で会社に診断書を提出。
薬の影響で起きることができず、
何度か仕事に遅刻しながらも、
翌週から人生初の休職をすることとなった。
すべて捨てても世界はとってもやさしい
休職初日の朝。
結局いつも通りの時間に起きた。
なーんにも考えなくて良いんだなぁ休みの日と何も変わらないはずだった。
でも何かが違っている気がして、
なんとなく外へ出てみた。
すると、まるで世界が違って見えた。
穏やかで、空気が美味しくて。
少しだけ、白くて眩しい――。
昇る朝日、青い海に波のように浮かぶ空雲。
風になびく田園の稲穂、飛び交う雁の群れ。
世界が、やさしく僕を抱いてくれた。
神秘的な感覚でありながら、
強烈で、鮮明で――美しかった。
抽象的な表現だけど、
あのときは確かにそう、感じていたんだ。
はじめまして小説
とはいえ、薬の影響やフラッシュバックもあり
しばらく悶々とした日々は続いていた。
幾日か過ぎた頃、読書好きな妻から
不意にあることを提案される。
小説とか、書いてみたら?――ちょっと何言ってるかわからない。
本当にそんな気持ちだった。
というのも、僕はそれまで
30年強生きてきた人生の中で、
本を読んだことなどほぼ皆無だったからだ。
まして小説を「書く」だって?
何を馬鹿げたことを笑
とはいえ、どうせやることもない。
まあいいかくらいのノリで、
書いたこともない小説を書き始めた。
これがどうだったかというと。
ドが付くほどハマった――。
体裁など何も気にせず書きたいように、
自分の好き勝手に世界を作り、
キャラを作り、書きに書いた。
短編中心のWeb小説だった。
コンテストにも繰返し応募し、
小さい賞では何度か受賞もさせていただいた。
ちなみにジャンルは主に、
青春か人間ドラマのエンタメ系になる。
そのときから四六時中、小説に没頭。
休職生活の軸となっていった。

【閑話】いまになって、思うこと
非現実を創造し、表現する
綺麗で純粋な世界を作る
人の心の美しさを、信じる幼い頃から、アニメやゲームが好きだった。
そんな感性が、あのとき活き始めたのだと思う。
もしかしたら、幼かった頃の僕は
このときが来ることを知っていたのかもしれない。
だから自分の中に刷り込んでいた。
だから小説好きな妻がいる。
そう考えると、ちょっぴり素敵じゃない?
あのときの妻の一言がなければ、
僕はきっと、いまも変わらず
文学に触れることはなかったと思う。
それに、悶々としたまま、
きっと休職生活から抜けることは
出来なかっただろうと、いまにして思う。
妻、GJ過ぎる――。
そんな妻はいまや立派な小説家。
僕の方が受賞率は高かったのだけれど、
妻はその後大きなコンテストで大賞を受賞。
小説家としてデビューし、
いまなお奮闘している。
この妻の活躍がまた、
僕の人生再構築の起爆剤となる――。
復職、15年に決別へ
とりあえず復職したものの
鬱で休職して6ヶ月。
僕は現場に復帰した。
別の店舗に異動という形での復帰となった。
体力の衰えはあったものの、
力仕事であるHCの業務のおかげ?で、
体力は1ヶ月程度で元に戻った。
精神的にはまだ辛く、
自分を守ることで必死だった。
人生一時的にドロップアウトしたことを
ある程度負い目に感じていたのもあり、
これまでとはまた別のストレスを抱え続けていた。
誰にも置いて行かれているような、
馬鹿にされているような、
残念な人と思われているような。
そんな感覚を常に抱いてしまい、
疑心暗鬼や自暴自棄になることも多かった。
正直、何がなんだかわからないまま、
幾年かの時期を過ごしていた。
人生を変える衝撃
ある年の秋、我が家に衝撃が走る。
妻の小説家としてのデビューが決まった。
え?まじ?――すご。
喜びもありつつ、驚きが大きかった。
自分の力で、実力でチャンスを掴み、
狭き門を越えて、立つ。
それを目の前で体現されて、
僕はあることを思い出していたんだ。
声優の夢を、諦めたこといまさらなりたいとか、
そういうわけじゃない。
成るべくして成る。
成るべくは、可能性を諦めないこと。
可能性は、誰にでもあるんだ。
それはもう、綺麗事なんかじゃない。
だって目の前に、
やってのけた人がいるんだもん。
このままで、いいのか?おまえは――。
その気持ちが、僕の背中を押すこととなる。
誰にも勇気・希望となる転職を
年齢は37歳。
このまま燻って生きるのか。
新しいストーリーを生きるのか。
もう、一度心は死んだ
なんならいっそ、生きながらにして
二度目の人生を味わおうかそうして人生2度目の転職を決意した。
転職先として選んだのはIT業界。
なおPCスキルはほぼ皆無。
37歳、未経験異業種の転職。
誰もが無謀だと思うレベルの話。
それでも挑戦するのは、
自分自身への証明でもあるし、
無理だ無謀だという周囲の人間や、
35歳転職限界説などというものに、
誰もビビらなくていいとんだと
証明したかったから。
――そうと決めたら即実行。
1ヶ月でITパスポートを独学で取得し、
可能性の高い求人に複数応募。
何社かとの面接を繰り返し、
晴れて2社、内定のご連絡を頂いた。
片方の企業については、
連絡系統が怪しかったため辞退し、
残った1社へ内定承諾の連絡を行った。
この間、転職活動を始めて2ヶ月のこと。
決まらなかったらどうしよう……
アラフォー無職覚悟か……
そんなことは露ほども考えていなかった。
やるしかないんよ
やり切るという覚悟があるなら、
もう『出来る』しか生まれないよねゾーンとでもいうのだろうか。
不可能という言葉が本当に頭になかった。
ともあれ、こうして15年のHC生活にあっさり幕を下ろした。
転職後は関東へ。
仕事も、生活も、交友関係も何もかも、
すべてが全く知らない世界へ。
完全に新しい人生を、歩くために。
――次回、最終篇 ▼▼
おわりに
ここを読んでいるということは、
もはや皆さん勇者ですね。
お読みいただき、本当にありがとうございます。
どこを目指しているのか、
正直さっぱりわからない感じですよね。
かなり合理的ではないと思うし、
だんだん振り切って来てるなあと、
自分でも感じます笑
これまでの中で説明しきれていないことは
もちろんたくさんあります。
それらは今後記事を書いていく中で、
それぞれタイミングがあれば
小出しでお伝えしていければなと思います。
なんであれ、こんな自己紹介でも
誰かの勇気や希望に繋がれば幸いです。
前回もたくさんのスキ・コメント・フォロー、
本当にありがとうございます。
次回、最終篇――。
『人生を変え続ける、コーチングとの出逢い』
を、お届けさせてください。
では、また。
しみー
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