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『40年前の部活動の違和感をふと思い出した話』 −パワハラは支配の象徴−

はじめに:つるっぱげになったのは、ボールが1個、消えたからでした。

誰かがサボったわけでもなく、盗まれたわけでもない。ただ、先輩が意図的に隠したのだ。

それは「通過儀礼」と呼ばれていた。理不尽さに耐えることでようやく一人前と認められるという、謎めいた理屈が、当然のようにまかり通っていた。しかし、その意味や正当性をきちんと説明できる者など、誰一人いなかった。問いかけることすら、許されない空気があった。

──その結果、1年生全員が五厘刈り。いわゆる“つるっぱげ”にされた。

中学に入学して、サッカー部に入ったのはごく自然な流れだった。小学生のころは野球チームに入っていた。高学年のころ、あの『キャプテン翼』の連載が始まった。運動好きな少年たちは猫も杓子もサッカーに傾倒していった。中学生になるタイミングで、野球かサッカーを選択するというのが流れになった。たまにしかボールが飛んでこない野球と違い、常に動き回りボールに絡みチームスポーツをやっているという感覚が強かったサッカーに魅力を感じ初めていた。私は、自然な流れてサッカー部活を選んだ。

部室に入ると、そこには坊主頭が“当たり前”として存在していた。五分刈りが標準装備のように定着していて、それを見ても、特に強い違和感はなかった。「ああ、これが普通なんだ」と、自然と受け入れてしまっていた。

でも、五厘刈りとなると話は別だった。ほとんど髪は残っておらず、地肌がはっきりと露出するほどの短さ。風呂上がりに鏡で見た自分の頭は、まるで別人のようで、正直言ってショックだった。

通学路では、すれ違う小学生たちに笑われ、教室ではクラスメイトの視線が気になって仕方なかった。とくに女子の前では、なんとも言えない気まずさがあり、避けられているように感じる瞬間もあった。それだけで、自分という存在がどこか“恥ずかしいもの”に変わってしまったような感覚があった。

「ボールを1つ失くしたお前たちが悪い」──そう先輩たちは言った。でも、あれは最初から仕組まれていた“罠”だった。

新入部員には、「1人1個」のボール管理という役割が与えられる。それを1つでも紛失すれば、連帯責任として全員が五厘刈り。サッカー部には、そうした“ルール”が伝統として根付いていた。まるで軍隊のような理屈。そして、子ども同士が作り出した小さな独裁社会だったのかもしれない。

初めてその“儀式”を体験したとき、自分の中にある種の違和感が芽生えた。

これは本当に「教育」なのか? 自分たちはサッカーがしたくて部活に入ったはずだ。なのに、いつの間にか、「耐えること」や「罰を受けること」が一人前になるための条件になっていた。

このままで本当にいいのか? 自尊心や友情が、こんなかたちで削られていくのを、ただ見過ごしていてよいのか?

そう思ったとき、心の中で小さな決意が生まれた。

いつか自分が先輩になったときには、この“伝統”を終わらせよう、と。


第1章:中学サッカー部の入部初日

中学に入ってすぐ、迷うことなくサッカー部に入った。小学校の頃からボールを蹴り続けてきて、サッカーはすでに日常の一部だった。もっと上手くなりたい、もっと深くサッカーと向き合いたい。ただそれだけの思いで部活動を選んだ。

初日のことは今でも鮮明に覚えている。春の陽射しがグラウンドを照らすなか、校庭の隅に一年生だけがまるで物のように並ばされていた。背中には、鋭く冷たい視線が突き刺さる。上級生たちが無言のままこちらを見ている。表情には笑みが浮かんでいるのに、目はまったく笑っていなかった。

誰ひとり口に出さないが、そこには“秩序”と“上下関係”という目に見えない網が張り巡らされていた。息をするのも遠慮がいるような空気だった。

最初に告げられたのは、「頭髪は五分刈り以上が原則」というルールだった。これに異議を唱える者などいない。何かを言えば、空気が凍ることくらい察していた。そこで初めて、自分が“自由”ではなくなったことを実感した。サッカーをしに来たはずが、まずは髪を剃られるという“関門”から始まるとは思ってもいなかった。

次に与えられたのは、「1人1個、ボールを管理する」という役目。管理というより、まるで「監視」と言った方が近い印象だった。自分の担当するボールには番号がふられており、きちんと手入れをしているか、空気圧は適正か、紛失していないか。すべてがチェックされ、何かひとつでも問題があれば、即座に「責任」を問われた。

「ボールを1個でも失くしたら、連帯責任で全員五厘だぞ」 そう言い放った先輩の声はいまだに耳に残っている。口調は軽く、まるでジョークのように響いていたが、目は一切笑っていなかった。あれは明らかに“本気”の宣告だった。

それまで“仲間”としての関係しか知らなかった私は、サッカー部という空間に存在するもう一つのルールに直面した。「技術」や「努力」ではなく、「服従」や「沈黙」で序列が築かれている世界だった。

ボールが泥で汚れていれば、「お前、何考えてんだ」と叱責される。ネットが少しでもほつれていれば、「怠慢だ」と責められる。そうやって、一年生は常に“見張られている”感覚のなかで息をしていた。

表向きはサッカーの部活動。でも、その実態は、軍隊にも似た閉ざされた共同体だった。そこでは「規律」がすべてに優先され、個々の意志や感情など二の次だった。

当時は、それが当然だと思おうとしていた。先輩たちもかつて同じ道を通ってきたと聞かされ、「みんなそうなんだ」と自分に言い聞かせることで納得しようとしていた。けれど、どこか心の奥にひっかかるものがあった。

なぜここまで厳しくする必要があるのか。なぜ、ボール1個の責任が全員の頭を刈る罰に繋がるのか。なぜ、ミスを恐れてびくびくしながらサッカーをしなければならないのか。

そのモヤモヤは、日を追うごとに少しずつ大きくなっていった。しかし、その違和感を口にすることはできなかった。言えば、「空気を壊す奴」として排除されるのが目に見えていたからだ。

“伝統”という名のもとに、誰もが黙って従う。そんな空気のなかで、私もまたその一員として、声を飲み込み、頭を下げ、ルールに従っていった。

でも、心のどこかでは思っていた。

──これは、本当に正しいことなのか?


第2章:ボールが消えるとき

ある日、それは唐突に起きた。

入部から数週間。日々の練習にも慣れ、ボールの管理にも慎重さが身についてきた頃だった。練習後、いつものようにボールの数を確認するために新入部員が集まっていた。自分の担当番号のボールを見つけて安心していた矢先、1人の同級生が自分のボールがないと慌て始めた。

全員でグラウンドを隅から隅まで探し回った。あるはずのない体育館の裏も探したが見つからなかった。

暗くなるまで探したが、結局出てこなかった。
「やられたか」 そう思った瞬間、背中を冷たいものが走った。

空気が変わったのは、あっという間だった。先輩たちが集まってきて、笑っている。だけど、その笑いは明らかに何かを知っている者の笑いだった。冗談めいた口調のなかに、確信と愉快が混じっていた。

「お前ら、やっちまったな」「連帯責任だな」「五厘だな、五厘」

笑いながら肩を叩いてくる先輩もいた。でも、その手はどこか乾いていた。表情には優しさもなければ、怒りもなかった。ただ、儀式を粛々と進める執行人のようだった。

その1週間後に、私たち1年生は全員、五厘にされた。床屋でバリカンがうなる音がやけに響いていた。

順番が来るまでの時間が、やけに長く感じた。鏡に映る自分の姿が、だんだんと現実味を帯びてくる。次第に笑えなくなってくる。これは、冗談でも教育でもない。ただの見せしめだ。

バリカンの刃が頭皮をなぞる感触を、今でも思い出せる。毛が剃られるたび、何か大切なものまで削られていくような気がした。音が止む頃には、心の奥に変な空洞だけが残っていた。

翌日、通学路が地獄のように長かった。帽子をかぶる習慣はないので、つるつるの頭は隠しようがない。校門をくぐった瞬間に、周囲の視線が刺さってくる。教室では何も言われなかったけれど、誰もが見ていた。見て、笑って、無言の距離を取っていた。

「なにやったの?」「やば」──そんな声が背中越しに聞こえてくるたび、あの夜の出来事が頭をよぎった。

しばらくして、あの消えたボールが、グラウンドの隅に落ちていた。 でも、それは偶然じゃなかった。先輩が意図的に隠していた──そう噂が流れた。いや、噂というより、すでに“そういうもの”として毎年行われている儀式だったらしい。

「新入部員に連帯責任を教えるため」 「甘えを断ち切るため」 「サッカー部の掟だ」

そんな理由を正当化の言葉として投げつけてくる先輩もいた。でも、心の底ではみんな気づいていたはずだ。あれは教育なんかじゃない。ただの暴力だった。支配の装置だった。

怒りよりも、空虚さが残った。なぜ、誰もそれを止めようとしないのか。なぜ、当たり前のようにそれが繰り返されてきたのか。

この世界では、「声をあげる者」は“和を乱す者”として切り捨てられる。それを本能的に理解していたからこそ、誰も何も言わない。

そして、次の年にはまた、新しい1年生が同じように五厘にされる。そうやって、“伝統”が引き継がれていく。

異常なのに、正常な顔をして続いていく──それが、最も恐ろしいことだった。


第3章:アホらしくて、やめた話

それから2年が経った。氣づけば自分も“先輩”と呼ばれる立場になっていた。

新年度、グラウンドの端に立ち並ぶ新1年生たちを見たとき、胸の奥にざらついた感情が湧いた。彼らの緊張した背筋や伏し目がちの視線は、2年前の自分そのものだった。

その春、部内では例年通りの空気が流れ始めていた。上級生たちが集まって、「今年のボールはどれにする?」「そろそろやるか?」と笑いながら話している。すでに“誰かを五厘にする段取り”を進めていた。

私はその輪の中に加わらなかった。加わろうとも思わなかった。

内心でずっと思っていた。「何が“伝統”だ。バカバカしいにもほどがある」と。

ボールをわざと隠し、それを“消失”と見せかけて一年生に責任を負わせ、連帯責任で頭を刈る。そんな儀式に何の意味がある? 誰が得をする? 何を学ぶ?

自分の中ではもう答えは出ていた。「何も生まれない。ただの恐怖と沈黙と傷跡だけだ」と。

ある日、1年生たちを集めてこう伝えた。

「ボールの管理は自分の責任でしっかりやれ。でも、もし何かが起きても、お前らの頭を誰にも刈らさせない。おれが責任を取る」

そのときの1年生たちの目を、今でも忘れない。驚きと安堵が交錯していたようだった。けれど、それ以上に、何かを信じてもいいのかという戸惑いのようなものが見えた。

後輩たちは、そこからボールを丁寧に扱うようになった。毎日拭き、ネットを補修し、空気圧まで自分たちでチェックするようになった。

誰かに怒られるからではない。刈られる恐怖があるからでもない。

自分の意思で「大事にしよう」と思ったのだと思う。

先輩という立場を使って、誰かを従わせることは簡単だった。怖がらせれば、沈黙させれば、それで統率できる。

でも、それは“支配”であって、“育成”ではない。

脅して動かすか、信じて任せるか。 私は後者を選んだ。

その結果、自分から進んで後輩の面倒を見る者も現れた。チーム内に新しい空気が流れた気がした。

もう一度、確認したい。自分がしたことは革命なんかじゃない。声を荒げて制度を壊したわけでも、上級生を批判したわけでもない。

ただ、「自分の代ではやらない」と決めて、黙ってそうしただけだ。

でもその小さな“違い”が、きっと次の世代に何かを残していく。そう信じている。


第4章:部活動とパワハラの境界線

サッカー部に入ったとき、そこは“好きなことに打ち込む場所”のはずだった。純粋にうまくなりたいと思い、仲間とともに切磋琢磨して成長していく場。それが部活の本来の姿だと信じていた。

でも現実は違った。そこにあったのは、上下関係とルールによって形作られた、もうひとつの“秩序”だった。

その秩序は、理屈では説明できないようなことを正当化していた。誰かが怒鳴られ、誰かが罰を受け、誰かが沈黙し、誰かが服従していた。そして、その構図の中に自分もいた。

五厘刈りの儀式。ボール隠し。無言の圧力。先輩が絶対で、後輩は黙って従うもの。理不尽でも「昔からそうだった」という一言で押し流されてしまう。この「昔から」という言葉は、非常に厄介だ。そこには問いを封じる力がある。

「なぜ?」と疑問を抱くことすら、空気を壊す行為とされる。そうして、誰もが無自覚のうちに「理不尽に慣れていく」。

面倒を起こしたくない。変なやつだと思われたくない。孤立したくない。 そんな感情が、声を出す前に自分の口を閉じさせる。この構造には、明確な“悪者”がいない。だから余計に厄介だ。

先輩たちも、自分たちがされたことを繰り返しているだけ。教員も「そういうもの」として黙認している。誰もが“正しいつもり”で、傷を重ねていく。

こうした構造の背景には、日本独特の「年功序列」と「同調圧力」があるのかもしれない。

年上を立てること。空気を読むこと。出しゃばらず、和を乱さないこと。 そうした“美徳”が、子どもの頃から無意識に刷り込まれていく。

日本では、「目上に逆らうこと」は「礼を欠くこと」とみなされやすい。 たとえその“目上”が間違っていても、それを指摘することは「失礼」とされ、沈黙こそが美徳とされる文化がある。

それは時に、集団の秩序を守る働きをするけれど、同時に“おかしなこと”をおかしいと言えなくなる温床にもなる。「黙って従う」ことで秩序を保ち、「疑問を持つ」ことが不和を招く。 そんな空気が、部活という空間ではとくに色濃く表れていた。

自分は幸い、途中で立ち止まることができた。疑問を持ち、違和感を手放さず、自分の代で終わらせることができた。けれど、そこには常にリスクがあった。空気を壊す側に回るということは、同時に“標的”になることも意味していた。

だから、誰もができることではない。
でも、それでも思う。
「これはおかしい」と感じたその感覚こそ、守るべきものだった。
怒鳴られ、恐怖で動かされる部活に、“成長”はない。ただの服従だ。

思考を止め、違和感を押し殺し、「正しいふり」をし続ける先に待っているのは、自分がかつて受けたものを“無意識に与える側”になっていく未来だけだ。

そしてこれは、学校だけの話ではない。社会に出てからも、職場にも、プロスポーツの現場にも、同じような構造は潜んでいる。静かな圧力、見えない上下、口に出せない序列。

部活という小さな社会で学んだことが、そのまま“理不尽を受け入れる訓練”になっているように感じることすらある。部活は教育の一環だと言うなら、問いに耳を塞ぐ空気ではなく、問いを育てる土壌であってほしい。

「育てること」と「支配すること」は、まったく違う。

あの頃の自分に、そして今も違和感を飲み込んでいる誰かに、そう伝えたい。


おわりに

いま振り返ってみても、あのときの五厘刈りが自分に与えた影響は小さくなかったと思う。

髪を刈られたという物理的なこと以上に、「自分の意思が否定される」という経験が、身体の奥深くに刻み込まれていた。羞恥、屈辱、沈黙、服従──それらは単なる思い出として風化することはなく、社会のなかで何かに従おうとするたび、どこかでその感覚が蘇ってきた。

理不尽に耐えることが当たり前になると、人はそれに対して疑問を抱かなくなる。疑問を抱かなくなると、自分が誰かに同じことをしていても気づかなくなる。そうやって、暴力は“文化”として受け継がれていく。

このnoteを書こうと思ったのは、あのとき言葉にできなかった違和感を、ようやく自分の言葉で記録しておきたいと思ったからだ。そしてそれが、いま同じように声を飲み込みながら理不尽に向き合っている誰かの、小さなきっかけになるかもしれないと思ったからだ。

「昔からそうだった」 「自分たちもやられてきた」 そんな言葉でしか支えられない伝統なら、それはもう終わらせるべきだと思う。

自分がやったことは、大きな革命でもなければ、ヒーロー的な行動でもない。ただ、自分の代で“儀式”を終わらせた。それだけの話だ。でも、それで後輩の頭が守れた。彼らが恐怖ではなく信頼のなかで動くようになった。それだけで、十分だった。

そして今、プロの現場に身を置くなかで感じるのは、この構造は形を変えてどこにでも存在しているということだ。試合に出られない選手、評価されない選手、沈黙するスタッフ。そこにもまた、見えない上下関係と“空気”が支配している。

プロフェッショナルであるはずの世界にすら、問いを許さない空気がある。出過ぎた真似をすれば、“扱いにくい”とレッテルを貼られ、静かに外される。誰もはっきりと言わないけれど、確かにそれは存在している。

このnoteは、小さな告白であり、静かな反抗でもある。部活の一場面を語っているようでいて、実は日本社会の縮図のひとつを書いているのかもしれない。

日本社会には、「序列の中で黙って従う」ことが美徳とされる風土が色濃く残っている。年功序列、終身雇用、根回し、空気を読む力。これらはかつて組織を円滑に動かすために機能していた面もある。だが、時代が変わり、個人の意志や多様性が重んじられるようになった今も、その構造が温存されていることの“歪さ”に、私たちはもっと敏感になるべきではないかと思う。

違和感を持ちながらも、誰も声を上げない。なぜなら、その違和感に名前を与えた瞬間、自分が「空気を壊す側」に回ってしまうからだ。だからみんな、気づかないふりをする。沈黙する。従う。

その構造が教育現場にあり、企業にあり、政治にまで及んでいる。形式だけの謝罪、責任の押しつけ合い、内輪の論理で決まる人事や意思決定──すべてがどこか、部活で見た“空気の支配”と地続きになっている。

だからこそ、あの頃、自分の頭は守れなかったけれど、後輩の頭は守れたという経験が、今の自分を支えている。あの時の決断は、ほんの小さなことだったかもしれない。でも、小さなことを変えられる人間が、小さな社会の空気を変えられる。そう信じている。

違和感を持てること。それは、何かを終わらせる力になる。

誰かの声にならない声に、耳を澄ませ続けたい。



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