見出し画像

ジル・ペイトン・ウォルシュ著 「不思議な黒い石」感想・考察


〇死と再生の儀式(はじめに)


ここに紹介した「不思議な黒い石」の話において、「死」ということが非常に強く働いている。(中略)
人間はライフサイクルの、節目を通過するとき、内的には「死と再生」の体験をするように思われる。イメージとしての死と再生をどのように生きるかが、なかなか難しいことなのであるが、昔はそのようなことを集団的、社会的にうまく行ってきた。それが未開社会に存在するイニシエーションの儀式である。これについても既に他に度々論じているところなので詳述を避けるが、要はその社会全体が必要に応じて、「死と再生」の体験ができるように、うまく伝統的にきめられているのである。

・河合隼雄著作集2 ユング心理学の展開

その上で河合隼雄氏は日本における元服の儀式(簡単にいうと成人式)で髪を切る行為が「首を切る」ことの象徴とし、子どもの名を捨てて新しい名をもらう一連の流れを「死と再生の儀式」と結びつけました。

また、現代においては、集団としての「死と再生の儀式」を失ったことにより、各個人がそれらを行わなければならないという課題があることを指摘。

このことが自覚されていないとき、死は次第にイメージの枠を超えて現実的な問題への顕れを見ることとなる。

これまでお伝えしてきた内容と繋がるのです。

故に河合隼雄氏は下記のようなことを述べました。

われわれは単純にその行為を止めさせることのみを考えるのではなく、いかにして「死と再生」の体験を象徴的に遂行して貰うのかを考えなければならない。

・河合隼雄著作集2 ユング心理学の展開

〇思い出す儀式(「不思議な黒い石」について)

 

-何とかわかろうとはしているんです。ずっとやってみてはいるんですけど、わかったりわからなかったりで、うまくいかないんです。ほしいものがあるらしくて、しきりにたのむんですけど、なくしたんですかって聞くと、違う、なくしたんなら自分はもうここにはいないんだって。なのにそれを取りもどしたいっていいはって。ほんとにどうしていいか。

「不思議な黒い石」 ジル・ペイトン・ウォルシュ著 訳:遠藤育枝 絵:ささめや ゆき 

河合氏も紹介されていた「不思議な黒い石」についてですが、英国で児童文学の作家であったジル・ペイトン・ウォルシュ著の作品で、ここには非常にたくさんの共有したいメッセージが込められていました。

簡単なストーリー

主人公の少年ジェームズは両親の都合でだだっ広く視界がどこまでも広がる土地に引っ越してきた。

ジェームズが通うことになった学校では「団地の子」のグループと「村の子」のグループで大きく分かれているが、よそ者のジェームズはどちらにも入ることができず、むしろ村の子らのリーダーであるテリーに目をつけられてしまう。

ジェームズにいつも近づき、一緒に行動するようになる女の子としてアンジェイがいる。
彼女は車暮らしの女の子で、町でジェームズにチョコレート(食事)の物乞いをしたところから二人の関係は始まる。
境遇のこともあり、アンジェイも、「団地の子」でも、「村の子」でもなかった。しかしテリーにとても気にかけられ、守られていた。

アンジェイは「直観」的な頭の回転の速さがあるものの、学校の勉強はほとんどできない。
ジェームズは周囲と比べても勉強ができることもあり、先生にアンジェイに教えるようにくっつけられたのだった。ジェームズは当初それを苦痛に思うも、次第に彼女に助けられていく。

両親は両親で大変な状況の中でもジェームズに対して精一杯の配慮を見せようとしているものの、えてしてこのような時、親の子どもに対する配慮は少し空回り気味になるケースが多く、テリーたちのこと、アンジェイのこともあり、ジェームズはこの土地で「ひとりきり」であった。
そんな中で唯一「好感」を抱いてもらえているとジェームズが感じとっていた相手が、すぐ近所に住む、ほとんど身寄りもないサムソンじいさんであった。

しかし、そんなサムソンじいさんはあるとき入院してしまう。ジェームズはお見舞いにいき、そこでサムソンじいさんにそれ程長い時間が残されていないことを知る。ジェームズはサムソンじいさんから自転車をもらった。

残りの時間を家で過ごすサムソンじいさんにジェームズが再度お見舞いにいくと、とあることを頼まれる。
それがおじいさんのお守りである「黒い石」を取り戻したい、ということであった。
それはサムソンじいさんがまだ子どものころ、ジプシー(非定住民・移動民)の女性からもらったイシで、彼女はサムソンが狩りで捕ったウサギとイシの交換を要求し、こう言ったのでした。

「これなくしたら、季節の変わるまえに死ぬ。人にやったら、人並みにあぶない目にもあう、けど、もし持ってたら、陸でも海でも災難には一生あわん。うさぎ一匹分のねうちはある」

それを聞いた若かりしサムソンはもらったことを喜んだものの、次第におそろしくなり、昔住んでいた家の暖炉の外せる石の下にしまいこんでしまった。70年経ってイシを取り戻さなばならないと思い込んでいた矢先に入院をしてしまった。

サムソンじいさんの頼みとはジェームズにそのイシを取り戻してほしいということだった。昔住んでいた家はもう誰も住んでいないから勝手に入って取ってこれる、ということでジェームズはサムソンじいさんのお願いを聞き入れる。

しかし、話はそう単純ではなかったサムソンの言う家はどこにもみつからないのだった。
サムソンじいさんが昔住んでいたころから町の作りが大きく変わっているし、ジェームズには土地勘がない。
さらにはテリーが町を自転車で駆けるジェームズを気に入らないとして彼を追いかけてくる(このとき村の子の一味の「マフラー」と呼ばれる男の子がジェームズを見かねて度々助言をくれる)。
刻一刻とサムソンじいさんの最期が近づいてくる焦りで、ジェームズは次第にじいさんと約束したことに対して後悔や、またこのような頼みをしてきたことに怒りも感じるようなっていく。
しまいには記録的な大雨でその土地全体が洪水状態となってしまうのであった…。

ー見つからんかったのか?煙突は残ってたがなあ……もうないか?
ー見えなかったよ。
ーあそこに行ってから一、二年はたつもんなあ。なにもかも変わりよる。ついてけんわ。やれやれ。今にもお迎えに行こかと、おちおちしてられん。ほな、もうやめとき。おたくは、釣りにでも行ったらええがな。
ジェームズは許しが出てよろこんでいいはずなのに、こう返事していた。
ーううん、やってみるよ。あしたは土曜日だからもっと時間があるし。
ーほんまにええ子やな。おたくのお母さんもええ人や。こないだのライスプディングは天下一品とはいかんけど、それに近かった。
ーいっときます。
ジェームズが答えた。


ところが翌日は雨だった。ただの雨ではなく、夜明けから夕暮れまで休みなく降り続く大雨だ。

「不思議な黒い石」 ジル・ペイトン・ウォルシュ著 訳:遠藤育枝 絵:ささめや ゆき



〇自我の死儀式(一端考察)


この内容は以前書いた記事と同様の構造を持っています。

ジェームズが「ひとりきり」なったことで自我を型取る関係性が壊れる。
観測点が「裏」に至る。

真実の世界に「観測点」が突入し、「表」を成立させるための、A→B→C→Dといった、各要素を繋いでいる矢印が崩れ、AはDなりえるし、BはBのままでA→B→C→Dをすでに内包しうるし、Cは存在しないように消えていってしまうし、A=Cであるし、突然Zが現れて実はAもBもCもDもZであったことがわかったりする。

再投稿 呪縛解放13 re:⓪自業自得という鎖「そもそも呪縛とは何か?」|大花 町


「きつね女房」に関して、観測点が「裏」に突入した成信に対してキツネが化けていた妻が「アニマ」の役割を果たしていました。「不思議な黒い石」に関してはアンジェイがアニマになります。アニマ・アニムス、即ち内なる異性はライフスタイルの変化でバランスを崩し、「裏」へと堕ちた個人に対して寄り添う存在、自我の相補的存在として顕れを観測可能となる。反対に言うとそれらは基本的にバランスを崩さなければ出会うことはない。

「1984年においては、私と天吾君の歩む道がクロスすることさえなかった。そういうこと?」

「そのとおりだ。君たち二人はまったく関りをもたぬまま、お互いのことを考えながら、おそらくはそれぞれ孤独に年老いていっただろう」

「1Q84」著:村上春樹

ジェームズは故にアンジェイと出会って共に行動し、サムソンじいさんのイシを探すようになります。


なくしたんですかって聞くと、違う、なくしたんなら自分はもうここにはいないんだって。なのにそれを取りもどしたいっていいはって。

「これなくしたら、季節の変わるまえに死ぬ。人にやったら、人並みにあぶない目にもあう、けど、もし持ってたら、陸でも海でも災難には一生あわん。うさぎ一匹分のねうちはある」

そのような「黒い石」はまさに「魂」ということができます。
いつかもっと詳しくご説明していこうと思いますが、「ものに魂が宿る」ということなのです。

そのような紡がれてきた「イシ」をサムソンじいさんはジェームズよって取り戻してほしかったということ。

これは二つの意味でのイニシエーション(通過儀礼)で、ジェームズの「子どもから大人」になるための通過儀礼とサムソンじいさんの「生から死」に至る通過儀礼の重なりを表現しています。
より正しくいうのであれば、前述したように、「子どもから大人」への儀式は「死と再生の儀式」です。この点に関してはわかりやすいと思います。

問題はサムソンじいさんの「生から死」への儀式。これは「肉体から精神体への儀式」とも表現できるもので、サムソンじいさんは「対象a(年神、精霊、スパークetc…)」として「言葉にならない」、「欲動」つまりはものに宿る「媒介者(可能態(デュナミス))」となる、ということです。



どうしても難しい表現になってしまうのですが、ごくごく簡単にお伝えすると、「黒い石」にサムソンじいさんの魂が宿っている。
もっと言うなら、ジプシーの女性や、さらに想定できるもっと前の所有者が宿っているということなのです。

それがニンゲンの本体なのではないか。

私の本質は「自己」とそのまわりを巡る「スパーク」である。
故に自我が焼失しようと私は不滅であるということ。
私は永遠であるということ。

この「現実」を去ったとしても、「自己」の一部として私は魂の海(普遍的無意識)に還っていき、そして精霊(火花・スパーク・対象a・みたま・年神・カミダーリ)としてお盆や新年に戻ってくる。

たしかに私の「認識」は「先祖」であるということ。

ここに至り私はディオニソスを通して永遠に舞い戻ってくる「時」を知るのです。というよりは私自身がその「時」であったということです。

生きていく力について4:D(ディオニソス)について⑥-1「悲劇の元型」|大花 町

そのような「魂」を取り戻すことは、「日常」、即ち「社会(表)」に身を置いていては不可能であるということです。

故に象徴的に「自我の死」を創り出す。
その案内人として内なる異性が顕れる。

さらに重要なプロセスに「行き詰まり」というものがみられる。

「不思議な黒い石」に関しては、どうしてもイシを隠した家が見つからない、テリーから目をつけられ追いかけられることも調査を進まなくさせる。それなのにおじいさんの命にはタイムリミットがある。
その中で不安や、焦りや、怒りが渦巻き始める。でもやめられない。

物語において、このような行き詰まりを解決させる舞台装置として度々「洪水(もしくはそれに対応する崩壊)」が設定される。

ここにきても「観測点」は表層意識で物事を考え、解決しようとしているが、このイニシエーションの本質は「死と再生」であり、表層意識つまり自我は一度死ななければならないのです。
そうして「行き詰まり」に立って、ようやく「自我の死」、即ち「無意識の大洪水」が生ずる。

もっと端的に表現するのなら「なるようにしかならないさ」ということが「しっくりくる」ようになる、ということです。


〇洪水後の儀式(物語の続き)


大雨は一週間続き、だだっ広いその土地には各地に湖ができる。

そして気がつく。大雨によって生い茂った草むらがなぎ倒され、少し小高くなった場所が見えるようになり、雨でできた湖に浮島がつくられている。そこにサムソンじいさんが言っていた家の堀があったのです。

ただその小島に渡っていくのにはボートが必要になる。
アンジェイは言います。ボートを持っているのはテリーであることを。
ジェームズはみぞおちあたりが苦しくなる感覚を覚えながらも、アンジェイと一緒にテリーにボートを貸してほしいと頼みにいくのです。

テリーは最初ぶっきらぼうに断りますが、アンジェイの説得もあり、「テリーからの挑戦を一つ聞くこと」を条件にボートを貸すことを承諾します。

ーよし、わかった。そんなに借りてえんなら、貸してやってもいいぜ。挑戦に応じるんならな。
ー挑戦ってなんなの?
ジェームズがたずねた。
ーへえぇそうか、知りてえか。おれのいうとおりやるんだ。ボートを返しに来た時おれがいうことは、なんだって、どんなことだってやるんだ。それがいやなら、ボートは貸さねえ。
 ほんのしばらくジェームズは迷った。するとサムソンじいさんの「痛うなってきたんや……」という言葉が頭に浮かんだ。
ーいいよ、いうとおりするよ。
テリーは満足そうだ。というより大よろこびしている。
ー今出してやるよ。運ぶのに手押し車も貸すぜ。ちょっと重いからな。
テリーは濃い赤をした泥だらけのビニール袋の先からオールが二本つきでているボートを持ち出してきた。
ーうちのガレージでふくらませるといい。誰にも見つかるなよ。空気穴は裏についている。
ーどうもありがとう。
ーはいよ。それからもう一つ、アンジェイは乗せるな。さもないと、おれがたたきのめすぜ。こいつは泳げないんだからな。

「不思議な黒い石」 ジル・ペイトン・ウォルシュ著 訳:遠藤育枝 絵:ささめや ゆき

そうしてアンジェイとボートを膨らませたジェームズは島に辿り着きます。
そしてようやく黒い石を手に入れたのでした。

そうやって草をはがしていると、タイルが一枚根っこにからまってはがれ落ちた。ジェームズは歓声をあげてひざまずくと、ぽっかりふたの開いた土の穴に手をつっこんだ。たれさがった根っこと落ちてきた土に交じって黒くてじとっとした長方形のものが見つかった。腐ってべとべとした袋は、ゆびでさわるとばらばらになった。タイルにかちんと音がして、サムソンじいさんのおまもりが落ちた。小さな葉っぱの形をした石片は黒くてひんやりとして、とがっていた。

「不思議な黒い石」 ジル・ペイトン・ウォルシュ著 訳:遠藤育枝 絵:ささめや ゆき


石を手に入れて沖に戻るジェームズの目に見えたのはテリーやマフラーら、村の子たちがずらっと集まっているところでした。


〇入会儀式


テリーがジェームズに告げます。

「ライマースを渡ってもらおう」

それは開け放たれた巨大な水門に点々と渡された鉄の柱をこちら側から向こう岸まで渡っていく、というもので、手でつかんで支えになるようなものは各箇所にある鎖のみで、先日までの雨で水の流れが激しく、足場の柱も水にほとんど浸かっているのでした。

マフラーは今の状態ではできっこないとテリーを諭します。

ーそうびくつくな、マフラー。こいつにやれるわけねえだろ。しりごみするに決まってるさ。

アンジェイはテリーに「きたないよ!」と叫んでいます。

しりごみしたとしよう。連中は自分ひとりのけものにして、土手の道を帰っていく。これから先ずっとのけものにされてしまう。連中はできっこないのは百も承知だ。それでもしりごみした奴だとずっと思われることになる。生きている限り村の仲間にはなれない。ここにいるアンジェイ以外に友達はつくれない。しりごみなんかできない。それでもダムをみるとぞっとした。

「不思議な黒い石」 ジル・ペイトン・ウォルシュ著 訳:遠藤育枝 絵:ささめや ゆき

そしてジェームズはテリーに言ったのでした。

「君のあとでなら、ぼくもやる」

ここでテリーも逃げなかったのです。

周囲の子らは二人にガヤを飛ばしたりしているものの、「落としどころ」をどこかで探しており、この状況でジェームズに対しても、テリーに対しても、ライマーズへの挑戦を望んでいなかったし、やるとも思っていなかったでしょう。

しかしこうなったとき、テリーは集団のボスとして逃げることはできない、ということです。もしくは私個人の感覚としてですが、テリーの表層としては余所者への嫌悪感や排斥感情があるとしても、意識されていない領域を含めた全体性でみたときに、ジェームズを仲間として迎え入れたい、という部分がたしかにあり、しかし、簡単に余所者を仲間にすることはその集団の危機に繋がりかねない。

このような感情は実際のところジェームズの中にもありました。小説の中で度々ジェームズが村の子の中に入りたがっている描写や、団地の子と比べた時にやはり村の子に所属したいという描写があるのです。

もし互いに関係を構築したいという感情がなければ放っておけばいいのに、テリーは執拗にジェームズを追いかけるし、そんなことをされているのにジェームズは村の子の中に入りたい。
それでも簡単に「お前は今日から村の子」だとはできない。
これが「私たち」と「彼ら」の二項対立を突破するときの難題なのです。

ヤマノミ、ヨルング、スラブ、タイヤル、ズニ、デネ、キワオ、
そして、アイヌ

これらの部族・民族名はその言語での意味としては「ニンゲン」であるといいます。

こういった事例はかなり多く、「私たち」を「ニンゲン」として、「彼ら」を「ニンゲンではないなにか」、つまりは「バケモノ」とするのです。

ここでいう「私たち」とは自我と自我を成立させる関係性や環境のことであり、「彼ら」とはその外側「知らないもの」、「無意識」ともニアリーイコールで結び付けられる。


ベネディクト氏はその「私たち」と「彼ら」を区分けする性質がどれほど人間にとって根源的かは不明としつつも、神話におけるヒドラ(9つの首をもつ蛇)のような現れ方をみることができると述べています。日本神話におけるヤマタノオロチや、九頭竜に関しても様々な説が言われますが、ここでいう「彼ら」のことであったというのは昔から言われ続けているものです。

生きていく力について4:D(ディオニソス)について⑥-1「悲劇の元型」|大花 町


昔の村や部族等の余所者への因習に関してかなり強烈なものも多くみられますが、反対にいえばそれほどまでに強烈なものを通過しなければ「私たち」は「彼ら」をホントウには仲間とは思えない、ということで、かならずどこかに「しこり」が残り、そして、

そういったものが、特定の思想の皮を被って、時代の変わり目に反動として現れる、ということです。

手を合わせることについて

だから冒頭の話にもどって、

われわれは単純にその行為を止めさせることのみを考えるのではなく、いかにして「死と再生」の体験を象徴的に遂行して貰うのかを考えなければならない。

このライマーズに関してもそうで、最終的にテリーはそれに挑戦し、失敗、水面に吸い込まれていき、すぐに病院に運び込まれる。
定期的に意識は戻るも、多くの時間を眠って過ごすようになってしまうのでした。

その上で善と悪を巡らせる、ということですが、
ジェームズは自分もライマーズを渡る決心をするのです。



〇再領土化の儀式(さいごに)


もちろんテリーと同じ条件でやらなければ意味がありません。
水流が激しい今日を除いてはもうやる意味はないのです。
ジェームズはテリーが病院に運ばれたその日の夜にできる限りの村の子をアンジェイに呼ばせて、自分はテリーの失敗を元に成功する方法を考え始めるのです。
足を置く位置、身体のよせ方、どの靴でいけばいいか、どの服でいけばいいか。

そしてジェームズはまだみんなが集まってもないなか、待ちきれずその儀式を始めるのです。

ー待てないよ。アンジェイ。やってしまわなきゃ。誰でもいいから連れてきてくれる?

ジェームズはそうしてライマーズを渡り切ったのでした。
そこに村の子らがやってきました。少年少女らはジェームズを称賛し、寒さに震える彼に心配の言葉をかけます。

ジェームズがつまづきながらゆっくりとこちらの岸をひとりで歩くあいだ、川に映った月は縮んだり、きらめいたり、渦巻いたり、ゆがんだりしながらずっとついてきた。全員自転車を取ってきていて、誰かがジェームズのも運んでくれていた。端のところであった時には、冷たい霧がたちこめはじめ、ジェームズの背中をたたくみんなを取り巻いていた。
ーあんたにできると思わなかったわ。
トレイシーがいった。
ーぼくもさ。
歯をガチガチならしてジェームズが答えた。

「不思議な黒い石」 ジル・ペイトン・ウォルシュ著 訳:遠藤育枝 絵:ささめや ゆき

ジェームズはそうして家に帰ると寒くて、痛くて、幸せな気持ちで眠りについたのでした。

ところで、お忘れになっていたかもしれませんが、サムソンじいさんの黒い石について、ジェームズ自身もポケットに入れたままになっていたことを忘れていたのです。

ジェームズはさっそくサムソンじいさんに石を渡しました。

ーわしほどかわらなんだなあ。ちっとも変ってないわ。そうや、これや。おたくはほんまにええ子やなあ。こんなええおとなりさんはまずないわ。さあ、これで取りもどせたのやから、おたくにあげる。おたくのものや。けど、ようおぼえとくのや。なくしたらすぐ死んでしまう。しもっといたら災難にあわん。人にやったら、人並みに災難にもあう。わかったかいな?

「不思議な黒い石」 ジル・ペイトン・ウォルシュ著 訳:遠藤育枝 絵:ささめや ゆき

ここで重要なのは、石を手元におくことにサムソンじいさんは執着していないということ。
イシに宿るもの、そしてジェームズ自身の見せてくれたイシに触れることが、サムソンじいさんにとっては「魂を取り戻す」ということであっただろうとうかがえるのです。

そしてそれはジェームズに「継承」されたのです。「魂は継承される」ということです。

手え出して、取っとくのや。けどな、わしみたいに長いことしまっとくのやないで。賢いもんのすることやない。

「不思議な黒い石」 ジル・ペイトン・ウォルシュ著 訳:遠藤育枝 絵:ささめや ゆき

もう少しだけ続けさせていただきます。

物語の構成上、サムソンじいさんの儀式に、ジェームズの儀式が必要であり、また、ジェームズの儀式には入会儀式が必要であったことがわかります。

Aという鍵はBという鍵を手にするための扉を開き、BはCと組み合わせることでDという鍵に辿り着くのです(それを現在の社会ではあべこべにされているため、一度A→B→C→Dと繋ぐノードを切り離して再構築する必要性があるのです)。

「仮想世界の設定」自滅回路+人々と平和に暮らしていた頃の記憶|大花 町

意識→前意識→行き詰まり→自我の死儀式(大洪水)→無意識→黒い石(魂)→現実に戻る(入会儀式)→問題の解決

という構成がみれるでしょう。人の観測点が内的世界に向かうとき、無意識の世界へ行って魂(黄金のハート)を取り戻したいことを意味しているのかもしれないのです。

それが「死と再生の儀式」であったろう、ということです。

「表」にもどってきたジェームズはアンジェイを探しに行きます。
そしてジェームズはアンジェイの態度に驚くことになります。

ーあたいなんかいなくてもいいよ。一人でやれる。かんたんだよ。
顔をさけるように、地面を見ている。
ー来てほしいんだ。
ーうそにきまってる。
ーどうしたのさ、アンジェイ?
気を悪くしたジェームズが、強い調子でたずねた。
ーいったでしょ、たいてい誰でもこわいんだって。
ーぼく以外は、だろ?
ー今はあんたもこわいんだ。もうつきまとったりしないよ。
アンジェイが悲しげにいった。
ーそんなのばかみたいだよ!本気なわけないよ。ぼくはそのまンまじゃないか。
ーあたいからすると、そのままじゃないんだ。行くまえに、チョコレート買ってよ。

「不思議な黒い石」 ジル・ペイトン・ウォルシュ著 訳:遠藤育枝 絵:ささめや ゆき

非常にアニマ的だといえます。ジェームズが「もう大丈夫」になったから「裏」の使者のような役割のアニマは彼とはいられないのです。

以前お伝えしたように「内なる異性」は「動物」の「要素」と結びつきやすい超自然的、脳幹的、「存在」であり、人間の世界に観測点が戻ったジェームズは彼女にとっては「怖い」存在なのです。

ーじゃあ、またね。
ーあたいに見つかるまでね!
アンジェイはにやにやしながらスキップで行ってしまった。

「不思議な黒い石」 ジル・ペイトン・ウォルシュ著 訳:遠藤育枝 絵:ささめや ゆき


アンジェイと別れたジェームズはテリーと、テリーを救いに一緒に水流に飲まれたマフラーのおみまいに行きます。
ジェームズは目を閉じているテリーにライマースを渡り終えたことを伝える。

眠っていると思っていたテリーはニヤッとわらいマフラーにいいました。

ーとんでもねえやつだな!おまえ頭どうかしてるぜ!聞いたか、マフラー?村になる資格はじゅうぶんだよな。
ー十分以上だ。

そしてジェームズはテリーに「黒い石」を渡したのです。

帰り際、テリーはジェームズに言います。

ーおれ、ずっと学校休むことになるだろうから、アンジェイをいじめるやつがいたら、おれのかわりにやっつけてくれねえか?
ーアンジェイをいじめるやつなんか、たたきつぶしてやるさ!
テリーはかすかに笑ったようだが、なにもいわなかった。

さてさて、「不思議な黒い石」の最後の結末ですが、是非ともあなた自身で読んでみてください。

大好きな内容でした。

この曲では「遥かな距離を超えて此処に届く声」について歌っています。

この曲に関しても、それを体感したことがある人間と、そうでない人間ではその歌詞を聴いて受ける印象は全く異なることでしょう。

体感したことのない者は、そういった事がこの世界にあることを知らないのですから、「なにかそれぽいいいこと」を歌っている印象しか抱かないか、もしくはそれすら抱くことなく聞き流すのです。

一方その「声」を体感したことがある者であれば、自身の経験と結び合わせて、この曲の作詞者の人生に想いを馳せることができるのです。

🚫直観機能の伸ばし方🚫|大花 町


最後まで読んでいただきありがとうございました。


いいなと思ったら応援しよう!