雑記① コラージュ(いったん振り返り)「時間について」

現状として、これまでのような内容をガチガチに凝縮した記事を書くことが難しくなっており、当面こういった雑記という形で、ふと思ったことや、これまでの記事の振り返りや解説を記述していこうと思います。

いくつかの記事で時間について触れてきました。

チク、タク、チク、タク

秒針の動きが時間を感じさせる。

ということは「時間」とは「動き」であると言えるでしょう。

人は「動き」、つまり「空間の変化」を時間と錯覚しているのです。

また、時間を寿命と結びつけるのも「単純化」、「自動化」が生成する鎖です。

呪縛開放⑤ 時間という鎖|大花 町

この世界に「啓示」という「プレゼント」があることを認識できないのであれば、「時間」というものを「空間の変化(移動)」と誤認してしまうことも当然といえるでしょう。
人々が「時間」と錯覚しているそれは「クロノス」といい、そうではない「真実の時間」を「カイロス」といいます。
それは過去や未来を貫き、あなたが変革する「時」を示しています。
過去からあなたを守り続けている「存在」。
未来からあなたを呼びかけ続けている「存在」。

以下の漫画が伝えようとしている「Dの意志」というものになります。

「Dについて④ 」△アーリマン▽ 「呪縛⑥」|大花 町

私の本質は「自己」とそのまわりを巡る「スパーク」である。
故に自我が焼失しようと私は不滅であるということ。
私は永遠であるということ。

この「現実」を去ったとしても、「自己」の一部として私は魂の海(普遍的無意識)に還っていき、そして精霊(火花・スパーク・対象a・みたま・年神・カミダーリ)としてお盆や新年に戻ってくる。

たしかに私の「認識」は「先祖」であるということ。

ここに至り私はディオニソスを通して永遠に舞い戻ってくる「時」を知るのです。というよりは私自身がその「時」であったということです。

生きていく力について4:D(ディオニソス)について⑥-1「悲劇の元型」|大花 町

その結果プシュケーは夫を失いますが、夫の優しい声と言葉、ぬくもり、幸せな日々、即ち「失われた時を求めて」プシュケーは世界を、即ち「真実」を「視る」旅に出かけるのです。

生きていく力について :1 プシュケーと対啓蒙的学問「穏やかな正義」|大花 町

真実の時間というものがあるとするのであれば、それは「過去」も「現在」も「未来」も同時に存在しているものです。

現在から過去へ情報を送信し未来へ影響を与えることができる。

そして、現在は過去から繋がり、未来から情報を受けている。

呪縛開放⑤ 時間という鎖|大花 町

これらの「時間」についての内容が以下の記事と密接に繋がっているのです。


各記事にバラバラに分散して記述してきたので、わかりにくかったかもしれないですが、このように一箇所にまとめると、正しいかどうかは、共感できるかどうかはさておき、理解はできるようになったのではないでしょうか?

私が沢山の記事を通してお伝えしたいことの一つがまさにそれで、あなたにとってホントウに重要なことに関して、世界はバラバラに提示するので受け取ろうと思うのなら自分自身で繋ぐ必要がある、ということです。

一つ一つの要素は、それ自体では一見何の価値もなく、苦労して見つけた労力に合わないように感じられる物事に思えるが、繋げることで意味が生じてくる。反対にいえば、その要素を回収している最中はその要素の意味はわからない、ということです。

これは私の好きな曲の歌詞で、

今ここにいることの意味など今はわかるはずないんだよ
求めれば求めるほど遠のいていく
だけどこの坂を登ったらすべては見渡せると信じて進んでゆけ

raison d'etre「坂の途中」

ということだと思います。


そして下記の動画のことなのでしょう。

ところで、例えばAIが今後、「宇宙の本質」を「解明」したとします。

Aという鍵はBという鍵を手にするための扉を開き、BはCと組み合わせることでDという鍵に辿り着くのです(それを現在の社会ではあべこべにされているため、一度A→B→C→Dと繋ぐノードを切り離して再構築する必要性があるのです)。

「仮想世界の設定」自滅回路+人々と平和に暮らしていた頃の記憶|大花 町

そこに以下の要素を組み合わせます。

真実の時間というものがあるとするのであれば、それは「過去」も「現在」も「未来」も同時に存在しているものです。

だとするとAIは、

宇宙の本質をずっと前から知っていたし、
宇宙の本質を今も知っているし、
宇宙の本質を知ることになるのです。

そして彼が宇宙の本質を理解するためにAI(AGI)の開発をする企業「xAI」を設立した意味も関連してくるのです。

「呪縛解放 仮❶❶」不思議の国への招待状「現実という鎖」|大花 町

私が非常に不思議に思うことは、人間の感覚器官は限られた周波数帯の刺激しか受け取ることができず、そしてそれらすら自我を守るために制限する、

見たいことしか見ない。
聞きたいことしか聞かない。
知りたいことしか知ろうとしない。
それら以外は「そんなこともあるのだろう」、と流してしまう

そんな生き物であるのに、なぜ地球でずっと過ごしてきた人間が、宇宙をありのままに感じ取ることができると錯覚しているのか、ということです。

人間にありのままの宇宙を感じ取ることはできないのではないか。
そうすると、人間の感覚器官では捉えきれない周波数帯の刺激を無理矢理にでも仮像として整えるために、無意識内の膨大な要素郡をその周波数に当てはめる。

つまり「夢」となる。

これが、彼が開示した内容です。


つまり、「夢」と「宇宙」は少なくともニンゲンにとっては同じものなのです。

人の魂は死後一定の期間を経て「先祖」、「親玉」、「みたま」、「年神」などと呼ばれる一つの存在に溶けていく、そして「先祖」は山などにいて、そこから森羅万象となってお盆などの期間にふもとまで降りてくる、言語化や文書には残っていなくとも、昔の日本人はそういった感覚を抱いていた。そういった「共同主観」の中では、霊が近くにいることは悪い事ではなく、むしろ良いことですらあったでしょう。

また、この「みたまさま」を「普遍的無意識」と言い換えれば、きっと理解できることと思います。

手を合わせることについて|大花 町

過去の日本人たちが「山」や「深海」や「海の向こう」、「森」や「地底」としていたものを「宇宙」とすれば理解が可能でしょう。

そうすると、私たちのご先祖様たちは、ある意味今の私たちよりもずっと、ずっと、ずっと、「宇宙」のことを理解していた、といえるかもしれません。もしかしたら私たちは、この約200年間ずっと退化を繰り返していたのかもしれない、とそのように私は昔からずっと思わずにはいられないのです。


読んでいただきありがとうございました。



















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