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私が創った、優しくて少し不完全な愛の世界

先日、95歳で天国へ旅立った義理ママのお葬式があった。
数年前に別れた元夫のお母さんのことである。

子供や孫たちは遠方に住んでいて、入院中に一度お見舞いに来ていたから、今回のお葬式に集まったのはごく身内だけ。その代わりにアメリカでは、日を改めてみんなが集まる会が後日催される。

義理ママはカトリックの熱心な信者だった。 もう最期かもしれないと分かったとき、孫である私の息子が神父様に頼んで病院へ来てもらった。彼女はそこで大きな心の安らぎを得た。そして今回のこのお葬式も、まだ23歳の私の息子がすべてを心を込めて手配した。

神父様が祭壇の前で私たちに向かってこう言った。 「このお葬式は、お孫さん(私の息子)が本当に一生懸命に手配してくれたんですよ。この若さでここまでできるなんて、なかなか珍しいことです。感心しました」

その言葉に、胸の奥がジーンと熱くなった。 息子と、北部に住むいとこの孫娘が、代わる代わる台の上に立って聖書の一部を朗読した。義理ママの人生の、一番の心の支えだった2人。

この孫娘はおばあちゃん子で、実は彼女が祖母を看取った。
出会ったときには中学生だった彼女も、今では4人の小さな子供たちのお母さんで、数日前に4人目の赤ちゃんの洗礼式を終えたばかり。なんと私の息子がその子のゴッドファーザー(代父)になるように頼んできた。 その式のために息子は一度、彼女たちの住む州へ飛んだのだけど、帰りは台風でフライトがすべてキャンセル。想像を絶する遠い道のりをレンタカーで自力で運転して戻ってきた。 自宅に帰着したのは昨日の昼。そこから仕事をして、今朝は早起きしてまた2時間かけてこの教会へやってきた。孫娘の彼女だって、子供たちを夫に預けて一人飛行機でこの街へ。 アメリカは巨大だ。少し離れるだけで、移動は本当に命がけになる。それでも、2人は義理ママのためにここにいる。

ちなみに離婚してから私は元夫と義理の両親との関係を大切に続けてきたけれど、それ以外の夫側の家族との関係は絶った。絶交とか喧嘩別れというわけではなく、卒業という感覚で。

宗教の話を深くするつもりはないけれど、私はカトリックをとてもリスペクトしている。元夫も今の夫もカトリックのバックグラウンドを持っていて、不思議と私の人生にはこの思想が寄り添っている。 家族で教会に通う人たちの穏やかさや、信仰によって救われている姿をたくさん見てきた。

とはいえ、私自身はカトリックではない。だから、この宗教で結ばれている息子と義理ママや孫娘(息子の従妹)との関係をとても羨ましく思った。正直、焦りのような感情も生まれた。

でも、それは一瞬のこと。
私は、もうそうしたことで悩んだりしない。私と息子は別の思想でしっかりと繋がっている。同じ哲学を語り合い、愛と感謝の中から同じ方向を見つめている。

義理ママの遺灰が入った箱を目にしたとき、すっと涙がこぼれた。神父さまの言葉は心に響く。だけど私は、彼らのお祈りの言葉を一緒に唱えることができない。 だから、遺灰の箱を見つめながら、心の中で自分なりの言葉をそっと唱えた。もっと色々できたのに。もっともっと何かをしてあげればよかった。という後悔が滲み出て来た。それは事実ではないのかもしれない。
義理ママは私に会うたびに、愛を伝えてくれた私のことをたくさんの人たちに向かって褒めていた。孫と過ごす時間が幸せで、それを可能にしてくれている私に感謝してくれていた。それでもやっぱり後悔が残る。

なので、私は心の中で、ソース(源)と繋がることに集中した。そこに戻れば、愛と感謝の中でジャッジが解かれ、一瞬にして過去が浄化されていく。その場所から遺灰の箱を見つめると、彼女と出会えたことの喜びが大きくなり、無条件の喜びに変わっていく。

その瞬間に神父様が言った。神の目でこの出来事を見ましょう。彼女の素晴らしい部分に目を向け、天国で愛する人たちに囲まれている彼女の喜びを感じましょう。

神父様の言葉が、私の中で唱えていたものと同じ場所を指していたことに、静かに驚いた。



その後で一行は墓地に向かった。誘われたものの、肉親だけの最後のさようならを優先して欲しくて私たちは墓地へは同行せず、夫とフランス料理のレストランに立ち寄った。ずっと前にお気に入りだったお店。 ところが、オーナーが変わってしまっていた。 注文した料理が、驚くほど美味しくない。ガッカリした私は、それがそのまま顔に出てしまった。日頃から「自分で自分の機嫌を取るのが大切」なんて発信しているくせに、これである。本当にちょくちょくテンションを下げている。

一方で夫は自分の料理に満足したあと、当たり前のように私の大好きなカフェに連れて行ってくれた。その横の靴屋に入って、私の気に入った靴までプレゼントしてくれた。色々ともう、感謝しかない。
でも夫は私に呆れるどころか、つくづく感心したようにこう言った。 「君がつくった世界は、本当に優しくて素晴らしいね」

祖母思いの息子が手配した、温かな教会でのお葬式。 私と元夫の絆は今も固いし、元夫の恋人と私は、久しぶりに会ってしっかりとハグを交わした。私は、元夫を幸せにしてくれて、私たちの息子にも優しい彼女に、心から感謝している。それは何年も前から変わらない。そして、そんなふうに優しい言葉をかけてくれた今の夫だってその輪の中にいて、こうして私を支えてくれている。

全部、私が願い、決めて、自分で創造してきた世界。 完璧ではないけれど、愛と感謝のエネルギーを回し続けていたら、いつの間にかこんなにも優しい輪ができていた。

温かい輪の中で、義理ママの新しい旅立ちを改めて祝えた。本当にいなくなってしまったことが信じられない。彼女に会うために幾度も運転した道路からの景色がどんどんぼやけてきてしまった。


無条件の愛(エイブラハム)
どんどん、いなくなってしまう
地雷の言葉も愛でしかない

■逃げ場のない海の上で(エイブラハム)
エイブラハムを愛するあなたへ
エイブラハムに学ぶオープンマリッジ

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