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ブルーライトはいかにして悪者になったか? JINS PC誕生秘話[3話/最終話]

1話目、2話目はこちらから

これまでの2話ではJINS PCがどのように誕生しブルーライト市場が形作られていったかを、その渦中にいた当事者として振り返りました。

2010年まだブルーライトが知られていなかった時代に、私たちは「目が疲れないメガネを作る」という問いから始め、見えない敵とその解決策というストーリーを構築。商品を作りながら情報を作り、情報がまた商品を作る。そんな「商品開発=情報開発」のプロセスが生まれました。

最終話となる今回は、その中でも情報の中心となった「科学的エビデンス」に焦点を当てて10年越しの視点で考察して行きたいと思います。

エビデンスマーケティングの舞台裏

JINS PCの開発とマーケティングにおいて、科学的なエビデンスは欠かせない要素であり、JINSの創業者で社長の田中さんの強い意志でもありました。「徹底的にエビデンスを示して、信頼できるブランドに育てあげないといけない」特に「目の健康」というヘルスケア領域に踏み込むチャレンジであったが故にのことです。

だからこそ、私たちは産学連携で研究を進め、パソコン作業の前後での目の疲労度を測定するフリッカーテストや、マイクロソフトの協力を得た500人規模の実証実験など、科学的データを積み重ねていきました。

これらのエビデンスがあったからこそ、ブルーライトカットメガネは市場に受け入れ、JINSは確固たるブランドとして信頼を勝ち得ました。
しかし、10年以上経った今あらためて振り返ると、あのとき積み上げたエビデンスが「完全な真理」を示していたわけではないことを、より深く理解できます。
当時からエビデンスの不確実さや限界は認識していましたが、それでも「今できる最善の科学的根拠」を提示することが、ブルーライト市場を築くうえで不可欠でした。


ヒュームの問い:因果を証明できるのか?

18世紀の哲学者デイヴィッド・ヒュームは、こんな問いを投げかけました。

「私たちは明日も太陽が昇ると信じている。
しかし、それを論理的に証明できるだろうか?」

デイヴィッド・ヒューム『人間悟性に関する研究』第4章(1748年)

私たちは、毎日太陽が昇るのを経験しているから、明日も昇ると思います。
でも、これは過去の経験から未来を予測しているだけで、「必ず昇る」という因果を証明したわけではありません。

同じように、科学的実験や統計も、確率的なパターンを示しているに過ぎません。「AがBを引き起こす」と断言できるケースは、実はごく限られているのです。

相関はあっても因果はわからない

現代のヘルスケアマーケティングで使われる「科学的根拠」の中で一般的なのが、統計的に相関を示すことでエビデンスとする態度です。 たとえば、こんな研究結果を目にしたことはないでしょうか。

「週に2回以上、1時間以上の運動をする人は、しない人に比べて心臓病の発症リスクがXX倍低い」
アメリカXX大学の研究、1000人の調査に基づく。

この主張には確かに論理的で科学的なアプローチに基づいたエビデンスと言えるでしょう。
しかし、ここで示されているのは、あくまでも運動と心臓病リスクの相関性であり、直接的な因果関係を示している訳ではありません。

  • 運動する人は収入や教育レベルが高く、医療アクセスも良い(=第三の要因が影響)

  • 心臓病になりやすい人は、そもそも運動を避ける(=因果が逆転)

こうした要因が潜んでいても、私たちはこの数字を見て「運動すれば心臓病を防げる」と信じたくなります。つまり、統計データの相関性を根拠に、因果関係を創造したり、未来を予測するという行為そのものが、ある意味では非常に信仰的なのです。

JINS PCのエビデンスも、しかるべき学術研究者と科学的アプローチで誠実に作り上げたものでしたが、同じジレンマを抱えていました。私たちが提供したのは「確率的に疲労が軽減する」というデータであり、「ブルーライトが必ず疲労を起こす」「カットすれば必ず防げる」という絶対的な因果の証明ではありませんでした。どれくらいのブルーライト(強度や時間)を浴びると、どの程度の影響が出るのかといった定量化は非常に難しく、現在でも明らかになっていないと思われます。


科学もまた、文化の物語の中で語られる

ヒュームが示したように、科学的データは未来を保証する絶対的な因果を示すものではありません。それでも私たちが「科学的」と聞いて安心するのは、科学が社会の中で“もっとも合理的な物語”として共有されているからです。

20世紀の人類学者クロード・レヴィ=ストロースは、世界中の神話や儀礼を分析し、「文化は違っても、人間の思考には共通する深層構造がある」と述べました。

たとえば、ある文化では病気を薬で治し、別の文化では祖先に祈ります。
方法はまったく違っても、どちらも**「原因を見つけ、結果を変えようとする」**という思考の枠組みは同じです。

科学的治療と祈りによる治療は、異なる“言語”で語られているだけで、思考の深層構造は共通している。
この視点で見ると、現代社会における科学もまた、文化的に作られた物語の一部であり、「合理的に世界を理解するための言語」として共有されているに過ぎないのです。

ブルーライトにまつわるエビデンスも、単なるデータの積み上げではなく、
社会が「そう理解するのが理性的だ」と合意した物語でした。
JINS PCは、この文化的物語の中で初めて“科学的に信頼のおける商品"として意味を持ったのです。


科学と信仰は対立しない

科学的であることは、絶対的で客観的な真理を示すことではありません。
むしろ、「この世界をこう理解するのが、現時点で最も理性的だ」と社会が合意することです。

この合意は、論文や数字だけでなく、文化的な物語や感情によっても支えられています。つまり2話目で触れたように、社会的な意味を作る情報が不可欠だということです。

  • 新しいテクノロジー(LEDディスプレイ)の登場

  • 長時間のデスクワークで多くの人が感じる“目の疲れ”という共通体験

  • 「目を守るべきだ」という社会的な価値観

こうした要素が組み合わさって、科学的に“もっともらしい”と感じられる物語として浸透していきました。

この意味で、科学もまた、ある種の「信じ方」、信仰の形態だと言えます。
それは宗教や神話とは異なる方法で世界を理解する手段ですが、同じように、社会の中で共有され、信じられてこそ力を持ちます。


科学主義という信仰

JINS PCのエビデンスマーケティングは、科学的な根拠を中心に据えながら、社会的物語やパーソナルな感情を組み合わせ、「人が信じたくなる構造」を作り出すことができました。

こうした構造はブルーライト市場を築く上で不可欠であり、
科学的エビデンスは単なるデータではなく、文化的な意味や価値観を媒介する役割を担っていたのです。

私たちは消費社会と同時に、「科学主義の時代」を生きています。
数字やエビデンス、科学的ロジックは、客観性や合理性の象徴として、時に絶対的な力を持って受け止められます。

しかし、それもまた一つの「信じ方」、つまり科学という名の信仰に他なりません。

科学と信仰は対立するものではなく、どちらも人が世界に意味を与え、安心して生きるための方法です。
JINS PCの挑戦は、その二つを結びつけ新しい価値を生み出す試みだったと言えるかもしれません。


3話までお付き合いいただき、ありがとうございました。
ここまでいかにももっともらしい話をしてきましたが、当時の私たちはそんなに整理されて動いていたわけではありません。実際はもっとカオスで、がむしゃらに走りながら、縁や偶然も重なり、たまたまいくつかの点と点が繋がり線になっていったというのがリアルです。

それでも、10年以上経った今、哲学や文化人類学の視点を手にして振り返ってみると、あの混沌の中にも確かに「人が信じたくなる構造」があり、
科学と信仰のはざまで新しい市場が生まれていたのだと気づかされます。

新しい視点で、過去の仕事をこうして語り直すのも、悪くないものだなと

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