【問いの庭 解説note #010】なんとなくは、情報である
【この記事について】
このnoteは、podcast「問いの庭」#010の解説記事です。ラジオを聴いてから読むと、より深く味わえます。もちろん、読み物としても楽しんでいただけます。
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【「問いの庭」とはどんな番組か】
正しい答えではなく、美しい問いに出会おう。
そんなコンセプトでお届けしている番組です。
答えは調べれば出てくる時代になりました。でも、あなたの内側にある「言葉にならない何か」は、検索できません。この番組はその「何か」—私は「コトバ」と呼んでいます—に少しずつ近づく旅です。
毎回一つの視点と一つの問いをお届けします。ここで出会った問いが、あなた自身のコトバへ繋がっていくことを願って。
【この記事が届くといいなと思っている人へ】
◻︎「なんとなくそう思う」と言うと、根拠がないみたいで恥ずかしい。そんな気持ちがある人。
◻︎直感が外れた経験を重ねて、自分の感覚をどこかで信頼できなくなっている人。
◻︎凪の中で何かが聴こえてきた気がするけれど、それが何なのかまだわからない人。
◻︎論理的に考えることが得意すぎて、感覚がいつの間にかどこかへ行ってしまっている人。
【視点:なんとなくは、情報である】
第二の季節が、始まります
#009で「凪」の輪郭が見えてきました。
そして、ひとつの問いを置いて締めくくりました。
風が止んだ瞬間、あなたの水底には何が見えますか?
あの問いを、まだ持っていてくれていますか?
第二の季節では、その水底に見えてきたものに、少しずつ近づいていきます。八つの視点を通じて、言葉になる前にある「何か」—私がこの番組で「コトバ」と呼んでいるもの—の輪郭が、少しずつ見えてくるはずです。
長い旅になりますよ。
でも、一回一回は短い。
今日はその第一歩です。
「なんとなく」という体験
少し思い出してみてください。
複数の選択肢を前にして、なぜかひとつに手が止まった瞬間。
初めて会ったけど「この人とは長くなる気がする」と感じたあの出会い。
特に理由はないけど、今日はこっちの道で帰ろうと思った通学路。
あれは何だったのか。振り返っても、理由はうまく言葉にできないけど…という瞬間は意外とあるのではないでしょうか?
「根拠がないから気のせいだ」と片付けてきたかもしれません。
「また外れた」と自分を責めたこともあるかもしれない。
でも今日、その「なんとなく」をもう少し丁寧に見てみたいのです。
転換:これは「情報」だった
神経科学者のアントニオ・ダマシオは、ある発見をしました。
感情と身体反応を司る脳の部位が損傷した患者たちは、知性や記憶には問題がないにもかかわらず、日常の意思決定がひどく困難になっていた。何を食べるか。どの約束を優先するか。そういった「普通の判断」ができなくなったのです。
逆説的ですよね。
感情が「邪魔」だと思っていたのに
感情がなくなったら決断できなくなった。
ダマシオはここから「ソマティック・マーカー仮説」を提唱します。私たちの身体は、過去のあらゆる経験と感情を「値付け」として記録している。ある選択肢に近づいたとき、身体はその記録を瞬時に参照して、微細な反応を返してくる。
胃がわずかに重くなる。
肩がすっと軽くなる。
呼吸が少し浅くなる。
「なんとなく」は、その反応が言語化される前に表面に出てきたものです。
曖昧なのではありません。
言語より速い、圧縮された情報処理の結果なのです。
英語ではこれを「gut feeling(ガット・フィーリング)」と呼びます。「腸の感覚」という意味です。最近の研究では、腸には約1億個の神経細胞があり、脳と双方向に情報をやり取りしていることがわかってきました。腸が「感じている」というのは、比喩ではなかった。
「でも私の直感は当たらない」という人へ
ここで少し立ち止まりたいのです。
「なんとなくは情報だと言われても、私の直感は外れてばかりだ」と思った方、いませんか。
責めないでください。
それは感覚が間違っているのではありません。
ここでもうひとつ言葉を紹介させてください。
「内受容感覚」という言葉があります。身体の内側から来るシグナルを感知する能力のことです。
心拍のわずかな変化
腸の動き
皮膚の温度
呼吸のリズム
そういった身体の声を、どれだけ繊細に受け取れるか。
その精度を「IAcc(内受容的正確性) 」と呼びます。
Interoceptive Accuracyの略で「アイ・アック」と読むそうです。
研究によれば、IAccが高い人ほど、感情の認識が正確で、意思決定の質が高い傾向にあります。つまり「直感が当たる人」は、感覚が鋭いのではなく、身体の声を聴く回路が育っているのです。
そして、ここが大切なのですが、IAccは鍛えられます。
#004で話した呼吸の練習も、#006で話した内側の空間に気づく練習も、全部この回路を育てることに繋がっていました。凪を整えることは、直感を磨くことと同じ動作だったのです。
「まだ聴こえない」は、終わりではありません。
聴く練習の途中にいる、ということです。
内受容感覚という名前
「なんとなく」に、今日ここで名前がつきました。
内受容感覚。
難しい言葉ですが、指しているものはシンプルです。身体の内側から届く、言語以前の信号。あなたはずっとそれを受け取っていた。ただ、名前を知らなかっただけです。名前があると認識できることも、人間の脳の特性です。
#005で話した「身体は許可を求めない」という話を思い出してください。身体は意識が「いいよ」と言う前に動いている。その動きの中に、すでに情報がある。内受容感覚とは、その情報の通り道のことです。
第一の季節で積み上げてきた話が、ここで「内受容感覚」という一つの名前に収束していく感じがしませんか。
コトバの気配
内受容感覚が届けてくれるのは、言語以前の信号だと言いました。 この言語以前の信号、ピンとくるものがありませんか? これが009の最後に言っていた「コトバ」なのです。
実際にはこの「コトバ」は意識に上がってこないものも含めた、もう少し大きな観念です。しかし、「内受容感覚」という言葉があると、「コトバ」のイメージがつかみやすくなったのではないでしょうか?
今日の視点で「なんとなく」も一種の「言葉」のような情報を伝えてくれるものだと分かってきました。第二の季節は、この「なんとなく」を「コトバ」というキーワードから掘っていきます。
【今日の持ち歩ける問い】
あなたが最後に「なんとなく」を信頼したのは、いつですか?
▼ もっと深く
読み飛ばしても楽しめます。気になる方はどうぞ。
① 背景と参考文献
『デカルトの誤り』アントニオ・ダマシオ著(ちくま学芸文庫)
「理性と感情は対立するものだ」というデカルト以来の西洋哲学の前提を、神経科学の実証から覆した一冊。本文で触れたソマティック・マーカー仮説の原典です。決して読みやすい本ではありませんが、「感情は意思決定の邪魔ではなく、意思決定の燃料だった」という転換は、読み終えたあとに静かに効いてきます。
こんな人に:「感情的になるのはよくない」という信念を長く持ってきた人へ。
『身体はトラウマを記録する』ベッセル・ヴァン・デア・コーク著(紀伊國屋書店)
内受容感覚の「なぜ大切か」を、臨床の現場から語る本です。タイトルに「トラウマ」とありますが、これは特別な経験を持つ人だけの話ではありません。身体が記憶を持っていること、言語では届かない層があること、それをどう扱うか。すべての人に開かれた問いを、丁寧に展開してくれます。「なんとなくを信頼できない」という感覚の背景に何があるかを、優しく照らしてくれる一冊です。
こんな人に:自分の感覚をどこかで信頼できなくなっている人、身体の声を聴くことが怖い気がする人へ。
『直感力』ゲルト・ギーゲレンツァー著(早川書房)
「gut feeling(腸の感覚)」を真剣に研究した認知科学者の本。直感は非合理ではなく、別種の合理性だという視点から、直感が機能するメカニズムと限界を丁寧に論じています。「なんとなく」を「根拠のない思い込み」として退けてきた人に、最もクリティカルに届く一冊かもしれません。
こんな人に:論理的思考が得意で、感覚を信頼することに抵抗がある人へ。
『井筒俊彦 : 叡智の哲学』若松英輔著(慶應義塾大学出版会)
問いの庭で何度も紹介してきた井筒俊彦。ぜひ皆さんに井筒俊彦を知ってほしい。しかし井筒俊彦の哲学は深海のようで、いきなり原典に飛び込むと溺れます。私自身が溺れかけたので、この若松英輔さんの著作から全体像を掴んでから、ひとつひとつの作品に潜っていきました。頼もしい水先案内人がいるという安心感は、読書の体験を大きく変えてくれます。
井筒俊彦の哲学には、言語と意識の深層をめぐる広大な地図があります。この第二の季節の旅の中で、少しずつその地図を広げていきます。今は「そういう深海がある」ということだけ、頭の片隅に置いておいてください。
こんな人に:「コトバ」とは何かを、東洋哲学の言葉で探りたい人へ。
問いの連鎖
「なんとなく」を感じるとき、あなたの身体はどこで反応していますか。
その反応を、これまでどう扱ってきましたか。
信頼した「なんとなく」と、無視した「なんとなく」。
違いはどこにありましたか。
③ 自分で深めるための問いかけ
今日一日で「なんとなく」を感じた瞬間はありましたか。
その感覚は、身体のどこで起きていましたか。
信頼することへの抵抗があるとしたら、それはどこから来ていますか。
「なんとなく」を聴く練習を今日から一つ始めるとしたら
あなたはどんなことから始めていけると思いますか?
次回予告
次回、#011「言葉には、深さがある」では、「なんとなく」がやがて言葉になっていく、その深さの話をします。感情の粒度、言葉と感覚のズレ、そして「うまく言えないけどこれだ」という瞬間の正体へ。
今回も読んでいただきありがとうございます。
次回もお楽しみに。
公孫樹
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【からだの手帖】 凪は、身体を整えることでやってきます。このシリーズでは、睡眠・栄養・呼吸・ホルモン・環境設計など、身体から整えるための実践的な知識をまとめています。頭で考えるより先に、身体から始めたい人へ。
【交差点の手帖】 「問いの庭」に収まりきらなかったけれど、どうしても言葉にしたかったアイデアの断片たち。言語、哲学、社会、政治……いろんな交差点で立ち止まりながら書いています。散歩するように読んでもらえたら嬉しいです。
