芥川龍之介論の必要条件とは何か30 穴まで見よ

実際に芥川龍之介自身が編集者として立ち回ってできた本がいくつかある。知っているかな?


それ以外に、英語の小説集と随筆集の編集をしている。


この二冊はとても奇妙な本で、誰もが見つければ興味深く、さあ読もうとして数秒間固まる仕掛けになっている。そして数秒後「翻訳しないんかい……」と呟くことになる。英文そのままが印刷されているからだ。

実際何かの教材としてではなく一般向けにこのような本を現役の一流作家が編集して出版したというケースがあるものだろうか。普通は翻訳して出版という形が取られるのではなかろうか。


また『近代日本文芸読本』というのも奇妙な本だ。最終巻に夏目漱石の『文学論』の一部が収載されているが、とても中学生が理解できる内容ではない。


仮にそうした副読本的観察の態度のもとに芥川龍之介作品を置いたとき、例えば『戯作三昧』といった何気ない作品のうちにも深い文学研究の痕跡が見いだせるのである。
例えば滝沢馬琴が俳句もやっていたことなど、今ではあまり語られることもない。実際に調べてみると饗庭篁村の記録くらいしか見つからないのだ。
芥川は『近代日本文芸読本』編纂のために、夏目漱石よりひとつ前の世代、つまり紅葉露伴時代以前の明治文学をも逍遥していたようだ。


馬琴と式亭三馬、為永春水の関係性なども今では一部の好事家しか知らないものである。崋山渡辺登との関係も『馬琴日記』だけでは読み取れぬものである。「私と為永さんとは違う」という一言でさえ、その意味に辿り着ける人がどれくらいいるものか。


蓑笠軒隠者とは芥川しか書いていない。蓑笠軒は馬琴の別号である。知らないかもしれない、伝わらないかもしれないとは思いつつ、芥川は著作堂ではなく蓑笠軒と言う言葉をチョイスした。「なにしろあれだけのものをお書きになるんじゃ、並大抵なお骨折りじゃございますまい」と言いたくなる書き方なのだ。



しかしそこまで考えて来てふと思う。饗庭篁村、夏目漱石の『文学論』、馬琴日記、式亭三馬、為永春水……いや『水滸伝』や『南総里見八犬伝』と読み進めたとして、そこには既に千数百年の日本文学の伝統が染み込んでいて、根無し草ではない言葉、つまり間テクスト性のある言葉が満ち満ちている。これは源氏のどこそこの言葉、これは古今、これは万葉集と辿っていくと、あれ?『Modern English Essays』とか無理じゃね? と気がつくはずである。十八世紀のイギリス文学は十七世紀のイギリス文学の影響下にある。十七世紀のイギリス文学は十六世紀のイギリス文学の影響下にある。とても間に合わない。人生が足りない。


しかし作家自身がそこは「いい加減さ」で乗り越えたはずではある。調べ尽くしていたら書く時間がない。書いていたら読む時間がない。そこには割り切りが必要である。だから『鼠小僧治郎吉』などはかなりの部分が講談本のリミックスである。


森鴎外もかなり丸パクリで書いていた。芥川にはそうした部分も見えていただろう。


いや、もっとも原作に近いのは『最後の一句』であろう。あれは最後の一句以外はほぼ書きうつしである。


君、どうしても限界論にしたそうだけど、作品と私生活は分けられないかね?
作品はどんどんレベルが上がっていた。
しかし私生活ではまさに『近代日本文芸読本』の印税に関する批判や宇野浩二の発狂などトラブルが続いていた。
そこは分けて考えようよ。
ダメな三島論と同じやり方じゃないか。


私の言いたいのは作中の語義さえ調べないで作家論は無理。作品の評価自体無理。仕掛けが見えないで「苦悩」とか「崩壊」とか「失敗」と言うのはおかしいということだよ。



まず「どうして芥川龍之介諭を書けると思ったのか」自問してほしい。一体どこまで作品が理解できているのか。老婆の尻は見えていたのか?

老婆の尻が見えていなかったのなら、老婆の尻を見ることから始めるべきなのだ。芥川龍之介諭の必要条件はまず老婆の尻を見ることだ。そこから「場面」「カメラワーク」に特化した立体描写、ぎりぎりまで引き締まった名詞の多用という短編作家としての特性が現れ、「知的なひねり」とアフォリズムへの嗜好と重ねられる。不可能な語り手の位置の可能性が開かれ、ロジックのない逆転が見えた時、ようやく芥川龍之介諭が可能になるだろう。思い出してみよう。あのズームカメラそのものが不可能な語り手の最初の一手だったかもしれないのである。芥川龍之介諭が不可能なのではない。それはやがて書かれるだろう。次に芥川龍之介諭が現れるのは君の町かもしれない。



