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読解力ってなんだろう?

 読解力ってなんだろう?
 よく国語の授業で『羅生門』や『ごんぎつね』の続きを書かされたり、『こころ』のKの代わりに遺書を書かされたりしているみたいだけど、そもそもそんな指導をし、評価する側の教師はちゃんとその作品を理解できているんだろうか?

 つまり死体をどうやって二階に運ぶのか、うなぎとキスが同時に採れる場所がどこなのか、Kが苗字なのか姓なのか解っているのだろうか。

 例えばKADOKAWAのダヴィンチは谷崎潤一郎の『卍』の「あらすじ」をこう始める。「夫に不満のある園子は、通っている美術学校で光子という美しい女性に出会い、やがてふたりは同性愛の関係を持つようになる。園子の夫は次第に、園子と光子がただの友達関係ではなさそうだと不信がるようになる。」

 新潮社もこうだ。「夫に不満のある若い妻・園子は、技芸学校で出会った光子と禁断の関係に落ちる。しかし奔放で妖艶な光子は、一方で異性の愛人・綿貫との逢瀬を続ける。」


 ふう。これでは「ええことない男」の存在と園子の浮気性が消されている。園子には別の恋人がいたことが読み落とされている。一般の個人の「あらすじ」までは論わないが、これは恐ろしいことではなかろうか。

 「綿貫の策略はますます過激になり、逃げ場を無くした園子と光子は死なない程度に服薬し、計画的に心中を装う。これにより綿貫は光子と会えなくなった。ふたりは搬送され眠っていたが、先に目覚めた光子は、看病をしていた園子の夫と性関係を持ってしまう。そして彼が光子の初めての男になってしまった。」KADOKAWAのダヴィンチ

 この「搬送」はいったいどこからでてきたものか。綿貫は睾丸炎から無精子症になって「子供生ます能力もない」だけではないのか。


 
当然ウィキペディアは目も当てられない。「綿貫栄次郎
光子と婚約していたが、彼女の同性愛の噂によって断念した。性的不能者。」同性愛の噂によって断念したのなら、何故誓約書など書かせるのだ? 話のつじつまが合わない。


 問題はそもそもこんな記事が出来上がること、読解力のない人が書きたがること、教えたがることにあるのではなかろうか。
 私はこうした近代文学に関する出鱈目な記事の何割かに国語教師が関与しているのではないかと勝手に疑っている。「自称近代文学好きの教えたがり」というペルソナと国語教師のイメージが重なってしまうからだ。

 まったくのど素人が勝手に誤読しているだけ、と信じたいが、新潮社もKADOKAWAもこのレベルなので暗澹たる気分にならざるを得ない。そして、

 この方は読みのプロだが、それでも誤読している。出て行くのは主人公で妻ではない。




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