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福田恆存の『芥川龍之介と太宰治』をどう読むか⑦ 無抵抗という訳でもない

 積み上げられた前提条件が間違えられていたら、そこからとんぼ返りのウルトラCで着地だけが見事に決まることは普通はありえない。
 それにも関わらず⑦というのは、あなたが普段口汚く罵る「権威主義・反知性的ふるまい」と言えるのではないかとガスの検針の人に突然言われたらどうだろう。

 それでも何か良きことが書かれていないかという希望を最後まで期待しているからですという答えはいかにも優等生ぶっていて、キリスト教徒か社会主義者だと疑われるかもしれない。本当のことは自分にもよくわからない。

 私は年長の人と語る毎にその人のなつかしい世なれた風に少からず酔わされる。文芸の上ばかりでなく温かき心をもってすべてを見るのはやがて人格の上の試錬であろう。世なれた人の態度はまさしく是だ。私は世なれた人のやさしさを慕う。
                     (「日光小品」温かき心)
 この稚拙な文章に……

(福田恆存『芥川龍之介と太宰治』講談社 2018年)

 はい、そこでストップ。

 この文章は少しも稚拙ではない。いじることはできるが稚拙ではない。何故勝手に福田は芥川を見下ろしているのか。何故余計な言葉をつけ足したのか。稚拙とはこういう文章のことを言う。

 とすれば、両者の相違は自我把握の強固さと自我喪失の脆弱さと、健康と頽廃と、上昇と下降とのそれであり、近代日本文学における芥川龍之介の位置を、自我確立の敗北に向う線に沿ってその窮極に据えることは、けだし当然であろう。

(福田恆存『芥川龍之介と太宰治』講談社 2018年)

 中学生か。

 平野啓一郎よりはましだが、福田の文章は悪文の見本のようだ。「上昇と下降とのそれであり」って何なんだと思う。

 ともすれば、ということはともしなかったらどうなるのか?

 ともすればが前提なら「当然」はなくなるだろう。上昇もし、下降もする。それは健康や頽廃ではなく「気分」ではないか。と、訳の分からないアイデアにどこまでも正確さを求めても仕方のないことながら、こういう文章を格好いい、上等だと信じ込み、理屈がガタガタであることに気が付かない恥ずかしさは「稚拙」とは何かという確認のためにガスの検針の人に示しておかねばならないだろう。

  彼は死をもってしなければ証明しえぬ自己の真実を感じていた。

(福田恆存『芥川龍之介と太宰治』講談社 2018年)

 

 中学生か。ともすれば芥川の死は、自己の真実ではなく、その家にガスが通っていた事実をしか証明しなかったことであろう。

 君は川端康成の死に何を思うのか。ガスの検針の人は、困るんですよね、そういう使われ方をすると、と愚痴をこぼすかもしれない。

 ここに「歯車」を想起するがよい。この作品によって芥川龍之介の企てた奸計は、終始一貫、復讐の暗合によって運命を完成しようとこころみているのにほかならない。

(福田恆存『芥川龍之介と太宰治』講談社 2018年)

 中身の前にまず「のに」が気になるな。「こころみている。」でよかったんじゃないかな。

 そして中身の話。

 ここまで認知バイアスに自覚的な主人公を明示的に描いた作品って他にあるかな。

 福田の言い分は例えば、谷崎の『途上』とか、

 同じく谷崎の『青い鳥』なんかには当てはまるんじゃないかな。

 ただし運命が僕に教えた「オオル・ライト」と云う言葉の意味は右目だけに現れる歯車によって遊ばれ、黒い犬もシャレになる。

 三島由紀夫もおそらく気が付いていない。

 それでねえ、福田君、運命って何?

 よく読むと『歯車』ではずっと他殺の可能性が検討されているよね。

 あれ? 今お顔が真っ赤っかになった人がほかにもいる?

 それが正常だよ。生きている証拠だ。秒で「知ってたもん」と自分を誤魔化して何になるの?

 自殺というならむしろ『温泉だより』だよね。

 どう考えても『歯車』に運命としての自殺を見出すのは無理。坂口安吾くらいドライにやり直そう。

[余談]

 思い込みは捨てて細部まで正確に読まないといけないね。

 魚の頭を食べるように読まないと。

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