未来にあてた、普通の写真
「すみませーん。ちょっと、撮ってもらえませんか?」
旅先での思い出、卒業の日、親しんだ場所との別れ。そんな時、誰もが、つい写真を撮りたくなってしまうと思う。
なぜ、人は思い出に写真を撮ろうとするのだろう。
何のために、記録を残そうとするのだろうか。
僕はこれまで、さまざまな“別れの場”に立ち会い、ときに迷いながらもレンズを向けてきた。そのたびに、この問いが心に浮かんでは消えていった。
ある時、ひとつの答えがおりてきてしまった。
「よし、旅に出よう」

日本中で“大きな節目”を迎える人に連絡を取り、写真を撮って届けることにした。
「なんとかなるかな」そう思いながら、活動費は全てバイトで賄うと決め旅に出た。
こうして得られたものは、かけがえのない出会いと、節目に立ち会い、写真を届ける中で感じたぬくもり。さらにフリーランスなのに社会保険まで手にしていた。
そして、150年の歴史を刻んできた県内唯一の木造校舎、田峯小学校を訪ねた。
ここでも、大きな選択をすることになった。
昨日、最後の卒業式が行われ、今朝は来賓を迎えての閉校式。
幕が下りるその時を前に、体育館で、慌ただしく進む準備の様子を眺めていた。
その時だった――
県内最後の木造校舎が見守る別れの朝
先ほど控えめに「私はもう……」とだけ言って、若手の職員さんを紹介してくれた教育課の課長さんが、迷いのない足取りで僕の方へ向かってくるのが見えた。
その気配を感じて、身構えるように息を整えた。

この日、たった一人の卒業生が巣立った。県内最後の木造校舎が、別れの朝に寄り添っていた
目の前で立ち止まると、こう切り出した。
「集合写真を、体育館で撮るべきか。それとも、校舎を背景に外で撮るべきか……迷っています。両方残せたらと思っているのですが……」
「そんな大事な話、僕が判断できるわけがない」と戸惑い、先生方を頼ろうと見渡すも、声をかけられる範囲に見当たらない。
だが、「学校を中心に地域づくりをしてきた」と胸を張る皆さんの想いを知っているからこそ、課長さんの心境も理解できた。
「両方普通に撮ると、うまくやっても手間と時間が倍以上かかります。それでも町長さんや来賓の皆さんは、大丈夫ですか?」
なんの準備もない部外者の僕は、どうにか会話をつないで一瞬の間を取った。
「今日、ここにいる皆さんは、手間よりも、時間さえ許せば、むしろ両方に写りたいと思ってくださる方々ばかりだと思います」
数日後にはご自身も大きな節目を迎えるであろう課長さんは、何の迷いもなくそう言い切ると、「両方撮れる」と言う返事を待つように、真っ直ぐ僕の方を見ていた。
もしこれが業務の撮影なら、どちらかを選んでいただけるよう冷静に提案するだろう。だが、皆さんの気持ちを思うと、どうしても希望を叶えたかった。
そう考えた瞬間、説明を重ねるのは一切やめた。
「では、両方撮りましょう。上手くやれば、時間はさほど変わりません」
手短に段取りを伝え、気持ちを整えるため少し体育館を離れた。そこで段取りと、ここにいる意味をもう一度確認した。
僕がこの学校に来ているのは、記録を残し、写真を役立ててもらうためだ。
その根底にあったのは、本当に美しいと思えるものを残したい。祈りにも似た気持ちだった。
そう思った瞬間、胸の奥にある感覚がふっとよみがえった。それは、いつかどこかで、同じように心を動かされた記憶の輪郭だった。
この想いは、一体どこから来たのだろう。
記憶がふいに巻き戻っていった。
消えていく風景が、僕をカメラマンにしてくれた

撮ったのは、まだ廃止の噂すらなかった頃だった
歩みを辿ると、僕のカメラマンとしての始まりは、廃止間近のローカル線を撮り続けた写真集だった。
商業カメラマンに弟子入りし、スタジオ撮影の合間を縫って、何度も線路沿いに立った。

10年かけて撮りためた写真たちを、岐阜新聞情報センター出版室が一冊の本にまとめてくださった。完成した本を手にしたとき、胸の底に、しっかりとした達成感が宿った。
ただ、好きだったものが消えていく痛みは想像以上に深く、「もう二度となくなるものは撮りたくない」そんな気持ちさえ芽生えていた。

静まり返った駅跡に、かつての賑わいが重なって見えた
それでも、僕はいつまでも続いていく風景があると信じ分校を探した。
そうして辿り着いたのが、岐阜県最後の分校である中津川市立南部小学校川上分校だった。けれど、皮肉にもその年度の春に閉校が決まっていた。
閉校までの満ち足りた時間の中で、教頭先生が、ある朝こう語ってくれた。
「これからも、どこの誰にとっても大切なもの、普遍的なものを写していって欲しいのです」
しかし、あの日々の終わりを境に、「今度こそなくなるものは撮るまい」と決め、自分の気持ちに蓋をして、商業写真の世界に居場所を探した。
結果、目標の一つだった『たくさんのふしぎ』(福音館書店)の撮影に携わる機会を得た。それは大きな喜びと確かな手応えをもたらした。
谷汲線の写真集は、廃止から10年が経ち、改訂版として新たに世に出た。
だが、どこかに何かを置き忘れたままのような、そんな感覚がずっと残っていた。
「どうすることもできない」と自分に言い聞かせ、いくつもの春をやり過ごしてきたのだ。
それでもなお、誰かにとってかけがえのないものが、ひとつ、またひとつと姿を消していくたびに、胸の奥が小さく軋む音を立てた。

三代続く鰻屋の店主が、市場の片隅で動かし続けてきた手に、仕事ぶりが宿っていた
名古屋の街並みを撮影する中で偶然、市場や屋根神さまの最後の日に立ち会った。もう二度と撮りたくないと考えていたはずが、その時、気づけば再び、失われゆく物事へカメラを向けていたのだ。

伊勢湾台風で姿を変え、堤防工事で唯一残った魚市場も消えた。消えていく現実を、もう見て見ぬふりはできなくなっていった
見ないふりをしても、さまざまな物事が、確実に姿を変えていく。
その現実を前に、カメラマンとしての自分に取り返しのつかない後悔と、黒い罪悪感が沈んでいった。
ならば、なくなるものにしっかり関わって、せめて写真に残していけるんじゃないか。
「今からでもまだ間に合うはずだ」
『最後に全員で撮って欲しい』──線路班の一枚が灯した希望
でも、廃業や廃止といった大きな節目を受け入れようとしている人たちの元へ、見ず知らずの僕が行って何ができるのだろう……

駅長は、旅行商品の紹介から旅先での宴会の出し物までを担ってきた。
「お客さまに迷惑をかけることになって申し訳ない……」つい漏れた言葉に誇りと悔しさが滲んでいた
ふと、廃止される谷汲線でのやり取りを思い出した。
長期の取材を通じて、線路班の皆さんのプロ意識と情熱に感銘を受け、その最後の作業を見届けに行った日のことだ。
「最後に線路班全員の写真を撮ってくれないか」
「僕でいいのですか?」
「皆、そう思っている」
駅の様子を見渡しながら、班長さんは、つぶやくように応えた。
後日、改めて線路班の詰め所がある黒野駅へ行き、カメラを構え彼らの表情を無事に収めることができた。

気になって、その写真を手に取り眺めた。
「今日、現場までどうやってくる?」
班長さんの声が聞こえてきた。
温かい気遣いや、プロとしての使命感、現場の空気……
それらの記憶が、数え切れないほど撮ったどの写真よりも、じりじりとした感覚を伴って蘇らせたのだ。
ほんの少し前に出ていれば。
ひと声かけていれば。
その一歩を踏み出さなかったことで、どれだけ大きなものを失ってきたか。
そんな戸惑いの中に、取材の日々に感じていた喜びや、迎え入れてくれたことへの感謝の気持ちも次第に溢れ出した。
全ての瞬間には、かけがえのない意味がある。場所や時間、そこで育まれた絆や感情は、時とともに薄れてしまうこともある。
しかし、たった一枚の写真が残れば、それを見たときすべてが鮮やかに蘇るはずだ。これは、形を持たない想いが確かにそこにあった証になる。
記録とは、未来における記憶を豊かにするものであるならば、それを残すことは、心を込めて綴った手紙を未来に生きる自分や誰かに送ることなのかもしれない。
そうか。
最後の姿を写真に収め、記録に残すことは、大切で望ましいのだと、あの時、線路班の皆さんに教えてもらっていたんだ。
10年後も“劣化しない写真”を撮るには──報道カメラマンが教えてくれたこと

「よく来てくださいましたね。ここは本当に良い所です」と迎え入れてくださった川上分校。
記録に残したいと連絡をくださった、長野県で一番小さかった上村中学校のこと。そこで出会った皆さんの言葉、表情が次々に思い出された。
廃校が迫ったこの中学校で、慌ただしく資料の整理が続いていた。
荷物の山から貴重な資料が見つかるたび、宝物を見つけたように歓声があがった。僕もそっと手を動かしながら、何度も声をあげた。
あのとき目にしていた光景は、失われゆく記憶を未来に手渡そうとする先生方の熱意そのものだった。
将来、これを目にした人には、どのように映るのだろうか。

黒板の前に並んでもらったこの一枚が、この場所の記憶を、今も鮮やかに思い出させてくれることを願っている
それは、かつてローカル線で出会った人々が、自分たちの暮らしや鉄道への想いを静かに語ってくれた、あの日々とも確かに繋がっていた。
振り返ると、形あるもの以上に人々の想いや記憶こそが、一番尊いものだと気づかされる瞬間の連続だった。
僕は、無くなろうとしている現象の中に、永遠に無くならない本当に美しいと感じるもの――「人が何かを大切に想う心」を見てきたんだ。
ずっとそれを残したかったんだ。

「情報を整理して普通に撮っていくのですよ。そうしたら必ず仕事が続いていきます」
谷汲線の取材中、出版室の室長さんから度々助言を受けていた。
「良い写真は、時が経てば経つほど良くなっていくものです。撮ってから"劣化"していくのは、本来の写真ではありません」
報道カメラマン出身の室長さんの言葉は、当時、僕には理解できなかった。だが10年後、改訂版を作るにあたり、この言葉の意味が痛いほど身に染みた。
夢中になって工夫を凝らして撮った写真は、時間というフィルターを通すと、ほとんどが"劣化"し使い物にならず愕然とした。
なぜなら、工夫や作為がそのまま記録されてしまっていたからだ。
そこに写っていたものは、いまやもう存在しない。
駅舎や駅前の風景、電車の眠っていた車庫、ふと目にしていた看板。当たり前のようにそこにあった光景は、いつの間にか跡形もなく消えていた。
いま欲しいのは、飾らず、ただ普通に撮った一枚。当時の空気や音、気配までも引き寄せてくれるような、まっすぐな写真だ。
室長さんの「10年後を意識できるかどうかです」という言葉が、ようやく腑に落ちた。

その時、僕はただ普通に撮っていたのだ
この気づきは、谷汲線の全駅、全踏切を撮りきった地元のおじいさんの言葉と繋がった。
「これが残っていると、何十年、何百年と経って、見た人に感謝してもらえるわなぁ。それが幸せっていうものだなぁ」
見せてもらった写真は、室長さんの言葉を裏付けるように、どれも普通に撮られたものだった。
地元の名士が地域の発展を願い、私財を投げ打って開通させた、その鉄道の歴史を、おじいさんは知っていたのだ。

「そうだ!普通に記念写真を撮ろう」
大きな節目を迎える人たちのため、そしてそれを大切に思っている人たちのため。
――カメラを確認し、拳をぎゅっと握ってから体育館へ戻った。
未来に託す記念写真
厳粛な空気の中で、閉校式は進んでいった。
式が終わると、課長さんが指揮を執り、教育課の皆さんや、先生方、学区の皆さんが、それまで座っていた椅子を撮影用の配置に並べ始めた。
時折、課長さんや皆さんがこちらを振り返り、僕に確認を求める。
「右側に椅子を追加してください」
「手前の椅子を下げてください!」
町の広報担当のカメラマンも、この場の記録のため、僕の隣でその様子を見守っていた。
「ここからで、全体が入りますよね?準備ができたらお先にどうぞ」 そう声をかけ、広報のカメラマンに位置を確認した。
準備が整う直前、フレームの外へはけようとする課長さんの姿が視界に入った。僕は思わずそこへ駆け寄った。
「我々はあくまで裏方なので……」
「教育課の皆さんも、しっかり関わってこられたではありませんか」
課長さんは、体を丸め、首と手を小刻みに左右に振りながら後ずさりし、写真には入れないことを僕に伝えようとしている。
その様子は、最後の最後まで職務を全うしようとする姿だった。
「町の大切な記録です。それに、大切な校旗を持って広げる人がいません。それをお願いできますか?」
「あそこですね」
立ち位置を確認する課長さんの表情が、一瞬輝いたように見えた。
既にフレームの外で待機していた教育課の方に声を掛け、急いで舞台の上へ向かって行った。
広報のカメラマンが、脚立に上がってカメラを構えた。
それを見届け、僕は一歩踏み出して息を吸った。
「よし、書けた。」
少し振り返り、広報のカメラを指して声を張った。
「はいっ、皆さん!レンズは見えていますかっ!今日はカメラマンが沢山いますが、このカメラのレンズを見てください!!」

田峯小学校
この記事のもくじ
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【創作大賞2025応募作品一覧】
未来へ手紙を出す旅は、以下の記事をシリーズとして「創作大賞2025」にエントリーし入選しました。
▶『桑の湯』95年の物語:塩尻で見送った、家族と銭湯の最後の灯
▶もう会えない市場──昭和の人情と“いらっしゃい”が消えた日
▶「宗教じゃない、神さまなんだ」──名古屋の屋根神さまと、失われゆく町の絆
【プロの思考法】
この活動と実績を支えてきた、再現性ある「納品物思考」のすべてはこちら(有料)。
▶創作大賞入選者が実践した、「作品」を「選ばれる納品物」に変える方法
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