見出し画像

航空機事故から学ぶ:事故は終わっていなかった(前)

日本航空115便尻もち事故:1978年6月2日、日本航空115便(Boeing 747SR-100型機、JA8119)は41歳の機長、36歳の副操縦士、43歳の航空機関士を含む乗組員15名と乗客379名が搭乗して、14:18に東京国際空港(羽田)を離陸。大阪国際空港(伊丹)へ向けて順調に飛行を続けた。大阪NDBの手前5NMまで来た14:56に”Japan Air 115, Osaka Tower, Cleared for ILS Runway 32 Left”と、精密進入を承認された。1,600AGLでOuter Markerを通過し、1,300ftでflapを25°まで展開。14:59に500AGLまで降下した時点で”Japan Air 115, Wind 270 (degrees) at 15 (knot), Cleared to land Runway 32 Left”と着陸が承認された。
15:02に同機は、滑走路32L端から320m程の接地点標識近傍にtouch downした。ところが機長の引き起こし操作で、機体はフワーッと跳ね上がった。機長は一瞬着陸復行を考えたが、すでに機首高姿勢となっており、加速して更に機首が上がることを危惧して、throttleは上げなかった。機首が上がったままballooningして、460m先で再度接地したが、その際胴体尾部が滑走路面に接触して火花が上がるのが管制塔から確認された。
操縦士らはその事に気づかず、管制官から通報されて尻もち事故を初めて知った。航空機関士は、同機に火災などの緊急事態を示す表示が出ていないことを機長へ報告。同便は15:08にSpot 18へそのまま滑走して停止した。
機長は客室乗務員へ乗客らの体調不良の有無を調べさせたところ、乗客2名が負傷していることが分かり、救急搬送された。1名は頭部と腰部の打撲、もう1名は第8胸椎骨折の重傷であった。他に23名が軽傷を負った。
運輸省航空事故調査委員会は重大事故と認定し、調査を開始した。15時ちょうどの天候は、風向220°、風速12knot、CAVOK(晴天)、気温28℃、露点5℃、QNH29.85inHgで安定しており、長さ3,000mのRwy 32LのILSは正常に作動していた。
事故機は1974年1月末にBoeing社から納入され、事故発生までの総飛行時間は8,830時間余りであった。事故発生時の重量は464,800Lb、重心は17.17%MACで着陸の許容範囲内にあった。
後部胴体下部の損傷状態は、station 2100~2792にかけて外板にすり傷や皺があり、縦通材とフレームに弯曲と変形が生じていた(画像は産経新聞記事より)。左右の主翼着陸装置に傷痕が認められた。
FDRとCVRを解析すると、同型機のVref(滑走路端通過速度)が128ktのところ、flap 25°では5kt増しとする規定に従い、進入最低速度を133ktにセットした。更に機長は横風の影響を考慮して、実際には139ktで滑走路へ進入した。着陸直前まで機体は安定しており、接地速度126ktのところ接地点標識付近に127ktで接地していた。
FDRによれば接地時の機首上げは9°あり、通常より3°高かった。また接地後も返し操作がなく、揚力が作用してballooningしたものと考えられた。同機の機首上げ角は更に13°まで増大したため、8秒間浮上して滑走路端から780mの地点に後部胴体下部から滑走路面へ再度接地。外板は滑走路面に擦過痕を26m付けて、滑走路面から離れていた。
ballooningした機体が後部胴体下部から落着したのは、ballooning中に急激に減速したためと推測された。その原因として、speed brake(SB)の関与が考えられたので、FDRと乗員の口述内容で分析された。機長と副操縦士はSBレバーがUP位置になった後DOWN位置に引き込み、更にUP位置になったことを認めている。これは機長が着陸進入中にcheck listに従いSBレバーをARMにしてあったため、着陸装置が接地した際ground spoilerが自動的に作動し、SBレバーがUP位置になったものと推定された。その後ballooningして着陸装置が滑走路面から浮揚したため、GSが自動的に引き込み、SBレバーもDOWN位置に引き込んだものと推定された。更にUP位置になったのは、航空機関士が「SBレバーをballooning中に左手を伸ばしてARMにした」と口述している。
操縦室後方にある航空機関士席からSBレバーを操作するには中腰にならねばならず、DOWN位置から引き上げるには10Lb(4.5kg)、ARMまで2cm後方へ引くには20Lbの力が必要である。一瞬の出来事だったので、SBレバーをARM位置より更に数cm後方へ引き過ぎてしまい、SBが作動して急減速につながったと推定された。

ジャンボ機が着陸時に跳ね上がって、その際の対処が拙かったためズドーンと落下して機体後部が尻もちを付いたという、世界中で時折り発生する事故です。
でも勘が良い人なら、表題と一文目を読んだだけで気付かれたことでしょう。本機はこの事故発生から7年後の1985年8月12日の夕刻、同じく羽田空港から伊丹空港へ向かって離陸したJAL123便の機体であり、離陸から12分経過した上昇中に、機体後部の圧力隔壁が破断。群馬県上野村近くの御巣鷹の尾根に墜落したのです。
後知恵で事故調査報告の内容を評論するのは関係者に失礼なことではありますが、機体の損傷についての実地検分で、圧力隔壁など内部構造への言及はありません。「縦通材とフレームに弯曲と変形が生じていた」で片づけられています。何故ballooningして尻もち事故となったのかについて、天候や機械的な異常はなく、単に操縦士のヒューマンエラーであったことが結論されているだけです。本文が8ページほどで、日航やボーイング社への勧告もありません。
本事故の後、日航整備部門は圧力隔壁(aft pressure bulkhead)9時方向に損傷を認めたため、ボーイング社へ修繕を依頼しました。この事故の少し前、同社の別の機体がAnchorage空港で滑走中、ブリザードの強風でtaxiwayから横滑りして側溝へ落ちる事故があり、ボーイング社に同じような修理をしてもらった経緯がありました。その際の修理が見事で、日航の整備士が「本当に綺麗に直して貰っちゃって!」と喜んでおられたのを覚えています。そんな事で、この事故での圧力隔壁や外板の修理もきちんと仕上げて貰えたものと慢心してしまったのかも知れません。実際は圧力隔壁を連結する板(splice)に打ち付けたリベットが2列あるところ、1列分が内側で1m余り連結しておらず、外部点検で欠陥が分かりませんでした。そして事故から7年後、JA8119は16,000時間ほど飛び、12,000回余り離着陸を繰り返して、とうとう圧力隔壁が破断してしまったのです。
半世紀ほど昔に起こった事故ですから、事故調査の手法や将来への予防策等その後より積極的な改善が進められました。それでも中華航空では、1980年2月7日にB747-200型機が香港啓徳空港で発生した起こした尻もち事故後、外板をダブラーで覆い隠すだけの不適切な修理を行ないました。2002年5月25日、香港へ向かっていたCAL611便が澎湖諸島沖で空中分解を起こして、225名が亡くなっています。
大型旅客機はますます長胴化していて、tail strikeの事例が頻繁に発生しています。一見して軽微に見える損傷事故が、後年取り返しの付かない重大事故を引き起こす危険性を孕んでいることを、事故調も航空会社も心しておかねばなりません。


いいなと思ったら応援しよう!