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愛しすぎて ─ 光の当たり方が、違っただけ「ウシャコダ」

記憶の針を落とす Vol.35



誰にでも、なぜか人にうまく説明できない音楽がある。
有名かどうかではなく、自分の人生のどこかに深く刺さったまま、何年たっても抜けない音楽。
光が当たらなかったから、届かなかったのではない。
光の当たり方が、違っただけだった。
——そう気づくのに、私は何十年もかかった。

私にとって、それが「ウシャコダ」だった。

売れた音楽だけが、人生に残るわけではない。

あなたにも、「なぜ、あれほどの音楽が売れなかったのか」と思う音楽があるだろうか。

高校生の頃、私はバンド少年だった。

その頃から、流行っているから、ではなく、好きだから、という基準で音楽を聴いていた。その時に出会った音楽を、いまも、無意識に選び続けている。

あの頃は、その音楽がどれくらい知られているかなど、気にしたこともなかった。

そして、あとになって気づく。

大きな光があたったかどうか、というのは、振り返ってみて初めて見えてくるものなのだと。

数字や記録は残る。
けれど、どこに光が向けられていたかまでは、そこには書かれていない。

今日は、そんな音楽の話をしたい。


「ウシャコダ」というバンド


70年代のウシャコダ

高校生の頃に大好きだった「ウシャコダ」というバンドがいた。
いや、過去形にしてしまっては失礼だ。
2024年に42年ぶりの新作を発表し、今も現役のバンドだ。

42年ぶりの新譜 Wshakoda『Groovy Hormon』(2024)

「ウシャコダ」は、1978年のイーストウエスト・コンテストで最優秀グランプリを受賞している。
最優秀ボーカル、ベース、キーボード——主要な賞をほぼすべて独占した。

イーストウエストは、1970年代から80年代にかけて行われていた日本最大のアマチュア・バンド・コンテストだった。
サザンやカシオペアが世に出るきっかけとなり、多くの才能を輩出していく。
その場所で、「ウシャコダ」はグランプリを獲った。
同じ年のコンテストには、のちに大きな成功を収めるシャネルズも出場していた。

つまり、私の耳だけがおかしかったわけではなかった。

場違いだったわけでも、偶然だったわけでもない。
ただ、その後、時代の中心に置かれることはなかった。


仙台で出会った、もうひとつの入口


私がウシャコダを知ったのは、仙台にいた「ホットメニュー」という先輩たちのバンドを通じてだった。

ホットメニューは、「ウシャコダ」の曲をレパートリーにしていた。
そこから原曲を探し、ウシャコダにたどり着いた。

そして、その先があった。

「ウシャコダ」を通じて、ウィルソン・ピケットを知り、オーティス・レディングを知り、マディ・ウォーターズを知った。

「ウシャコダ」のレパートリーの中に、
オーティスの「愛しすぎて(I’ve Been Loving You Too Long)」があった。

あの曲の、少し行き場を失ったような熱量が、不思議と、このバンドの音と重なって聴こえた。

乱暴に言えば、ウシャコダは、日本語でブラックミュージックのソウルを本気で鳴らそうとしたバンドだった。

私にとって「ウシャコダ」は、ひとつのバンドというより、ブラックミュージックへ入るための入口だった。



光の当たらない教室で


当時、黒人音楽を好んで聴いている高校生は、決して多くはなかった。

1980年前後の教室では、洋楽ならビリー・ジョエルやイーグルス、エリック・クラプトンの名前が聞こえていた。
テレビでは、松田聖子が現れ、ジュリーは「TOKIO」で、本当に空を飛ぼうとしていた。
そして、山下達郎がメジャーに躍り出て、YMOは海外へも届き始めていた。

時代は、確かに動いていた。
新しい音楽も、洗練された音楽も、次々に現れていた。

けれど、私が毎日のように聴いていた音楽は、そのどの場所にも、うまく収まらなかった。

学校では、音楽の話が合う友人はいなかった。
ウィルソン・ピケットやオーティス・レディングの名前を出しても、会話は続かなかった。
マディ・ウォーターズの話など、そもそもする場所がなかった。

ただ、バンド仲間の中に、ごく一部だけ、同じ話ができる先輩や仲間がいた。
その人たちとだけは、音楽の奥にある匂いや、リズムの粘りや、声の熱について話すことができた。

それ以外の場所では、この音楽の話をする理由がなかった。
それでも聴き続けた。
流行っているかどうかではなく、大好きだった。


毎日のように聴いていた


高校生の頃、「ウシャコダ」のアルバムを、毎日のように聴いていた。


失恋した時に、落ち込んだ気持ちを受け止めてくれた。

テストの点数が悪かった時、励ましてくれた。

友達と喧嘩した夜、そばにいてくれた。


汗だくになって帰った夜


当時「ウシャコダ」は、仙台のライブハウスにもやってきていた。
私はそのたびに足を運んだ。

音が鳴り始めると、何も考えなくなり、
曲が終わった頃には、シャツが背中に張りついていた。

いつも、汗だくで帰った。

今ではもう時効なので白状すると、「ウシャコダ」のメンバーが仙台に来た時、一緒に飲みに行ったこともあった。

小さなスナックだった。

当時のカラオケは、今と比べて圧倒的に曲数が少なかった。
ほとんどが、演歌かムード歌謡。

その中で、藤井さんが歌った「津軽海峡冬景色」を、私は今でも覚えている。
演歌とソウルは、どこかで繋がっている気がした。


覚えていてくれた


上京してから、ラジオの制作に関わる仕事をしていた時期がある。

番組の中で、ブルースを紹介するコーナーを作れないかと思い、
藤井さんにお会いして、相談させてもらったことがあった。

それから少し経って、ラジオの公開録音イベントの会場で、
思いがけず藤井さんと再会した。

そのイベントにスポンサードしている専門学校で、
藤井さんは、講師をされていた。

そのときは、藤井さんの方から声をかけていただいた。

私のことを覚えてくれていた。
それが、妙にうれしかった。


何年も経ってからのコンサート


ウシャコダ結成30周年「松戸一揆」ポスター(2008)


いつの間にか、かなりの年月が経っていた。

2008年、「ウシャコダ」のデビュー30周年の記念ライブが地元・松戸で行われると聞き、足を運んだ。


ステージに明かりが入ると、
最初の一音で、時間が一気に巻き戻った。

ステージで歌う藤井康一さん

演奏は、あの頃と変わらなかった。

客席はいっぱいで、当時からのファンと思われる年代の人たちが、肩を揺らしながら、うれしそうな顔で聴いていた。

拍手は大きかったが、派手ではなかった。

流行の中にいたわけではない。
けれど、そこに在り続けていた。


時間が、先に進んだ


昨年12月、「ウシャコダ」のベーシストだった恵福浩司さんが亡くなった、という知らせを知った。

67歳だったそうだ。

ステージ上の恵福浩司さん


藤井さんとは、小学二年生からずっと一緒だったそうだ。
その長さを思うと、私のような一人の聴き手が簡単に言葉にできることではない。
ただ、あのベースのうねりが、ウシャコダの音をどれほど前へ押し出していたかは、今も身体が覚えている。


また、ホットメニューのボーカルだった田中まことさんも、もうこの世にはいない。

私が「ウシャコダ」に出会い、その音楽の向こう側へ導いてくれた人たちの存在は、いまも自分の中で鳴り続けている。


光の当たり方が違っただけだった。


どうして、あの音がもっと広く届かなかったのか。
はっきりした理由は、今も分からない。

ただ、音楽には、その時代の空気との相性があるのかもしれない。
才能の大きさとは別に、どの瞬間に、どの光が当たるか。
そこには、本人たちの力だけではどうにもならないものがあるのだと思う。

ウシャコダの音は、確かに鳴っていた。
けれど、その音が時代と重なる“瞬間”には、いなかった。

日本人で、藤井康一さんほど、ソウルやブルースの身体感覚を、自分の声として鳴らせる人は、そう多くない。

上田正樹、忌野清志郎、桑名正博……。
思い浮かぶのは、ほんの数人くらいだろうか。

彼らは、それぞれの形で時代に届いた。
下積みはあったが、最終的には時代の光を浴びた。

でも「ウシャコダ」は、そうならなかった。

上手いから中心に置かれるわけではない、というより、音楽にはもっと別の届き方があるのだと思う。
コンサートで観客が総立ちになり、誰かの人生に深く残る。
それもまた、ひとつの大きな光だったのだと思う。

音楽とは、そういう不思議さを抱えたまま、続いていくものなのだと思う。

ちなみに、「ウシャコダ」の音源は、現在サブスクでは配信されていない。
ただ、藤井さんの別名義「藤井“ヤクハチ”康一」として、2021年に発表されたアルバムが、1枚だけ、Apple Musicで聴くことができる。


今も、手を伸ばしてしまう音


「ウシャコダ」のアルバムは、今も、手を伸ばしてしまう。

それが音楽そのものなのか、あの頃の自分を聴いているのかよく分からない。名盤かどうかは、あとから誰かが決めればいい。

私は、「ウシャコダ」を通じて音楽を知り、世界を広げてもらった。

「ウシャコダ」のセカンドアルバムの中に「何年たっても」という曲がある。

何年たってもお前を忘れはしないぜ
何年たってもお前を忘れはしないぜ

ウシャコダ/パワフルサラダ「何年たっても」歌詞より


流行っているかどうかではなく、ただ、愛しすぎて聴いていただけなのだろう。

少なくとも私にとって「ウシャコダ」は、何年たっても、人生の中に残り続けている音楽だ。

そしてたぶん、そういう音楽にだけ、時間は残る。

あなたにも、そういう音楽があるだろうか。
大きな光は当たらなかったけれど、あなたの人生の真ん中に、ずっと置かれてきた音楽が。

もしあれば、教えて下さい。



※このnote記事が、Facebookのウシャコダ公式ページで紹介していただきました。noteを初めて一番うれしかった出来事です。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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そんな話も以前書いています。

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浅川幸三 | クリエイティブプロデューサー 共感でも、違和感でも。 何かが残ったなら、それで本望です。 サポートは次の一行のために。