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Eric Clapton 『461 Ocean Boulevard』—揺れのなかで音楽は戻ってくる


記憶の針を落とす Vol.36



若い頃には、強い音に惹かれた。
けれど、ある年齢を過ぎると、前に出すぎない音の方が、心地よく入ってくる。

だからだろうか。
季節がひとつ、軽くなる頃、自然とこのアルバムに手が伸びる。

エリック・クラプトン『461 Ocean Boulevard』。

タイトルになったのは、録音期間中にクラプトンが滞在した、フロリダ州ゴールデンビーチの家の住所だ。

フロリダ州、マイアミ・ビーチ
強い日差しと湿った空気。
海からの風が、昼と夜の境目を曖昧にする街。

切り立った緊張も、都会の速度も、ここでは少し緩む。

ロンドンでも、ロサンゼルスでもない。
南へ逃げるように辿り着いた場所。

その距離感が、このアルバムの空気をよく表している。


帰ってきた男の音楽

Eric Clapton『461 Ocean Boulevard』(1974)


このアルバムは、クラプトンの“復活作”として語られることが多い。
それは、彼が一度、音楽の現場から姿を消しかけたからだ。

デレク・アンド・ザ・ドミノスの活動後、クラプトンはヘロイン依存によって長い隠遁状態に入る。

Layla」は、親友である ジョージ・ハリスンの妻、パティ・ボイドへの激しい片思いの感情を歌った曲だと言われている。
(パティについては、また別の記事で取り上げる)

実らぬ感情。
親友の妻という越えてはいけない距離。

パティ・ボイドとジョージ・ハリソン

そして、共演者デュアン・オールマンの死。
どこへ行っても、観客は「次のレイラ」を求める。

あの曲を超えること。
あの瞬間を繰り返すこと。

その期待は、称賛であると同時に、重荷でもあったはずだ。
クラプトンは、少しずつ音楽の現場から離れていく。

その頃、クラプトンはザ・バンドの『Music from Big Pink』を繰り返し聴いていたという。

THE BAND 『MUSIC FROM BIG PINK』(1968)

技巧を誇示する音楽ではない。
時代を切り開こうとする野心もない。
ただ、人が歌い、人が演奏している。

その素朴さ、飾り気のなさ、音楽がまだ生活の延長にあった頃の感触。

クラプトンがそこに惹かれたのは、派手さを失ったからではない。むしろ、音楽と自分との距離をもう一度、正しく測り直そうとしていたのだと思う。

その延長線上に、フロリダがあった。
ロンドンの緊張でも、ロサンゼルスの競争でもない。
マイアミ・ビーチの、少し湿った空気。

そこで彼が手に取ったのが、
前に出ないリズム、後ろにずれたビート、
――レゲエだった。


「I Shot the Sheriff」が置かれた場所

A面の最後に置かれているのが、ボブ・マーリーの「I Shot the Sheriff」。
CreamでもDerek and the Dominosでも届かなかった全米1位に、クラプトンはこのレゲエのカバーで初めて到達する。

ただ、このアルバムの中で重要なのは、レゲエを取り入れたことそのものではない。むしろ、レゲエのリズムが、クラプトンの回復とよく似た速度で鳴っていることだ。

あの“無理をしない音の距離”が、そのまま残っている一枚

『461 Ocean Boulevard』に漂う、あの距離感は偶然ではない。

このアルバムには、過剰な自己主張も、ギター・ヒーローとしての誇示もない。
テンポは速くない。
ギターも、歌も、前に出すぎない。
あるのは、「もう無理をしない」という空気だ。

クラプトンはここで、もう一度、自分の音楽を取り戻している。
ただしそれは、かつての熱量へ戻ることではなかった。

燃え上がるのではなく、揺れながら戻ってくる。
それが、このアルバムの美しさだと思う。


誇示しないブルース


このアルバムは、レゲエに光が当てられることことが多い。
だが実際には、「Steady Rollin’ Man」のような古いブルースが、特別扱いされることもなく、同じ温度で鳴っている。

そこにあるのは、様式への敬意でも、ルーツ回帰の宣言でもない。

ただ、無理をしない演奏だ。
かつてのクラプトンなら、ブルースはもっと前に出ていたかもしれない。
ギターは、もっと語りたがったかもしれない。

だがこのアルバムでは、レゲエもブルースもバラードも、同じ温度で鳴っている。

叫ばずに、誇示しない。

このアルバムの魅力は、ひとつの曲だけにあるのではない。
「Give Me Strength」のスライドギターは、泣くというより、まだ立ち上がれない人の呼吸のように聞こえる。

「I Shot the Sheriff」の揺れも、「Steady Rollin’ Man」のブルースも、「Please Be With Me」の静けさも、「Let It Grow」の穏やかな広がりも、同じ温度で置かれている。

だから聴いていて疲れない。
クラプトンが前に出てくるのではなく、音楽の方が、こちらの呼吸に寄り添ってくる。

それは、依存から戻ってきた人間が選んだ、演奏との距離感だった。
ブルースもレゲエも、遠い場所で生まれた別々の音楽のようでいて、どこか深いところでつながっている。
その流れについては、また別に書きたい。

レゲエか、ブルースか、
ロックか。

そんな区別を一度すべて脇に置いて、「今の自分にちょうどいい音量」で鳴らした記録だ。
これは、回復のアルバムというより、距離を取り直すアルバムなのだと思う。


音楽は、戻ってくることがある


人は、一度離れた場所に、そのままの姿では戻れない。
音楽も同じなのかもしれない。

若い頃の熱量。称賛の重さ。
失ったもの。壊れた時間。

それらをなかったことにはできない。
クラプトンは、このアルバムで、何かを克服したと力強く宣言しているわけではない。

むしろ、まだ揺れている。
その揺れの中で、音楽だけが静かに戻ってくる。

『461 Ocean Boulevard』を聴くたびに思う。

復活とは、昔の自分に戻ることではない。
もう一度、無理のない場所から音を鳴らし始めることなのだ。

音楽は、前に進むだけではない。
距離を取り直すことで、戻ってくることもある。

このアルバムの中で鳴っていた“揺れ”は、クラプトンだけのものではなかった。それは、ジャマイカで生まれ、ロンドンへ渡り、やがてロックの中へ静かに入り込んでいったリズムでもある。

『461 Ocean Boulevard』は、クラプトンの回復の記録であると同時に、レゲエという音楽がロックの耳に届いた瞬間でもあった。





次回は、その揺れがどこから来て、どこへ流れていったのかをたどってみたい。

ビートルズからクラプトンへ。
そして、いつの間にか「Hotel California」の奥にまで入り込んでいた、ジャマイカのリズムについて。


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音楽が無理をしない距離で鳴りはじめる。
そんな感触を持つ記事を、いくつか並べておきます。

Boz Scaggs『Fade Into Light』── 音が無理をしない距離で鳴りはじめた
J.D. Souther『A Natural History』── 時間の中で、音が静かに残っていく
ディスコが奪ったもの、残したもの── 音楽の主役が変わった瞬間


無理をしない、という選択が音になった一枚。

クラプトンが救いを求めた音。

文章の外で、もう一度針を落とすための音。

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