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妻が看護師で、夫が官僚で、二人で会社を始めた話 —— 「公私混同」のすゝめ

連載「ノマド政策家のフィールドノート」第10回


はじめての方のために、少しだけ自己紹介をさせてほしい。

私は橋本直樹といって、14年間、霞が関で官僚をしていた。
それを辞めて、Kumanomicsという小さな会社を、妻と二人で始めた。

「行政(公)」と「ビジネス(私)」のあいだを行き来しながら、地域の課題を一緒に解いていく——そんな働き方を、私は勝手に「ノマド政策家」と呼んでいる。会社の名前は、イソギンチャクの毒の触手のあいだに棲んで守られ、かわりに栄養を運ぶ魚、クマノミに由来する。役割の違うもの同士が支え合う「共生」を、経済の形にしたい。それがこの連載で書いてきたことだ。

公私の間にノマド政策家がいて、共生経済をつくる

そしてこの連載には、毎回いちばん最後に「編集後記」がついている。

「てのひら草子」という名前のコーナーで、書いているのは、看護師の妻・みどりだ。私の記事はどうしても、政策だの制度だのと、少し小難しい言葉が並んでしまう。その最後に、みどりが暮らしの目線で一言を置く。つまりこの連載は、最初から二人で書いてきた。私の「フィールドノート」と、みどりの「てのひら草子」で、夫婦で一冊の草子を綴じてきたのだと思う。
これまでの9回、彼女は「最初の読者」として、私の後ろから書いてきた。第10回の今日は、その編集者を、いちど被写体の側に呼んでみたい。実際に、二人で向かい合って、これまでの問いをひとつずつ話してみた。以下は、その対話を下敷きにしている。

——というのも、つい先日の日曜日のことだ。私たちは千葉のいすみ市にいた。朝市でハマグリやアワビを買い込み、息子と海辺を歩いた。その前日は、私にとっては仕事の視察だった。仕事なのか、休みなのか。我が家ではもう、その境目があまりはっきりしない。
この「境目のなさ」は、だらしなさだろうか。それとも、私がこの会社でやろうとしていることの、いちばん小さな実物だろうか。

千葉いすみの海岸にて

官僚と看護師が、会社を始めた夜

2023年の冬、私は14年いた霞が関を辞めようとしていた。安定した肩書きを手放して、何の保証もない会社をはじめる。普通なら、家族にいちばん反対されそうな決断だ。その夜、妻にぽつりと漏らした。「辞めどきだと思う」。

みどりは、少しだけ黙った。それから、静かにこう言った。
「うまくいかなくても、私も働いているから、大丈夫だよ」
賛成でもなく、反対でもなく、ただ寄り添う言葉だった。

あの夜、本当はどう思っていたのか。今回あらためて聞くと、彼女はあっさりこう答えた。「私の人生のモットーの一つが、『やらない後悔より、やった後悔』なの。『もうここにいたくない!』と思いながら働くのって、すごくつらい。身が入らない。だから『ここじゃない』と思ったら、変わった方がいい。それは自分が身をもって感じてきたことだから、あなたが『ここじゃない』と思ったなら、辞めた方がいいって、ただ素直にそう思っただけ」。

そして、こう続けた。

「まあ、なんとかなるでしょ。私も働いてるし。最悪ダメだったとしても、なおちゃんなら何だってできるから、大丈夫でしょって思っただけ」

拍子抜けするほど、軽やかだった。けれど私は、この軽さに救われた。みどりは看護師として、自分の現場を持っていた。だから、生活の足場を私の挑戦に縛りつけずに済んだ。私は会社を、「いちばん大きく稼げる会社」ではなく、「いちばん愛せる会社」にしようと決めた。最高ではなく、最愛。その物差しを選べたのは、隣にこの足場があったからだ。
後になって、彼女は編集後記にこう書いている。

「私は夫がキャリア官僚だったから結婚したわけでも、収入が安定しているから結婚したわけでもなく、学をひけらかさないどころか腰が低く、いい意味で鈍感力が強く、程よくだらしなくて(笑)、とても人間味があっていいと思ったから」

褒められているのか、けなされているのか、いまだに自信がない。


看護師は「人を見る人」だった —— 最後の1マイルの話

この連載の第1回で、私は「制度の最後の1マイルが、現場の一人ひとりには届かない」という話を書いた。良かれと思って作った制度が、現場では人を縛る。それを私は、霞が関の側から知った。

面白いのは、まったく同じことを、みどりは病棟の側から、もっと早くから知っていたことだ。
彼女に「看護って、結局どういう仕事なの」と聞くと、こんな話をしてくれた。

「看護の勉強でね、『きく』は、門構えの『聞く』じゃなくて、耳偏の『聴く』を使いなさいって言われたの。患者さんの声を、ただ『そうなんですね』って受け流すんじゃなくて、聴いたことを自分のなかできちんと解釈して、感情を持って受けとめて、また自分の思いを返す。『ちゃんと感じろ』って」

それから、彼女はこう言い切った。

「お医者さんは『病気を治す人』。看護師は『人を見る人』なんだよね」。

同じ病名でも、症状の出方も、感じ方も、家族の事情も、一人ひとり違う。だから看護師は、個別の「看護計画」を立て、毎日評価し、週に一度はみんなで集まって「この人、今はこうじゃないよね」と計画を直していく。病気を受け入れられない患者の心は、拒否から怒りへ、そして受容へと進み、また行ったり来たりする——そういう人間の揺れ方まで含めて、見る。
そして彼女は、私がずっと政策の言葉で言おうとしてきたことを、たった一言で言ってのけた。

「医療で言えば、がんを取り除くとか、炎症を起こした胆嚢を切るとか——ああいうのは、政策に近いと思う。看護師がやってるのは、その後の、人によって違うところをフォローする『最後の1マイル』。医療行為だけじゃ、人は救われないから」

これは、私の十数年の仕事の核心そのものだ。法律や予算という「大きな方向性」だけでは、人は救えない。その先の、一人ひとりに寄り添う「最後の1マイル」がなければ、政策は目的を達成しない。

ただ、行政や政策の世界では、この「一人に寄り添う」が、驚くほど当たり前ではない。公共政策の教室で、たった一人の困りごとに寄り添った政策を構想すると、「政策はたくさんの人の幸せを叶えるものだ。一人のエゴに寄り添えば、政策を歪める」と言われてしまう。寄り添うことが、むしろ警戒される領域なのだ。

だからだろう。私がデザインや共生の話をすると、みどりは「それ、そうだよね」とすっと入ってくる。理屈で納得しているというより、看護師として、もうずっと前から体で知っている。彼女は以前、編集後記でこう書いていた。

「本当の意味での共感は、まず自分の価値観(AIには答えられない問い)を問わねば難しい」

私が学生に「現場の声を聴きなさい」と教えていることの、ずっと手前。「聴く」の前に、「自分は何を信じているのかを問う」がある。それを、私は看護師の妻に教わっている。


二人とも、書く人だった —— てのひら草子と、夫婦で一冊

「てのひら草子」という名前は、私が考えたものではない。みどりが自分でつけた。清少納言が枕元で手遊びのように書いた『枕草子』にちなみ、息子を寝かしつけたあと、iPhoneを手のひらに載せて書くから「てのひら草子」。枕元が、手のひらに変わっただけ。いい名前だと思った。

夫婦円満の象徴・海の生物タツノオトシゴが、てのひら草子のシンボル。

ただ、今回の対話で、私はあることに気づかされた。みどりにとって「書く」ことは、編集後記のためにはじめたことではなかった。

「私ね、その場でパッと気のきいたことを言えないの。だから、後から振り返って思ったことをスマホにメモする。自分を振り返る。……実はこれ、この連載ではじめたんじゃなくて、20歳ぐらいからずっと、15年近くやってる習慣なの」

しかも、その書き方が、看護師そのものだった。

「看護師が患者さんに看護計画を立てるみたいに、自分にも毎月、小目標と行動計画を立てるの。『今月はこれを頑張る』って。大目標は『素敵な女性になる』。……まあ、”素敵”の概念はどんどん変わるけど」

そして、こう笑った。

「昔の自分の行動を振り返ると『バカだな〜』って思うんだけど、その時に考えていたことを読み返すと、意外とちゃんと考えてるじゃん、って思ったりする」。

目標をスマートフォンの待ち受けにして持ち歩いていた。てのひら草子の原点。

私は深夜に、音声でジャーナリングをしている。みどりは20代から、文字でメモを続けてきた。やり方は違うけれど、「自分が何を考えたのかを書き留めておく」という姿勢は、まったく同じだった。
結論ではなく、思考の過程を残す。看護計画も、私のフィールドノートも、彼女のてのひら草子も、根は一つだ。二人とも、もともと「書く人」だったのだ。

彼女が「ありのまま」にこだわるのも、同じところから来ている。

「作った自分って、無理なんだよね。1時間ならできても、ずっとは続かない。だったら最初から、ありのままの自分でいた方がいい」。

飾らない言葉だけが、長く続く。だから彼女の編集後記は、いつも肩の力が抜けている。

会社のなかで、みどりは編集後記だけを書いているわけではない。経費を締め、広報や組織運営の土台を握っているのも彼女だ。表で喋り、現場を渡り歩くのが私の役で、その裏で会社と暮らしの帳尻を合わせているのが彼女の役。どちらが欠けても、会社も、家も、回らない。一人で抱え込んでいるつもりだった私の仕事は、実のところ、ずっと二人がかりだったのかもしれない。


移動する政策家を、家族で成立させる

私は、様々な地域を旅しながら、政策と人々の営みをつなぐ仕事をしている。宮城・川崎町の山あい、奈良の子どもたちの教育の現場、和歌山の行政職員や青森のスタートアップ経営者との交流、いすみの海辺。

気づいている人もいるかもしれないが、私はその多くに、家族を連れて行っている。
これを「公私混同」と言う人もいるだろう。仕事に家族を巻き込んでいるのか、家族に仕事を持ち込んでいるのか。みどりに聞くと、彼女はきょとんとしていた。

「巻き込まれているって感覚は、私はないんだよね。『どうせやるなら、一緒にやろうよ』って感じ。」

これは、私が地域でやっていることと、構造がそっくりだ。点と点を軽やかにつなぐ。違う文脈の人を、同じ場所に集めてしまう。私の仕事も、彼女のこの気質の、ただの延長なのかもしれない。
息子にとっても、それは悪いことばかりではないらしい。

「いろんな所に連れて行くのは刺激になるよ。1年前に青森のねぶたで聞いた『ラッセラー』の掛け声を、あの子、今でも言ってるもん」。

約1年前に連れて行ったねぶた。いまだに「ラッセーラ」「ヤーヤードー」を連呼します。

仕事のついでに、子どもが祭りを覚える。そういう旅を、私たちはしている。


「今日のみっくん」というコーナー

そして、これは我が家だけの話でもない。いま、職場で家庭やこどもの事情を持ち出しにくい空気がある。誰かがこどもの発熱で早退すると、残された側が「子持ち様」とこぼす——そんな言葉まで生まれている。一方で、こどもをめぐる社会の数字は厳しい。子どもの精神的幸福度は先進国で最低水準にあり、「こどもが真ん中の社会に向かっている」と感じている国民は2割に満たない。

出典:令和7年度版こども白書

実は、その「見えなさ」をどう溶かすか、私は自分の会社でちょっとした実験をしている。たいした話ではない。3歳の息子——社内では「みっくん」と呼ばれている——の写真を、私が事あるごとに社内のチャットに送りつけているだけだ。はじめは「かわいいだろう」というただの親バカだった。ところが、いつの間にかメンバーが面白がりはじめ、ミーティングの最後に「今日のみっくん」というコーナーまでできてしまった。今日は何をしでかしたか、最近どう育っているか。気づけば、社員の誰もが、私の息子の近況を知っている。

このたわいない「見える化」が、案外バカにできない、と最近思う。働くことと家庭は、きっちり分けるべきもの——近代の、そして資本主義の働き方は、長らくそう教えてきた。その価値観のなかでは、「こどもの世話で早く帰ります」という行動は、仕事からの離脱に見える。自分には関係のない、誰かの私事に見える。だからこそ、そこに不満が集まり、「子持ち様」という言葉まで生まれてしまう。

けれど、もし隣の席の人のこどもの顔と名前を、みんなが知っていたらどうだろう。「ああ、あの子が熱を出したのか。それは早く帰らなきゃね」。まったく同じ早退が、まるで違って見えるはずだ。
この話をすると、みどりは

「私、独身の頃からそう思ってた」

と言った。

「こどもの熱でしょっちゅう早退する先輩は何人かいた。でも私、極端だけど、『その子が大きくなった時に、お父さんお母さん、職場の皆さん、僕を育ててくれてありがとう、って言ってくれたらいいな』って思ってた。自分も子育てに参加してるみたいな気持ちで。だから、早く帰る人がいても、全然いいよ、って」

そして、こう言い足した。

「もともとこどもって、村のみんなで育ててたわけでしょ。たぶん、そういうことだと思うんだよね」。

出典:となりのトトロ。近所のおばあちゃんが、子守りをしながら荷解きを手伝う。

大人たちが職場で「私」を隠すほど、社会からこどもの姿は見えなくなる。そして見えないものは、想像されず、いつのまにか「邪魔なもの」にされていく。だとすれば、処方箋の入り口は、拍子抜けするほどシンプルだ。職場に、暮らしを、もう少し持ち込んでいいことにする。

こどもの成長を、たまには職場で「皆さんのおかげです」と言える。そんな健全な場をつくる。「こども支援」という大げさなラベルを貼らなくても、隣の人の暮らしが少し見えるだけで、社会はその分、こどもに近づく。
もちろん、データで語ることも大事だ。子育てに手厚い企業は業績が良く、女性の離職率も低い、という統計はある。ただ、それだけでは「もともと余裕のある会社ができているだけでは」とも返せてしまう。本当に効くのは、支援された家庭やこどもが具体的にどう変わったか、その一人ひとりの顔が見えたときだ。マクロの数字の裏にある「最後の1マイル」を見せること。

ここでもまた、妻の看護の話に戻ってくる。


かつて、仕事と暮らしは「ひとつ」だった

なぜ、私たちはこんなにも、仕事と暮らしを分けてしまったのだろう。少し時代をさかのぼってみたい。
少し前の日本を思い出してみる。農家も、商家も、職人も、かつては「家業」という形で働いていた。働く場所と暮らす場所、働く仲間と家族が、ほとんど重なっていた。店の奥が住まいで、子どもは親の働く背中を毎日見て育つ。仕事と暮らしは、もともと切り分けようのない「ひとつ」のものだった。

出典:となりのトトロ。子どもと一緒に、農作物を収穫をする。

それが分かれたのは、そう古い話ではない。戦後の高度経済成長が、多くの人を「サラリーマン」にした。父親は会社という「外」へ通勤し、母親は家庭という「内」を守る。社会学者の落合恵美子さんは、育児や看護や介護といったケアが家庭のなかに囲い込まれ、主婦化した女性が無償で担うようになったこの形を「20世紀体制」と呼んだ。仕事=公、家庭=私。その線が、このときくっきりと引かれた。

仕事と生活をパキッと分けるのは、効率という点では正しい。けれど、その効率の論理は、すぐには生産につながらないもの——たとえば子どもを育てるという営み——を、仕事の場から押し出していく。子どもがいることは「非効率」だとされ、いつのまにか少子化が進む。「子どもがいるなんて、まるで罰ゲームだ」と言う人さえいる。でも、子どもがいなければ社会は続かない。だとすれば、仕事の側が、効率だけでなく「暮らしを支える機能」を取り戻せばいい。仕事と暮らしを、もう一度、融け合わせる。

そういえば、近代が分けたのは、公と私だけではなかった。さっき妻が看護の話で言っていた、「大きな方向性」と「一人ひとりの最後の1マイル」——医療と看護の、あの分かれ目も同じだ。たくさんの人に、効率よく、同じ方針を届ける。その効率の裏側で、一人の顔は見えなくなる。近代は、いろいろなものを、よく切れる刃で、きれいに切り分けてきたのだ。


共生経済の、最小単位 —— 近代が分けたものを、つなぎ直す

ここまで書いて、私はこの連載でずっと、たった一つのことを言ってきたのだと気づく。
共生経済とは、近代が「効率のために分けたもの」を、もう一度つなぎ直すことだ。
分けられたものは、ざっと三つある。

行政(公)と、企業(私)。
職場(公)と、家庭(私)。
そして、大きな方向性と、一人ひとりの「最後の1マイル」。

連載の1回から9回まで、私はおもに一つ目——政策とビジネスを同じテーブルにのせる話——を書いてきた。第10回の今日は、二つ目を書いた。そして三つ目を、私は、看護師の妻からずっと教わってきた。私が虎ノ門で行政と企業を引き合わせるのも、家族を連れて地域を旅するのも、社内に「今日のみっくん」のコーナーがあるのも——ぜんぶ、近代が引いた線を、一本ずつまたいでいく、同じ動きだったのだ。

最後に、いちばん肝心な問いを、妻に投げてみた。「夫婦って、結局なんだと思う?」。
みどりは、少し考えてから言った。

「私の視点で言うと——楽しくなきゃいけないもの。自分だけが楽しいのはダメだし、相手だけが楽しいのもダメ。お互いがギブアンドテイクしようとし合う。そうじゃないと、うまくいくわけがないでしょ」。

役割分担の話だ、と一瞬思った。けれど——「仕事は夫、家庭は妻」と、機能でパキッと分けても、暮らしは一応回る。回るけれど、それだけだと、夫婦であることの意味が「お金を稼ぐ分業」に痩せていく。
情緒的に支え合う、という肝心な部分が抜け落ちる。お互いを、いい意味で必要とし合う。全然違う道を別々に走るのではなく、運命共同体として、同じ反物を一緒に編んでいく。それが、私の思う夫婦だ。
もっとも、二人が二人とも自分を押し通したら、反物は破れてしまう。みどりは、そのバランスをこう言った。

「なおちゃん、土日も仕事の予定を入れることもあるし、夜も遅くまで帰ってこないことがあるけど。私が文句を言っても、怒らないで『ごめんね』って優しく受け止めてくれるから、まあいっか、ってなる」。

……これは、私のだらしなさが赦されているだけかもしれない。
けれど、片方が押し、片方がおおらかに受け止める。その凸凹が噛み合って、一つの形になる。役割の違う二者が、支え合って一つの生態系をつくる——やはり、クマノミとイソギンチャクなのだ。共生経済の最小単位は、たぶん、夫婦だった。

みどりは以前、私の仕事の根っこにあるデザインの考え方を、こう言い表したことがある。

「自分の想いをこめた結束バンドで全ての人の想いを束ねるのではなく、自分の想いをこめた機織り機で、それぞれの想いを交差して編み上げていく。型にはめて解決せず、問いを続けて糸を補い、臨機応変に模様を変えながら、長い長い反物をつくる。そこに完成はないかもしれない」

完成はないかもしれない。だから、この連載をどこで閉じるのかも、まだ決めていない。私たちの反物は、まだ途中だ。 夫婦という最小単位から編みはじめた、この共生の反物を、次は、もっと大きな機にかけてみたい。


次回は、福島へ行く。震災と原発事故は、家族がいっしょに逃げ、同じ屋根の下で暮らすという、いちばん小さな単位の「当たり前」さえ、予期できないものに変えてしまった場所だ。その町で人々はいま、住む人だけでなく、外から関わり続ける人——「関係人口」——という新しい糸を足しながら、ほどけた反物を、もう一度編み直そうとしている。

大熊町で出会った景色を、書きたい。


編集後記〜てのひら草子〜

妻の橋本みどりです。今回は私のことを取り上げてもらいましたが、私の考えてることなんて普通の域を出ないことなので、なんだかちょっと違和感です。笑
今回のテーマ、公私混同。私の家族は陶芸家が多く、祖父が1階の仕事場でろくろを回したり、釉薬をかけたり、窯の中で響く貫入の音を聞くのは何の変哲もない日常の風景でした。祖父の作った茶器で祖母と母がお茶の教室を開く。たくさん茶器の注文が入ったら、私も包装をお手伝いをしました。
幼少期から公私混同が身近だったので、特に違和感は持っていません。
また、伯父は夫婦で陶芸家をしていて、暮らしと仕事はまさに一体。おじが絵付けのモチーフでウズラを飼っていたり、そのウズラの卵を貰いにいって、晩ごはんに食べたり。仕事のために作品をつくるというより、日常生活を営んだ延長線上に作品があって、それが仕事になっている。
難しいことはわかりませんが、政策をつくる目的というのは人々の日常生活を助けること…なんだとしたら、日常生活の延長線上で政策を考える方が、自然だろうと思うのです。
夫のやっているデザインの手法はまさにそういうことで、端的に言えば芸術家の手法ですよね。芸術家の目線ってそういう感じ。よく見てウズラを上手に描くだけじゃなくて、ウズラと一緒に過ごして五感で感じて、愛着を感じる。外からとってつけるんじゃなくて、内から湧き出る感覚を具現化する、みたいな。
政策をつくるということは、意外にも公私混同が合っているのかも…と思った今日この頃です。(つたわれ!笑)

ノマド政策家の妻 橋本みどり より

政策×ビジネスの共創プロジェクトのご相談は、以下にご連絡ください。

橋本 直樹(はしもと なおき)
株式会社Kumanomics 代表取締役/ノマド政策家
東京大学法学部卒業後、経済産業省に入省。国家公務員として初めて美術大学院に留学。米国パーソンズ美術大学にてMFA(美術学修士号)を修了。帰国後、知的財産権により社会課題を解決する「特許庁 I-OPENプロジェクト」の立ち上げなどに携わり、2023年に同プロジェクトでグッドデザイン賞を受賞。2024年、株式会社Kumanomicsを設立。組織の枠を越境する「ノマド政策家」として、企業と行政が共創し、ビジネスと政策を一体でデザインするプロジェクトを多数手がける。その他、虎ノ門ヒルズGlass Rock共創コーディネーター、東京大学公共政策大学院 非常勤講師などを務める。
Web: https://kumanomics.jp/

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