幽霊になった私
今月の7日、私の自宅の前で帰宅を待っていた叔父は、角から現れた私の姿を見るなり「幽霊のようだった」と感じたそうです。
その日の夕食時、お酒を飲みながら、叔父は当時の私の様子を酔った口調でそう語りました。
どうして、私はそれほどまでに魂が抜けた状態になってしまったのか。
それはその日、父が救急車で総合病院に運ばれ、予期せぬ診断によって絶望の淵に立たされてしまったからです。
私は現在、90歳の認知症の父と二人で暮らしています。
救急車を呼んだのは私でした。
2日前から激しい腰痛で起き上がれなくなった父は、「安静にしていれば治る」と頑なに拒否していましたが、症状は悪化する一方。救急車を嫌がる父への気兼ねと、呼んだ後に発生するであろう経済的な不安。その二つの間で揺れる迷いを振り切り、意を決して要請したのです。
搬送先の病院に到着したのは、午前10時少し前。父が救急室へと運ばれるのを見送り、私は廊下を隔てた待合室で、祈るような気持ちで結果を待っていました。
1時間半ほど経った頃、待合室に現れた50代の男性医師から、画像を見せながら「背骨が骨折している」と告げられました。
「そこまで大変な状態だったのか」と、動けなかった父の苦しみをようやく理解し、私は強い衝撃を受けました。
しかし、本当の絶望はここからでした。
昼食も取れぬまま待合室に張り付き、13時を過ぎても一向に名前が呼ばれない。不安に駆られて窓口へ尋ねると、再び現れた医師から、さらに重い事実を告げられました。
「骨折の原因は、別の悪い病気の影響である可能性があります。担当医が手術中で説明にはまだ時間がかかるので、もう少しお待ちください」
あまりのショックに、その場に立っていられなくなりました。
私はたまらず、一番信頼している叔父に連絡を入れました。打ちひしがれた私の声を聞き、叔父は「すぐに行く」と、高速道路を使って1時間半もかかる遠方から駆けつけてくれることになりました。
ようやく父と対面できたのは、14時を回った頃。看護師に導かれて入った救急室のベッドサイドで、「管を抜かないように見守ってください」と頼まれたその光景に、私の心臓は一気にしぼむような衝撃を受けました。
ちょうど1年前の同じ月、昨年亡くなった母もまた、この部屋に搬送されていたからです。デジャヴのように繰り返される残酷な光景。悪夢の中にいるようで、入院説明に来た看護師と会話を交わす気力すら、私の中からは消え失せていました。
その後、病棟へ移動してからも医師の説明を受けるための待機は続きました。
ところが、散々待たされた挙句、ようやく現れた若い男性看護師は、まるで友人に話しかけるような軽い口調で、「先生は手術で忙しいから、今日は無理そうです。帰ってください」と告げました。
「なんなんだよ……」
やり場のない憤りを抱えたまま、父の着替えが入った紙袋や大量の書類を両手に抱え、私は病院を後にしました。
外はいつの間にか小雨が降り出し、風も強まっていました。今の私の心境を映したような、荒れた陰鬱な景色です。
玄関にはタクシーが列を作っていましたが、今後の医療費や生活を考えると、乗るという贅沢はできません。
「傘がなくても何とかなる降りだし、自宅までの2キロ、歩いて30分なら遠くはない。少しきついけど頑張ろう」と、乏しい気力を振り絞り、徒歩で帰ることに決めました。
ところが、歩き始めてすぐに靴は濡れ、冷たさが靴下まで染み通ってきました。満開に近い桜を容赦なく散らす強風が吹き荒れ、長い橋を渡る際は、荷物と帽子が飛ばされないよう必死に踏ん張り、やっとの思いで渡り切りました。
心身ともにエネルギーを使い果たし、ようやく自宅に辿り着いたとき、そこにはすでに叔父の車が停まっていました。
疲れ果ててヘロヘロになり、雨に濡れ、うつむいて歩く私の姿。叔父が直感的に「幽霊」だと思ったのも無理はありません。
事実、その時の私は、極限の疲労と、この先に待ち受ける底知れない不安に押しつぶされ、生きる気力も自信も失い、魂が半分抜けた状態になっていました。
生きた心地のしない私にも、死の気配が漂っていたのだと思います。
今もその思いは、抜けきっていません。
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければサポートお願いします。いただいたサポートは明るい未来を創造する活動費として大切に使用致します。