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ラッキージェネレーション

去年は母が亡くなり、今年は父が大病にかかってしまいました。
最近では、ハズレ品だったのか、去年交換したばかりの車のバッテリーがもう不調になり、エンジンが一発で始動しないことが増えてきました。
ついていないことばかりだと、どうしても気持ちが沈んでしまいます。

昨日は、父の通院で診療所に行ったとき、待ち時間に読もうと思って持っていった本が、まったく別の作者のものでした。
三浦綾子さんのエッセイだと思い込んで読み始めたのですが、「文章が達者な三浦さんのわりには、なんだか素人が書いたようなおかしな文章だな」と違和感を覚えました。そのうち「クーラーをつけないで寝る」という話になり、はて、三浦さんの中年時代にクーラーなどあっただろうかと疑問が湧きました。さらに読み進めると「無印良品で購入した製品」をほめる話が出てきて、ようやく、違う作者のエッセイだと気がつきました。
あっ、これはついていないというより、単に私がおっちょこちょいなだけですね。

でも、自分の不運を嘆いてばかりいるから、何でも「ついていない」と結びつけて考えてしまうのです。これはいけません。自ら不運を呼び込んでしまうことになります。
無理にでも「ついている」と考えられるよう、少し視野を広げて、大胆な発想をしてみました。

まず、父の病気です。医学の進んでいない昔だったら、治療のしようがなく、家で寝たきりになって死を待つだけだったでしょう。

自動車も同じです。車のない時代は、スーパーへ行ってまとめ買いをするようなことはできませんでした。
いや、そもそもスーパーすらなく、遠く離れた魚屋、肉屋、八百屋、米屋と、様々な商店を歩いてまわらなければならなかったはずです。
重たい荷物を抱えてやっと帰宅する。人力で運べる量など知れていますし、昔は家族も多かったので、一日分の食料を買い出すのがせいぜいだったでしょう。
そんな苦労を毎日しなければしかたがなかったと想像すると、車があることのありがたみが身に染みます。

読書だってそうです。好きな本が手に入らない時代もありました。本を読む以前に、昔は学校にすら行けず、文字を読めない庶民であふれていたのです。

考えてみれば、私たちは昔の王様よりもいい生活をしているのかもしれません。
庶民であっても車や電車、飛行機で快適に移動できますし、エアコンの効いた室内でテレビを見ながら、おいしいものを食べられます。病気になれば、医者に行って治してもらい、王様よりもずっと長生きができます。

昔の庶民は、もっと過酷な生活を送っていました。家も食事も粗末で、いい服も布団もなく、エアコンなどの空調もありません。そのため、真夏や真冬の時期はしのぎがたかったでしょう。熱中症や低体温症になるリスクが非常に高かったと考えられます。
ケガや病気をしたら自然治癒に任せるしかありませんでした。乳児の死亡率も高く、家族は何度も悲しい別れを経験したことでしょう。

世界に目を向ければ、ウクライナやイラン、北朝鮮など、今なお大変な暮らしを強いられている人々が数多くいます。
それに比べれば、日本はかなり恵まれています。我が家の生活は決して楽ではありませんが、彼らから見れば、うらやましく思える環境のはずです。

日本自体も、100年まで遡らなくても、大変な時代がありました。戦中戦後です。
街が焼かれ、多くの人が命を落とし、わずかな食料しかありませんでした。国民みんなが貧乏で、地獄のような時代を必死に生き抜いてきたのです。私の両親も子供の頃、その悲惨な経験をしています。

それに引き換え、私の時代は戦争もなく、生活も豊かになり、大きな不便もなく暮らせています。
いわば「ラッキージェネレーション」なのかもしれません。
人類の歴史のなかで、最も恵まれた時代に生まれ、しかも安全で繁栄した日本で暮らせている。それだけで、十分にラッキーといえるのではないでしょうか。
視野を広げれば、私はとてもついているのです。そのことに感謝をしつつ、毎日を大切に暮らしたいと思います。


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