自分で自分が嫌になる。そんな時に励ましてくれる「不思議な少年」
週に1、2度、わずかな時間ですが、介護疲れの気分転換と健康のために散歩に行きます。
本当は、毎日1時間くらいは散歩をしたいのですが、認知症の父をひとり家に置いておくのは心配なので、そうもいきません。父は大病も患っており、背骨の骨折も治っていません。だから、いいタイミングを見て、散歩の時間をつくるしかないのです。
しかし気分転換のはずの散歩は、いつしかますます気を暗くしていくことがあります。
自分の過去の失敗や過ちを思い出し、「ああ、なんて自分は愚かでダメなやつなんだ」と思ってしまうからです。そしてこんな自分だから、いまのようなどん底の人生を味わう天罰を受けているのだと超ネガティブ思考の渦の中に飲み込まれてしまうのです。
そんな絶望感に襲われると、本当に死にたくなります。 でも、一人では何もできない父を残してこの世を去るわけにはいきません。
しかし、罪深い人間だから、不幸になっていくのでしょうか。
どこかの国の大統領は、とんでもなくひどいことをしているにも関わらず、成功者としていい暮らしをしています。 過去の歴史に名前が残っている成功者にもそんな人がたくさんいますし、私が過去に関わった人の中にも、底意地が悪くても恵まれた人生を送っている人もいます。
そうやって人と比較すると、ますます気が沈み、孤独感が深まってしまいます。

『トム・ソーヤの冒険』を書いたアメリカの大作家・マーク・トウェインの作品に『不思議な少年』があります。 自らを「サタン」と名乗る不思議な能力を持った少年の介入により、仲間の少年少女2人が水難事故で亡くなるという話です。
主人公がサタンに向かって「なぜ救わなかったのか」と問うと、サタンは「ここで死なさなければ、少年はリザを助けたのち伝染病(中風)にかかり、46年間もベッドの上で苦しみ続ける運命だった」と答えます。
そうなれば、サタンのやったことは、彼らにとって「より苦しみの少ない幸せ」を選んでやったことになります。
自分では不幸だと思っていることも、実はもっと大きな不幸を避けるために与えられた運命なのかもしれない――しかし普通の人間にはそんな大局を知る由もない、というメッセージが込められているのだと思います。
マーク・トウェインがこの作品を書いたのは晩年でしたが、当時の彼は相次ぐ家族の死や破産により、深いペシミズム(悲観主義)と厭世観に囚われていました。その絶望が色濃く反映されたためか、この作品は複数の異稿が残されたまま未完成に終わっています。
大ベストセラー作家として大きな富を手に入れながらも、見境のない投資で破産し、一男三女のうち3人の子供に先立たれ、妻をも失った彼の人生は決して順風満帆ではありませんでした。晩年のうつ病は、これが原因になったのかもしれません。
彼の生まれた年にハレー彗星が観測されたことから、「自分はハレー彗星とともに地球にやってきたので、ハレー彗星とともに去っていくだろう」と周囲に語っていたそうです。
まさかの話ですが、彼が亡くなった1910年は、ハレー彗星が75年ぶりに地球に到来し、本当に予言通りこの世を去っていきました。マーク・トウェイン自身こそ、未来を見通していた「不思議な少年」だったのかもしれません。

成功者に見えても、語らないだけで実は深い悩みを抱え、自己嫌悪に陥っていることもあるでしょう。 その反対もしかり。表面的なことだけで、幸福度は決められません。
いま私は様々な苦難のなかにあり、幸福な人生とは言えないかもしれません。
しかし私の人生はまだ終わっておらず、今の逆境もその中の一部にすぎません。だから自分の人生を不幸だと決めつけるのは早計です。
決して自分だけの原因で苦難が降りかかるわけではないのです。運命は自分の力だけでコントロールできないからです。だから善人に不運が降りかかり、悪人に幸運がめぐってくるようなことが起こるのでしょう。
降りかかってくる苦難を不幸であるとすぐに決めつけずに、この事実と向き合う。そして覚悟を決めて、それを受け取る。そこからしか人生は始まらないのではないでしょうか。
そこで人生を投げ出してしまったら、応援する連続ドラマの主人公がピンチに遭うのが嫌になって、途中で見なくなるのと同じになってしまいます。
厳しい状況でこの先どうなるかわからなくても、数々の試練に負けないドラマのヒーローのように、投げやりにならずに目標に向かって突き進んでみる。そして、とりあえず結末まで見届ける道を選ぶ。
そうすれば、思いもしない展開になり、ハッピーエンドに恵まれるかもしれません。そう思えば、途中で投げ出すのがもったいなくなり、この苦難を生きるエネルギーもわいてくるというものです。

マーク・トウェインもきっと、不幸のなかに希望を見出そうとして「不思議な少年」を書き、それにより生きるエネルギーを得ていたはずです。
そうでなければ、うつ病で心身ともに弱った老体で、亡くなるまでこの作品を改稿するエネルギーはわいてこなかったでしょう。
彼の最期は端からは不幸に見えたかもしれませんが、死ぬまで好きな仕事に打ち込み、ハレー彗星とともに旅立っていった彼の人生が幸福であったか不幸であったかは、本人でないと分からないと思います。
私と同様に苦境で人生を投げ出したくなっている人は多くいるでしょう。でも、とりあえず、結末まで見てみましょうよ。結論は、そこで下せばいいじゃありませんか。
幸福や不幸に運の要素があるとしたら、運命はゲームのようなものです。ゲームを降りていない人にチャンスはめぐってくるのです。
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